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六話 親時計

「うー、さむう」



 鶴子はちょうど駅から帰ってきた所だった。



 パカパカと下駄を鳴らして、手に抱えていた籠をカウンターに置く。帰り掛けに買ってきた八百屋の白菜と大根だった。すっかり夕凪橋通りにも本格的な冬がやってきていた。

 手袋を脱いで手元を擦りながら火鉢に手をかざす。


 かじかんだ指先が緩むのを待って、懐からチェーンを引っ張り出した。チェーンの先には鉄道駅の標準時計にぴったりと合わせた懐中時計がついている。年季を感じさせる傷だらけの銀ケースの蓋を開き、店の奥に掛けている柱時計と見比べる。



 今週は五分遅れだ。

 作業机から椅子を引っ張ってくると、上に立って裏に手を回し、カリカリとぜんまいを巻く。ガラスの蓋を開いて、文字盤の隅にある小さなツマミを回して時刻針を調整していく。もう一度懐中時計と見比べた。


 七時三十七分、ぴったりである。


 今週も任務達成だ。毎週月曜の朝、この柱時計の時刻を合わせることを週課としている。いわゆる、親時計だ。



 さて、お茶でも煎れようかと椅子から降り、寒さで固まった筋肉をほぐすように伸びをする。ふと、店先からがたがたと物音が聞こえた。伸びをしたまま振り返ると、戸についた鈴の音が鳴った。



「よーす」



 文太だ。《白石日用堂》の息子である。その口に、なにやら茶ばんだ紙袋をくわえている。開いた戸からは文太と共に冷たい朝の空気がひやりと入り込み、折角火鉢で暖まってきた身体がぶるっと震えた。文太の後ろに何重にも重なった木箱がちらと見える。



「おはよう、何くわえてんのよ」


「玉さんが昨日のあまりもんくれたんだ。一個やるから温めてくんない?」



 よく見るとその紙袋には大きく「玉」と書かれて円で囲われていた。玉屋精肉店の印だ。それを鶴子に渡すなり、火鉢の隣りに丸椅子を持ってきた。生成りのエプロンをパタパタとはたいて腰掛ける。格子柄の着物も裾が土埃で汚れていた。


 誰が掃除すると思っているのか。文太をじっとりねめつけたが、当の本人は気付きもせず、むしろ目で「早く」と訴えかけていた。小さく息を吐いて紙袋を覗き込むと、コロッケが二つ入っている。



「……仕方ないわね」



 渋々といった顔を作ったが、つい腹の音が鳴りそうになり、ぐっと腹筋に力を入れてこらえた。


 近くに立て掛けていた網を火鉢に置いてコロッケを並べると、じゅうっと耳心地の良い音が鳴った。そのまま、作業机の近くにまとめていた木箱を持ち上げて文太の横に置いた。



「はい、お願いね」


「あいよー」



 文太の家は問屋の荷物預かりをしていて、こうして毎週月曜に空いた箱や袋を回収にきてくれる。

 鼻をくすぐる脂の匂いが立ってきて、二人は火鉢を見た。鶴子が先ほどの紙袋を二つに裂いて文太に片割れを渡す。更に半分に折ってコロッケを挟んだ。



「やっぱ朝はコロッケだよな!」


 文太も同じように持ち上げると、サクッと音を立てて噛み付いた。



「そうねえ」鶴子も軽い音を立ててかぶりつく。



 ほくほくとした芋が舌にざらついて、噛むたびに挽き肉の甘みがじゅわと広がっていく。昨日のものと言っていたが、いつも通りの味と変わらず、なんだかほっとする。


 揚げ物はどうしてこうも美味いのか。鶴子は目を細めながらしばし味わった。



「そういや、こないだうちの本棚片づけてたら出てきたんだけどさ……」



 早くも食べ終わった文太が紙袋を丸めながら、外に積まれた空箱をがたがたと漁り、布張りの本を持って戻ってきた。



「これ、ツルのだろ?」


「なにほれ」鶴子はコロッケを口に含みながら手渡された本を受け取った。



 四つ目綴じされた青い表紙に《習字練習帖》と書かれている。ぱらぱらとめくると、よじれた糸のようなつづけ文字がひしめくように並んでいた。目をこらして解読してみると確かに鶴子の名前を書いたと思われるような形跡がある。



