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二話 青い本

「ツルー、回覧板持ってきたわよぉ」



 カランという鈴の音と共に弾んだ声が響き、鶴子は横目でそちらを見た。


 和菓子屋の看板娘である夏子だった。いつもの割烹着姿に桃色の半纏を羽織っている。夏子ならべつにいいか、とまた手元に視線を戻した。



「なに? いつもの火の用心?」



 今の時期に回ってくるものはそんなものだろうと頭の片隅で考え、軽く答えた。


 そんなことよりも、と手元のバラバラに分解した時計を見る。修理を頼まれているものだった。壊れた部品を交換しようと在庫を広げたが、ぴったりと合うものがなく、結局加工しながらの作業になってしまった。



「そうよぉ」


 鶴子の様子などお構いなしに、気の抜けた声を発しながら夏子は近付いてきて、カウンター越しに鶴子の手元を見た。



「次はどこ? フミさんとこ?」


「うん、そうよぉ」


「そこの棚に他のもあるから一緒に持ってってくんない?」



 鶴子は棚へと一度視線をやる。またすぐに手元へと視線を戻し、ピンセットで小さな歯車をつまみ、そっと軸にはめてみた。だが期待した通りにカチリとも音を出さず、微妙な隙間ができる。


 まだ大きいようだ。再び細工用のやすりで金属片の端を少しずつ削る。時計の部品はどれも微細で、ほんの僅かな差でも動かなくなる。鶴子は何度も仮合わせをしては削り、ルーペ越しにため息をつく。先ほどからずっとこの繰り返しをしている。



「アイアイサー!」


 夏子は誰も見てないことも気にせず、敬礼をして棚を漁る。鶴子がいつも回覧板やちょっとした紙類をまとめている場所だった。



「よろしくねー」


 夏子を見ることもせず、ひきつづき鶴子は金属片との戦いを繰り広げた。




 ❖ ❖ ❖



 夕刻より少し前。まだ時間は早いが、時計屋にも夕焼けが赤く差し込んでいた。時折、ひゅうと木枯らしが淋しげに鳴いている。



「無い……ここも無いっ……!」



 鶴子はというと、青ざめながら店内を荒らしていた。文太が持ってきた例の青い本がどこにも見当たらないのだ。



 確か朝、文太が帰った後すぐに北見のおじいさんが置き時計を持ってきた。その時に本を移動させた記憶はある。


 店内をうろつきながら、自分の行動を思い出しつつ再現していく。入口から始まり、奥のカウンターへと歩く。

 あの時、火鉢の横に置いてあったのを、記憶が確かなら棚に置いた。



 カウンター奥の作業机と大きな棚。棚にはいつも修理待ちの時計や帳簿、他にもざっくばらんに物が詰め込まれている。その一角に町の回覧板やちょっとした紙類を置く、いわゆるちょい置き空間がある。

 鶴子の頭に、とある人物の顔が浮かんだ。気の抜けた顔で笑う夏子だ。



 ――私、ここに置いた……? いや、まさか……。



 心臓がばくばくと言い出し、足先から冷える感覚がする。鶴子はすぐに外へ飛び出すと隣りの喫茶店《橘堂ミルクホール》に駆け込んだ。



「フミさん! 回覧板きてる?!」



 入るなり鶴子は声を上げる。店内にいた全員がこちらを見た。


 店内はフミのハイカラ趣味が暴走しており、壁には金ピカのフレームで飾られた花の絵や洋館風のランプがぶら下がっていたり、棚には小さな陶器の犬や意味の分からない西洋人形が並んでいる。元々は定食屋だった名残か、テーブルなどの調度品は洋風なのに、厨房は定食屋時代のままであったり奥にはなぜか畳敷きの空間が残っている。


 そのせいで、定食屋なのか喫茶店なのか、はたまた洋館なのか長屋なのか、人によって様々な解釈をされている。



「回覧板? そういえば、なっちゃんが持ってきたわね」



 洗い物をしていたフミが手を拭きながら出てきた。厨房ではフミの旦那――頭に鉢巻きを巻いた謙三が腕を組んだまま彫像のように立っている。堅物そうな顔で作る洋風煮込カレーが人気で、昼時はいつも賑わっている。



「どうしたのよ。ツルちゃんったら慌てちゃって」



 カウンターに脚を組んで腰掛けていた派手な女が横から声を掛けてきた。房子である。洋装を扱う、町でも有数の大店《松島屋》の女将だ。


 鶴子が近付くと粉と香水の混じった独特の匂いがむわんと漂ってきた。いつも被っている鮮やかな紫色の大きな羽根付きの帽子を隣りの椅子に置いている。



「いや、ちょっと色々ありまして……」


「ちょうど昼時に来たからてんやわんやでね。ここに置きっぱなしよ」



 フミが奥の現金箱が置かれたマントルピース風の棚から回覧板を手に取ると、鶴子に手渡した。



「ちょっと見せてください」


 受けとったそれに目を通すと、火の用心の見出しと以前、回ってきた問屋の紹介の回覧だけであった。目当ての青い本の影も形もない。



「え? 本当にこれだけですか?」


「そうよう。なっちゃんが持ってきたもの、そのままここに置いてるんだから。どうかしたの?」不思議そうにフミは小首を傾げる。



 そんな訳がない。

 たらりと冷や汗が頬を伝う。ここになければ一体どこにあるというのか。



「あっ、そうそう! ツルちゃんにお願いしたいことがあったのよ!」


 突然、房子がパンッと手を叩いた。



「細工をお願いしたいのよぉ、結び細工!」


 そういって、白いカップに入った珈琲をぐぐっと飲み干す。



「え、今は……」


 今はちょっと、と言い掛けながら鶴子は後ずさる。



「今から行っていいでしょう?」



 飲み干したカップを置いて房子は手荷物をまとめて立ち上がる。艶やかに紅を塗った唇で三日月型をつくり、にこりと笑ってみせるが視線は有無を言わせぬものだった。



「房ちゃんったら今回は何頼むのよぉ」


 鶴子が返した回覧板をトントンとカウンターで整えながら、フミが聞いた。



「痩せて見えるおまじないよ!」


「ええ、充分痩せてるわよぉ」


「いやね、最近おなか周りがどうにもねえ……」



 房子は眉を歪ませる。鶴子から見ても、特段太っては見えない。見目麗しい姿である。



「房ちゃんが太ってたら私はどうなっちゃうのよぉ」



 フミがけたけたと大きな声で笑うと圧で店内が揺れた。

 厨房の謙三は相も変わらず、腕を組んだままぴくりとも動かず仁王立ちしている。



 正直、そんなことは後にしてほしい。

 愛想笑いを浮かべるも、冷や汗で背中がびっしょり濡れていた。どこからともなく、火の見やぐらの半鐘が聞こえる気がする。早く、あれを燃やしてしまわないと……。



 頭の中は、貴婦人の悩みよりも青い本の行き先でいっぱいであった。



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