『運命』を『気のせい』と答えたら、婚姻となりまして
「これは、運命だろうか……」
目の前の美丈夫がそう囁いてくる。
まるで舞台のワンシーンでも観ているようだな……と、私、ヴォレッカ・サミレットは彼を見上げた。
「気のせいですね」
その瞬間の、間抜け顔ときたら……。
ぽかんとした表情ですら絵になるのかと、内心ただただ驚くばかりである。
「運命じゃないと?」
「はい。これっぽっちも、まったく」
これが、すべての始まりだった。
***
「やぁ、私の可愛いヴォレッカ。今日もキミに会いたくて来てしまったよ」
「……おはようございます、ヘンルートゥ伯爵様。今日も神々しいですね」
運命とか馬鹿げたことを否定した日から早三ヶ月。
必ず毎朝やって来るこの男、ライラクス・ヘンルートゥ伯爵に、何がしたいんだ? という疑問はわりと早い段階で考えても無駄だと捨てた。
「それで、何かご用でしょうか」
小さな菜園への水やりの手を一度止めてたずねる。
「今日こそ私と婚約してもらいたくてね」
「……何度もお伝えしておりますが、私には分不相応です。それにあなた様が本気なら、たかが子爵家の私となど手紙ひとつで婚約となりますよね。うちに拒否権なんてないですし」
からかって遊ぶなら、他所でやってほしい。
私は忙しいのよ。
何故なら、お金がないからね。
貴族という肩書を持ちながらも、リアルに働かないと食べていけないのだ。
もう用事はないですよね? と言葉にはしないものの、水まきを再開する。
これが終わったら、刺繍の内職をするのだ。
「……借金あるよね。それも、多額の」
その言葉に、ドクリと心臓が嫌な音を立てた。
水やりに使っていたジョウロは私の手から落ち、水は跳ね、地面には水たまりができている。
「ど……こでそれを…………」
「あぁ、やっぱりか。サミレット領は昨年、一昨年と干ばつがひどかったと聞いている。たしか、国へも陳情書が届いていたかな。それで、国はキミたちに何かしてくれた?」
その言葉に唇を噛み締める。
「ヴォレッカはさ、嫁ぎ先を探しているんだよね?」
「……それが何か?」
「私ほど条件の良い男は居ないと思うよ」
たしかにその通りだろう。
ヘンルートゥ伯爵家は、うちと比べ物にならないくらい裕福だ。結婚すれば、融資を得られるかもしれない。
だけどね──。
「私ほどあなたに利益にならない女もなかなかいないと思いますよ」
「そんなことはない。ヴォレッカは、理想的な女性だよ」
「……私に何をお求めなんですか?」
挑むように睨みつければ、ヘンルートゥ伯爵は楽しげに笑う。
それからたった一月で、私はヴォレッカ・ヘンルートゥとなった。
***
「アーネ、私がやるから! そこで休んでてちょうだい。あ、ミナーもそんな重いものを持っちゃ駄目よ。置いておいて。キャー! ジリル、お願いよ。脚立に上らないで!!」
ヘンルートゥ家にいるたった三人の侍女に向かって、私は叫んだ。
「ですが、これくらい」
「そうそう。また腰を悪くしても、そのうち治りますし」
「そう言って、いつもすぐぎっくり腰になってるじゃないか」
上から最年長のアーネ、腰痛持ちのミナー、世話焼きのジリルが言う。
みんな私のおばあ様より年上の大ベテランすぎる侍女で、先々代様から仕えているのだそう。
「とにかく全部私がやるから、高いところや重たいものは禁止よ」
はい、これがヘンルートゥ伯爵家の実情です。
とにかく新しい侍女が雇えないのだそう。
何故なら、雇う度にヘンルートゥ伯爵が夜這いをかけられるからとか。
「ヴォレッカ、すまないね……」
「いえ。何かもう色々と察しました。そりゃ私に婚約を申し込むわけですよ」
「いやでも、無理矢理は良くないと思って私の有用性をアピールしようかと……」
「……あれ、有用性のアピールだったんですか? 脅されてるのかと思いましたよ」
私の言葉に、目を見開いてヘンルートゥ伯爵は固まった。
「旦那様は、驚くほどコミュニケーションが苦手なんですね」
「うぅぅ……ヴォレッカが今日も手厳しい。だが、それもヴォレッカの魅力か……。なぁ、私のことはライラクスと呼んでくれないだろうか」
