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アヒル番令嬢と堅物王太子は呪われてしまうらしい  作者: 碧りいな
ロジーナ、アヒル番令嬢になる
24/42

王太子は呪いを自覚する


 ラワーシュの街から帰るとシャファルアリーンベルドは部屋に閉じこもったきり外に出ず、夕食にも姿を現さなかった。心配したロジーナが軽食を届けに行ったのだが、今は食べたくないと言われたという。


 「もしかしたらアシナガ海老かしら?物凄い速さで召し上がったんです。殆ど噛まずに丸呑みで」

 「丸呑み?シャファルアリーンベルド様が?!」


 レイは目を真ん丸く見開いた。シャファルアリーンベルドは腐ってもキラキラの王子様、いくら空腹だったとしても食べ物にがっつくなど有り得ない。これは何かあるな、と直感したレイは様子を見てくると言ってシャファルアリーンベルドの部屋に向かった。


 ノックをするが返事は無い。返事は無いがまあいいやとレイは『開けますよ~』と言ってドアを開いた。見渡したところ居間にはいない。書斎を覗いて見るもいない。これはいよいよ本当に何かありそうだと覚悟を決めて寝室のドアを少しだけ開けて中を覗いた。


 「ッッッッ………っっ……!!」


 悲鳴を上げることもできぬ程の恐怖と驚愕でレイはその場にへたり込んだ。そんなレイに背を向けてベッドの上で壁に向かって体操座りしているシャファルアリーンベルドがゆっくりと振り向いて『何だ?』と力無く尋ねた。


 「ちょ、ちょっと殿下、どうしたんですか。一気に窶れてますよ!」


 我に返ったレイが駆け寄るとシャファルアリーンベルドはまた壁を向く。そして膝の上に両手を乗せ更にその上に顎をのせで深い溜息をついた。


 「呪いなど馬鹿馬鹿しいにも程があると思っていた」

 「いえ、現在進行形で思って頂いて問題ないんじゃないですか?」


 とんでもない告白をされる予感がレイの背中をゾワリと奮わせる。


 「レイ」


 聞いたこともない優しげな声で呼びかけられ、とんでもない予感が違う方向にとんでもなかったらどうしようという不安が頭を過ぎり、サーッと血の気が引いて全部が膝から下に流れちゃったんじゃないか?と思ったその時


 「わたしは本当に呪われていたよ」


 とシャファルアリーンベルドがぽつりと呟いて背中を丸めた。


 ーー良かったーっ。呪いで良かった!


 レイは再び全身に力強い血流を感じ安心のあまり涙目になっていたが、主のこの異様な様子を放置する訳にもいかないので、形式的にだけでも話を聞いておこうとベッドに近付いた。


 「ええと、念のため聞きますが呪いというのは例の“ニアト出身18歳髪は銀色の婚約破棄されたばかりの令嬢に恋をする”っていうアレの事でよろしいですか?」

 「他に何がある?わたしは呪われた、呪われているんだ!!」

 「ということは、殿下はロジーナ様に恋をしたんですよね?」


 弾かれたようにくるりと身体を反転させこちらを向いたシャファルアリーンベルドは両手で頭を抱え込みながら呻くように声を出す。


 「街になど連れていくのでは無かった。今まで感じていたモヤモヤした色々な思いが遂に正体を現したんだ。前髪を下ろした時に何故か残念だと感じた理由も解った。全部呪いのせいだ」

 「前髪を下ろすと残念って意味がわからないんですけど?」

 「ほら、ジェニーが彼女の髪を切った時に前髪を下ろしただろう?ルイザは可愛い可愛いとベタ褒めだったがわたしには何処に可愛らしさという要素があるのかまるでわからなかった。ただ、無性に残念で堪らなかったんだ」


 レイは1人掛けのソファをゴトゴトと引きずってきてどっかりと座ると脚を組んだ。これは間違いなく長丁場になる。


 「で、明らかになった残念の理由は何なんです?」

 「額だ……」


 シャファルアリーンベルドはぼんやりした目で天井を見上げた。


 「酔っ払って眠ってしまった彼女を運んだ時、酷い顔だが眠ると割と普通なのだなと思った。でも滑らかできめ細かい肌をした額は美しいと感じたんだ。わたしは、あれが前髪で隠れてしまったのが残念だったんだ。噴水を見上げる彼女の前髪が風に吹かれて額があらわになったその時に悟った。そうか、それでなのかと」

 「殿下……ちら見えしたオデコにときめいたんですか?」


 シャファルアリーンベルドは返事をする代わりに視線を横に反らした。


 「城中の人間が彼女に夢中でまるで小さな子どものように可愛がり愛でている。わたしも自分の抱いたおかしな気持ちはそれと同じものに違いないと思っていたんだ。だって、あの百合根に惚れるなどどう考えても有り得ないだろう?」

