序章・連 京護(14)の転換日 13
京護は、じっと影を見下ろして黙った。
影も何も語らず、動かず、一つの目だけで京護を見上げている。
甚八は様子を伺うことしか出来ないでいたが、ふと、風が拭く音が聞こえた。
喚起で僅かに開けていた、部屋の窓を見る。
「音の強さの割に、窓は鳴っていないけど」
病院の最上階である、ここは7階。陽も沈んだ景色からは分からないが、強い風でも吹いているのだろうか。
患者である京護の体に障ると思い、甚八は窓を閉めに行こうとした。
京護の様子が気になるので一度振り返ると、ほぼ同時に京護は、影に返事をした。
「いいよ……おれも、お母さんに会いたい」
会話をしていた様子はない。
「連君?」
なにがあったのかと声をかけると、京護から、目線を合わせてきた。
「先生、あの……」
悩みを持った、不安げな声だった。
大人になって何度となく見てきた、相談すべき相手で合っているか、子供側が探っているもの。
「なにかな」
ああ、話してくれるんだなと。その相手に選んでくれたんだと、自然と頬が緩んだ。
「なんでも言ってごらん。僕、これでもお医者さんだから。患者の秘密を守るのも仕事なんだ」
甚八はいつもの小児科の、いつもの丸椅子に座っている時と同じ態度で接してみる。
京護は、そんな甚八に戸惑う顔をした。
遠く、幼少の頃にはこんな大人とも会っていたかもしれない。
戸惑ったのは、華出井の周りでは見ないタイプの人間だからだ。
京護は一度口を閉じてから、恐る恐る訪ねてみる。
彼は華出井の関係者であり、分家の一人息子だと言ったからこそ。
「……先生を、おれはあそこで見たことない。先生は、あ、あのば、場所に、い、居たんですか」
仔細全ては思い出せない京護に、甚八は質問で返すのはよくないと思いつつ、確認する。
「あそこ、ていうのは本家のこと?」
本家、と言って、京護は怯えて肩を震わせた。
それが答えだ。
甚八は、首を横に振る。
「いいや。僕は本家に足を運んだ事はない。
あそこに行けるのは限られた者だけで、分家の息子でもまだ跡を継いでいない僕は、許されていない」
少し困ったように眉を下げつつ、京護が望む言葉の時には、ハッキリと告げてやる。
「連君とは、この病院が初めてだ」
「なら……いい」
安堵というには暗い声で、京護は肩の力を抜いた。
「あの、ば、場所に、居なかったなら……先生に話すよ。おれのこと」
京護以上にホッとした甚八は、ふにゃりと丸い目を下げた。
「ありがとう」
そしてすぐに、現実にある問題にとりかかる。
「でもごめん。その前に、あそこに吐いたアレ片付けさせて。すぐ片付けるから。僕以外の人が」
低い声で、後ろを指さす。
「え? あ、う、うん」
甚八の体でよく見えなかったが、検討はついているので頷く。
更に甚八は畳みかける。
むしろ、こちらが彼にとっての本題になる。
「あともう一つごめん、僕が限界。お腹空いた」
声の真剣度合いが違っていた。
「お、お腹? ……すいたんだ」
京護が甚八のお腹を見ると、まるで応えたように、盛大に鳴った。
まさか返事した? と、マジマジと見る。
「腹の虫は居ても飼ってないよ」
正直な音には、開き直るに限る。
病院内にある、コンビニの閉店時間が迫っていた。
「うん、空いた。腹が減っては何とやらっていうだろ。だから食べよう、というか食べるから」




