序章・連 京護(14)の転換日 24
未成年への虐待が分かる描写があります。ご注意ください。
京護の言う通り、聞きたかったのは本当だ。
今も、それは変わらない。
「……ろくな親父じゃなかったけど……」
それだけを呟き、甚八は押し黙った。
京護は、聞きたくなるまで待つつもりだったが、京護の足に絡んでいた影が、絡んだまま甚八に近づく。
視界の隅に影が見えると、咄嗟に体を起こした。
ヘビの体に竜の四肢と角を持っていた姿のまま、シルエット中に大小の目を散らばせた。
影の寝は京護に、影の先は甚八を見ている。
【シル たのし シル むすこ シヌ とこ】
「お父さん」
自分の足に絡む方ではなく、京護は、甚八を見つめる方の影を睨む。
「先生をいじめないで」
その固い声から察した影が、浮かぶ全ての目の下に口を開ける。
一つ目に一つ口、二つ目に三つ口など、統一はされていない。
全ての口が、
【ゲ け ケ ゲ け ゲ げ ゲ け ケ】
蛙のようなくぐもった笑いを混ぜて漏らす。
【むすこ イ かり カ】
「そうだよ。おれは、お父さんに怒ってる」
【いい イイ いい イイ いい イイ】
【しる タノシ むすこ イイ】
「……連君」
甚八の声に、京護だけが目を向ける。
影の興味が京護だけに注がれている光景を見ながら、甚八は京護に尋ねた。
「連君は、決めたのか」
一緒にこれからを考えてと、言われた眼差しが証明している。
京護は、ふいと視線をそらせた。
常に影は京護を追うが、気にせず思案する。
どう言おうか考えたが、結局、うまく言葉にできなかった。
伝え方が分からないまま、聞かれたので返す。
「ぼんやりとだけど……したい事ならある」
ハッキリしていなくても、甚八には十分だった。
「じゃあ、その答えの前に、聞いておかないと」
強張っていた体の力を抜き、
「教えてくれ」
少年だけが知っている経緯を求めた。
京護は頷き、一つ一つを確認するように、話し出した。
「あの日は、すごく暑い日だった。先生のお父さんを見たのは、ご当主様がどなりながらおれの所へ来た時だ」
夏の終わり。
残暑が厳しい中でも、最高気温の日だった。
雲一つない青空を、京護は、ベッドの傍にある窓から眺める。
部屋は板張りの洋室で、8畳ほど。
古い木造建築の洋館は、こじんまりとした造りの2階建て。
1階の一室に閉じ込められて過ごしているが、少し前までは地下室だった。
窓がある部屋を数年ぶりに見た為、最初は目が慣れるのに苦労した。
部屋にある上げ下げ窓と、外側に取り付けられている木製のよろい戸は、しばらく閉めっぱなしにされた。
「……あつい」
地下室は年中寒かった。暑いという事を、忘れていた。
京護が着ている物は、自宅から連れ去られて以降、同じ寝巻き仕立て浴衣を身に着けている。
裸じゃないだけマシかと思っていたが、こんな夏の日だと着心地も悪くはない。
「あつい……」
窓から眺める空が青い。
時計の無い部屋では、こうして眺める太陽の高さと空の色でしか、昼か夜か分からない。
まだ今日は、昼だ。
「きょう……いちにちが……ながい」
力の無い声で、目を閉じる。
毎日行われる検査が、今日はまだ無い。
京護は寝返りをうち、痛い事がないのは嬉しいけど、じわじわと待たされるのも辛い。
なにせ、京護の思う痛い検査が、無かった日が無いのだ。
今日はいつだろうと、まだ変化の無い空を窓越しに眺める。
このまま寝てしまおうと思った時、窓の外が騒がしくなった。
随分と、声も足音も荒っぽい。土を蹴る音と共に、会話もすぐに届いてくる。
「いくらあいつのお気に入りになったからって、飼い殺しにさせてどうする! 俺に許可なく部屋まで移したなっ」
「ご当主様、葵様のご希望に沿うようにとお館様のお申しつけなのです」
「あいつが来る時だけ見繕ったって、そのご希望通りだろうっ」
京護は慌てて、布団を被って体を隠した。
意味は無いと分かっていても、身を隠したくてたまらない二人だった。
片方は常に、ご当主様と呼ばれている男。
京護と京護の母親を、家から連れ去った。
もう片方は、そのご当主様から、円花と呼ばれている男。
京護を一日足りとも欠かさず、検査をする。
また今日も、陰鬱な日が始まる。
京護は、震える体を必死に隠した。
どんどん近づく音にびくびくしながら、何度も祈った言葉を今日も唱える。
「おれはふつうの子、お母さんが言ってたふつうの子。お母さんが、ふつうが一番て言った。おれはなにも知らない、なにもできない、どこにでもいるふつうの子」
だから、おれを家にかえしてください。
祈りの声は、一度も叶えられたことはない。
風もないのに外側の窓が、誰にも気づかれず、僅かに震えた。




