序章・連 京護(14)の転換日 25
未成年への虐待が分かる描写があります。ご注意ください。ただし
■主軸中の主軸になる話。
■虐待描写は必要な箇所以外は抑えたつもり。
■最後に加害者が報いを受ける描写もあり。
ご当主様、と何度も引き留められる男は構わず、京護のいる部屋の扉を乱暴に開ける。
「葵の親は俺だっ 俺が華出井の当主だ! 異形のガキの使い方なんぞ、連れてきた俺が決める!」
袴姿の男の年齢は30代後半。短髪で狭い額なので、太めの眉が怒りで上がり切っているのが、ハッキリ見えた。
男は入ってきた勢いのまま、布団をはぎ取る。
「あ……」
男は怯える京護の手首を掴み、ベッドから落とす。
その男の目は、京護が最後に見た時より随分と窪んでおり、鬼気迫るものを背負っていた。
床に崩れ落ちた京護の体を引きずるように、外へと引っ張っていく。
男と一緒にいたスーツ姿の方は、部屋を見てから後を追う。
「何をなるおつもりで」
ご当主様、と言った男の年齢は50代後半。細身で面長の顔に乗っている下がり眉は、鬼気迫るとは対照的に幽鬼めいていた。
焦りを隠さない挙動で、それでも付いてくる男に歩きながら答える。
「落とす」
その言葉に、あからさまに動揺を見せた。
周辺の空気すら変わったと思うほど、二人の間に緊張感が生まれた。
「?」
落とす、という言葉に、どれほどの意味があるか京護は分からない。
逃げられるタイミングは無いかとも伺うが、逃げる体力が無かった。
男の掴んでくる手は強く、絶対の意思を感じる。
それだけで、今回は今までとは違うのだと察し、京護は恐怖した。
後ろを付いてくる男も、動揺を隠さずに声を上げる。
「それはっ」
当人が思っていたより声が大きかったようで、一度、口を閉ざす。
歩調を早めて、引きずられる京護の傍まで近づく。声を潜める為だ。
「……絶対に許可なさりません。
お館様は葵様が井戸から戻られて以降、葵様のお言葉だけしか、お耳に入れません」
「円花。お前も、落としたかっただろう」
「ご当主様、お戯れはおやめ下さい」
「自分が責任を取りたくないからと、かわすな。お前は元々、そうしたかった筈だ。
それに五年も経てば、してないのはそれぐらいじゃないか」
京護が居た洋館は、華出井の本家敷地内にある。
広大な場所の端にあり、どこを歩いているのか、どこに向かうか京護だけが分からない。
分からないのに、嫌な予感が早鐘となって胸を打つ。引きずられる先がどこにあるのか、分からないまま感じ取る。
まるで一本の糸に引かれ、導かれているようだった。
行きたくないのに、男は尚も京護を引きずり、傍で付いてくる男を惑わす。
「落ちっぱなしなら他の奴らと同じ、事故死。
戻って来たらお前の、円花家の功績だ。
どっちにしろ、誰も知り得ない事を報告書に書けるな、円花」
円花と呼ばれた男は、黙った。
反対も賛成も出来ないなか、すぐに目的地は見えた。
「くら?」
京護が困惑する場所は、いくつか蔵が並んでいた。
その中の一つだけ他より遠く、他より小さな蔵がある。
小屋に近い大きさに、男は躊躇わず近づいた。
京護の鼻がひくりと震えた。
あそこは駄目だ。行ってはいけない。
京護は男の手を片手で掴み、必死に離れようとする。足を踏ん張ってみるが、年齢より軽い体に力は無い。
「いやだ」
あそこだけは行かないで。
叫ぶ間もなく、小さな蔵の前に着いた。
「開けろ」
男は懐に持っていた鍵を地面に投げ、円花と呼んだ男に命令する。
円花の男は躊躇いつつも錠を拾い、鍵を開けた。
扉が開く間、男が蔑みを目に乗せ、下卑た笑いで京護を見下ろす。
「俺が犯して孕まなかったのは、お前ぐらいだ。ただの男なんぞ犯し損だった。
最期に化け物らしい仕事をしろ」
中へ放り投げられ、軽い体は飛ぶように地面に転がった。
「いっ」
痛い、と声になる前に、ある一点を見たばかりに最後まで声にならなかった。
蔵の中央には、井戸があった。
円形で、土台は石造り。
土台の外側や内側には、何枚かの札があった名残がある。どれも破れており、年代も古そうだった。
井戸水を汲むための釣瓶は無く、薄暗い蔵の中でもひと際、井戸の周りは暗かった。
音は無い。気配も無い。目の前の井戸すら消えそうなほど、存在感がない。
井戸からも、蔵の中も。侵入した3人以外の存在を示すものは、何も無い。
それなのに、京護は目を見開き、耳を両手で塞ぐ。
「い、いやだ……」
首を振り、ただひたすら嫌だと繰り返す。
男は舌打ちをして、引きずったことで汚れた着物の後ろ襟を掴んだ。
「黙れ。お前の仕事だ、落ちろ」
京護はガクガクと怯え、蔵の扉に向かう。
二人は、命の危機を感じた本能で逃げようとしているのだと思っていた。
京護が、こう告げるまでは。
「なんで、あんな匂うの」
二人の顔が、強張った。
「においが強い。声もだ、あそこからの声だって聞こえてるんでしょ。
あそこだけはいやだ」
逃げる京護の頭を掴んだのは、円花の男だった。
「匂うと言ったかっ」
「うっ」
逃げる京護の体を地面に倒し、仰向けにする。
円花の前は、暗がりでも爛々と光っていた。
「なんで今までそれを隠してたっ」
非難と感嘆が混じる表情に、京護の体が恐怖で固まる。
少年の肩を押さえつけ、興奮を隠しきれずに円花の男が叫んだ。
「アレを勘ぐれるとは文献にあった。独特の匂いがすると。だが、誰もその匂いがどんな物で、どう匂うか知らない。
今のが、どういう意味か分かるか?
