踏み込んだ話をされました
表面上は涼しい顔をしながらも浮かれに浮かれるシャファルアリーンベルドが挙動不審なまま小屋の掃除を終えたロジーナと微妙な距離感で歩いていると、何処からかけたたましいルイザの声が聞こえてきた。
どうやら誰かに向かって喚き散らしているらしいが、あのデキる女ルイザが喚き散らすとは一体何事なのか?シャファルアリーンベルドとロジーナは一連のアレコレを忘れ顔を見合わせた。
「ですから勝手に入られては困ります!お引取り下さいっ!!」
「どうして?お姉様はここに居るんでしょう?だったらここはお姉様の家じゃない。どうして私が入ったらいけないのよ!」
「貴女のような妹さんがおいでになる方なんて、こちらには居ませんよ!」
怒り心頭のルイザが止めるのも聞かずズカズカと歩いてくるのはロジーナと同じ年頃の丸々とした娘で、派手に巻いた黒髪に真っ青の帽子を被りゴテゴテとレースを縫い付けた水色のドレスを身に纏っている。首に巻かれたチョーカーらしき赤いリボンにはガーネットの大きな石がぶらんと胸元にぶら下がり見事な程の下品な出で立ちだった。
「何を言うの!お姉様はここに送られたって調べは付いてるんだから。しかもアヒル番をしてるっていうから下女にでもなったのかと思ったらそうじゃなかったってデニスに聞いてるのよ!どこよ?お姉様はどこ?」
ルイザに負けじとぎゃーぎゃー叫ぶ娘は辺りをキョロキョロし、呆気にとられて丸々娘を見つめて立ち尽くすロジーナと目が合った。
「え?……え?もしかして……イリセ……さん……?」
小さな声でそう言いつつロジーナは自信なさげに首を傾げた。
イリセはあの頃もむっちりはしていたがここまで丸々とはしていなくて、はち切れそうにパンパンな頬の肉に押し上げられた目だけがほっそりしている目の前の人物だとはどうにも確信が持てない。
そして丸々娘の方もまた口をあんぐり開けてロジーナを眺めている。
「……その声……まさか、お姉様じゃないわよね?」
「私は貴女のお姉様じゃありません!」
反射的に叫んだロジーナの声にイリセはニヤリと笑顔を浮かべ駈け寄って抱きつこうとした。だが咄嗟に手を伸ばしたシャファルアリーンベルドが背中に隠すようにして庇い、イリセは初対面の美貌の青年から見下される事になった。
「一体誰だ?」
シャファルアリーンベルドは冷ややかな声で尋ねた。普通なら竦み上がるであろう冷気を含んだ冷たい声、しかしイリセはうっとりと顔を緩め微笑み返した。
「ロジーナお姉様の妹のイリセですわ。ニアトからお姉様を訪ねて参りましたの。でもあの方ったら」
猫撫声で話し始めたイリセはここでルイザを横目でキッと睨みプッと頬を膨らませて拗ねたように可愛らしくシャファルアリーンベルドを見上げた……つもりだったが、その膨らんだ迫力満点の頬のテラテラとした輝きに、シャファルアリーンベルドはゾワッとして思わず一歩後退った。
「門前払いしようとするんですもの。それなら自分でお姉様を探した方が手っ取り早いと思って。私、実行力の高さには自信があるんです」
続けて今度は絵に描いたような上目遣いで得意気に言う。それはシャファルアリーンベルドを苛立たせるだけのもので全くのやり損だったけれども。
「ローズに妹などいない。お引取り願おう」
「だって、そこに居るのは私のお姉様ですよ。髪が艶ツヤサラサラになったし顔の浮腫や腫れも無くなって、村の雑貨屋で売られていた変な服じゃなくなったからわからなかったけれど、でもその声は私のお姉様に間違い無いです。ね、お姉様!」
村の雑貨屋……どおりで……と騒ぎに駆け付けた者達はイリセに白い目を向けた。
「私は貴女のお姉様じゃありません。私の両親は亡くなったし貴女のご両親はご健在じゃないですか!しかも私は貴女よりも三ヶ月歳下なんです。どう考えてもお姉様になる筈がないでしょう?」
「お姉様の意地悪!どうしていつもそうやって屁理屈を捏ねて私を虐めるの?」
さめざめと泣き出した丸々娘のわざとらしい涙に一同はもう一度白い目を向けた。
「虐めてなんて……それに私、あの家から追い出されて貴女のお母様との縁も無いんです。大体イリセさん、何故ここまで私に会いにいらしたの?」
「……だって、ひどいんですもの……」
メソメソ泣きながらイリセはよくぞ聞いてくれましたと言うようにそそくさと事の次第を話しだした。
