華出井 葵(12)と願いの井戸 26
話を戻すと言った葵は、ズレた話のまま首を傾げる。
「ていうかさあ。名前がコロコロ変わるって事は、井戸で良いってことなんじゃない?」
立体パズルを持っていない方の人差し指で、くるくると空中に円を作る。
自分が知る別名を答えた甚八は、苦笑いを浮かべた。
「本家では、転界という名前を通称にしておられたのですよね。
であれば、そこを空間や場所ではなく、世界だと認識したという事では」
甚八の指摘に、葵だけでなく京護も目をパチリとさせて甚八を見る。
「甚八が頭の良い事言った」
「葵君まで先生をからかって」
「まあ、僕の頭が良いのは事実だから」
甚八の返しに、今度は京護だけが目をパチリとさせる。
思わず足元の影の存在を忘れるほど、甚八に体を傾けて見上げた。
「先生て、そんな感じで先生してるの?」
考えるまでもなく、京護は仕事中の甚八を見たことはない。
甚八は京護の言う、そんな感じの意味を、好意的に捕えた。
「改めて聞かれると照れる。小児科は大人だけで済む診察と違って、子供と保護者の両方から症状を探る謎解きチームみたいなもんでね、ノリは大事にしないと」
そして、ここが一番の大事と、自分を指さした。
「なにより、僕の頭が良いのは事実だし」
「そ、そう…………うん、先生は先生だもんね」
京護は無言で、足元の影をチラリと伺う。
影は相変わらず、新しく覚えた名前を連呼していた。
良かった、父は先生を煽らない。
内心ホッとしている京護に合いの手をするように、静観していた葵が、ジト目で唇を尖らせた。
「甚八。脱線してるんだけど」
甚八と共に、京護も姿勢を正した。
「失礼いたしました」
「葵君、どうぞ」
【ヒト へん】
「お父さん…………」
京護の肩が、脱力で落ちた。
タイミングが悪いと言いたいが、誰より空気を読まないのを三人は知っている。
猫が己の尻尾を巻きつけるように、一本の影が、京護の足首に影の巻きつく。
しなやかな尾の先は小さな人の手になり、食い込むように京護にしがみつく。
そして、風を切る音を轟かせた。
言語として認識出来ない甚八は、眉を顰める。
葵は溜息をつき、しがみつかれている京護は、恐れは無いが困惑していた。
【オナジ ちがう ヒト おも シロイ へん】
「おっさん、しょうがないって。ぼくらはそういうもんなんだ」
表面での言葉と、聞こえない言語のどちらに葵が返したのか。
どちらにせよ会話になっていない。甚八は素直に、京護に助け船を出す。
「今、なんて言ったの?」
「うん…………無いところにあるを付けて、お前らは不便な生き物だって」
二人が見下ろす影は、沼のような形だった物から猫のようなシルエットに変わっていた。
影から生える尾は京護に巻きつく一本から二本になり、その一本が空中で左右に揺れている。
猫又のようだと甚八は思ったが、それだけだ。
葵のパズルによって、影は行動に制限をかけられている。
害を及ぼさない以上、気になるのは言葉の意味だけだ。
「葵様は、どういう意味か分かりますか」
「そりゃね。甚八が頭良いなら、僕は天才だから」
胸を張る葵に、京護は、葵と甚八は気が合うだろうなと思った。
京護は話のほとんどを、ついていくのに精一杯だった。
知らない事の方が多いのもあるが、それより考えてしまうのは、葵だ。
彼は、京護の父親である影と同等に、落ちる先を知っているのだろう。
現に葵は、躊躇いも言葉の引っかかりもなく、その世界を言葉にする。
葵は、手元の立体パズルを両の手の平に乗せ、眼前に掲げた。
「おっさんは、落ちた先の存在。
でも、おっさんみたいなのと、おっさんみたいだけどそうじゃないのがいる。
けど、どっちも同じ」
影は、自らを無いところと言った。
葵が、それを補強する。
「名前がない、形をもたない、感情がない。で、死なない。存在をしていても、存在している事に自分が気づいているのかも分からないのもいる」
左右に揺れていた影の尾が、踊る様に益々揺れる。
それに呼応するかのように、葵の持つパズルの内部から放つ光も、淡く揺れた。
葵の独演会は続く。
華出井家が中心となって探ってきた、落ちた先のこと。
ただ、二人はまだ知らない。
葵が語る内容は、葵だから知る情報なのだという事を。
明日、4日(土)も更新します。




