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アヒル番令嬢と堅物王太子は呪われてしまうらしい  作者: 碧りいな
ロジーナの苦しみと新しい道
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風変わりな所長でした


 ニアトを後にしたロジーナは、マルガレーテが言っていた養成所に入り刺繍技術者を目指すために初めての長い旅に出た。目指すのはニアトの隣国ドレッセンの更に西に位置する大国セティルストリアのシルセウス領である。


 「お嬢様、見えてきましたよ!」


 御者に声をかけられ窓から外に目をやると美しい緑の森と湖を背にして立つ石造りの城が見えた。


 「あの尖塔があるのがシルセウス城。今はホテルとして使われていますがね。領主館はその岡の向こうにチラッと見ている建物です。シルセウスは綺麗な所ですよ。一昔前は貧しい領でしたが今の御領主様になってからの発展といったら驚くばかりです!」


 馬車は坂道を下り城下町を抜け、城の堀に掛けられた跳ね橋を渡り重々しい城門をくぐる。窓から見えていた城を通りすぎて城壁の内側にそってぐるりと回ると同じ敷地に建つ建物の前で止まった。


 馬車を降りたロジーナが御者から荷物を受け取っていると建物から出てきた女性が声を掛けた。


 「ロジーナ様ですね。所長がお待ちしておりますのでどうぞお入りください」


 女性は御者に荷物を運び込むように頼みロジーナを招き入れ先導しながら説明をしていく。


 「この建屋が本館で養成所、隣が刺繍工房でその奥に寄宿舎がございます。今は養成所が夏休みで所長は工房で作業中ですからそちらにご案内いたします」


 不可解な表情をしているロジーナを見て女性はくすりと笑った。


 「所長は落ち着きがなくて。養成所で自ら教鞭もとりますし工房の運営もしております。それだけではなくて実際に技術者として活躍しておりますの。沢山の生徒を育てましたけれどまだ所長以上の技術を持つ技術者は出てきておりませんわ。それに、領の仕事もございますし」

 「領の仕事?」

 

 『あら?』と女性は目を丸くした。


 「ご存知ありませんでしたか。所長はシルセウス領の領主夫人なのです。シルセウスはかつて独立国家だったのをご存知かしら?」

 「はい、二十年ほど前にセティルストリアに併合されたとか」

 「そうなのです。小国だったとはいっても領地としてはかなり大きくて。あの落ち着きのなさじゃなければこれだけの仕事量をこなすのはとても無理でしょうね。あ、着きましたわ。こちらです」

 

 ノックの音に「どうぞ」という返事があり女性はドアを開けた。部屋の奥に茶色い髪をリボンでざっくりと一つにまとめた後ろ姿が見える。大きな作業台に乗せられたふんわりとした白い布に針を運びながら


 「ちょっと待ってちょうだいね!印を付けないと何処まで刺したか解らなくなるから!」


 と言ってペンを取り、横に置いた図案にささっと書き込みをする。それから布を作業台に丁寧に置きリボンを取って、髪を振りほどきながら立ち上がってこちらを振り向いた。


 「……え?」


 ロジーナは挨拶も忘れ呆然と立ち尽くした。所長というからには年配の女性だとばかり思い込んでいたが、振り向いたその女性は所長と呼ばれるには随分年若く自分と幾つも違わないように見える。凛とした立ち姿に陶器のようなしっとりした白い肌、リボンを解いた髪は緩やかに波打ち毛先がくるりと巻いている。深い茶色の瞳が生き生きと輝く大きな目は長い睫毛に縁取られていた。『ジェニーが見たら興奮しそうだわ』とロジーナが密かに思った程だ。


 「ロジーナさんね、お話は伺っています。所長のピピル・サティフォールです」


 ピピルと名乗った所長がそう言って手を出したのでロジーナもはっとして右手を差し出し握手をする。ピピルはそれでもまだ目をぱちぱちしているロジーナをソファに座らせ向かい側に腰掛けた。


