アヒルの思い出をお話しします
「君は今までどんな風に食事をしていたんだ?」
伯爵令嬢でありながら厨房の隅で食事をさせられていたのは何でだ?と聞きたいところだったが、シャファルアリーンベルドはやんわりとした言い方で尋ねる事にした。無論泣かれない為である。
「ダイニングでの食事が終わった頃に厨房に行くとボードに残り物がまとめて置かれておりますのでそれを頂いておりました」
「何故そんな場所で?」
「父が私の顔を見ると食事が不味くなるから連れてくるなと言っていたらしいです。ですが母が存命中は父が不在の時はダイニングに呼ばれる事もありました。それでも当時から殆ど厨房での食事でしたけれども」
ロジーナは思いの他淡々と何の感情も込めずにそう説明したがシャファルアリーンベルドは思わず表情を曇らせた。
「お父上がそんな事を?」
「はい、私は父にも母にも憎まれておりましたので」
そこまで聞いたところで二人はダイニングに到着した。シャファルアリーンベルドの引いた椅子にロジーナは何ら戸惑う事なく腰を降ろした。シャファルアリーンベルドも隣に座りルイザとレイも席に着くと料理が運ばれて来る。ロジーナは手慣れた様子でナプキンを手に取ると手前を折り返して膝に広げた。厨房で食事をしていたと聞かされてどんな粗野な振る舞いをするのだろうと覚悟していた三人だが、ハラハラしながら見ていたもののロジーナのテーブルマナーは拍子抜けする程完璧で一つ一つの所作がとても美しかった。
「あの……」
デザートを食べながらロジーナがおずおずと口を開いた。
「皆様、やはり食がお進みにならなかったのではないですか?先程からずっと上の空で召し上がっていらっしゃったようです。やはり私は遠慮させて頂いた方がよろしいのではないかと思うのですが……」
「いや、いやいやそうではない。そうではないんだ。その〜、君の所作が思いの他美しかったのでついつい見つめてしまっただけだ。申し……あ、いや、気にしないでくれるか?」
謝ると泣かれる、というスイッチを思い出しすんでのところで回避したシャファルアリーンベルドをロジーナは不思議そうに首を傾けて見つめた。
「皆様がご不快な思いをされていらっしゃらないのなら私は構いませんが……」
「そんなご心配なさらなくて宜しいのですよ。それよりもね、ロジーナ様にシャファルアリーンベルド様が色々お話を伺いたいそうなんです。食後のお茶はラウンジで召し上がってはいかが?ね、シャファルアリーンベルド様。そうなさいますよね」
ルイザは笑顔だったがそこには明らかなる抗えない圧が存在し、シャファルアリーンベルドに選択肢などない。そこで彼はすっと立ち上がりデザートの最後の一口がまだ口に入っているレイの腕を掴みグイッと引っ張って立ち上がらせ『では我々は先に行ってラウンジの準備をして来よう』と言い残しダイニングを後にした。
「え……準備って何するんです?どうして私が連れて行かれるんですか?」
シャファルアリーンベルドはおどおどしながら引きずられているレイを睨みつけた。
「お前はわたしの補佐だ。しっかり任務に励め。わたし一人に押し付けてしまおうなんて、そんな事は許さないからな。ここから先は共同作業だ」
「そんなぁ。勘弁して下さいよ」
「おや、レイナーディラエフィッセ氏は気の毒なロジーナ嬢の呪いを解く気はないのかな?そうとなればお前の愛しのルシェにお前がいかに血も涙もない冷たい人間かを耳打ちしてやった方がいいな。そんな男とは知らぬまま夫婦になるなんて、ルシェが憐れだろう?そして蜜月休暇も無しだ」
レイは怯えたように首を竦めた。
「わかりましたよ。同席はします。でも同席するだけですからね」
「良いだろう」