 「ということは、殿下はロジーナ様に恋をしたんですよね?」


 レイはロジーナが持ち帰ってきた軽食を持ってくれば良かったと後悔した。願わくばお酒も欲しかった。つまみも酒も無しに聞かされるなんてたまったもんじゃない独白が始まっているとしか思えない。


 「初めて拗ねたんだ。自分のものは小遣いで買いたいのだと言って……口を尖らせた。あの百合根が、泣いてばかりいた百合根が」

 「そりゃ可愛らしいでしょうね」


 シャファルアリーンベルドは『お前にもわかるか!』と思い『お前に何がわかる!』とも思った。共感を得た嬉しさと可愛らしいと言われた面白くない想い。複雑に揺れ動く気持ちが手にとるように伝わってきたレイはいよいよ面倒な事になってきたとゲンナリした。


 ーーこりゃ一晩中付き合わされかねないぞ


 レイは決めた。まこう、まきまくろう!話の主導権は渡さない。自分が握るのだ。


 「殿下、今日一日ロジーナ様とお手手繋いで歩き回ったそうですね」

 「だ、だって、あまりにも、あまりにもぎこちなく歩くからつい手を差し出したんだ。そうしたら彼女は街歩きはそういうものだと勘違いして、歩き出す度にあの青白い手をわたしの手に滑り込ませて……時にはギュっと力を込めたりして、その度に息が止まりそうになった」

 「はぁ……」


 20歳の男が手を繋いだだけでそれってどうだと内心思ったが、レイは親身になって聞いていますよという顔をしておいた。


 「今日は何度あの青白い手を口から突っ込まれて心臓を握り絞められているような苦しさを味わったことか!手を握られては苦しみまたいつか噴水を見に連れてきてくれたら嬉しいと言われて苦しみ、他の男が笑いかけるのを見ては苦しみそいつが彼女の言葉で顔を赤くしたのに苦しみ、パンが食べきれないから手伝ってと言われて……ガフッ!!」


 その時のロジーナの様子がポヤンと脳裏に浮かびシャファルアリーンベルドはむせた。


 「ポポホリーニで次に来た時はさくらんぼ飴が欲しいからまた連れてきてと言われて苦しみ、栗鼠のようにクラッポポロロッカを齧る姿……ガフッ!!」


 またしてもその時のロジーナの様子がポヤンと脳裏に浮かびシャファルアリーンベルドはむせた。


 「お前に向かってお姉さんぶって説教する姿に……ガフッ!!」


 言わずもなが、その時のロジーナの様子がポヤンと脳裏に浮かびシャファルアリーンベルドはむせた。


 「ということは殿下はロジーナ様に恋をしたんですよね?」

 「呪われたんだ。そうでなければあり得ないだろう?何故わたしが百合根に惚れねばならん!」


 『あのですね~』とレイは躊躇しつつ切り出した。


 「殿下ってロジーナ様のお顔、ちゃんとご覧になってます?見てないでしょう!見ていれば気がついてますよ」

 「何にだ?」

 「泣かなくなって浮腫も鼻の赤みも引いてかぶれていた頬もきれいになってるの気がついてないですね!みーんな言ってますよ。ロジーナ様はとんでもない美人さんだって!」

 「…………」


 シャファルアリーンベルドは首を傾げて考え込んでから重々しく口を開いた。


 「とんでもない美人は目をシバシバなどさせないだろう?目は重要だぞ?恐らくは人間の顔立ちの評価を決める一番重要な部位だ」

 「だからこそとんでもない美人さんなんですよ!ロジーナ様の目がしょぼしょぼしている理由何だと思います?目がスッキリ開くようになったせいで眩しいんですよ。ついでに無意識に元の視界の狭さに合わせようとしているらしいです。それなのにあの美しさって凄くないですか?」


 ーー美しい?あの百合根が?


 シャファルアリーンベルドは眉間を寄せつつ思い浮かべる。額と鼻筋は酔っ払ったロジーナを運んだ時に中々良い仕上がりのパーツと言うべきレベルだと感じていたが、ここ最近はへなへなと下げられていた眉が弓なりの美しい形を取り戻し、カサカサして粉をふいていた頬もしっとりと艶やかになりほんのりと赤みも差してきた。目を伏せれば伸び始めた睫毛がくっきりとした姿を見せるようになった。それは僅か三週間前は擦りきれてどこにあるのかわからなかったとは思えぬ程で、もう既に一般的な長さと量に達しておりこれから更に伸びていくのだろう。ぼってりと赤く腫れていた唇はぼってりからふっくらしたぽってりに変化し、朝露に濡れたツルイチゴの実のように紅く瑞々しい。


 シャファルアリーンベルドはボッと音を立てるかのように一瞬で顔を真っ赤に染め苦しげに声を絞り出した。


 「う、美しいじゃないか!!どこをどう考えてもあれは『今日はちょっと目がショボショボしちゃってる』というコンディションだけどそれでも物凄く綺麗な女性だと納得させる絶対の根拠を有した驚異的な美人ではないか!!いつからだ?いつから百合根ではなくなった?何故わたしだけが気づかなかったんだ?!」

