愛を育む日(2)
「おっ。今、俺の手を蹴ったな」
「わかったの?」
「あぁ。ぽこぽこと動いている」
お腹に向かって語り掛ける彼の表情は、柔らかい。目元も緩んで、顔も綻んでいる。誕生を今か今かと心待ちにしてくれているのが、ウリヤナにも伝わってくるのだ。
「ああ、そうだ。ウリヤナ。会わせたい人がいるのだが、会ってもらえるだろうか。体調は、落ち着いたのだろう?」
「ええ。もう、大丈夫よ」
ウリヤナは悪阻が酷かった。この屋敷を訪れた頃は何も感じなかったのだが、医師の診察を受け、はっきりと妊娠がわかって三日目頃から、胃がむかむかとし始めた。
最初は、気分がよければ食事もとれたのだが、次第に固形物が食べられなくなる。ゼリーのような柔らかいものを好んで食べていたが、それすらままならない。
最後には、水を飲んでも嘔吐してしまうという状態にまで陥った。
「あのときは……すまなかったな。俺も初めてのことで、どうしたらいいかがまったくわからなかった」
悪阻の原因もレナートが注ぐ魔力にあったらしい。加減のわからなかったレナートが魔力を注ぎすぎたため、それが悪阻を悪化させた。それに気がついたのも、出産経験のある侍女頭であり、彼はこっぴどく叱られたようだ。
しゅんとしたレナートがなぜか可愛いと思えてしまったし、彼なりに身体を気遣ってくれるのも嬉しかった。そんなレナートを宥めるのもウリヤナの役目で、そうすると彼がきゅるるんと目を潤わせた子犬のように見えてくるから不思議だった。
「気にしないで。私も初めてだし、よくわからないのはお互い様よ」
今ではこうやって彼に魔力を注がれると、気持ちが軽くなる。それはウリヤナ自身もレナートの魔力に馴染み始めているからだろう、と彼は言った。
だが、ウリヤナに力は戻ってこない。それでもレナートはそれを責めない。生活魔法が使えないのは不便だろうと、魔力を閉じ込めた魔石やら魔導具やらを準備してくれる。
ここまで甘えてしまっていいのだろうかと、恐縮してしまうくらいだ。
彼はお腹の子に魔力を注いだ後は、ウリヤナの頭を撫でてから席を立つ。そんな彼の動きを、つい目で追ってしまう。
「どうかしたのか?」
「なんでもない」
ウリヤナはかぶりを振った。
こんな気持ちになるのは、おかしいのだろうか。ここに来てから、彼を好ましいと思っている。
「やはり、顔色があまりよくない。また魔力に当てられたか?」
「大丈夫よ……ほら、あなたが会わせたい人がいるっていうから、それで緊張しているのよ」
ここに来てから、他の者と会ったことがない。立派な屋敷に住まわせてもらっているが、それも上階にある日当たりのよい部屋で、気分がよいときには庭園に散歩に出る程度だ。
けしてレナートがここに閉じ込めているわけではなく、今は大事な時期だからと過保護になっているだけである。それも、ウリヤナの気分が優れなかった時期が長かったせいだ。
「そんなに緊張する必要はない。俺の兄だからな」
「お兄様? レナートにはお兄様がいらしたの?」
「ああ、言ってなかったか?」
「聞いてません」
両親はすでに亡くなっていると聞いていたし、このような立派なところで当主を務めているくらいだから、まさか兄がいるとは思ってもいなかった。
ウリヤナが頬をふくらませると、レナートがそれを指でツンとつつく。
ウリヤナもわかっている。彼はわざと黙っていたわけではないのだ。本当に伝えるのを忘れていただけ。もしくは伝えていたと思い込んでいただけ。
そういう人間なのだから仕方ないとは思いつつも、なぜか悔しいとさえ感じる。
「悪かった」
ポンと頭を撫でたレナートは、そっと唇を重ねる。彼と口づけを交わすようになったのも、悪阻が落ち着いてからだった。
どちらからというわけでもなく、自然とそうなった。夫婦であるならば、何もおかしくはないだろう。
「もう……」
うまく騙されてしまったような気もするが、それすら嫌な気はしない。
「また来る」
そう言って微笑んだレナートは、部屋を出て行った。




