序章・連 京護(14)の転換日 21
甚八の皮肉に反応したのは、京護だった。
マジマジと甚八を眺め、僅かに京護の眦が痙攣を起こした。
一方、蝙蝠を象った影は京護を凝視し、水に沈むように京護の影に埋まる。
すぐに浮かび上がった時には、影はまたヘビのように京護の腕に絡み着いた。
滑らかに這い上がるが、胴と頭には竜に似た四肢と角が生えていた。
二人は互いに、影の脅威より、自己の思考の泥に捕まっている。
甚八は冷笑を浮かべ、京護は甚八を凝視する。
「先生、今の……」
声をかけた京護に、我に返った甚八が慌てて掴んでいた手を離す。
離して欲しいと、言われたと思ったのだ。
「ごめんね、嫌だったろ」
パッと顔つきが変わったので、京護も慌てて首を横に振った。
「ううん。これは大丈夫」
先まで触れていた自分の指を、名残を探すように見下ろす。
京護が言いかけた言葉に気づかなかった甚八に、
「嫌じゃなかったから」
それだけを言った。
京護は腕に絡む影に、代わりとばかりに口を開く。
「おれもお母さんに会いたいって、言ったよね」
影の頭は一つ。竜の姿で口を開けると、その舌は、ヘビの頭だった。
ヘビが更に口を開き、チロチロと舌を出す。
【おとこ ウバイ かえす】
影に生えている四肢の爪が、京護の腕に食い込む。
【ワシノ さがす】
京護は片眉を潜めつつ、返す。声は、少しの諦めがあった。
「お母さん探すのは、手伝うよ……今は、それしか思い浮かばないし」
諦めてはいても、怒りは内紛している。
「その為に、俺をそうなるようにしたんだろ」
影が、京護の胸元を這い上がる。
舌を伸ばし、見上げた。
【アト それは アト】
【うばう モノ さした モノ かえ シタ】
京護の胸元に爪を立て、更に這い上がってくる。
【ワシノ うばう カエス】
【ワシヲ さした カエス】
首を回って少年の喉を刺し、影の頭が、京護の肩ごしに甚八を見た。
【さした カタナ へん タノシ おも シロイ】
【だから ヒト おもし ロイ】
【だから クウ より ツカウ】
竜の口が目一杯開かれ、口内はヘビの頭と、べったりと浮かぶ複数の笑う口。
【くう より タノシ たのし】
【ヒト も タノシ つかう タノシ】
【あの オトコ むすこ】
【オマエ おわり カ】
【おわり ミルカ わるか】
影は、ぐるりと甚八から京護の頭上に移動する。
開いていた口から、涎を垂らすように影をドロリと京護の口元に落とした。
涎の影は繋がったまま顎を伝い、胸元に流れ落ちる。
【みても ムスコ おんな ワレノ とこ】
「……人間だったお父さんは、もう居ないんだ」
京護は不快さを隠さず、口元を拭う。拭った影は分かれずに、ヘビの胴部分の影に繋がっている。常に影の根本は、京護が作る人影の中だ。
それが自分も人では無くなった証に見えて、胸が苦しくなる。
「最初から人じゃないなら、お母さんを探すのも正しい事か分かんないよ……」
会いたいのに、と寂しいまま呟く。
甚八は、ソファの背に体を預けながら項垂れる京護に声をかける。
「連君」
甚八はひそり、本当に長い夜だなあと、首の根を掻いた。
「コレが親だったから余計に混乱するんだろうけど、僕は違うから率直に言うね」
ポンと、ソファを叩いた。
京護はソファと甚八を見てから、大人しく座り直す。
華奢な体では背に持たれても、足の先が心もとない。
仕方なく両膝を折り曲げ、膝に頭を預けた。疲労が見える京護に、人差し指を立てて見せた。
「コレに理由とか、意味とか、人間らしい順序立てを考えちゃいけない」
疲れた頭で甚八は、何日寝て無かったかなと考える。まだ三日かと、思い出した。
立てた人差し指で、京護と自分を交互に指す。
「僕らは人間らしく順序だててみようか」
京護も素直に頷いた。
「まず、連君の証言から君の父親を刺したのは十中八九、本家である華出井のご当主様だろう。
そしてコレが言うなら、結末はしかりだ」
甚八が遠慮なく、コレを指した。
「そのことで君が気に病む必要はないし、無理やりでも一旦、思考から切り離してくれ」
京護は両方の眉を下げ、大人しく口をつむぐ。
体まで丸めるので、余計に華奢に見えた。
甚八は、息をゆっくり吐く、
「僕がご当主様に会ったの子供の頃きりだから、これは又聞きなんだけど。
ご当主様は、真剣が扱える段持ちで、試し切りの腕は相当だったらしい」
内心、『傍仕えの刀工や職人も、腕と立場に見合う者で囲ってただろうから、面倒になりそうだな』とは思った。
その刀が巡り、最後は身を滅ぼした。




