序章・連 京護(14)の転換日 11
この世に存在していた人間が、ある日、中身だけ人ではなくなっていた。
「……連君と、連君のお母さんは、それを知っていたんですか?」
【「どっちも知らん。ワシは人の真似がうまいぞ。
あの女は普通を望んでいた」】
【「普通になりたい普通の人と結婚して普通の子供を産んで普通の家と普通普通普通普通普通普通普通普通」】
連呼する言葉に呼応したのか、体を覆う影の先が散り散りになっている。
燃えてもいないのに、焚火の薪の水分が水蒸気となって破裂したものに思えた。
影は、何度目かの普通を言って立ち上がる。
慄きのあまり頭の隅に追いやってしまった少年が、今更ながら心配になってきた。
影は自身の刀や腕を眺めながら、尚も言葉を続ける。
【「あの女以外なら、女の立場を望むだろう。
一等あの家に向いて生まれた女が望む普通を
知りたくなった」】
【「京護はそんな女が夢想した普通を浴びてきた子供だ。ワシの子が普通かは知らん」】
音は一つもないのに、甚八には、影の表面がパチパチと爆ぜているように見えた。
何も分からないのに、このままではマズいのではと心臓が早鐘を打っている。
それは当の影ー連守を食ったモノーも、分かっていた。
【「お前の父親はワシより京護が知ってる。ワシの息子を誰より傍で見てきたようだ」】
甚八は、影が【「ただ」】と続けた事で、嫌な勘が当たってしまったのを痛感する。
【「これ以上ワシが使ってると、また死にそうだから聞けず仕舞いになるやも」】
「そんな大事なこと今言うんですか⁈ 早く連君から離れてくださいっ」
影が何者かも、自分を二度殺そうとしたのも、頭からスッカリ抜けた。
抜けた頭に入った新たな情報は、ろくでもなかった。
「……また、死にそうって、なんですか」
京護を覆っていた何重もの黒が、ゆっくり剥がれていく。
拘束衣を一つ一つ解くのと似ていた。
袋型の手袋を緩め、腰ベルトを解放させ、拘束帯や手錠を外す。
最初に隠された口元の影が、最後に剥がれる前にパカリと、トラバサミ型の笑みを作った。
【「息子の望みに応えるのが父親なんだろ」】
【「だから」】
【ツナゲ た ラ しんだ】
【ホネ たまし イ すべて ワシノ だ】
影は全て、京護の足元に消えた。
後に残された京護の体を、甚八に押し付けた気らしい。
甚八に向かって、意識のないまま前かがみに倒れてきた。
「危ないっ」
床に頭をぶつけるのもだが、すぐ傍には自ら吐いた物がある。
両腕でしっかり抱きとめると、見た目以上に軽さに胸が詰まった。
その時に少年の足元にある影を踏んだが、何の変哲もない、ただの影だった。
意味は無いが、床を靴の裏で叩いたり擦ったりしてみる。
ひととき、嵐が過ぎた、と思いたい。
そして、こんな細くて折れそうな子供に、自分の命は助けられたのだ。
無意識に眉間に皺が寄り、奥歯を噛みしめる。




