私たち呪われてしまうそうです
「いやもう何ですかアレ!良い年して良くもまぁ……べろべろに甘過ぎて酷い頭痛なんですけど!!」
うんざりした顔で窓枠に凭れながらレイは両手でこめかみをグリグリと揉んでいた。
先を急ぎ単騎でシルセウスに向かったシャファルアリーンベルドを追って来たレイは、ロジーナやシャファルアリーンベルドと共にシルセウス領主館で一晩過ごし揃って同じ馬車でニアトに向かっている。
「あなた方と同じ馬車でご一緒しなければならないなんて、そんなの苦行じゃないかと王妃様には抗議しましたよ、しましたけどね。なんたって王妃様の狙い通りコッチコチの堅物だった殿下がフワッフワの綿菓子みたいになってるんですから。でもあの夫妻のいちゃいちゃを散々見せ付けられた今じゃ、殿下のそれなんて仲良くお手てを繋いでいるちびっこの男女くらいにしか見えませんよ」
ちなみに殿下のそれとは『隣に座るロジーナの手を握り毎分四回のペースでその指先に口づけながらうっとりと横顔を見つめている』という状況で、ロジーナにしてみればたまったもんじゃない以外の何者でもない。ロジーナは今、夫が面倒くさいと言ったピピルに共感し大いに同情していた。
「成長したお二人とお会いになって、ピピル先生は嬉しそうでしたわね」
何とかこの場の空気を変えたくて話を振ったロジーナにレイは弱々しく笑い返した。
「そりゃ我々は11歳の小僧でしたから。伯爵夫人は……二十歳とか言っていましたっけ?」
「21だ」
レイはロジーナをアシストすべくシャファルアリーンベルドに聞いてみたが『殿下のそれ』が中断される様子はまるでなく要点を簡潔に答えるのみ。レイはロジーナに申し訳なさそうな視線を送りつつ話を続けた。
「あぁ見えて当時から時と場合は見極めている人でしてねぇ、必要とあらばそりゃもうビシッと伯爵夫人として振る舞うんですよ。これがまた、あまりにも振り幅が大きいもんだから男としては余計にずきゅーんとやられちゃう訳で。なんてったってほら、殿下の初恋の君ですもんね!」
「なっ、なにっ、なんっ、な、な、な、な、なっ……」
否定しようにも言葉が出てこない真っ赤な顔のシャファルアリーンベルドをチラリと見てから、レイはしたり顔でロジーナに言った。
「な、の連発しか出来ない殿下って、痛いとこ突かれて反論できない時なんで覚えておくと良いですよ!」
「な・ん・の・は・な・し・だ!!」
ワンワンと吠えるように言いながらシャファルアリーンベルドが漸くロジーナからレイへと視線を移したので、ロジーナはこのチャンスを逃すまいとこっそり窓際にずれた。いくらレイがちびっこの男女と言ったってやっぱりこの密着は回避したい。だがシャファルアリーンベルドは当然のように腕を伸ばしロジーナの腰を抱え込んで引き寄せ、更にはそのままの体勢を崩さないことにしたらしくロジーナは猛烈に後悔した。
ーー何これ?うつった?旦那様からうつったの?溺愛って伝染しちゃうもの?
