序章・連 京護(14)の転換日 17
一つの記憶をきっかけに、忘れていた事が引きずられてくる。
ほとんどを忘れていた京護は、虚ろな目で呟く。
思い出したかった光景ではない。
アパートの1階に3人で住んでいた、あの家はどうなったのか。
「何時だったかは覚えてない。多分、夜。広い家じゃないし、うるさいなあって、目が覚めた」
目を閉じると瞼に浮かぶ、キッチンの床にうつ伏せで倒れている父親。
明かりの無い部屋だったので、京護は気づかなかったが、父親の体の下からは血が流れていた。
暗闇の中ではただの影にしか見えず、それよりも、父親にすがって泣く母親の方に目がいく。
「あの時、お母さんはなんて言ったっけ。……そうだ……普通の家族なのに、だったかな」
普通、の言葉にヘビの影が反応する。
4つまで分かれていた影は、更に分かれて8つになる。
食事の跡がそのままのテーブルを眺めるもの、京護の首に巻くもの、腕や足に巻きつき、囁くように耳元にいるものたち。
そして、テーブルの足を這うもの、静観している甚八に近づくもの、京護の座っている場所から窓の外を眺めるもの。
8本目は、ジッと京護の顔を観察している。
【ふつう フツウ おんな ノゾミ】
「うん。お母さんの口グセだった。あなたは普通の子って。普通が一番よって」
意味は分からないまま、両親からの愛情は感じていた。
そんな、柔らかく暖かい思い出に浸かりたかった。
せっかく思い出せたのだ。母親に撫でられた嬉しさや、父親に褒められた事を追憶したい。
だって、たった9年で終わったのだから。
「お父さんが倒れて、お母さんがいて、あと2人……」
京護を眺める影のヘビが、身を切り裂くほどの笑みをする。
【あと フタリ】
耳元の影も、口を開けた。
【どんな フタリ】
【おとこ フタリ】
「奥に居た一人は分からない……でも、もう一人は、お父さんとお母さんを見ていた」
【みた ミタ】
【どう ミタ】
嫌だ、思い出したくない。
逃げたい。
記憶から逃げたい。
あの時も逃げたかったのに、動けなかった。
9歳の京護が、両親を見ている男へと、視線を上げる。
男の右手は、光っていた。
【みた ミタ みた オマエ みた】
男の右手が光っていたのではなく、右手に持っていた物が、微かな明かりを捕まえ反射している。
【オマエ みた ナニ みた】
「包丁? ちがう、でもあれは、包丁にしては細くて長くて……」
【オマエ みた ナニ みた】
嫌だ、と言いたかった口が、答えた。
「刀?」
8つ頭のヘビを象った全ての影が、ニタリと嗤う。
1匹は甚八の真正面だったので、本能で甚八は手で首を覆った。
京護の答えが、京護の足元から新たな影で現れる。
【カタナ】
それは、甚八の首を背後から刺した物と同じだった。
派の長さは約71㎝。鍔に見える凹凸と、30㎝も無い持ち手。
日本刀の代名詞とされる、打刀に似ていた。
影のヘビの頭に、目玉が浮かぶ。
浮かれているような、目の曲線だった。
京護の正面には、ヘビの影と、刀の影が1本。
【わし サシタ かたち】




