王太子は覚悟を決める
まさか、まさかとは思うが『呪い?一体何の話?』などと言いながらきゃぴんと首を傾げられたりしたら……そんな不安が首をもたげ背筋をぞわりと震わせたその時、マルガレーテが二十歳の息子を持つ母とは思えぬ可愛らしさできゃぴんと首を傾げた。
「呪われてる、なんてわたくしは言わなくてよ」
しかも惚けるどころか白を切るとは尚更質が悪いではないか!
「レイに言ったはずですよ。あの娘は呪われていると」
「んー?呪い………………みたいなものかしら?って独り言なら言ったかも?」
「はぁ?じゃあわたしの呪いはどうなんです?」
マルガレーテはまたしてもきゃぴんと首を傾けた。
「呪い?一体何の話?」
ここに来たか!とシャファルアリーンベルドは地団駄を踏むのを必死に堪えた。じゃあ何か、二十歳のいい大人であり一国の王太子でもある自分が、よりによって母親に向かって微に入り細にわたり恋する胸の内を洗いざらい告白してしまったということか?
マルガレーテに言いたい事は山ほどある。一晩中呪詛の言葉を並べても言い足りないくらいある。それなのに慌てふためくシャファルアリーンベルドは口をパクパクさせるだけで何の言葉も出てこない。そんな息子をマルガレーテはなんて微笑ましいとばかりに眉尻を下げて見つめた。面白い!実に面白い。こんなおもちゃで遊ばぬ手はないではないか!!
「ほら、こういう呪いが解けるのって王子様のキスが定番じゃない?だけどお姫様歴18年のわたくしとしては許可もなくキスするなんてちょっとそれってどうなの?って腑に落ちなかったのよ。そんなことしてくれなくても王子様が呪われたお姫様を好きになっちゃうだけで十分イケる気がするけど……という意味合いでなら何か言ったかも?」
「するけど……じゃないですよ!レイには王子が恋をすれば呪いが解けるって言い切ったじゃないですか!」
マルガレーテはパチパチと瞬きをした。
「どうだったかしらねぇ?」
「いや、言ったんですって!しかもわたしも呪われてる、ニアト出身18歳髪は銀髪の婚約破棄されたばかりの娘に恋をする呪いだってそう言ったでしょう!!」
「そんな馬鹿馬鹿しい話、どうして信じたのよ?信じる方がどうかしてるわ」
シャファルアリーンベルドは久々に眉間にシワを寄せつつ口をポカンと開けるという珍しい表情で言葉を失った。
「……あのですね、初めて会った彼女はまるで百合根のように醜かったのですよ」
あの時のシャファルアリーンベルドはそんなロジーナの姿を見てあり得ないと言ったのだ。
「それで?」
「……小さな世界から放り出され右も左もわからずに怯えていました。きっとこれからどうなってしまうのか心細かったはずです。でも自分の為に誰かに迷惑がかからぬように、誰も傷つけることがないようにとそればかりを気にして……どんな些細なことでも一生懸命考えていました。いつもいつも相手のことだけを」
シャファルアリーンベルドはがっくりと項垂れた。そんな健気で心優しいロジーナに惹かれたのは、本当に呪いだったのか?
「母上、これが呪いでなければなんだというのですか?」
「いやあねえ、五つの子どもじゃあるまいし、そんなことお母様に聞くかしら?かなり気持ち悪いわよ。でもまあ確認の為に言うと、どう考えてもごく普通の片思いだけど。しかもよ、二十歳にもなって随分と初心で純粋な恋をしたものだわね」
「……やっぱり」
シャファルアリーンベルドはさらに深く項垂れもう立ち直れないのではないかというくらい落ち込んだ。よりによってこの歳になって母親からこんな恥ずかしいジャッジを喰らうとは。
「まあでも悪いことじゃないんじゃない?上っ面の美しさに惑わされて一目惚れなんてしてもよ、後々根性悪な女だってわかったら厄介じゃないの。その点貴方はあの娘の内面だけを見て好きになったのに、それが本当は月の女神様だったなんて僥倖だったわ。せいぜい早くあの娘に振り向いて貰えるように頑張ることね。でないとニアト王家に取られるわよ。あっちには欲しがるだけの根拠があるんですもの、それを振りきってサルーシュの王太子妃に迎えるなら、あの娘自身がそれを望んでいるのが絶対条件になるわ」
「王太子妃?彼女が」
「そりゃそうでしょう?王太子妃じゃなきゃ何にするのよ?」
マルガレーテは不愉快そうにシャファルアリーンベルドを睨み付けた。
「おかしいとは思わなかった?12歳で婚約させて社交界にだすこともなかったあの娘がお妃教育並みの勉強をされられていたのよ?」