早くもうんざりしているロジーナの恩師へのシンパシーは深まる一方である。
「伯爵ってば忽ち殿下の可愛いトキメキに感付いて……大変でしたよね~。あれには人妻に邪な想いを寄せる罪深さと恐ろしさを十二分に学ばせて貰いましたからねぇ」
レイはぞわっと身体を震わせ、恐怖を振り払うようにブルブルと首を振った。
「人聞きの悪いっ!!邪とか言うな、邪とか!ローズが有らぬ誤解をしたらどうする!あっ、あれはその……てっきり単なるお針子だと思い込んでいた小娘が晩餐会に現れて……あまりにも雰囲気が変わっていたせいで少々眩しく見えてしまっただけだろう」
「少々ですか?ポカンと口開けて見惚れてたって聞きましたけど?」
「初めて会った時はお針子の小娘だとしてもあり得ないお転婆だったんだ。いや、もういっそ腕白でも良いくらいの栗鼠みたいな娘で……そのお転婆が艶やかなドレス姿で現れたら呆気にも取られるだろうが!それをあの伯爵ときたらまだ11歳のわたしを捕まえて散々惚気話をした挙げ句、漸く振り向いてくれた最愛の妻に想いを寄せないで欲しいと長々と懇願しやがって……伯爵は31だったんだぞ!大人気無いもいいところだっ」
ロジーナは思わず声をあげて笑った。少年だったシャファルアリーンベルドに本気で詰め寄るジェフリーが目に浮かぶ。
「だから余計に旦那様は喜んで下さったのですね。不思議なくらい嬉しそうになさっていましたもの」
『シャファルアリーンベルド殿下がお相手を決められたとは、こんなめでたいことはありません。殿下は殿下のたった一人の運命の人を見つけられたのです。ああいったものは時に拗れると聞きますのでね、これでまた一つ懸念が消えた!』と言って破顔していたジェフリーは本気でホッとしていたのだろう。
黒歴史を暴露されたのが気まずいのかふわふわと視線を彷徨せるシャファルアリーンベルドは、『ああいったもの』の意味が漸く理解出来たロジーナにじとっとした目で見つめられあたふたし始めた。
「いや、もうローズに隠していることは一切無い、一点の曇りも無いぞ!」
「本当ですか?……まさか、まだピピル先生への想いが!」
「な・ん・の・は・な・し・だ!!」
鋭い声で否定しつつしっかりと焦りの色が浮かんでいるシャファルアリーンベルドの瞳を、ロジーナは余計に疑わしいと言わんばかりに片眉をつり上げながら見つめた。
「違っ、違うんだ。あれは11歳の子どもの時だと言っただろう!そうではない。そうではなくて、わたしはローズを隣国とはいえ母君があれ程厭っていた王太子妃に迎えるのが……」
ロジーナの蒼く輝く瞳に捉えられたシャファルアリーンベルドはこほんと咳払いをした。
「心苦しくもあるがそこはどうにかご勘弁願いたいと。そして王太子妃もなってみれば強ち悪くもなかったのだなと考えを改めて頂けるよう、ローズを誰よりも幸福な王太子妃にしてみせる。それにはやはりサティフォール伯爵以上の愛妻家となって伯を凌ぐ溺愛で」「それだけはお断りします!!」
強引に言葉を遮ったロジーナはなんと恐ろしいと怯えるかのように首をぶるんぶるん振ると、話の流れを変える為に再度チャレンジを試みた。
「私ね、工房で制作中のルシェ様のウエディングベールを拝見しましたけれど素晴らしかったですわ。きっと世界一お綺麗な花嫁さんになられるでしょうね」
「勿論です!ルシェはわたしの天使ですからね」
レイはデレッと顔を崩していたが、急に眉尻をしゅんと下げた。
「ですが、伯爵夫人にお願いできずルシェは残念がっていましたよ。夫人を指名した注文が立て込んでいて納期が大分先になるもので、それまで待つか諦めて指名せずに依頼するか悩んでいる間にもどんどん注文が入って益々納期が先になっちゃってねぇ。ルシェはがっかりしていましたが、ガーターベルトだけは夫人にお願い出来ました」
「ガーターベルト?」
「えぇ。何でもね、花嫁は四つの『何か』を身に着けると幸せになれるって話があるらしいんですよ。新しいもの古いもの借りたものに青いもの。シルセウスにしか咲かないレイデリアっていう青い花の刺繍の入ったガーターベルトは、その四つ目にぴったりのラッキーアイテムとして大人気でね。その刺繍だけは夫人が手掛けて下さるそうです。けれどもどうしたって効力が弱いからそこは貴方の努力でカバーして差し上げてね、なーんて言われましてねぇ。責任重大ですが容易い事ですよ。なんてったってわたしの愛しいルシェの為ですから」
シャファルアリーンベルドとロジーナは思わず顔を見合わせた。デレデレとだらしなくにやけるレイは一体どうしちゃったのだ?まぁ、元々きりっと凛々しいタイプじゃないと言えばその通りなのだけれど。