 「養成所は今夏休みで来月から新年度が始まるの。ですから丁度良い時に来てくれたわ。何か作品はお持ちになったかしら?」


 ロジーナが持っていたバッグからハンカチを取り出すとピピルは真剣な眼差しで針目を見つめる。次は裏返して裏側からもじっくりと角度を変えたり光に翳したりした。


 ロジーナの喉が緊張でカラカラになった頃、ピピルはハンカチの四隅を揃えてたたみロジーナに手渡してにっこりと笑い掛けた。


 「まだまだ荒削りではありますが一流の技術者を目指せるだけの素晴らしい素質をお持ちですわ」

 「それなら……」

 「えぇ、当養成所で是非学んで頂きたいと思います。でもね、急なお話だったし丁度寄宿舎に手直しを入れていて入れるお部屋が用意できていないの。今は観光シーズンでホテルは何処も満室で……。ですからしばらく領主館で預かって欲しいと頼まれているのだけれど構わないかしら?」

 「ご迷惑ではないでしょうか?」

 「とんでもない。是非いらしてちょうだいな。そうしたら養成所が始まるまでに色々お教えすることもできるでしょう?」


 と言いながらピピルは立ち上がり作業台の布をこれまたきっちりと畳んでいく。どうやらかなり几帳面な性格のようだ。


 「あ、でもねぇ……」


 ピピルは手を止めて振り向くと眉尻を下げながら気まずそうな顔をした。


 「夫が、ちょっと面倒くさいのよ……申し訳ないけれど気にしないで頂戴ね」


 ーー夫が面倒ってどういうことかしら?


 ロジーナは意味が解らず首を捻ったが『よりによってもう来たし……』と呟いたピピルは顔色を変えている。何事かときょろきょろすると忙しないノックの音と『ルゥ!』と呼ぶ男性の声がした。返事も待たず勝手にドアを開けて入って来た背の高い男性は、そのまま脇目も振らず一直線にピピルに向かって突進しガバっと抱きついた。


 「ちょっとエリィ、離してちょうだい!」


 きいきい騒ぐピピルの声など気にも止めず、そのきいきい声すら聞いちゃいないのだからロジーナの事など目にも入っていない男性はそのままピピルをひょいと抱え上げ(しかも幼児のように縦抱っこで)


 「わたしの愛しい妖精さん。さぁ、帰るよ」


 と言って歩き出したが、ピピルはくるっと身体を半回転させて見事に飛び降り男性を睨みつけた。どうやら身軽でもあるらしい。


 「離してって言ったわよ!若いお嬢さんの前で恥ずかしい事をしないで!!」

 「若いお嬢さん?」


 ピピルはぷんぷんしながらロジーナに駆け寄った。


 「ロジーナさんがいらしたのっ!」


 ようやくロジーナの存在に気が付いた男性は前もって事情は耳に入っているようで、一切恥じらう様子もなくロジーナに爽やかな笑顔を向けている。


 「お待ちしておりましたよ。シルセウス領主のジェフリー・サティフォールです」


 ーー面倒くさいってなにかと思えば……


 これはあれだ。ジェニーによる課題図書で読んだ『溺愛』というものだろう。それは同じ屋敷にいてもほとんど顔を合わせることも無かった両親しか知らないロジーナにとってお伽噺みたいなものにしか感じられなかったが、妻を溺愛する夫というものは実在するのだ!とロジーナは思わず珍しい生き物のようた二人をまじまじと眺めた。


