ミレーユ・ルガーランスの復讐
侯爵令嬢ミレーユ・ルガーランス。
私は、壊れていた。
生まれてからすぐお母様が没し、お父様が冷たくなり、五人いた兄と姉もそれに倣って私を虐めた。
部屋は当然のようにぼろ屋。食事はなく、服も一着しか与えられなかった。
一週間に一度は、毒を持つ蛇やムカデを部屋に入れられた。
暗殺と諜報を担う「影」を差し向けられたこともあった。
五歳まで付けられていた使用人も、六歳からはもういいだろうと言うように撤退させられ、使用人達も、やっと解放されたというように出て行き、望んで姿を現すことはなかった。
しょうがない。
お母様は、全員に好かれていた。いや、好かれすぎていた。
天真爛漫で溌剌としており、驕ったところはなく、聖人のような人だったと聞く。しかも、国に一人しかいない聖女で、かつ稀な転生者だった。見目も良く、性格も良く、人誑しで、実力も伴っていた。国民の支持も厚かったそうだ。
だから、狂気的なまでに愛された。
そして、親を殺す子は忌み子だという考えも相まって、私はほぼ全ての国民に憎まれていた。
きっと、だからだろう。
私は逞しく育った。
自分の食べ物は全て自給自足で手に入れた。
調理も、なぜか手に取るように扱える魔法でできた。
マナーも言葉遣いも、たまに見かけるお母様やお父様を一目見るだけで全てわかった。
そして、お母様しか扱えなかった聖女の力、それすらも、見本がない状態で使えた。
傷はできた瞬間に治り、病にかかることはそもそもなかった。
ただただ生存本能に従っただけだが、私は、おそらく自他ともに認める天才だった。
しかし、歪んだ環境に置かれ続けたせいか、性格はやはり歪んでいた。
簡単に言うと、自殺願望があった。どう足掻いても満たされない、幸せになれない、愛されない。そんな絶望があったが、十六にもなるとそれらをすっぱり諦められた。そして今度は、重度の人間不信に加わり、じわじわと嗜虐欲と復讐心が湧いてきた。
これまで私を散々痛めつけてきた国中の奴ら全員に、報復したい。
「しょうがない」?ううん、違う。
私をこんな壊れた人間にしたやつらが、「しょうがない」の一言で済んでいいはずがない。
そう思った。
でも、不思議と愉しかった。
何年も探し続けた生きる意味をやっと見つけて、私は途轍もなく幸せだった!
ワクワクしたのは何年ぶりだろうとか、こんなに鮮やかな青の空を見たのはいつぶりだろうとか、跳ねる気持ちが抑えられなかった。
それから私は、痛快な復讐劇を何パターンも考えた。
断罪?処刑?それとも拷問?
けれど、思いのほかすぐ私がやりたい復讐は決まった。
国中をどん底に落とし、うまくいけば国ごと破滅させられる、とびっきりの案が湧いてきたのだ。
そこから私は、家族、王族、他の貴族、そして国民との関係改善を目指した。
私が仕事を手伝いたいとか、真摯な姿勢を見せると、家族は今までごめんと泣いて謝ってきた。使用人達も主に倣うように、地に這って謝罪した。「いいのよそんなこと」と本気で言うと、家族も使用人も、私を女神かのように崇め、大切にしてきた。
次は王族や貴族。
私が超絶有能だと知られると、手のひらを綺麗に返して、数々の貴族が接触を図ってきた。
人望集めのため、嫌な顔ひとつせず、聖女としての仕事をすれば、評価が上がった。
いつもニコニコと微笑んで寛大だ、なんて噂され、「稀代の聖女」とも呼ばれた。
まるで、お母様の件についての確執がすっかりなくなったかのようだった。
王族は比較的まともだった。
働きに対する褒賞をしっかりと渡してくるし、アイデアを出せば画期的だと、素直にそれが私のアイデアだということを含めて発表した。
私のことを褒め、最後にはなぜか崇めている部分は、家族や貴族と同じだった。
