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一話 金鍍金の懐中時計

 なにを買おうかしら……。



 鶴子は現金箱を整理しながら、物憂げに悩んでいた。例の痩せるおまじないの流行により過去に類を見ない売り上げだった。

 預かった怒濤の数の時計に来る日も来る日も細工を施し、やっと終わりが見えてきた。止めていた新規の依頼も再開してはいたが、あっさりと流行の終焉を辿ってしまったのか新しく依頼に来る者はまだいない。


 評判は半々と言うところだった。痩せたかもと喜ぶ者もいたし、全然痩せないと文句を言う者もいた。予想通りといえなくもない結果だ。アヤカシなど、まったく身勝手な存在である。


 鶴子の興味はすでに臨時収入でいっぱいだった。

 隣町で人気のビフテキを食べに行ってもよし。新しい服を買うもよし。好きな本を買うのも良きかな……あれもこれもと、選択肢がぽつぽつと浮かんでくる。


 仕事もそっちのけで悩んでいると、戸の鈴が鳴った。


 物腰の柔らかそうな女が入ってきた。簪でまとめられた髪は白髪混じりではあったが、老婆というには少し若くみえる。足腰がしっかりしていて、品のある着物を着ていた。

 


「ちょっとお願いしても大丈夫かしら」


「もちろんです。どうぞ」



 いつもの丸椅子を進めると、女はゆっくりと腰掛けた。帯にひっかけていた懐中時計を鶴子に渡す。使い込まれた金メッキのケースだった。



「こんなことで申し訳ないんだけどね、ゼンマイを巻いてほしいのよ」


「お安い御用ですよ!」



 こういった客はたまに訪れる。ゼンマイくらいどう巻こうがそう簡単に壊れるものではないが、精密機械というだけで触れるのが怖いようだ。

 お金を貰うような話でもないため、無料奉仕にはなるがそのまま常連になってくれれば修理の依頼や、なんなら新しい時計を買ってくれることもある。鶴子には無碍にする理由がなかった。



「ごめんなさいね。いつもなら主人にお願いするんだけど……今日は風邪で寝込んじゃってて」


「それは心配ですねぇ」



 時計の側面のリューズをつまんでくるくると回していく。小さくゼンマイが軋む音がした。



「今日もね、薬を貰いにきたのよ。それで、何時かしらって時計を見たら止まってたの。そしたら、おたくのお店みつけてね。寄らせてもらったの」


「ちょうどよかったですね」


「風邪流行ってるみたいだから、あなたも気をつけた方がいいわよ。主人もね、昨日までぴんぴんしてたの。そこのうどん屋に寄ってから、急に咳き込み出したのよね。やっぱりあそこでうつったのかしらねぇ」



 女は頬に手を添えて、視線を落とした。通りの少し先にあるうどん屋のことだろう。明都町でも人気の店で何時に行っても客で賑わっている。ほとんど閑古鳥が鳴いている鶴子の店とは間反対な店だ。



「たしかに、最近その辺で咳き込んでる人多くなりましたね」



 鶴子はゼンマイを巻き終えると、蓋を開けて針を見る。リューズのツマミをかちりと引っ張り上げて、柱時計の時間と見比べた。ゆっくりと針を合わして女に時計を返す。



「ありがとう。助かったわあ」


「いえいえ、また何かありましたらいつでもどうぞ!」



 受け取った時計の時刻盤を確認すると、頬をふっくらと膨らませて鶴子を見て、目を細めた。



「若いのにしっかりしてるわね。これならお父さんも安心してお店、任せられるわね」



 鶴子しかいない店内を見て、娘が留守番しているとでも思ったのだろう。口角を上げたまま少しだけ背筋を伸ばした。



「私が店主なんです。今は一人でやってるんですよ」


「……え? 女の子なのに時計の修理もするの? ……大変ねえ」



 柔らかく細められていた目が、ぱちくりと瞬いた。視線が一瞬で推し量るようなものに変わったことに気付く。悪意はないのだろう。わかってはいるが、どうにも居住まいが悪い。


 口角の端が震えそうになって「ええ」とだけ声を出した。入り口の戸を開けると、女はいそいそと店を出る。


 後ろ姿をなんとはなしに見送っていると、横から「ちわーす!」と威勢の良い声をかけられた。


 噂をすればなんとやら。《うどん処かんだや》の娘、神田カナだった。肩に岡持を軽々と掛けている。真冬だと言うのに上着も羽織りもせず、紺の着物も肩までまくって紐で結んでいる。髪も耳が見えるほどの短さで揃えられていて、いかにも首元が冷えそうだ。見てるこっちが寒くなる出で立ちだった。鶴子とは六つしか変わらないが、若さってすごいと感心する。



「うどんお待たせさまー!」


「ありがとねぇ」



 店内に招き入れると、岡持を置いてカウンターに丼を置いてくれた。出汁の香りがふわっと立ち、つい唾液が湧いて出てくる。まるで犬が鐘でよだれを垂らすかのようだ。


 鶴子はいつも木曜の昼に出前をお願いしていた。現金箱から十銭を取り出してカナに渡す。



「さっきのばあちゃん来てたんだね! あの人うちの常連なんだよー」


「あっ、昨日旦那さんと行ってたんでしょう? その後、旦那さんが寝込んじゃってねえって話してたのよ」


 カナは不思議そうな顔を浮かべて首を傾けた。


「あの人、いつも一人で来るよ?」


「え、でも」


「たしか、はやくに旦那さん亡くなったって聞いたような。みぼーじんってやつよね!」


「ええ、本当に? 他の人と間違えてんじゃないの?」


「いやいや、アタシこう見えて物覚えいいんだから!」



 カナは頬を膨らます。ご立腹な様子だ。「今まで注文間違えたことないんだよ!」と腰に手をあてて威張っている。



「はいはい。カナちゃんはうどん界の筆頭角だからねぇ」


「おっ、わかってるじゃん! じゃあ、また来週カナ特製の横綱うどん持ってくるよー!」



 褒められて満足したのか、岡持をひょいと肩にのせて元気よく帰って行った。

 横綱じゃきしめんみたいな麺が届きそうだ。いつも通りの普通のうどんでお願いしたい。



 うどんの蓋を開けるとぶわっと湯気と魅惑的な香りが部屋に広がった。いつも頼んでいる天ぷらうどんだ。天ぷらは日によって異なる。今日は鶴子の好きなかぼちゃだった。座り直して、温かい出汁を口にすると優しい味が胃に染み込んだ。


 ふと女のことを思い出す。主人がいつも巻いていると言っていた。思えば金メッキの時計は、針もほとんどずれていなかった。



「カナちゃんの思い違いよねぇ……」



 コシのあるうどんをズルズルとすすりながら、鶴子はまた臨時収入の使い途について、ああでもないこうでもないと考え始めた。


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