序章・連 京護(14)の転換日 28(終)
言うなり片付けを放棄して、京護を冷蔵庫に誘う。
3段式冷蔵庫の二段目。冷凍庫の中には、一つとて種類や味が被っていないアイスが敷き詰められていた。
「深夜の間食やアイスは格別だよ」
行った場所で既に検討はついていた京護は、呆気に取られながら冷凍庫を眺める。
「先生、こんなに買ってたの」
「アレルギーは検査結果で知ってたけど、好みが分からなかったから。
嫌いな物は僕が食べる。僕、アレルギー問題無いし好き嫌いも無いから」
食べっぷりを思い出し、条件反射で頷いた。
甚八は最初に京護に選ばせたが、悩みすぎて決められなかった。
仕方なく選択権を委任された甚八は、カップ型のかき氷を木べらと一緒に渡す。
かき氷とだけ書かれたシンプルな蓋を京護が開けると、中身もシンプルだった。
「真っ白だ」
「みぞれね。シロップがかかってる」
甚八は説明しながら棒キャンディーの袋を開け、あっという間に齧る。
このままここで、食べる気らしい。
「僕はソーダ。勝手に二個目も食べて良いよ」
「ううん……大丈夫」
大人って胃が丈夫なんだなと思いながら、木べらですくう。
シャリシャリしたみぞれを、こぼさないように口に含む。見た目より甘いシロップが、口の中に広がって驚いた。
クセはなく、みぞれなだけあってサッパリしている。
「気に入った?」
顔を見れば分かるが、選んだ手前、感想は欲しい。
京護は無言で頷き、二口目を食べる。
「アイス食べたの久しぶり」
おいしいと、三口目からはペースが速くなった。
「美味しいなら良かった」
満足気な甚八は、手元の棒キャンディーを、数口で食べ終えた。
「そういえば、連君のやりたい事ってなに?
僕に出来る事なら協力するよ。
……本家に立てつくことは無理だから、それ以外で」
前半より後半の方が、力がこもっていた。
京護は、空っぽになったカップに木べらを置いて考える。言うのを躊躇いつつ、聞いて欲しい欲が勝った。
「何個かあって。まずはお母さんを探したい」
「そうだね、僕も協力する。あとは?」
「あとは」
チラッと甚八を一瞥してから、言うのが恥ずかしくて俯いた。
「学校に、行きたいなって」
京護は、すぐに何かしらのリアクションが返って来ると思っていた。
甚八が静かなので、馬鹿な事を言ってしまったと思い、恐る恐る上目遣いで伺う。
「駄目かな」
視線の先の甚八は、予想外の要望だった為、固まっていた。
それでもかろうじて、首を横に振った。
「……駄目どころか義務教育なんだから、行って良いんだよ」
言いながら我に返る。
なんだ、義務教育なんだからって言うのは。
「義務教育でなくても行って良いよ。絶対、行こう」
拳をぎゅっと握り、前のめりで京護に向かって叫んだ。
温度差のある熱気に気圧されて、京護は思わず一歩後ろに下がる。
「でもその、お父さんの事もあるし。おれ、ずっと行けなかったから、色々不安だし」
「行こう。アレについては、行く結論の後に考える話だ」
「でも……」
言うべきか迷った言葉を宙に浮かばせて、口元をまごつかせる。
すぐに、もう知った事実だったと諦めた。
「先生、もう知ったよね。先生のお父さん、井戸に一番近いところに居たこと」
京護がそう言った事で、何を迷うのか分かった。
甚八は、あの日起きた事を話す前までも、あった戸惑いは無くなっている。
京護には、そんな甚八の様子が却って、現実を突きつけてくる。
やっぱり殺しちゃったんだ、と言いかけた口をつぐんで、噛み殺すように必死に飲み込んだ。
京護が悲痛な表情で顔を強張らせるのを、甚八は、自分は父に哀悼があるのか考える。
ろくでもない親父だった。
それは事実で、それだけが全部の姿でも無い。