「え? 嫌ですよ。この婚姻も旦那様に好きな人ができるまでのものですよね? 心の距離は適度に保ちたいので」
「……私が他の者と再婚すると?」
「はい。運命でしたっけ? お好きな人ができたら、あれを言えば旦那様ならイチコロかと」
「……ヴォレッカは、虫でも見るような目で私を見たじゃないか」
「まぁ、私は自分の見た目をよーく理解してますので、からかわれたと思ったんですよ」
どこにでもいる茶色の髪と瞳、十人並みで、没個性。これが私だ。
ヘンルートゥ伯爵はと言えば、白銀の長髪に神秘的な紫色の瞳。誰もが振り向く美丈夫である。
これほどまでに長髪が似合う男性も珍しい。
「ヴォレッカは、可愛い」
「それは、どーも」
「本当なのに……」
悲しげな顔をすると色気が加わるんだよなぁ。女性が放っておかないのも頷けるってものよ……。
それにイケメンな上に、いい人なんだよね。
我が家はヘンルートゥ伯爵の融資で救われたもの。
「とにかく、私は旦那様に感謝しているんですよ。このご恩は、必ずお返しします」
「なら、ずっとここにいてくれ」
「……新しく奥様を迎えた時に前妻がいては争いのもとですよ。まぁ、私としては収入源があるのは助かりますが」
「…………」
な、何だろう。その抗議の目は……。
何か嫌な予感するし、話をそらそう。
「そういえば、出会った時にどうして運命なんて言ったんですか?」
「……アーネたちがだな」
「はい」
「私が運命だと伝えても顔色ひとつ変えない女性は安全だと言ったからだ」
「……あー、なるほど」
「だが、ヴォレッカにしか言ったことはないぞ!」
「はぁ、そうですか」
たしかにヘンルートゥ伯爵が誰かに『運命の人』と言ったとの噂は聞いたことがない。
そんなことをしたら、瞬く間に広まりそうだ。
「次の夜会はいつでしたっけ?」
「明後日だよ」
「女性避け、頑張りますね」
「……すまない」
この見た目で、いやこの見た目だからこそ女性が苦手になってしまったんだろうなぁ。
「いつか、本当の運命の人が現れるといいですね」
私の言葉に、ヘンルートゥ伯爵は何も答えなかった。
そして、今日は夜会の日。
三人の侍女たちに着飾ってもらい、ヘンルートゥ伯爵のエスコートで歩く。
おぅおぅ、今日も視線が突き刺さってきますわね。
分かるよ、何であなたが? と言いたいんだよね。
まさか興味を示さなかったからだなんて、誰も思わないでしょうよ。
そんな私たちの元へと一人の令嬢がやって来た。
めちゃくちゃ美人の赤が似合うその令嬢は、ロゼリア・ファララス。ファララス公爵家の赤薔薇と呼ばれる社交界の花である。
「ライラクス様!」
私を押しのける勢いで来るけれど、私とてどくわけにはいかない。
彼女を見た瞬間、ヘンルートゥ伯爵の目が怯えたのだ。
「過去に何かされたことは?」
「……屋敷に何度も押しかけてきた。それと、夜会で付きまとわれてる。この前は媚薬を盛って部屋に連れ込もうと企んでたな……」
ギョッとして見上げれば、ヘンルートゥ伯爵は苦笑を浮かべる。
「給仕から直接受け取ったもの以外、口にしないことにしているから大丈夫だったよ。その飲み物は、私を目の敵にする男に渡したけどね」
「え?」
「彼、若い男が大好きなマダムにおいしくいただかれたみたいだよ?」
あ、この人、女性が関わらなければ強かだわ……。
というか、敵に回したくないタイプだ。
「ライラクス様、どうしてですの? どうしてそこの地味な女なんかと!」
「ヴォレッカは可愛いよ。そういう言い方はやめてくれないか」
「私の方がどこをどう見ても、優れていますわ!!」
自信満々に言うファララス公爵令嬢から私を隠すように、ヘンルートゥ伯爵は一歩前へと出る。
「私から見たら、ヴォレッカが世界一なんだ」
「なっ……。正気ですの? どこをどうとっても凡庸なその女が!?」
あーぁ、馬鹿だなぁ。馬鹿がつくほどのお人好しだ。
私のことをかばう必要なんかないのに。私はただの女避けなのだから。
「旦那様、このご令嬢を追い払う方法があるのですが、それを言うと旦那様が不利益を被るかもしれません……」
「それは、どんな不利益だ?」
「自分に自信のある美女と親しくなれなくなります」