「何故だろうとは思いましたが……」
「本人も間抜けな父親も知らなかったけれど、あの娘はね、子どもの頃からいつかニアト王家に嫁がせようと目論まれてそれ相応の教育を与えられていたの。それならサルーシュの王太子妃だって立派に務まりますよ」
「ちょっと待って下さい。誰がそんなことを」
「んー、まあそれは追々ね」
かなり重要な情報である筈なのに軽々しく払い除けられシャファルアリーンベルドは慌てたが、待つことを知らないマルガレーテの話はまたしてもぴょんと飛んでしまった。
「ニアトの王太子だったお兄様はシャルロットを二回手に入れ損ねているの。一度目はシャルロットがニアトキュラシアンブルーを持っていなかったから。ニアトキュラシアンブルーが見つかるかも知れないっていう望みを捨てきれなかった王家が婚約内定をずるずる先延ばしにしている内にシャルロットがあの男と婚約してしまったせいでね。二度目は再婚できると思っていたシャルロットが離婚どころか懐妊したから。結局ニアトキュラシアンブルーもシャルロットも手に入れられなかったお兄様があの娘のことを知ったらどう思うでしょうねえ。あんなに好きだったシャルロットの娘よ?しかも王家の秘宝の持ち主。思い浮かぶようだわ、お兄様の喉から手が突き出てくるところが……」
それこそ気味が悪いじゃないかとは思ったが、シャファルアリーンベルドはまた話題が飛んでいくのを防ぐため黙っていることにした。
が、気遣いも虚しくマルガレーテの話は跳ねた。
「お父様のお許しならもう頂きましたよ」
「は?」
「わたくしが太鼓判を押しているのですもの、当然じゃないの。それにお父様は貴方がいつまでも一人でいる方が気がかりなんですって。だから公務は気にするな、任せておけって仰っておいでだけれどあの張り切り振りがいつまで持つか保証は出来ないわ。もう疲れた、帰ってきてくれと言い出したときにはあの娘を連れて戻れるように精々努力することね」
そう言い残しマルガレーテはすたすたと出て行ってしまい一人残されただぼんやりと座っていると、いきなりぬっとレイに顔を覗き込まれシャファルアリーンベルドは驚愕のあまり50cmほどお尻を浮かび上がらせた。
「……っ、お、お前!いきなり何なんだ!!」
「殿下こそ何なんです!ビックリしたじゃないですか!!」
レイはプリプリしながら額の冷や汗を拭った。
「ノックしたら返事をなさいましたけれどねえ。部屋に入って話しかけてもぼんやりしているからどうしたのかと……それはそうと王妃様がまた摩訶不思議な事を仰っているんで確かめに来たんですが王太子妃が内定したってホントなんですか?これでも一応わたしは側近の筈なのになにも聞いていなかったんですけれど?」
「っな、な、な、な、な、な、な、な、な、なっ!」
「はいはい、いつもの感じですね。了解です。で、まんまと思い当たる節はあるってことですね」
シャファルアリーンベルドはソファの背もたれにどさっと寄りかかって上を見上げた。
「拷問だ。まるで拷問だった。わたしが何をしたって言うんだ。清廉潔白に真面目に生きてきたというのにどうして母親相手にあんな……」
そう言うと顔を真っ赤にして俯き頭を抱え込んだ。
「明日の朝エルクラストに戻れとのことです。でもってさっさと首を縦に振らせて連れて帰って来いと。あとは何とでもなるらしいですよ。何のことかさっぱり判りませんでしたけれどね。ま、自信満々だったんで何とでもするんでしょうけれど」
「どいつもこいつも簡単に言ってくれる」
「あれま、そんなに難しい案件を抱えているんですか?」
シャファルアリーンベルドは恨めしそうにレイを睨んだ。
「何があれま、だ。どうせ何から何まで耳に入れているくせに。言ってみろ、どこまで聞いたんだ」
「試しに呪いを絡めてみたけどまさか本気にするなんてねぇ、までです」
「ちょっと待て、じゃあその前は何だ?」
『え?』と目をぱちくりさせレイはぽりりとおでこを掻いた。
「えっと……出会う前から特別な意識をさせておけば進展が早そうじゃない?だったかな……?」
「あンのおとぼけ王妃……!!」
「ちょっと、ダメですよ」
レイは白くなるほど拳を握りしめたシャファルアリーンベルドを慌てて窘める。
「まんまと惚れちゃったんだから仕方ないでしょう?じゃ、なんですか?呪いの話がなかったら惚れていませんでしたか?違いますよね、呪いなんてそんな馬鹿なぁ、信じられるか~って言ってても惚れてたんでしょうよ。違います?」
