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アヒル番令嬢と堅物王太子は呪われてしまうらしい  作者: 碧りいな
幸薄い伯爵令嬢
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ニアト出身18歳髪は銀髪の婚約破棄されたばかりの者です


 僅か10分で馬車に押し込まれてから三日が過ぎその日泊まる予定の宿屋に着いたロジーナは見知らぬ女性に出迎えられた。明るい茶髪をふんわりと結い上げたその女性をとても美しい人だと感じロジーナは思わずうっとりと見とれていた。が、次の瞬間『ひゅっ!』という風を切るような音を口から発したきり目を見開いたまま硬直した。女性はその美しい顔を歪めたかと思うとおいおいと泣きながら初対面のロジーナをむんずと抱きしめたのだ。


 「お可哀相に。ロジーナ様、もうなーんにも心配しなくても良いのですよ。今までの辛く苦しい日々なんて忘れてしまうくらいにお幸せにおなり下さいませね。わたくしに、このルイザにお任せください。わたくし待ち切れなくていてもたってもいられずに思わずここまでお迎えに出向いて参りましたのよ。それはそうと……お可哀相に。年頃の若いご令嬢が洗いざらしのひっつめ髪にリボンも付けないなんて。直ぐにお手入れ致しましょうね。それにまぁお可哀相に。なんでしょうこの修道女みたいな地味なドレスは。お袖はパッフスリーブでもないしスカートは絶壁、ギャザーもフリルもレースも何もないではありませんの。それからまぁお可哀相に。アクセサリーの一つも身に付けられておりませんのね。これは……至急アメシストを手配しなければ。何てったって瞳の色が重要ですわ。そしてまぁお可哀相に。どれだけ泣いたらこんなにお顔が腫れるのでしょう?それにしてもまぁお可哀相に。あまりの仕打ちに言葉を失うほどの悲しみに打ちひしがれておいでなのですわ」


 一息でこれだけ言うと女性は両目から滝のように涙を流し派手派手しく嗚咽した。嗚咽だけではなく一定の間隔で引き続き「お可哀相に」という一言が実に器用に挟み込まれており、更にはそれに合わせロジーナへの抱擁にはギュムっと力を込められた。そうやって思う存分やりたい放題やったところで女性はようやくあら?とロジーナの異常に気がついた。手を離してみるとどうやらロジーナの意識は遠い遠いお空の向こうに飛んで行ってしまっているようだ。


 「あらまぁ、ロジーナ様。どうなさいましたか?」


 ロジーナが言葉を失っていたのは彼女のとてつもない圧と勢いに驚愕したあまり息をするのも忘れてしまったせいで悲しみに打ちひしがれた為ではないのであるが、この女性……レイの母でありシャファルアリーンベルトの乳母を務めたルイザは首を傾げてオロオロしている。


 目を回していたらしいロジーナの瞳がどうにか一点に定まった。初対面の人物からはじめましてのご挨拶も無しに突然同情の言葉の数々を浴びせられ固め技を決められたらロジーナじゃなくてもこうなるだろうが、よりによって対象となったのは純粋培養のロジーナだ。


 「申し訳ございません。私何かルイザ様のお気に障る事を致しましたのですね。本当に、本当に申し訳ございません」


 それにロジーナの小さな世界には彼女を抱きしめる者など存在しなかったのだ。ましてや彼女の境遇に胸を痛め涙を流す者などもってのほか。よってロジーナの判断は一つ、『何かやらかした』しかない。その上初対面のルイザはロジーナの何処が気に入らなかったのか皆目検討がつかないのが心苦しくそして不安で堪らない。その結果ロジーナは悲しくなってひっくひっくとしゃくりあげながら泣き出した。

 

 「あぁどうしましょうロジーナ様。どうぞ泣かないで下さいませ。益々お顔が腫れてしまいますわ。ホラホラ、ロジーナ様。にっこりにこにこスマイルスマイル!」

 「…………??にっこりにこにこスマイルスマイル、とはつまり、私に笑いを要求されておいでなのでしょうか?」

 「えぇ、そうですとも。是非とも可愛らしい笑顔を拝見したいですわ」

 「……………………も、も、も、申し訳ございません!わ、私、どうしたら良いか……。笑うなんてしたことがないものですから……どうしたら良いのかわからないのです。お許し下さい。勉強不足で本当にごめんなさい。ふぅうぅぅ……ふぅぇっ……うぅぅぅぅう……」


 笑いを求められて泣きじゃくるロジーナを見て、ルイザはやっと彼女がただ者では無いことを悟った。というか、シャファルアリーンベルトが見せてもらえなかった報告書なのにルイザは隅から隅まで読んでいて、何ならそこそこ暗記しているくらい読んでいて、しかもお可哀相にと流した涙で所々穴まで空けているのに、お可哀そうにの部分にルイザの持つ全ての興味関心が集中してしまいそれ以外は見事にお留守になった。そしてこのお気の毒な娘さんを是が非でもお幸せにして差し上げなくてはとメラメラとやる気を漲らせた……という事でお留守になったそれ以外については現在ざっくりと一纏めにされ記憶の片隅にモヤっと放置されていたのだ。強いて言えばロジーナの取り扱いとしてはより重要なのはそちらなのだが。