「……それは不利益じゃない。最高というんだよ」
そうか、最高か。
ならば、遠慮なく言わせてもらおう。
「ファララス公爵令嬢……」
「何よ!」
ギッと憎しみのこもった目で睨まれる。
「旦那様の好みは平凡なのです」
「……は?」
「残念ながら、美しさでも愛らしさでもなく、平凡な人が好みだそうです」
大事なことなので二度言った私とヘンルートゥ伯爵をファララス公爵令嬢は交互に見た。
「その証拠が私です」
ハッキリきっぱり言い切ると、その場は静寂に包まれた。
「何を言ってるんだ。ヴォレッカは可愛いじゃないか」
ヘンルートゥ伯爵に注目が集まった。その視線は生暖かく、中には残念なものを見るような、憐れみ交じりのものもある。
「お分かりいただけましたか?」
恐ろしい説得力を持って、皆が一様に頷いた。
「つまり貴女は、自分が平凡だから愛されたと言うのね」
「……旦那様のお好みに合ったのかと。そうでなければ、ファララス公爵令嬢が選ばれない理由はありませんから」
「なるほど……」
そう言うと、ファララス公爵令嬢は少し考えるように一度口を閉じると、まっすぐに私を見る。
「貴女、名前はヴォレッカと言ったわね」
「はい」
「ヴォレッカ、貴女よりも平凡な令嬢がライラクス様にアプローチしたらどうなさるの?」
「問題ございません。それは、平凡ではありませんから」
「どうして?」
「真に平凡なものは、旦那様の美しさに己が釣り合うとは考えられず、自らアプローチはできませんので」
「そう、平凡さを求められるけれど、平凡な令嬢は恐れ多くてライラクス様にアプローチもできないのね……」
クスクスと可笑しそうにファララス公爵令嬢は笑う。
「私、ライラクス様を追いかけるのはやめるわ。私の美しさを理解できない方などこちらからお断りよ。それに、女性に守られるようじゃね……」
「え? いや、それは……」
「ライラクス様より、ヴォレッカに興味が出てきたわ。ねぇ、今度我が家のお茶会にいらして? うちのパティシエのスイーツは格別よ」
「いいんですか!?」
「もちろんよ。ライラクス様、今まで申し訳ありませんでしたわ。でも、媚薬を入れたのは私じゃなくてよ。あれ、私もいただいたものでしたの。折角なら、まったく振り向かない貴方に嫌がらせの一つでもして差し上げたかったんですのよ」
そう言うと、ファララス公爵令嬢は去っていった。
「何か、思ったよりあっさりでしたね……」
「…………」
「旦那様?」
え、何でむくれてんの?
解決したんだから、良くない?
「ヴォレッカを最初に見つけたのは、私だ」
「はぁ……」
「まさか、私よりロゼリア嬢を選ぶのか?」
「選ぶも何も、お茶会に誘っていただいただけですよ」
「私とは、お茶会をしたことなどないではないか」
「旦那様、お忙しいですからね」
これはあれか?
私がファララス公爵令嬢とお茶会の約束をしたから拗ねてるのか?
「……今度、ケーキでも焼くので一緒にお茶会しましょうか。何ケーキがお好きですか?」
「……ヴォレッカ、ケーキを作れるのか?」
「えぇ。パティシエ並みのものを期待されても困りますが。割と何でもこなせますよ。貧乏だったんで」
侍女もいなかったしね。
「わ、私も一緒に作れるだろうか……」
「いいですよ。それなら、チーズケーキとかどうですか? 初心者でも比較的作りやすいですよ」
そう言うと、ヘンルートゥ伯爵はパァッと嬉しそうに笑う。
「────っ!!」
「どうした? 顔が赤いぞ」
「……何でもないです」
び、ビックリした……。
イケメンの満面の笑み、破壊力が尋常じゃないわ。
「……? お、ダンスが始まったな。ヴォレッカ、一緒に踊ってくれるだろうか」
うやうやしく差し出された手を握り、ダンスの輪の中へと入っていく。
「言っておくけど、あとにも先にも私が可愛いと言ったのも、思ったのも、ヴォレッカだけだからな」
「へっ!?」
「絶対に振り向かせてみせるよ」
驚いて見上げたヘンルートゥ伯爵は、誰もを魅力するほどの美しい笑みを浮かべていた。
お読みいただき、ありがとうございました。
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