「一体いつのよこれ……」


「たぶん、小学校入ったころじゃないか? よくうち寄ってたろ」



 文太の家は日用品と文具を扱っており、いろんな文具を貸してくれるから、と近所の子供たちの遊び場となっていた。子供の頃はよく学校帰りに夏子と寄ったものだ。そそっかしい夏子が、畳に墨をこぼしたり、干してあった半紙を風で飛ばしたり、筆を煮干しに突っ込んだりするたびに、文太の母から雷が飛んできた記憶しかないが。


 鶴子が最後の一口を頬張りながらさらに綴じをめくると、途中に色紙が貼られていた。見るなり鶴子はバッと立ち上がって、その本を思い切り閉じる。


「文太……これ、中みた?」


「え? 毛虫みてーな字なら見たけど」


 挙動不審な様子に文太は眉を寄せた。



 ――信じらんない……もう、この手のものは全部燃やしたと思ってたのに……!!



 恐る恐る、また本をこっそりと開く。色紙の貼られたページ。


 そこには色とりどりのクレパスで女の子と思わしき絵が描かれている。両耳のところに大きな赤いリボン、そこから髪の毛が飛び出して、着物のような服はやたらとヒラヒラしている。顔の大きさの半分くらいある目の周りに、まつ毛のような毛虫のような……何かがびっしり生えていた。


 更に鶴子を震撼させたのは、その絵の横に「しょうらいのゆめは、つるこおひめさま」と全ての文字色を変えて、これ見よがしと書かれていることだ。鶴子は鳥肌を立てながら、また大きくバンッと音を立てて本を閉じた。


 今すぐ昔の馬鹿すぎる自分をここに連れてきて怒鳴り散らかしたい所だ。


 羞恥に頭を抱えていると、文太が思い出したかのように口を開いた。



「さ、そろそろ戻んねーと」



 立ち上がる文太を見て、鶴子も店先まで見送ろうと呪いの本を置いて立ち上がった。


 戸を開けると、またもや身体に冷たい風が無情にも降り注ぐ。文太は店先に置いていた木箱に鶴子の分をマトリョーシカのようにはめ込むと、ぐっと持ち上げる。背丈を超える高さだった。いつにもまして多い。



「いつものことだけどよく崩さず持てるわよね。アヤカシにでも手伝ってもらってんの?」


 腕を組んで茶化して言うと、文太は一瞬目を大きく開いた。



「言ったことなかったっけ?」


「なにが?」


「アヤカシの腕生えてんの。俺腕、八本あんだよね」



 持ち上げた箱を軽く振ってみせた。二本の腕だけで押さえているとは思えない揺れ方をしている。



「は? ……え、そんな観音菩薩みたいなことある? 自分で動かせるの?」



 目をこらすように見るも、文太の腕は二本しか見えなかった。残念ながら菩薩にも見えない。



「普通に動かせるよ。けど、見えないだろ?」


「え、ずるい。見せてよ」


「いや人からは見えねーから……まあ、同じように生えてもツルには使いこなせないだろうな」



 隣りの喫茶店に向かいながら一度振り向いて、鼻で笑う。鶴子を見てにやりと口角を上げた。



「つるこおひめさまには、さ」



 頭に先ほどの呪いの絵がぽかんと浮かぶ。一瞬で頭の血管が浮き出てきたのがわかった。



「やっぱり、見てるんじゃない!!!」



 鶴子の叫びが、朝の夕凪橋通りに響き渡った。


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