 ルイザは思い込んだら一心不乱、猪突猛進型レディである。


 それでも貴族として生を受け数々の荒波を乗り越えたった一人の王子の乳母を任されたルイザは頭の回転の速いデキる女だ。直感でグイグイ行き過ぎな感は否めないが決して単なるお節介おばさんではない。

 ルイザはロジーナを部屋に案内し風呂に入れ髪やら肌やら爪やらの諸々の手入れをし食事を取らせ、それから腰を据えて懇々と言い聞かせた。


 泣く必要はございません。悲しむロジーナ様を見て喜ぶ者はもういないのです、と。


 ルイザの指導は熱を帯び日付を跨ぐまで続いたが、泣かなくても良いのだと初めて言われたロジーナは戸惑いのあまり号泣した。あんまり泣くのでいっそ思う存分お泣きなさい、なんて迂闊に言ってしまったら本領発揮とばかりに益々泣かれた。


 「ロジーナ様、ゆっくり、ゆっくりで良いのです。エルクラストで失くしてしまった笑顔を取り戻して参りましょうね。わたくしもお手伝い致しますわ」

 「笑顔だなんて……わたっ、私、一体どうすれば……ふっ、ふえっ、ええぇえぇーん」


 これは予想以上に相当手強いわ、とルイザは眉をひそめた。それでもロジーナがロジーナなりにルイザに不快感を与えまいと自身の持つ小さな世界の常識や思いやりを総動員しているのがひしひしと伝わって来て、ルイザは何とも切ない気持ちになった。ひよひよ泣いているばかりでしみったれてはいるが、ロジーナはきっと気立ての良い娘に違いない。18歳という年齢を考えれば思うところも色々あるが、沸き上がる本能に抗うことは不可能だ。そう、ルイザの中では化学反応のしたかのようにムクムクモコモコと膨らんでいたのだ。母性という名の本能が、それはもうムックムクのモッコモコに。


 熱意が先走り自分が何者かを名乗っていなかった事に遅ればせながら気がついたルイザは、もう時間も時間だし明日馬車の中でお話ししますからとお開きにした。一番大事な情報だが、デキる女ルイザ、割と雑な女でもあった。


 翌日ロジーナはルイザが乗ってきた馬車に一緒に乗せられた。それは外装こそ落ち着いていたがここまで乗ってきた馬車とは全然違い立派な物で、こんなに柔らかく手触りの良い座面なら疲れを感じる事もなく何処までも行けそうな気がしてくる。あれほど慌てていたのにバッチリお手頃価格の馬車を手配するなんてなかなか凄い、とロジーナは初めて叔父の手腕を見直しつつクタクタだったのでありがたいと思ったが、この待遇の良さの理由がわからずに当惑した。しかも


 「あんな馬車に何日も揺られてはお疲れになりましたねぇ。お可哀相に」


 と言われ慣れない思いやりの言葉にどんな反応を返せば良いのかわからずに困惑し、そしてついついまたシクシクと泣いてしまったが、ルイザは当面泣きたければ泣けば良しというスタンスで行こうと決めたのでヨシヨシと黙って頭を撫でながら話を始めた。泣き止むのを待っていると何時になるかわからないと昨夜身をもって理解したのだ。そしてこれだけオイオイ泣きながらもロジーナはしっかり話を聞き内容を正確に掴んでいた。ただし純粋培養の為、一々戸惑ってはいたのだが。


 「わたくしはルイザ・リザリンドと申します。エルクラストを治めるルーセンバイン家に長らく仕えております」


 同じ屋根の下で一晩過ごしたのに『そこから?!』という位の基本情報であるが、猪突猛進してしまったので仕方がない。ルイザ自身も大いに反省はしており、エルクラストまでの道すがら丁寧に説明をすることに決めていた。


 泣いてばかりだったので質問することもままならなかったのだが、ロジーナは疑問に感じてはいたのだ。『どうしてこの方は私をロジーナ様と呼ぶのかしら?』と。叔父の説明はモヤモヤしていたがロジーナは片田舎というワードからてっきり野良仕事かもしくは家事全般に従事する労働力として売られたのだと思っていたのだ。


 「いえ、そうではなく。エルクラストは田園風景の広がるのんびりした場所ですがロジーナ様は使用人として雇われたのではございません。諸事情から養女にはできかねますが似たような物だと主は申しておりますの。娘と思って面倒をみたいと。後見人のようなものですわね」

 「ルーセンバイン様はサルーシュの貴族でいらっしゃるのですか?」

 「貴族……というか……貴族、ではございませんねぇ。貴族とはちょっと違います」


 ロジーナは狼狽えたルイザの様子にこれ以上突っ込むのは止めようと判断した。少しでも身を守ろうと空気を読んで18年、社会との接点は無いに等しかったがロジーナの判断は的確だ。