シャファルアリーンベルドは満足そうにニコリと笑い、しかし直ぐに真顔になって首を傾げた。
「それにしても妙だな。些細な事で容易く泣くのに父親から受けた仕打ちや両親から憎まれていた事を顔色一つ変えずに他人事のように話すなんて」
「そうですよね。もしかしたらそういう事は割とすんなり話すのかも知れませんよ」
「あぁ、そんな気がする」
二人がゴニョゴニョと言い合って居るとメイドに案内されてロジーナがやって来た。今度は手を取られてはおらず純粋に案内されて来たところをみると、やはり先ほどのロジーナはエスコートとは何たる物か、そしてどう応じれば良いのかをきちんと把握していたと思われる。この夕食が晩餐会だったなら大正解で惜しむらくは本日の夕食はごく普通の食事だったことだ。
しかしこれは『ダイニングはこちらです』と案内するだけでいいのに大まじめにエスコートなどをしてみせたシャファルアリーンベルドが悪いのだ。
「お待たせいたしまして……申し訳ございません」
待たせたことが気になるのかやや涙声なっているロジーナをレイとシャファルアリーンベルドは慌ててソファに座らせた。メイドがいれたお茶を上品に口に運ぶ様子を眺めながら、シャファルアリーンベルドとレイはこっそりアイコンタクトを交わし合う。といっても『お前が話し掛けろ』『いや、殿下から』『いいやお前が』『いえいえ殿下からどうぞ』という低レベルなやり取りであり、『……あの』というロジーナの声にビクッとして思わず共に二センチほどお尻を跳ねさせた。
「私に聞きたい事がおありだと伺いましたが……それはもしや、アヒル番の経験についてでしょうか?でしたら一年弱領地におりました間にあちらのアヒルの世話を致しました。それまで世話をしていた下女が腰を傷めて寝込んでしまいまして代わりを探しておりましたので、頼み込んでやらせて貰っておりました」
「下女の代わりに?アヒルの世話を??頼み込んで?!」
ロジーナは頷いたがその唇は不安そうに震えている。
「あ、いや。なかなかできることではない、素晴らしいと思う。アヒルが好きと聞いたがそれがきっかけなのかな?」
シャファルアリーンベルドに成り行きで聞かれロジーナは左右に首を振った。
「15歳だったでしょうか?私は父に命じられ領地で過ごしておりました」
その頃のロジーナは父の機嫌次第で度々領地とニアトキュラスを行き来させられていた。お前など田舎に引っ込んでいろと命じられ領地で過ごしていると、そのうち父が『田舎で羽を伸ばすとは気楽なものだ。そんな自堕落は許さんぞ』と言って連れ帰る。その繰り返しだったのだ。
ある日裏庭のアヒル小屋に狐が忍び込み卵を盗ろうとした。たまたま通りかかったロジーナが追い払ったのだが巣は見るも無惨に荒らされ親鳥は近寄ろうとしない。ロジーナが一つだけ無傷で残っていた卵を胸元に入れ部屋に持ち帰ると、幸い孵化する直前だったらしく直ぐにコツコツと殻を破り始め、ロジーナに見守られながら無事にひな鳥が姿を現した。そして始めましてのロジーナを定説通り親鳥だと認識した。
ロジーナは黄色いアヒルの子が可愛くてたまらなかった。土を掘り返してミミズを探り当ててはせっせとアヒルの子に与え、アヒルの子はすくすくと育ちやがて黄色くポヤポヤしていた羽毛も白くなった。
「なるほど、それで君はアヒルの虜になったのだな。だがアヒルは結構な大きさになるのではないか?どれくらいに育ったんだ?」
「それが……」
ロジーナは話を続けた。
ある日、アヒルの子が忽然と姿を消した。ロジーナはあわてふためいて探し回ったが何処にもいない。暗くなっても探し続けるロジーナを呼び戻しに来たメイドはもう少しだけ探したいと願うロジーナに向かい冷たい声で『旦那様がお呼びなのです』と告げた。それならば従うしかなく、大体お父様はいついらしたのだろうと首を捻りながら屋敷に戻った。
