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一話 梓月時計店の朝

 桑原鶴子は店先の白ばんだ石畳の上に出て、大きく伸びをした。



 町の目抜き通りには今朝も変わらず鳥のさえずりと、通りの真ん中を流れる小川の澄んだしゃらしゃらとした音が聞こえている。店先に遠慮なく植わった大きなミズメの木が、黄色くなった葉を落としていた。

 この明都町(めいとちょう)の中心地である夕凪橋通(ゆうなぎばしどお)りは、昔ながらの商店がこれ見よがしに大きな看板を張り付けてひしめき合うように並んでいる。近頃は洋風のアーチ窓やガラス戸のハイカラなお店も増えてきた。



(はあ、ねむ……)



 欠伸を噛みころしながら、飴色の竹の柄を掴み落ち葉を掃いていると、隣の店の格子戸がガラガラと音を立てた。白地に《橘堂ミルクホール》と黒く書かれた看板の下から、ふくよかな女が顔を覗かせる。目が合うと、女はえくぼをへこませてにやっと笑った。



「ツルちゃん、おはよう。ねえ、聞いた? 昭江さんとこ、今度はクリームパンですって! 昨日なんて女学生がずらっと並んでてね、パン屋の前がまるで女学校の門みたいになってたのよぉ」



 鶴子が「フミさん」と呼ぶ噂好きの喫茶店女将だ。なんでもすぐ人に言いふらしてしまうので困りものだが、この屈託のない笑顔を向けられるとどうにもいまいち憎めない。

 大きなごみ袋を持って通りに出てくると、川沿いの木箱に軽々と押し込んだ。



「流行りモノには敵わないわよねぇ」


「へえ、おいしそうですねえ。クリームパン」


「でもね、ツルちゃん、私はやっぱりパンより熱いミルクとシベリアね。あのクリームも美味しいけど、朝は温かいのが一番よ! またごちそうするから、いつでも来なさいよ」



 話したかったことを吐き出せて満足したらしい。せかせかと、真っ白なエプロンのレースを小刻みに揺らして、店へと戻っていった。鶴子もまとめた落ち葉を木箱の中へ入れて、一息つく。風が吹いて、まともや店先に落ち葉が舞ってきたが見なかったことにした。



 ふと、遠くで若い女が飛び跳ねているのが目に入った。

 看板娘で幼馴染の夏子だった。川向かいの《和菓子三好屋》とのれんを掲げた店先。昔ながらの店構えで白い塗り壁の上に青い瓦が並んでいる。

 


「おーい、夏子何してるのー?」



 口横に手を添えて張り上げた声を出す。いつもの薄桃の着物に白い割烹着を巻いていた。跳ねるたびにうしろでまとめた柔らかそうな髪が一緒に揺れている。



「わーん……ツルう……」



 情けない声を出しながらこちらを向いた。何か紐のようなものを持っているように見える。小さな橋を渡って和菓子屋に向かい、すぐそばでみてみるとその紐には、赤い唐辛子が幾つもくくられていた。

 


「なにそれ?」


「もう、最近ひどいのよお! アヤカシがすぐ団子持ってっちゃうの! 甘いのに寄ってくるっていうからね。これで退治するのよ!」


 熱のこもった目をして紐をぎゅっと握っている。元から下がり気味の眉が更に下がっていた。



「……唐辛子で? ドラキュラじゃあるまいし……」



 鶴子は眉根を寄せながら、紐を目で追う。片側だけはのれんを掛ける釘に括り付けられていた。

 


「効くって、おじいちゃんが言ってたのよ!」



 躍起になってまた紐を投げている。昔から、素直で猪突猛進な娘なのだ。風で釘とは違う方へと飛んで落ちてしまうと「もう!」と地団駄を踏む。



「また、おじさんたちに怒られるわよ」


「いいのよ!! 手伝ってよう」


「はいはい。椅子、借りるわよ」

 


 仕方なく、和菓子屋の戸を開ける。店内にはまだ誰もいなかったが、団子や饅頭がたっぷり並べられていた。鶴子は勝手知ったる奥の軽食所から椅子を拝借することにする。外へ戻るとまだ夏子はぴょんぴょんと、飛び跳ねて紐を投げていた。


 通りを歩いていた老人が、にやにやと笑って歩みを止めた。煙草屋の達郎だった。



「また変な事しとんのかい。なんだ、いつものアヤカシ退治か?」


 しゃがれた声でからかっている。持っていた杖を軽く持ち上げて夏子の脚を叩いた。



「今回は効果あるわよ!」


「どうだかねえ」



 口の周りに生え伸ばした白い髭を揺らす。大きな笑い声を上げて、ゆっくりと杖をつきながら通りを行く。

 不満げな顔をする夏子の隣りに持ってきた椅子を置いた。



「はい。これのって」


「えーあっちは出来たのに!」


「はいはい」



 渋々と椅子に乗った夏子は無事に紐を括り付けられて、不敵な笑みを浮かべた。まるで自分の手柄だと言わんばかりだ。鶴子はじゃあねと声を掛けて、自分の店へと戻りまた橋を渡る。

 川べりに流れてきた風が髪をまくった。同時に、何かがぞわっと頬を撫でた気がした。木製の手すり越しに、光をあちらこちらに反射する川に目を向ける。



(今日はだれか来るわ……)

 


 それは、いつもアヤカシが教えてくれる「特別な客」を知らせる合図だった。



 《アヤカシ》と呼ばれるそれは、人に憑いたり町に憑いたり、どこにでもいると言われている。けれど、だれも目にしたことなんてない。



 立て看板を店内から引っ張り出して、店先に置く。建て付けが悪く、カタッと音を立てて少しだけ後ろに仰け反った。


 ――よろず相談も承り(ます)。一件十銭より。

 


 腰に手をあてて、大きく息を吸う。店を見上げると水色に塗られた板張りの外壁に、三代前から変わらない黒い看板が今日も当たり前の顔をして佇んでいる。看板には《梓月(しげつ)時計店》と切り抜かれた金属の文字が貼り付けられていた。

 

 中へ戻ろうと一歩踏み出すと、店先に先ほどまでなかった白い小さな花が置かれているのに気付いた。ゆっくりとそれを拾い上げると、ほんのり甘い匂いがした。


 周りを見ても誰もいない。この町では、こういうことがたまにある。

 


「さて、今日もやりますかぁ」

 


 気の抜けた声を出しながら、戸を開けると鈴がカランと鳴る。いつもと変わらない、静かな夕凪橋通りの朝だった。


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