 領地は有るけれど貴族ではない。となるとニアトだったら王族くらいだけれどサルーシュならそんな人もいるのだろう、爵位をお金で買って男爵になる商人みたいなものかしら?というロジーナの、目的地に気がつかずに前を通過するようなとんでもない解釈には気付かぬままルイザの話は続いた。


 「エルクラストではお好きに過ごして頂いて構いませんのよ。ですが……ロジーナ様がお望みならアヒル番としてアヒル達の世話をお任せしたいのですがいかがでしょうか?」


 俯いてばかりだったロジーナが初めて顔を上げルイザを見つめた。そしてほろりと涙がたった一粒だけ頬を伝い落ちた。


 「…………!!」


 ルイザはギクッとし、目を見開いて固まった。


 だから、だから何処の世界にアヒルの世話を頼まれて喜ぶ令嬢がいるのだとマルガレーテに言ったのだ。けれど彼女は絶対に喜ぶから大丈夫の一点張りで頑として譲らず、そんなに言うのならまぁそうなのかしらと信用してしまったのを今猛烈に後悔していた。これじゃあわたくしの好感度がダダ下がりではないですの!とルイザは慌てたが、執り成す間もなくロジーナは堪えきれなかったのかさめざめと泣き出した。

 が、しかし、ルイザの耳に届いたのは予想外のロジーナの言葉であった。


 「よ、よろしいのですか?……私が……アヒルの、アヒルの世話をしても……私が、この私が……アヒルちゃんのお世話を……わ、私……どうしましょう。何だか胸が……これが、これが幸せという気持ちなのかしら……私、怖い。本当に幸せになっても良いのでしょうか?」


 いや、だから……幸せにおなりなさいと散々言い聞かせたのにどうにもポカンとしていたロジーナが、アヒルの世話で恐怖を訴えるほどの幸福を感じるとは。ルイザは首を捻ったがちょっと理解できそうにないので潔く諦めた。何のためのシャファルアリーンベルドだ。おいおいシャファルアリーンベルドに事情を探らせれば良いではないか!そして謎が解けたら教えて貰えば良いのだ。


 「ええぇえぇ、白いアヒルが沢山おりましてね。屋敷の庭にある小屋からちょっと離れた森の中のお池に連れて行って頂きたいのです。アヒル達がお池にいる間にアヒル小屋の掃除をして、夕方になったらまた迎えに行って小屋に連れ帰って頂く。いかがでしょう、お引き受け願えますか?」


 ロジーナはハラハラと涙を流しながら何度も頷いた。しかも『夢のようです』等と呟いてすらいたのでやっぱりルイザはシャファルアリーンベルドへの丸投げを確定した。どうか後は若い者同士アヒルへの思いの丈を語り合い、解りやすく説明して欲しい。


 やがて馬車はエルクラストの館に到着した。ドアが開かれると先にルイザが降りロジーナもおずおずと後に続く。領地の館と聞いて自分が過ごしたごく普通の領主館を思い浮かべていたロジーナはその建物の大きさに驚いた。これは館なのか?白亜の尖塔を備えたこの建物は城に分類されるのではないか?


 分類も何も事実これはそのままズバリ『エルクラスト城』という城なので実は大正解のロジーナなのであったが。



 「こちらへどうぞ」


 と言われルイザの後をついて行くとやはりその建物に入るつもりらしく開かれた入口の大きなドアに向かっている。ロジーナの上にロジーナを積み重ねてもまだまだ余裕がありそうなそのドアの向こうには当然の事ながら天井の高いホールが広がっておりそこここに価値のある美術品が飾られていたのだが残念ながらロジーナはそれどころではなくなった。


 大きな音を立てて開けられた奥のドアから現れた輝くばかりに美しい男性が、ミルクティーブラウンの髪を靡かせながらロジーナに向かって一直線に駆け寄ってきたのだ。


 「お、お前か?お前がニアト出身18歳髪は銀髪で婚約破棄したばかりの者か?」


 やぶからぼうに両肩を持ってぐわんぐわんと前後に揺すられながら詰問されたロジーナは昨日同様硬直した。いや、相手が長身でしかも何一つ文句の付けようがない整った顔立ちの超が付くであろう美男子だった分余計に固まった。

 が、昨日と違うのは固め技ではないと言うことだ。揺すられ効果で飛んで行った遠いお空から意識が戻るのも早く、それと同時に僅かでも相手の苛立ちを減らそうと努力してきた経験が培ったレスポンスの速さが発揮され、ロジーナは泣くより先に言葉を発した。


 「違います。私はニアト出身18歳髪は銀髪の婚約破棄されたばかりのものです!婚約破棄しようとしましたが叶わず直後に婚約破棄されました」


 そして一つ大きく呼吸をすると堰を切ったように両目から溢れた涙が早くも顎から滴り落ちていた。

 

 


 


 

 

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