そう言えば確かにピピルはレイに向かって何かを言っていたが呆れて直視する気にもなれなかった。何たってジェフリーときたらレイと言葉を交わしているピピルの側に寄り添って、呆れる程の甘い視線を降り注いでいたのだから。
「レイ、効力とは何なんだ?」
「えっ!知らないんですか?知らないで、何にも知らないで頼んだんですか!!」
「ちょっと待て、何の事だ?」
『約束の品、どうぞよろしくお願いします』ーー別れ際、シャファルアリーンベルドにそう声を掛けられたピピルはにこやかに答えた。
「お任せ下さいませ。精魂込めて最高の物をご用意させて頂きますわ」
そのやり取りにきょとんとするロジーナの手を握ったピピルは、可笑しくて笑い出したいのを一生懸命堪えているように口元を震わせていた。
「11歳の殿下とお約束しましたの。ご自分の結婚式の時には愛する人に世界一美しいウェディングベールを被せたい、だからその時には私に依頼して下さるってね。もう私、あんまり可愛らしくて胸がきゅんきゅんしちゃったわ」
言い終わるとピピルはロジーナを抱き締めた。
「ロジーナさん、絶対に幸せにならなきゃ駄目よ。まぁ絶対に幸せになるんだけれどね」
「はい……?」
ロジーナはぱちくりと瞬いた。幸せにならなきゃ駄目?まるで幸せになってくれなければ困る、と言われているようではないか。そんな戸惑いを察知したのかピピルはニカっと悪戯っ子のような笑いを浮かべてロジーナの耳に囁いた。
「言ったでしょう?花嫁さんの末永い幸せは付加価値になるって。でも大丈夫、とびっきりの秘密があるのよって」
ピピルはロジーナから身体を離すとシャファルアリーンベルドに微笑み掛け、そして首を傾げているロジーナの瞳を覗き込んだ。
「確かにうんざりもするしすっごく面倒くさいの。でも貴女なら大丈夫。きっとぜーんぶ受け止められるから諦めてね」
何だかちょっと怪しげな笑顔を浮かべ、ピピルはそれきり口を閉ざしてしまった。
「シルセウスの妖精の呪いですよ。知りませんか?シルセウスの春の妖精」
「あン?!」
シャファルアリーンベルドは久し振りに眉尻を下げ口をポカンとあけた。
「ええと、シルセウスの春の妖精の物語ならラワーシュで買った本で読みましたわ。王子が魔王から救い出した妖精を妃にしたっていうお話でしょう?でもあの妖精は呪いを掛けたりしませんでしたわ。歌を歌って春を呼んだだけですよ」
「本家本元のあの妖精はね。でもね、あの人は人の姿を借りたシルセウスの妖精で、共に人生を歩みだした愛し合う二人に不思議な呪いを掛けているって真しやかに噂されているんですよ。いや、言いたい事は判りますよ。『馬鹿馬鹿しい、そんな話を信じられるか~』でしょ?」
「当然だろう!!」
シャファルアリーンベルドはむすっとしながらレイを一瞥した。そもそも下らない呪いの話に散々振り回され母親に向かって恋バナまで披露させられてしまったのだ。しかも結局そんなものは全くのガセでまんまと騙されるという体たらく。シャファルアリーンベルドが今現在、相当な呪いアレルギーに陥っているのも致し方ない。
「でも可愛い夢見るルシェは『もしかしたら……』なーんて思っていてね。だって実際に夫人の刺繍を身に着けた花嫁は例外なく幸せになっているじゃないですか。だからそれとなく本人に聞いてみたんですよ。『ガーターベルトだけだと効力は足りないでしょうかねえ』って。そうしたらそんな返事が返って来たって訳です」
「いや、お前。いくら彼女が変り者でも呪いはないだろう、呪いは」
「それがねぇ、わたしも思わず『え?本当に呪っているんですか?』って聞き返しちゃいまして。そしたらね……」
レイはコホンと一つ咳払いをすると声をひそめた。
「なーんて事ないケロッとした顔で当たり前だと言わんばかりに答えましたよ。『私、一針一針に呪いを込めているの。それはそれは強力な、永遠に解けることの無い溺愛される運命の呪いをね。私の運命のお裾分け、よ!』ってね。あの人に言われると満更あり得ない話じゃ無い気がするじゃありませんか。なんたって結婚して十年経ってもふやけんばかりに溺愛されている人なんですから」
「つまりっ!」
シャファルアリーンベルドは顔を輝かせロジーナに向き直り、ジェフリーに匹敵するかあるいは敵わないかも知れないと感じさせる破壊力抜群の、甘い甘いそれはもう糖度の高い視線を送った。
「ローズ、結局わたしたちは呪われてしまうらしい。それならばわたしの溺愛も致し方ないね」
「えぇー!」
ロジーナが上げた叫び声は、シルセウスの青い薔薇のような鮮やかな青空に吸い込まれて行った。
おわり




