第16話:アクリアの天幕と、断絶された空
《アクリア》――
それは空に浮かぶ巨大な都市国家。かつて地球の高度科学と魔導技術が融合した成果として、重力制御の結晶とも言われた“空の都市”。
その地に今、人類の《進化系》が住まう。
彼らはかつての人間の延長ではない。
感情を制御し、個を最適化し、遺伝子すら意図的に操作した“設計された人間”。
その名も、《ソフィオス》。
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アルドたちは、《アクリア》への空中列車での入国を許可された。
「緊張するな。こいつら、理屈じゃなくて“純度”で人間を見てる」
ナジームが苦笑する。
ルチアーナは、ノートを何度も見直していた。
「彼らの社会は一見、理性的に見えるけど……中身はかなり“異常”よ。
“安定しすぎた社会”ってのは、むしろ不安定なの」
アクリアのゲートが開かれた瞬間、アルドは思わず目を細めた。
その都市には“色”がなかった。
すべてが白く、無菌室のような空気に満ちていた。
「ようこそ、《中央均衡都市・アクリア》へ」
出迎えたのは、一人のソフィオス。
流れるような銀髪、左右非対称に輝く瞳。彼は自らをこう名乗った。
「私は“クロノ=エイス”。あなた方の案内役となる者です」
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アクリアでの生活は、奇妙なほど快適だった。
温度は常に23度に保たれ、感情刺激の強すぎる娯楽は禁止され、全ての会話は予測AIによって補正される。
子どもたちは毎朝《精神安定化プログラム》を受け、失敗や怒りの感情すら“事前に除去”されていた。
「……ここは、生きてるっていうより、“保管されてる”気分だな」
アルドがつぶやく。
一見、秩序だった理想郷。だがその裏には、“精神的死”が潜んでいた。
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ある晩。
ルチアーナはクロノと、都市の中枢である《思考中枢塔》へ向かっていた。
「あなたたちは、どうやって“自由”を乗り越えたの?」
その問いに、クロノは淡く微笑んだ。
「自由は、選択の幅です。
でも選択は、“最適解”があれば必要ありません」
「……それじゃ、私たちは何のために悩むの?」
「悩むことは、苦痛でしょう?
私たちはそれを、科学と設計で克服したのです」
クロノは続ける。
「ところで、ルチアーナさん。あなたは最近、夜中に“悲しみ”を思い出しているようですね」
「――えっ?」
「ご安心を。明日から、補正プログラムに“過去記憶制御”を追加しておきます。
もう、痛みを思い出すことはありません」
ルチアーナの背筋に、冷たいものが走った。
「……それって、私が“私”じゃなくなるってことじゃないの?」
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その夜。
アルドは、アクリアの空の下、そっと目を閉じていた。
空は黒く、星一つ見えない。
それは、“思考汚染を防ぐため”に、都市の上空に光の幕を張っているからだった。
「空がねぇんだよ、この街には……」
彼は、ポケットから小さな懐中時計を取り出す。
それは、かつてユリウスと分け合った、唯一の形見だった。
「ユリウス……お前、こういうのが“最適”だと思ってたのか?」
だがその瞬間。
《異常感知:中枢領域にて、概念浸蝕反応発生》
警報が鳴り響いた。
中枢領域で、何かが起きている。
そしてその“何か”は、星喰いの侵食と“類似した反応”を示していた。
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アクリアの最下層、管理されていない“空白区画”。
そこでは、ある存在が目覚めようとしていた。
それは、かつて《ソフィオス》になることを拒み、追放された失敗作たち。
だが彼らは、感情を捨てなかった。
名もなきその者たちは、自らをこう名乗った。
――《エラッタ(Errata)》――
訂正不能な“人間の残骸”。
彼らの瞳に灯るのは、激情と祈り。
そしてその中に、見覚えのある顔があった。
「……君は――!」
ルチアーナの目に映ったのは、死んだはずの旧友、《ミレイア》の姿だった。
「ルチア……生きてたんだ……よかった……」
壊れたように笑うその姿に、ルチアーナは声を失った。
だがミレイアの瞳は、明確に訴えていた。
「この都市は、“理性”という名の毒に侵されている」