DNA鑑定を待っているが、自分が現実を受け止める為だけに必要な日にちに過ぎない。
「連君」
あからさまに体を震わせるので、甚八は手を伸ばしたが、すぐに落とした。
一寸悩んで、やはり、京護へと手を伸ばす。
「君の肩に触れても良いかな」
京護は俯いてから、小さく頷いた。
触れてから、次を尋ねる。
「背中に腕を回して、抱きしめても? それ以上はしない」
また、頷く。
腰をかがめ、出来るだけ身長差を縮める。
回す腕には、隙間を出来るだけ作り、背中に触れる手も軽くに留めた。
最初は緊張していた体が、僅かながら京護も力をぬく。
だから甚八は、京護だけに聞こえて欲しいと声を潜める。
「死んで良かったと。思っても君は、良いんだ」
甚八の声は、コップの表面張力で膨らんでいる水に落ちた、最後の一滴となった。
「……分からない」
じわじわと、涙の代わりに胸が熱くなった。
言葉が自然と、漏れ出てくる。
「でも、おれかあっちか、どちらかが死ぬまでおれは楽になれなかったのかなって」
喉がひくりと震えるのを間近で見て、甚八はもう一度、京護の背中を撫でる。
「だから正直ホッとした。終わったんだって」
京護は、頭を甚八の胸に預けた。
「死にたくなるほど嫌な事ばかりだった。でも、おれ、死ぬの怖かったから……っ」
甚八の背中に腕は回さない。
所在投げに、半端に腕を振り、拳を作ろうとしてもうまく握り込めずにいる。
感情の持って生き方が分からず、混乱しているのが、腕の中にある事で伝わった。
「間違ってないよ」
おかしなことにと、甚八も思っている。被害者遺族という立ち位置で京護に言えるとすれば、これだと確信している。
「君は一つも、間違ってない」
三度、病衣で一層、細くて薄く見える背中を撫でる。
やがて京護は、うつらうつらと船を漕ぎだした。
「眠いなら、寝て良い。ベッドに行こう」
ぐずったように首を横に振るので、ソファを指さした。
「ソファは」
見えていないまま、頷いたので誘導する。
ソファにゆっくりと寝かせれば、自分で楽な姿勢を探し出す。
睡魔に逆らわないなら、大丈夫だろう。
一息ついたと思えば、京護は今にも閉じそうな瞼を開けて甚八を見上げる。
何かまだ気がかりがと首をひねれば、そういえば寝られない理由を言っていた。
「連君が起きた時も傍にいる」
「ほんと?」
「大丈夫、何かあったらついていく。僕は連君の主治医だから、権利はある」
甚八はテーブルに腰かけ、今にも寝入りそうな顔を見下ろす。
「朝になったら、君の会いたい人が来るんだ。
目の下にくま飼ってたら、心配させちゃうよ」
会いたい人を思い出し、遠足前の気分で目を閉じる。
「うん、おやすみ先生」
「おやすみ」
静かになったので、寝たかと思えば違った。
「先生」
目を閉じたまま。京護は、あとひと呼吸で寝てしまう前に、言っておきたかった。
「ありがと」
すぐに寝息に変わり、実年齢より幼く見える姿を見下ろす。
安定した寝息に、甚八はようやく肩の力を抜いた。
「……どういたしまして」
子供の寝息は穏やかで、たった数時間前に起きた事が全て、夢か幻に思えてしまうほどだ。
だが、全て変えようのない現実。
京護は、したい事がいくつかあると言っていた。
少年の幼い輪郭を照らす部屋の明かりはそのままに、甚八はベッドから上掛けシーツをはがして、京護の体にかけてやる。
そして、心の中で祈った。
無宗教者の祈る神は、どこでも良い。叶えてくれるところだ。
これからの君に、良き道しるべの星が照らされますように。
序章お読みいただきましてありがとうございました。
設定説明を1回挟んで、2/1から本編「華出井 葵かでいあおい(12)と願いの井戸」を始めます。
シリアス度が低くなります。