 「ほら、呆れられてしまったじゃないの!少しは落ち着いて下さらないと」


 口を尖らせて文句を言われてもその顔すら可愛くて堪らないと言わんばかりにジェフリーは目を細めた。


 「無理だな、わたしの妖精にようやく会えたんだ。落ち着ける訳がないだろう?どれ程君に会いたかったか」

 「お見送りしたのは昨日の朝じゃないの。しかもお帰りは明日の午後の予定だったはずよ!また無理して予定を巻いたのね!」

 「いや違う、最近は巻くのを見越してゆるゆるの日程にされているんだ。あんなに休憩を入れる必要がどこにある?だからわたしが大巻に巻いて丁度良い」

 「自慢気に言わないの!」

 「だってルゥ、わたしはもう直ぐ王都に行かなければならないんだよ?ルゥと長い間離れ離れになるというのに、それを目前に控えたこの時期に視察の予定を入れた彼らが悪い」

 「離れ離れって。たった三週間でしょうに!仕事に追われていたらあっと言う間に過ぎちゃうわよ!」

 「……なんて事を!ルゥの居ないタウンハウスで過ごす夜がどんなに寂しいか。その夜を21、おまけに往復6日だぞ!ほぼ一月じゃないか!」

 

 良くわからないがジェフリーは王都に行く予定がありピピルは同行しないようだ。そしてジェフリーはただでさえそれが寂しくてならないのに遠方まで視察に行かねばならなかったのが不満なのだろう。


 ジェフリーは妻からの苦情などお構い無しに馬車の中でもピピルの腰に腕を回し、しっかりと抱いたままロジーナに養成所の説明をしている横顔を愛しげに見つめている。対するピピルはもうこれ以上構っていられないと思ったのかはたまた諦めたのか、放置したまま淡々と話を続けていた。そして拘束が解かれぬまま馬車は領主館に到着した。


 エントランスで出迎えたのは年配の男女でジェフリーが一緒に居るのを見て直ぐに事情を悟ったらしく生暖かい目で二人を見ている。それからピピルに紹介されたロジーナに笑顔を向けた。


 「メイド長のラーナと執事長のカーティスさんよ。ラーナ、お部屋の準備はできているかしら?」

 「はい、ご用意いたしましたよ」

 「ありがとう、私がご案内してくるからお部屋までお茶を運んでくれるかしら?さぁ、ロジーナさん。どうぞ」


 ロジーナはピピルの後に続いて領主館に入った。

 

 エルクラストほどでは無いけれどこの領主館も大きく立派な建物だった。だが中は小ざっぱりとしていて装飾品もあまりない。でも案内された客間だけは青い薔薇の可愛らしい壁紙と白い瀟洒な家具で統一された女の子らしい部屋だった。


 「ここに来た時に私が使っていた部屋なのだけれど、どうぞ自分の部屋だと思って寛いでちょうだいね。あ、ラーナが来たわ。ラーナのベリーのお茶は美味しいの。ロジーナさんはお好きかしら?」


 ピピルはドアを開けティワゴンを押してきたラーナを部屋に通した。ラーナが紅茶を注ぐとベリーの甘い香りが広がっていく。ここに来た時とはどういう事なのか、ロジーナが疑問を口にして良いものか考えあぐねているうちに、ラーナがうきうきと話しだした。


 「本当にお綺麗なお嬢様ですこと。姫様がこちらにいらしたのと同じお年頃でしょうかしら?」

 「そうね、私も丁度18だったわ。ただし私は地味で平凡な娘でしたけれどね。ロジーナさんはとってもお美しいから、私、さっきからついつい何度も見とれてしまって。こんな素敵なお嬢さんをお預かりできるなんて嬉しくてドキドキしているのよ。この絹糸のような艶やかな銀髪を見てご覧なさいな。まるで女神様のようだわ!」


 ラーナはロジーナの前にカップを置くと厳しい顔でピピルを一瞥した。


 「姫様、はしゃぎ過ぎですわ。少しは落ち着かれなさいませ。全く何時までもお転婆で」

 「あら、お転婆は関係ないでしょう?それに必要な時にそれなりの振る舞いをしておけば誰も何にも言わないわよ、取り敢えず表立ってはね」

 「姫様っ!!」


 窘めるようにラーナが声を荒げたが何時もの事で慣れたものなのかピピルはそれをさらりと受け流し、『夕食までゆっくりお休みなさいね』と言い残して出て行った。


 「本当に、困った姫様ですこと」


 渋い顔をしてピピルを見送ったラーナはやれやれと肩を竦めロジーナに向き直った。


 「それに旦那様もですよ。とてもじゃないけれど見ていられませんでしたでしょう?結婚して十年を過ぎたっていうのにねぇ……」

 「十年ですって?奥方様は私と幾つも違わないのではないですか?」

 「いえいえ、姫様は……いえ、奥方様は春のお誕生日で29歳になられましたわ。あの通りじゃじゃ馬だからとてもそうは見えないでしょう?せめて髪を結い上げたら見た目だけでも落ち着くでしょうに、ピンが痛くて仕事にならないからって仰ってねぇ」