国民は、いいように発表される私のことを聞いたり、たまにパレードに出てくるようになった私の姿や振る舞いを見て、貴族や王族のように、謝罪、感謝、崇拝をした。謝罪は彼らの方が厚かった気がするが、人間とはどれも変わらないものだなと思った。
そしてなにより面白かったのが、兄弟、貴族、王族、そして国民。その中に、本気で私に恋焦がれる人が出てきたことだ。大切な人の命を救ってくれた恩人、とか、自分を救ってくれた救世主、とか、そんなことを言っていた。
だって、当然だ。聖女なのだから、けがをしている人を見捨てるようなことをすれば評価が下がる。私の夢の達成のため必要だっただけなのに、本当に愚かだなと思った。
だが、ほぼ全ての国民に崇拝されるようになったおかげで、私の夢に近付けた。
私は二十歳で、国防、経済、そして魔物被害など、国のあらゆる重要事項の関係者となった。
そして二十二歳のとき、遂に……全てを、私がいなければ回らないようにした。
この国の全てを私が握った。掌握した。
国王も王子も、それをわかっているはずなのに止めない。私を妄信しているからだ。
「ふふっ…あっははははハはははハハッ‼‼‼」
違う、私は「稀代の聖女」なんかじゃない!「稀代の悪女」だ‼
二十二歳最後の日に、私はそう言って笑い転げていた。
誰もいない自室で、口元を盛大に歪めながら。
「遂に…遂に私の夢が叶う‼ああ…長かった…でもとっても愉しかった!ありがとうお母様!私をこの世に産んでくれて‼」
ワインを手に、くるくるとその場で回る。
ワインが血の染みのように、デイドレスに零れた。
「最っ高の気分‼ふふ、どんな顔をするのかなぁ?私がいなくなって」
そして私は、ナイフで自分を刺した。
腹部を深く深く刺す。気力が残っていたので、より深くずぶずぶと刺した。
治癒の魔力が尽きるまで、永遠に。何回も何十回も何百回も何千回も……自分が見事に朽ちるまで。
「ふふ……っあっははははははははははははは‼‼‼ああ!おかしい最高に狂った世界よ、さようなら‼‼‼」
私の瞳が、赤色のハイライトを灯してゆらゆらと揺れる。
「私がいなくなってどんな顔するのかなぁ?ぜぇんぶ私がいないとダメなのに。国を立て直す気力もあるのかな?王子はどっちも私に恋焦がれていたみたいだし!その私が自殺した…なんて聞いたら…ふふ、廃人くらいにはなってくれるかなぁ⁉」
ああ、愉しい。可笑しい。
お母様、ありがとう。ありがとうございます。私をこの世に産んでくれて。
おかげで私、こんなに幸せになれました。
そうして、私、ミレーユ・ルガーランスは、息を引き取った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「なっ……ど、どういうことだ!ミレーユが…死んだ…⁉」
第一王子の言葉に、側近も、会議に集まっていた国の重鎮たちも、揃って息を飲んだ。
「な、なんでも…自害…したようで」
そう伝える部下の目にも、動揺と涙が浮かんでいる。
「な、なぜ…?働きに対して十分な報酬も出していた、過重労働もさせていない、そして彼女はたくさんの人に愛されていた…なんだ?何が足りなかったんだ…⁉どうして…どうしてなんだミレーユ⁉」
「殿下、お…ちついてくだされ」
そう言う好々爺のような重鎮も、似合わない涙を流している。
「何がいけなかったというんだ⁉ミレーユ…ああ、なんで自害なんか…ッ私は…私は貴女を愛して…っ」
「…兄さんだけじゃ、ないから」
第一王子であるカイルにそう言うのは、魔術の天才で知られる第二王子、ルイだった。
「…僕だって…僕だってミレーユが好きで…!兄さんばっかり辛いんじゃない!全員が辛いんだよ‼」