匂いが分かれば場所が分かる、存在が辿れる、そうだGPSと同じだ。
私たちが先手を取れるんだ」
男は京護の頭を抱え込むように掴み、視線を逸らさせてなるかと見つめた。
「声とはなんだ。声も言ったな? どうして報告しなかった!」
京護を探る眼差しは、正気とは思えないほど興奮している。
「お前だけが聞こえる声はなんと言っているっ」
「お、おれだけ?」
「そうだ。お前だけだ化け物め」
「⁈ 」
円花の言葉に、京護はショックから口をはくはくとさせる。
二人は、京護の様子を気にかけない。
先までたった躊躇いすら、消えている。
「ご当主様。これは本物の化け物でした」
「そうだ」
「これで分かる事がまた増える」
「お前の悲願だろう」
「ええ、ええ。これで、あの世界をまた一つ知る事が出来る」
京護へ振り返る男の目は、瞳孔が開かれていた。
「いや、一つどころじゃない。停滞していた転界の研究が、たった一体で掴めるかもしれないなんて」
うっそりと笑みさえ浮かべ、至近距離で見てしまった京護の腰が引けた。
逃げなければ。
「ご当主様。息子の甚八が私の跡を引き継いだ時も、その後も、よろしくお願いいたします。円花家の成果ですよコイツは」
自分を置いて盛り上がる二人から、あの井戸が見える範囲から逃げなければ。
「ただ産んだだけの蔵馬家じゃない。お前は円花のものだっ」
逃げないと、今度こそ自分は死んでしまう。
だのに、動かない。
ずっと独り言を叫んでいる男が、京護の体を抱えた。
「落ちろ化け物」
まずい。
たった数歩で、井戸の口が見えた。
やはり、見た目だけなら音も光もない。
京護だけしか分からないというのが、信じられなかった。
他の皆と違う自分なんて、ありえない。
なりふり構わず、地面なり土台なり縁なりを掴み、蹴り、抵抗する。
浴衣はとうに、土で汚れている。
裸足の脚は切れいくつもの擦り傷が出来ていた。胴や腕は骨ごと潰れそうな強さで押さえつけてくる。爪はギザギザに割れ、指先から血が出ていた。
そんなのは気にならない。
「おれ、ふつうの子です、お母さん言ってた!」
二人とっても、京護の身なりも傷も、何もかもが気にならない。
興味があるのは、井戸の底。
最後は円花の男が京護の足を掴み、あと一歩で落とそうとする。
「おか、ぁさん、おとうさんっ」
落とす寸前、眼光の強い目を窪ませている当主が、捨て台詞を吐く。
「土産を持って戻れ。落ちた先のもの全て、華出井家の物だ」
当主の威光を示したいのと、この時の京護は知らなかったが、プライドによる殺意が含まれていた。
「いいか。あの女は普通じゃないから、俺の物なんだ」
足を掴んでいた手は離され、京護の軽くてひ弱な体が、底の見えない井戸に落ちた。
「お前も普通じゃないから、落ちて行け」
それが、京護が落ちる前に最後に聞いた言葉であり、男を見た最期の姿だった。
本家の当主も、分家である円花の男も。間もなく絶命するのを、この時は誰も知らない。
井戸の下で京護を捕まえた影は、刀で殺されるのは楽しかったからと、事が終えた後に嗤った。
【「本家? 範囲は知らんよ。
息子と一度でも目を合わせた奴らなら、全員死んでるんじゃないか。
何もしない事も手を振り払われたとしたらしい。
生きてた奴? ワシが切れなかったなら、全てを無にしろと言った息子の基準から外れたな。
逃した奴? ホゥ、中身はヒトのままか?」】
井戸だけを収めていた蔵の場所を、起点とする。
周囲の木々はなぎ倒され、建造物は破壊されていた。
人が居たと思われる地面は、赤い。
京護の全身を影で覆わせているモノが、生死の境目を流暢にまくしたてている。
【「お前はやはり生き残ったな。転に落ちに来た子」】
「おっさん、うっさい。そのカッコウもうざい」
齢12才である、華出井葵はただ一人。影に相対する役目を担って、井戸だけが形を残した起点に立っていた。
幼い少年の顔には、あからさまに不機嫌を乗せている。
「ぼくは今日、京護に会いにきたの。返して」
あと1~2話で序章が終わります。