爵位を継いだ叔父一家はロジーナが居なくなると直ぐに伯爵邸に移り住み、義母のダーマとイリセは領地に追いやられた。エルクラストをサルーシュの片田舎と馬鹿にしていたが、レーベンドルフ領こそ森と林と水田が広がるニアトの片田舎。つまらない日々に息が詰まりそうになったイリセはそれまで食べたことが無かった『米』にハマり、米だけを心の拠り所にして日々を過ごしていた。
ーーどうりで誰かわからないくらいの成長をした訳ね
ロジーナは何かがストンとお腹に落ちたように納得した。
ある日二人はニアトキュラスに呼び戻された。デニスがさる夫人に手を出したのが夫である侯爵にばれて莫大な慰謝料を請求された。それで無くとも父とは違い商才の無かった叔父は家業も上手くいかずあっという間に借金塗れ、止むに止まれず領地を手放す事になったという。
「それで屋敷に戻ることになったの?」
「違うわ、もっと酷いの。領地の売却手続きの途中でお母様が二重婚だったのが判ったのよ。お母様、お父様とは離婚していなかったんですって」
またそんなことが、とロジーナはクラクラした。どうしてあの家はこんなにもいい加減なのだろうか?自分の出生届けに関しては両親の不仲が原因だったようだが、穢れなき天使との婚姻は父の悲願だったろうに。思わずうんざりしたロジーナだがイリセの話は更に続いた。この先は全くもってロジーナには無関係で勝手にしてくれという内容だったのだが。
「お父様はお母様にお灸を据えるためにお仕置きとして追い出しただけだったの。浮気を知ったら実家の伯父様が怒るでしょう?きっちり叱ってもらうつもりでね」
しかしダーマは先代レーベンドルフ伯爵が独り身になっていると聞いて、それなら身を寄せられるのではないかと訪ねて行った。そして甘い言葉を囁いたら身を寄せるどころか妻にしてくれると言う。これは好都合だ。夫とは離婚した訳ではないがそんな物はそのうちどうにかなるだろう。この話に乗らぬ手はないと事実を誤魔化したまま結婚した。
「お母様は詐欺の容疑で連れて行かれてしまったの。そうしたら伯爵が私を追い出したのよ!お前なんか何の関わりもない他人だなんて言って!!」
叔父を庇う気は更々無いが、元々イリセは他人だと何度も言い聞かせて来たのになぁ、とロジーナはゲンナリした。
「でしたらお父様の元にお戻りになられたらよろしいのでは?」
「だめよっ!あの男は私を憎んでいるんだもの」
「……?!」
ロジーナはきょとんとした。父親に憎まれている?それは私の事じゃないの?イリセは……どう見ても虐げられて生きてきたようには見えないが……。
「私があの男と何一つ似ていないのをみんなずっと不思議に思っていたらしいのだけど、あの男ったらふとお祖母様が常々『流行病に掛かったせいで子種がなくなったと思っていたけれどイリセが生まれたなんて奇跡だ』って言っていたのが猛烈に気に掛かったのですって。それでね」
イリセの黒髪は誰に似たのか?と聞かれる度ダーマは『私の亡くなった母が黒髪で』と答えていた。だがある時酒に酔ったダーマは自分の金髪と翡翠の瞳は母譲りだとうっかり口にしてしまった。
必死にごまかすダーマに父親は納得した様子だった。しかし本当は納得などしていなかったのだ。そしてダーマが身籠った頃、共にニアトに行った部下の男を呼び出した。そう、カラスのような黒い髪をしたその男を。
「騙すつもりじゃなかったのよ。でもお母様はその頃色々あっていつ誰と何をしたのか良くわからなくなっちゃったんですって。何しろ美し過ぎて次から次から言い寄られたらしいから勘違いしちゃったわけ」
勘違いしてわからなくなっちゃうくらい色々あった訳ね……と一同から揃って大きな溜息が漏れた。
そして黒髪の部下はダーマと関係を持ったと父親にあっさり白状した。
「あの男、それから私を『カッコウ娘』って呼び出したの。まぁ、それでも私は娘って事になってるから当然食べたいだけ食べて欲しいものは何でも手に入れて今までと同じ暮らしはしていたけど、あの男ったら『せめて縁談で恩返しくらいしろ』って釣書を持ってきたの。それがまぁ、カバみたいなブヨブヨしたみっともない男で……」
一同は『どの口が言うか!』と突っ込みたいのを必死に堪えた。
「それで家を飛び出してお母様の所に逃げたんだもの、家に帰ったらあのカバと結婚させられてしまうわ」
そこまで言うとイリセは梃子でもここを動くもんかと言うように両腕を抱いてドスンとしゃがんだ。
「イリセさん、すみませんけれど私はここにお情けで寄せて頂いているんです。それなのに御領主様とはまだお目に掛かったこともないしご挨拶もさせて頂いていないの。イリセさんを置いて下さいなんてお願いするのは無理です」