「…………いや、その通りだが……」
「しかもいざ惚れたのを自覚したら呪いのせいにするなんて、女々しいったらないじゃないですか!」
至極真っ当なレイの指摘だがシャファルアリーンベルドはブスッとむくれた。
「だからって呪いだなんて言われなければよりによって母上に洗いざらい胸の内を話して聞かせたりなんか絶対にせずにすんだのに」
「でも手っ取り早くお許しが出たんですから良かったじゃないですか。なんたって貴方は王太子なんですから。どこぞのお姫様ならいざ知らず、隣国出身の身分を持たない娘さんなんてどうなることかと心配していたんですよ」
「どんな根拠か良く解らんが母上は両手をあげての大歓迎ではあるらしい。ニアト王家の血を引いているのは間違いないのだし、どうにかすると言うのならどうにでもするのだろう。それよりもだ」
シャファルアリーンベルドは盛大にため息をつき情けなく眉を下げた。あまりにも珍しい表情にレイの胸はザワッザワとざわめく。
「呪いで頭が一杯で考える余裕も無かったが……」
「はぁ、何をです?」
「現状はあくまでもわたしの一方的な懸想、つまり片思いだ」
「まぁ、そうですねぇ」
「あの小さなお池のアヒルを……そのぉ……口説き落とせるものだろうか?」
シャファルアリーンベルドは自信なさげに益々眉をハの字にし、レイもうーんと考え込んだ。確かにそうだ。何をどう教わったのか知らないがやたらと耳年増ではあるけれど、どうもその辺りロジーナは著しく鈍そうな気がする。もしかしたら恋愛感情の発達がすこーんと抜け落ちているのではあるまいか?
「しかもだ。しかも厄介な事にわたしにはいざと言う時人よりも余計に一言多く付け足す義務がある……」
「……まぁねぇ」
シャファルアリーンベルドは身体を丸めるように頭を抱え込み、あぁ、よっぽど悩んでるな〜と流石のレイもちょっと気の毒になった。
「あの小さなお池のアヒルが、妃になってくれと言われて……しかも未来のサルーシュ王妃になってくれなんて言われて『はい喜んで』なんて言うと思うか?自尊心なんて粉々に叩き壊されてどこに有るのかわからないような娘だ。自分はアリにも劣る存在だと思い込まされているのに……駄目だ、絶対に、絶ッッ対に断られる」
「そうですねぇ。論文読み上げてるみたいに論理的に根拠を淀みなく話すでしょうね。静かながら抗えない強力なパワーを秘めた反論を喰らいそうかも」
「それでもニアト王家に見つかってみろ。『瞳をくり抜いて差し出す訳にはいかないし、そんなにこの瞳に価値があってどうしても欲しいのなら丸ごとじゃないと不可能ですものね』なんてあっさり納得しそうじゃないか!」
『あぁ、目に浮かぶ。それ、手に取るように目に浮かぶなぁ』とレイは大きく頷き、頷かれたシャファルアリーンベルドは両膝に肘を乗せて組み合わせた手の上に顎を置いて虚ろな目で何かを考えている風だったが、やがて心を決めたように頬をてのひらでぱちんと叩いた。
「決めた。わたしはこのまま領主の『お坊ちゃま』で通す。先ずは彼女に想いを伝え、彼女の心が傾くように手を尽くす」
「え?隠すって事ですか?」
「いつか彼女がわたしの想いに応えてくれたら、その時こそ身分を明らかにするんだ。隠すんじゃない、一時的に伏せるだけだ。今はまだ明らかにする段階ではない」
レイは生暖かい目をシャファルアリーンベルドに向けた。
「恥も外聞もあったもんじゃない。逃がすまいと必死のご様子ですね。半日前までうじうじした片思いが思うようにならなくてたまらずに逃げ出してきたっていうのに、一足飛びにどうやって丸め込めばお妃にできるかって企んでるなんてどうしちゃったんですか?念のため今一度確認しますが殿下はロジーナ様を王太子妃に迎えたいと本気でお考えなんですね?まさか一時の気持ちの盛り上がりとかじゃ無いですよね?」
「正直に言えば呪いに気を取られ王太子妃とまで考えたことは無かった。さっき母上に詰め寄られて初めてそういえばそうかと……。兎に角わたしは呪いのせいだと思い込んでいたんだ。でもそれを馬鹿じゃないのと言わんばかりの否定をされ、初めて現実的に考えてみれば実際のところ未来永劫共にありたいと願うほどに想っており、わたしの場合それは彼女を王太子妃に切望しているという結論になる」
「あぁもう、まどろっこしいな!ロジーナ様が好きなんですね?結婚して欲しいんですね?」
顔を背けたシャファルアリーンベルドだったがそれでも気まずそうに頷いたのでレイは『ならよし!』と気合いを入れた。