カイルははっとして室内を見渡す。
そして、その部屋にいる全ての人が、本気で彼女のことを惜しんでいた。
涙を流していない人はいない。第一王子であり、よく素の表情を見抜くカイルの目にも、それは本気のように感じられた。
「……ああ…ごめん、ルイ」
「…僕こそ…八つ当たりなんて、僕らしくないことした」
兄弟ともに項垂れる。
「…でも、なぜだ…?全員に狂気的なほど好かれていたあのミレーユが…天真爛漫で溌剌としていて、驕ったところはなく、聖人のような人で…見目も良く、性格も良く、人誑しで、実力も伴っていて、国民の支持も厚い、あのミレーユの母のような人が…」
カイルがそう言ったとき、会議室がピシリと硬直した。
「…ミレーユの母…リーゼロッテ様…」
ルイが呆然とその名を口にする。
そして、全員が思い出す。
最初、ミレーユに全員が冷たく当たっていたことを。
それでも健気に頑張り続けるミレーユを見て、皆態度を変えたのだということを。
そして今や、そんな大事なことを忘れるほど、全員がミレーユに溺れていたのだということを――。
「……ミレーユ様は、ご家庭でも冷遇されていたそうな」
重鎮のうちの一人がそう言うと、ミレーユの父であるルガーランス侯爵を非難するような目で全員が見つめた。
「はっ…⁉い、いえ、確かにそのようなこともありました。…そのことについては、私も深く反省しております。ですが、その態度を容認し、あまつさえ加担した者も大勢おります」
今度は、ルガーランス侯爵がその他大勢を睨みつける。一瞬怯んだその他大勢も、負けじと侯爵を睨み返した。
「…やめないか。ここにいる者…いや、彼女に誰も手を差し伸べなかった時点で、国民全てが同罪なのだから」
「……ッ」
カイルが窘め、ルイはその横で唇を噛んだ。
「そうすると、これは彼女の復讐なのかもしれないな…」
「…え?ミレーユの、復讐…?」
「そうだ。あの頃、誰もミレーユに手を差し伸べようとはしなかった。それに対する、国全体への復讐。その証拠に、ミレーユは、自分がいないと国がまわらないようにしていた」
カイルの放った衝撃的な一言に、会議室がまた凍り付く。
「ミレーユがいないと、国が、まわらない…?」
「国防や魔物討伐は特に甚大な被害を受ける。聖女であるミレーユが大部分を担ってくれていたから、騎士も以前と比べて腑抜けた。そのほかにも、国の重要なことには、必ずミレーユが噛んでいた。…恐らく彼女は…」
カイルはその先まで言わなかったが、その場にいた全ての人が理解した。
『恐らく彼女は、この国ごと破滅させるためにそうしたのだろう』――と。
「…そんな、ミレーユは…だって」
ルイが言い訳を探すが、ミレーユの行動を辿ると、それがカッチリとハマってしまい、結局押し黙ることになった。
「…とりあえず、私達ができることは、国を再び立ち直らせることのみだ。今からこのまま緊急対策会議を始める。皆、席に着いて――」
その時、窓にバン!と小石が当たった。
「な…っ、何だ⁉」
「で、殿下‼それがどうやら…ミレーユ侯爵令嬢を崇拝していた民衆が、蜂起した…と……」
「………は?」
その場にいる全員が、耳を疑った。
「さ、さらに…本格的な”革命軍”とやらも出てきている様子で……」
「嘘だろう…⁉⁉」
「まずいよ兄さん!一刻も早く事態の収拾に動かなきゃ、取り返しがつかなくなる‼」
「殿下、ご指示を…‼」
弟と忠臣からの言葉に、カイルは歯を食いしばった。
「……ッ。演説を…演説をする!聞かせる、わからせる‼ミレーユの死のことを…‼」
「兄さんダメだ。それじゃダメなんだよ兄さん!どれだけ民衆を思っていても、民衆が必ずしも僕らを思ってるとは限らない!それにあの民衆は、もうミレーユの言葉にしか耳を貸さない‼」