 ロジーナはポカンと口を開けたままおずおずと頷いた。ラーナが言うとおり、とてもその歳には見えない。姫様と呼ぶところをみるとラーナは子どもの頃から仕えていた侍女なのだろうが、ついうっかりそう呼んでしまうのも解る気がする。


 「旦那様は旦那様で愛妻家と言うにはちょっと目に余るものがございますしねぇ。わたくし共はすっかり見慣れましたので多少は気にもならなくなりましたが……お嬢様はびっくりなさいましたでしょう?」

 「えぇと……驚きはしましたけれど……でも、何時までも夫婦仲が良好なのは素敵な事ではないでしょうか?」

 「そりゃまぁねぇ。奥方様は常々旦那様は真面目でカチコチにお堅い方だったのにと愚痴を零しておいでですし、カーティスも……彼は王宮仕えだった頃の旦那様を良く存じているのですが、あの仕事中毒がこんな風になるだなんて夢にも思わなかったと申しておりますわ。もう生涯独身を通すつもりかと心配していたとね。けれど偶然見掛けた姫様に一目惚れなさって……あら、わたくしったらぺらぺらと」


 ラーナは恥ずかしそうに口を閉ざしワゴンから焼き菓子の乗った皿を取り上げた。


 「どうぞお召し上がり下さい。夕べ奥方様がお焼きになりましたのよ。ああやって文句は仰るけれど、それでも視察から帰っていらした旦那様に食べさせたくて夜遅くにゴソゴソとね」

 

 皿に並べられていたのはクッキーとマドレーヌとメレンゲだった。言われるままにクッキーを一枚口に運ぶと、さっくりした歯ざわりの後でホロホロと解けバターの香りがフンワリと残る見事な出来だった。


 「美味しいわ……」


 ロジーナの呟きにラーナは顔を綻ばせた。


 「えぇ、なんでもコツがあるそうで上手にお作りになりますわ。大層な理屈屋ですがこういうところではそんな理屈が役に立つらしくてね。そうそう、これも奥方様が」


 ラーナが小さな丸い缶を開けると入っていたのは青い薔薇の花弁だった。それは砂糖の衣をまといまるで淡雪が積もっているかのように白くキラキラと輝いている。その宝石のような美しさにロジーナは思わずうっとりと見つめた。


 「これは全部食べられるのかしら?」

 「えぇ。口の中に薔薇の香りが広がってなんとも贅沢な気分になれますよ。それにストレートのお茶でしたら三枚ほど入れると香りの良いローズティになるので今度はベリーのお茶ではなくてそちらにしましょうか?」

 

 ロジーナは花弁を一つ摘むと口に含んだ。シャリシャリという音と共に豊かな薔薇の芳香がふわりと鼻を抜けていき、こくりと飲み込めば喉までがすーっと心地よい香りで満たされた。ロジーナはもう一枚摘み今度は手の平に乗せてしげしげと眺めた。


 ーー何だか風変わりだけれど、とっても心惹かれる方ね


 ロジーナは手の平の薔薇の花弁を見ながらピピルの輝く瞳を思い返した。あんなに強く光を放つ瞳を見たのは初めてだ。


 ーーやっぱりジェニーが見たら大興奮するに違いないわ


 ラーナに気が付かれないように薄っすらと微笑みながら、ロジーナはジェニーのいるエルクラストを思い胸の奥に鈍い痛みを覚えていた。




 


 

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