「お姉様はどうしてそんなに意地悪なの!私がこんなに困っているのによくもそんなに冷たいことを言えるわね」
イリセは叫ぶようにそう言うと野獣の雄叫びのような声を上げて泣き出した。本人としてはこれで美貌の青年の庇護欲を掻き立てるつもりなのだ。そして大抵こうやって乱入するような娘はあざとい仕草や話し方、巧妙な言い回し等で皆の同情を引きまんまとロジーナを悪者に仕立て上げ不利な状況に陥らせて自分がそのポジションに収まるのが世の常と言うものだけれど、流石にイリセではちょっと無理があり過ぎる。こんな話を聞かされて可哀想にと同情されると思っているのがまた腹立たしく、ついでにこいつはちょっとアレなのか?というアホっぽさすら感じさせるではないか。シャファルアリーンベルドを筆頭にエルクラスト一同には、ただひたすらこの丸々娘にいびられ何もかも取り上げられ度々暴力を受けていたロジーナを守らなければという溢れんばかりの使命感が湧き上がっていた。
『今すぐ出ていって貰おう』とシャファルアリーンベルドが言おうとしたその時、ポツリと大きな雨粒が足元に落ちて来た。それを皮切りにポツリポツリと次々落ちる雨粒はどんどん勢いを増し、シャファルアリーンベルドはロジーナの手を引いて走り出し、一同もそれに続く。そしてちゃっかりイリセも紛れてドスドスとサイのように疾走し一緒になって城に駆け込んだ。
その頃には雨は土砂降りになっておりゴロゴロと雷が鳴り出し、イリセがホールに何食わぬ顔で立っていても流石に追い出せる状況ではなくなっていた。
「雨が止むまでだ。雨が止んだら出て行きなさい。そしてローズには決して近付くな!」
「ローズってロジーナお姉様の事ですか?それなら私のことはリーゼと呼んで下さいね」
聞いているのかいないのか、すっとぼけたリクエストにシャファルアリーンベルドは『黙れ!』と怒鳴りつけたいのを必死に堪えた。
で、結局聞いちゃいないのだろう。イリセにその丸々とした顔をゴロンと傾け人差し指を唇の下にあて肩をひゅっと寄せるという、本人なりの『あざと可愛いポーズ』を披露されたシャファルアリーンベルドは気味悪さにまたしても一本後退った。
「シャファルアリーンベルド……様?」
そこに血相を変えて現れたアドルフはシナを作りわざとらしく目を瞬く丸々娘を見て目を点にした。
「……どちら……様で?」
「私の義母になったはずが諸々の不備で義母では無かった事が判った方の娘さんです」
申し訳なさそうに告げるロジーナの言葉を聞き、アドルフはくいっと片眉を引き上げた。
「あぁ、例の……」
それから軽蔑を込めた視線を投げ掛けたがイリセには一切気に停めた様子は見られない。逆に何よこのおじさんとでも言いたげに鼻に皺を寄せて睨み付けた。
「アドルフ、何か用があったのではないのか?」
イリセが一々ムカつくのは間違いないが、ここに現れたアドルフの様子から察するに何か大切な伝令だったのだろう。先ずはそれを聞かなければとシャファルアリーンベルドはイリセを無視することに決めそう尋ねた。
「あ?……あっ、はい。川の水嵩が増したせいでドルマーク橋が」
「なに?!直ぐに行くぞ!」
慌てて歩き出そうとしたシャファルアリーンベルドだがニンマリと何かを企むように笑うイリセを見てピタリと脚を止め、振り向いて何も言わずにロジーナを見つめた。ロジーナを一人残せばこの絵に描いたような根性の悪さが滲み出てくる丸々娘に何を言われる事か。それだけではなく、ニアトの屋敷で散々暴力を奮われたのだ。どうしてロジーナを置いてなど行けようか。
しかしロジーナは真っ直ぐにシャファルアリーンベルドを見つめ毅然とした声で一言『お気をつけて』と言い、心配しないでと言うかのようににこりと微笑んだ。そうしながらも震える指を隠すように胸の前で固く握っているその仕草はロジーナが大きな不安と恐怖とを感じている事を物語っていた。シャファルアリーンベルドは引き寄せられるようにロジーナに近付き、片手で頭を抱えるようにふわりと抱き銀色の髪に頬を寄せると『直ぐに戻る』と言い残し足早に立ち去った。
「…………?!」
ロジーナは辛うじてシャファルアリーンベルドの背中を目で追いはしたものの蝋人形のように瞬きも忘れ固まっている。もしかして立ったまま気を失っているのでは?と一同がソワソワし始めた頃、急激な化学反応かのようにボワッと頬が紅く染まった。頬だけではなく耳や首筋まで。