「ならどうしろというんだルイ⁉言ってみろ‼」
「は…っハァ⁉だから…だから、武力で制圧するんだよ‼国の抱える騎士団なら大丈夫だ!今ならまだ」
「制圧⁉私は祖父のような暴君になる気はない‼」
「暴君と指導者の違いも判らないなら出しゃばるなよ‼わかった、この件は僕が片付ける」
「ま…っ、待つんだルイ‼」
「待たない!決めただろ⁉一緒にこの国を守るって‼でも今のままじゃ崩壊する‼この国ごと終わるんだ‼騎士はついて来い、行くぞ!」
「ダメだ行くなっ…ルイ――‼」
目の前で繰り広げられる王子達の大喧嘩に、周囲の貴族が動揺する。
カイルもルイも、優秀な王子で有名だ。そして、仲の良さも周知の事実。だが、言い争う内容が内容だけに、どちらの意見にも分があり、それが余計に事態を悪化させていた。
「甘えを捨てて、兄さん。もう迷ってる時間はない」
「……っ…。…私、は…」
「兄さん‼」
そこで、新しい騎士が駆け込んできた。
「何だ⁉」
「は…、はっ。…城門が、破られたとのことです…!」
「「⁉」」
「…やっぱり。おい、国の全戦力をあげて制圧しろ‼」
「ルイ!待っ――」
「待つ時間はない!行け」
「…はっ」
騎士が立ち去ると、カイルはその場に崩れ落ちた。
「……民を、王家が、王、が……」
「………」
そんなカイルを憐れむように一瞥したルイだが、すぐに持ち直し、貴族達に指示を出し始めた。その全てが現段階における最善に近いが、それでも、多すぎる民衆を収めるのに足りるかはわからなかった。
「…兄さん」
「……」
目から光をなくしたカイルがルイを見ると、ルイは、戦闘服に着替えていた。
「…るい…?その、格好は…」
「……僕に何かあったときは頼むよ。兄さん。…ごめんね、ミレーユをあの時…救えなくて」
「…っ‼」
カイルの顔に絶望が広がる。それに対し、ルイは、残念そうに眉を下げながらも、儚く美しい微笑みを浮かべていた。まるで、今生の別れを示唆するような。
「いや…嫌だ……ルイ……行かないでくれ、お前がいないと私は……っ」
「…兄さんなら大丈夫。信じてるよ、兄さん。僕達が愛する国を、今度こそ治めてくれるって。じゃあ、行ってくる」
「あっ……あぁあ……ルイ……ルイ―――ッ‼‼‼」
そうして、ルイ含む貴族達も、戦場に駆り出される事態となった。
本陣である王宮内に残ったのは、カイルと宰相などの、最も高貴で、国の最上位に位置する者だけだ。
「……殿下。私達も援助できるよう手を回しましょう」
宰相が気遣わし気に、それでいて有無を言わさぬ口調でそう言うと、カイルは、糸の切れた人形のように、コクリと頷いた。
そしてその数時間後、王都が陥落し、国が隣国の手に堕ちた。
民衆の蜂起と革命軍、そしてその発覚が遅れたことで対応が後手に回った王家を、隣国が襲ったのだ。一日のうちに転落した国家の存在に、皆驚きを隠せなかった。そして何より、その事態を一人の令嬢、ミレーユ・ルガーランスが引き起こした、ということが話題になった。
国王や王妃、カイルに続く国の運営に関わった者は斬首刑。
ルイや数多の騎士は戦死。
国は属国になり民は吸収された。
そして特別に一人の少女を虐げた者達は、一番苦しむ方法を知り尽くした少女によって、その者にとって一番恐ろしい拷問にかけられた。
これが、《ミレーユ・ルガーランスの復讐》。
彼岸花の咲く天国で、彼女は嗤っていた。
けれど今は笑っている。そう、どの花よりも眩い、満面の笑みで。
読んで下さりありがとうございました!
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あと、最後に一つだけ。
あなたの人生も、爽快で楽しい人生になりますように!