華出井 葵(12)と願いの井戸 11
甚八は、引っ越し? という顔をして意識を外に戻した。
京護は首を傾げて、指きりをしたまま葵を見下ろす。
「引っ越し?」
同じ心情になった甚八と京護の空気に当てられ、葵も首を傾げた。
「退院だっけ。どっちでも良いじゃん、行こう」
そのまま京護の手を掴んで、出て行こうとする勢いだった葵を、甚八が慌てて引き留める。
「葵様。主治医として申し上げますが、連君の退院はまだ認められません」
「だめなの? どこらへんで」
京護との指きりを離し、葵はじっと、甚八を凝視する。
「見た目だけで判断しておりませんので…………設備の整った自宅療養であれば、許可、いたします。ので、こちらをじっと見ないでください」
活発な子供が静かに見つめるという圧に、じわじわと追いつめられた甚八は、あっさり敗北した。
葵は切り替えたスイッチのように笑顔を浮かべ、ピースサインを甚八に向けた。
「それならバッチリ。行こう」
「あの葵様、待ってください」
次に引き留めたのは、京護だ。こちらは引き留めた事より、言葉遣いに反応する。
くるりと振り返り、わざとらしく唇を尖らせた。
「…………きょーごぉ」
「すみませ、あ、ごめん。でも、どこに行くのかなって」
京護の足元にいた影のカラスたちは、ひと塊に集まりだしていた。
形が分解され、行くのを躊躇う京護の足元に集約されていく様は、蜘蛛の糸のようだった。
葵は影を気にせず、京護を見る。
「本家に戻るのは嫌だよね」
「っ、本家って、あの」
「嫌だよね。大丈夫! 本家じゃないから」
葵が一歩、ズイッと京護に近寄る。
その一歩と同じタイミングで、影は、京護の中に全て隠れた。
「そこはね、ぼくとこれから一緒に住むとこだよ」
「一緒?」
「そう。楽しみだなあ」
じゃあ行こうと、葵は有無を言わさずに京護の手を握った。
それも、甚八は前を防ぐ。
「葵様、支度。連君にも支度をさせてあげてください。ついでで結構ですので、僕にもお時間をくださいお願いしますっ」
なんだかやけに必死だなと、当事者である京護の方が不思議だった。
葵は甚八と京護を交互に見て、了承した。
「いいよ。でも早くね」
甚八が真っ先に向かったのは、キッチンだった。
ぼんやり眺めていた京護だったが、これは自分の支度だと思い出し、甚八の元へ行こうとした。
手を離す様子が葵にはないので、動けない京護は、じっとこちらを見る葵に勇気を振り絞る。
「したくをするから、手を離して欲しい」
「ぼくを呼ぶ時は」
「葵さ…………君」
「ん。良いよ、いってらっしゃい」
あっさり手を離してくれた京護は、ホッと胸を撫でおろして甚八がいるキッチンに行った。
甚八は京護を見るなり、微苦笑で出迎える。
後は何も言わず、棚や冷蔵庫から食料品や使い捨てのカトラリーを次々と出していく。
京護はどうすれば良いか分からず、見ているだけだった。
甚八は手際よく棚から紙袋とコンビニの袋を取り出し、それぞれに分けて入れていく。
入れながら、甚八は京護の恰好を改めて眺めた。
病衣と、それを隠すように着る、サイズの合わない甚八のパーカー。
「さっきはああ言ったけど、荷物が無いんだよね連君」
ビニール袋には、ペットボトルと京護が食べきれていない甚八からの差し入れが主に入っている。
残りを紙袋に入れながら、甚八は溜息をついた。
「服も無いんだよなあ。病院はコンビニぐらいだし、僕のじゃサイズこれだし」
甚八は一度手を止めて、病室をあちこち見て回っている葵に声をかける。
「葵様、移動は車ですか」
「そう。艻月のが運転する。すぐだよ」
葵はベッドに座って、スプリングを確かめるように跳ねていた。
「この時間じゃ、まだ店も開いてないな。連君、その恰好でも良いかな」
「うん。おれは良いよ」
紙袋に食料を詰め終わった甚八は、一人用のソファにまとめていた仕事道具を持って戻る。
甚八は今手に持っているノートパソコンを指して、転校先を調べたと言った。
筆記具と教科書はいつ手元に来るのだろうと、少し胸が弾む。
京護の心情とは真逆の甚八は、両眉を下げて躊躇いつつも京護に告げた。
「連君」
本当は、もっと早くに言っておきたかったこと。
「一応、僕なりに君の生家を調べたけど、とうに本家が全て処分した後だった」
途端に現実に戻った記憶が、5年前まで住んでいたアパートにあった家具や私物を思い出す。
あの夜、父親が倒れた夜から家には帰れていない。何一つ、持ち出せず仕舞いだ。
「お母さんやお父さんの写真とかも? 学校の行事で撮ったやつの画像とか。
お父さんがどこかに保存してたと思う。僕のだと、携帯やゲーム機のデータに入れてたんだけど」
思い出に繋がるものが欲しい京護は、自分が覚えている限りの場所を伝える。
一方で、甚八は権利や財産に関する物を探していた。
落ち度だった部分に気づき、脳内のチェックリストに付け加える。
「そうか。もうちょっと調べておくよ」
「うん」
期待の目が、眩しかった。