父が居たのはダイニングだった。食事を終えたばかりらしい父はいつにも増して不機嫌でロジーナの顔を見るなり怒鳴り付けた。
「毎日毎日アヒルと遊び呆けるとは何事だ。お前の年頃なら貴族学院で勉学に励み将来の人脈に継る友達を作っているものだぞ。それを何の努力もせずに田舎でダラダラと!!」
父は大層お怒りの様子だが、顔を見るのもうんざりだと言って領地に越させたのが父なら学院に通わせる事も友達を作らせる事もなく屋敷に閉じ込めていたのも父なのだ。それでもロジーナはいつものように申し訳ありませんと謝りながら涙を流した。しかし普段ならそれで満足そうに目を細める父がまだ目を釣り上げている。父はぷりぷりと怒鳴り続けた。
「その上あの不味いアヒルは何だ!お前は旨いアヒルを育てることすら出来ないのか?愚鈍な母親に似てなんの取り柄もない娘だ」
「お父様……今なんと……」
「お前のアヒルは不味いと言ったんだ。大体骨ばかりで肉など一口分しかないなんて、お前アレに餌をやったのか?」
ロジーナは耐えられずワッと泣き出した。
「やりました。一生懸命ミミズやコオロギを集めて食べたんです」
「何だと!お前、そんな物を食べたアヒルをわたしに食べさせたのか!!」
父は目をひん剥くようにし顔を真っ赤に染めて大声を上げた。そもそもロジーナのペットと考えるのが当然のアヒルの子を勝手にシメて料理させ食べたのはこの父だが、この父の半分どころか九割五分は言い掛かりで出来ていることをロジーナは良く知っていた。そして自分に許されるのはどんなに理不尽であろうとも泣きながら謝る事だけだということも。
「申し訳ありません。お父様が召し上がるとは思いませんでしたので。それにあの子はまだまだ子どもでお料理に使えるまでには成長しておりません。私はただ懐いていたあの子が可愛らしくて世話を焼いていたのです」
「だからだ。お前がアヒルに夢中だと聞いて慌ててここまで来たんだ。何が懐いていたあの子だ。他にやらねばならぬ事がいくらでもあるだろう。この怠け者が」
父は更に声を荒げて怒鳴りつけロジーナは泣きながら謝り続けた。しゃくり上げ言葉も出なくなるほどに泣くロジーナの様子に、父はようやく満足しロジーナを残して自分の部屋に戻って行った。
「という訳でそのアヒルは殺されて父に食べられてしまいました。私が……私が育てたせいで……父の怒りを買ってしまい……。私のせいです、私があの子を殺したようなものです」
「何を言うんだ!君の何が悪い。君は何もしていないじゃないか!」
当然ながらシャファルアリーンベルドは怒髪天を衝く勢いの激おこであるが、報告書である程度事情を掴んでいたレイもあまりの理不尽さに言葉を失っていた。
何なんだ、このとんでもない父親は⁉人間の屑?性根の腐ったヤツ?愚劣の極み?いや、そんな言葉では生易しい。ウジ虫やゴキブリと呼ぶとしてもむしろ彼らに失礼な気すらするではないか!
憤る二人だったが当のロジーナはポロポロと涙を流しながら自分を責め続けている。その一方で九割五分が言い掛かりで出来ていると言いながらも父親へは一言の恨みつらみの言葉も無いことに次第に違和感を感じ始めた。
「君は父親に怒りを感じはしなかったのか?」
シャファルアリーンベルドが問い掛けるとロジーナは眉間を寄せて困った顔をし、何を聞かれているのか質問の意味が理解できないと言うかのように僅かに首を傾げた。
「父に怒り……ですか?父が私に辛く当たるのは私を憎んでいるからです。父は私のせいで不幸になったので」
「何だって?!」
シャファルアリーンベルドは決意した。今夜は寝かさない!
とことん事情を聞こうではないかと。