 「みるみる綺麗になってきたのは一週間前辺りですかねぇ?でも殿下、まともに顔を合わせようとなさらないから、それで気がつかなかったんじゃないですか?どうせパーツ一つずつをバラバラに見てたんでしょう。何だかやたらとモジモジしちゃってねぇ」


 レイは我慢しきれずにニヤニヤとからかうような笑いを浮かべた。だがシャファルアリーンベルドは腹を立てる様子もなく、というよりレイの浮かべた笑いにも気付いていない様子で告白を続けた。

 

 「黒い瞳だと思っていたんだ」

 「え?黒でしょう?違うんですか?」


 シャファルアリーンベルドはベッドの脇に置かれたランプにゆっくりと視線を移した。


 「光を浴びると浮かび上がるんだ。美しい蒼さが。あれは黒ではない。褐色(かちいろ)なのだと思う。深く深く蒼く、そして輝く宝石のように美しい瞳だ」

 「ほぉ、べた褒めなんですねぇ」

 「初めてだ。このままこの瞳を見つめていたら吸い込まれてしまうのではないかと恐怖を感じたのは。それほどの美しい瞳だった」

 「二三日もすればロジーナ様も眩しさに慣れ目を普通に開いた視界に慣れ、いよいよ本来のお顔に戻られるんです。そしたら瞳が日常的に露になりますけれど、そんなんで大丈夫なんですか?」「ガフッ!」


 お約束通りにむせるシャファルアリーンベルドを見て『こりゃ相当重症だ』とレイは溜め息を押し殺した。


 「そうそう、ロジーナ様が『シャーリー様』って呼んでいるんですけれど、どういう事です?ダメって言ってませんでしたっけ?」

 「そ、それは……」


 シャファルアリーンベルドの視線はとてもとても解りやすくすいすいと宙を泳いだ。


 「一向にシャファルアリーンベルドとは呼ばないのにレイさんレイさんとはしゃいだ声でお前を呼ぶのが……無性に腹立たしくなった。それでついシャーリーで良いと……言ってしまった。でも今は深く悔やんでいる」

 「あれま、どうしてですか?」


 シャファルアリーンベルドは掻きむしるようにしながら頭を抱える。これをするのはよっぽどの抑えきれない感情に悶え苦しんでいる時だけなのをレイは知っている。苦しい胸の内をさらけ出しているつもりになっていても、結局ただひたすらおのろけを展開しているのに全く気が付いていないシャファルアリーンベルドが面白くて堪らず実は必死に笑いを噛み殺していたレイだったが、ここまでとなるとちょっと可哀想に見えてきた。


 そんなレイの腹の内には気付くことなくシャファルアリーンベルドは頭を抱えて背中を丸め『……ったんだ……』とボソボソと言った。


 「え?なんですって?」

 「笑ったんだ!あの時の淑女の微笑みみたいな仮面のような笑顔じゃない。シャーリーで良いと言ったわたしに『はい』と答えてにっこりと、嬉しそうににっこりと……わたしに笑いかけたんだ。何故なんだ?あれさえなければ自分の気持ちになど気が付かずに済んだのに。どうして彼女は……」


 シャファルアリーンベルドは両手を後頭部で組みより一層身体を丸めた。まるで苦しさから身体を守っているかのように。


 「ということで、殿下はロジーナ様に恋をしたという結論でよろしいですね」


 シャファルアリーンベルドはもう一息身体を丸めながら頷いた。


 「呪いだ、わたしは呪われたんだ」

 「いや、普通に惚れちゃったんだと思いますけど?違うんですか?」


 弾かれたようにシャファルアリーンベルドが顔を上げレイをまじまじと見つめ、その責めるような視線にレイは戸惑った。


 「レイ、お前とは長い付き合いだ。二年間、ドレッセンに留学した時も一緒だった。お前のことなら大抵の事は把握しているつもりだ」

 「えぇ、まあそうですねぇ」

 「お前の数々の女性遍歴も、ドレッセンで多少のオイタをしたことも」

 「……で、ですが、わたしは同じくらい殿下についても詳しいですよ!何でも知ってますからねっ」


 脅迫されてはなるものかとレイは慌てて言い返したがシャファルアリーンベルドは力なく静かな笑い声を上げただけだった。


 「そうだよ、そうなんだ。わたしにだって恋愛経験の幾つかはある。それなのにどうした事だ。どうしてわたしは20歳にもなって初めて恋に落ちた少年のようにときめきたじろぎ狼狽えるのだ?これは呪いだよ。だってレイ、こんなわたしをお前はどう思う?」

 「はっきり言っちゃうと、かなり気持ち悪いですね」

 「お前はそう言うと思ったよ」


 ブルンと身震いするレイを見てシャファルアリーンベルドは哀しそうに項垂れてポツリと呟いた。


 「そして自分でもそう思う」


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