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アヒル番令嬢と堅物王太子は呪われてしまうらしい  作者: 碧りいな
ロジーナ、アヒル番令嬢になる
21/42

王太子は口から手を突っ込まれて心臓を握り絞められる


 書店を出たシャファルアリーンベルドは立ち止まって考え込んだ。御者が言うには手芸店はここから歩いて十分ほどの場所にある。予約を入れたレストランに時間までに行くとしたらかなり慌ただしくなってしまうだろう。できればゆっくりと品定めをさせてやりたいという思いが沸き上がってきたシャファルアリーンベルドはロジーナを見下ろした。


 「レストランに行く途中に公園がある。散歩がてらそこを通り抜けてレストランに向かおう。手芸店は食事の後でゆっくりと見れば良い。どうだ?」


 街歩きに不慣れなロジーナは一杯いっぱいなのか『お任せします』と言うと口をキュッと閉じた。書店は攻略したものの、まだまだ緊張でドキドキらしくキュッと閉じた口と連携し繋がれた手にもギュッと力が込められる。思わず反射的に握り返してしまったシャファルアリーンベルドは自分自身の取った行動に狼狽えて『ガフッ』と激しくむせた。


 心配そうに見上げてくるロジーナに大丈夫とジェスチャーで伝えながらシャファルアリーンベルドは歩き出した。書店から公園の東門は目と鼻の先だ。入って直ぐの場所にある大きな案内図の中央を指差してシャファルアリーンベルドは説明した。


 「もう少ししたら公園の真ん中にある噴水の水が噴き出すんだ。見に行ってみよう」

 「噴水が噴き出す?!」


 ロジーナは首を傾げた。


 「噴水は水が噴き出しているから噴水なのではないのですか?」

 「あー、そうか。なんと言ったらいいか……説明するよりも見た方が良さそうだ」

 

 シャファルアリーンベルドはロジーナの手を引いて歩き出した。城の庭園のように造り込まれたものではないナチュラルな庭を通り抜けると広場があり中央に噴水がある。ただしかなり大きいもののロジーナにはごく普通の噴水にしか見えなかった。


 「そこに座って待とう」


 シャファルアリーンベルドが指差したのはやや離れた所をぐるりと囲むように置かれたベンチだ。ロジーナは言われるがままにシャファルアリーンベルドと並んで腰を下ろした。


 ほどなくしてごく普通の噴きだし方をしていた水が止まった。そして一瞬動きを止めた水面の真ん中が波打ち始め沢山の泡が沸いてきたかと思うとヒューッと空に向かって一直線に噴き上がっていく。力強い水柱はスルスルと昇り龍のように噴き上がる。まだ止まらない、まだ昇って行くとロジーナが目を見開いて見つめるその先で遂に高さ10メートルにまで達した。


 その時ふわりと吹いた風がロジーナの前髪を撫でた。前髪はさらさらと横に流れ隠れていた額が現れ、それを見たシャファルアリーンベルドは、ジェニーに前髪を切られたときにどうしてあんなにも残念な気持ちになったのか漸く覚った。あれはきっと寝顔を見た時に美しいと感じた滑らかできめ細やかな肌をした額が隠れてしまったからだったのだ。


 シャファルアリーンベルドはしばらくロジーナの額から目が離せなくなり、それに気が付き今度は慌てて目を逸らせた。ロジーナはそんな挙動不審な様子など一切気にする事もなく、水面から先端まで言葉もないまま何往復も視線を巡らせる。三分ほどすると水柱はスルスルと高さを無くして水面から消え、そしてまた一瞬の静寂の後元通りの噴きだし方を取り戻した。


 「素晴らしいわ。水が生き物のように見えました」


 ロジーナはよっぽど興奮したのか頬を薔薇色に染めて今もまだ目を見開いて噴水をじっと見ている。その瞳が再び光を放ったのを見たシャファルアリーンベルドは思わず息を呑んだ。


 これは、漆黒の瞳ではないのだ。


 僅かに蒼みが含まれた深い深い紺色……これを褐色(かちいろ)と言うのだろうか?見開かれ光を受けた時のみに現れるまるで秘められたかのようなブルー、その瞳を輝かせ瞬きすら惜しむように噴水を眺めていたロジーナが不意にこちらを向き、視線が重なり合ったシャファルアリーンベルドはそれが絡み付いて解けなくなったかのように感じた。


 だがその時ロジーナが目を開きすぎて疲れたと言うかのようにギュウッと瞬きをし、指を押し付けるようにして瞼を揉んだので、我に返ったシャファルアリーンベルドは気付かれぬようにこっそりと深く息を吐いた。


 「時間は大丈夫でしょうか?予約を入れてあるのでしょう?」

 「……そ、そうだな。そろそろ向かった方が良さそうだ」


 自分から時間のことを切り出したもののロジーナはどうやら名残惜しそうだった。


 「そんなに気に入ったのか?」


 シャファルアリーンベルドに聞かれたロジーナはコクリと大きく頷いた。


 「それなら庭の噴水を改装しよう」

 「……?」

 「これと同じように高く噴き上がるようにすれば、ここ迄来なくても見る事ができるだろう?」


 ロジーナは考え込むように首を傾げながら少し俯いた。しばらくそうしていたがスッと顔を上げゆっくりと左右に首を振る。


 「お庭の噴水は毎日私を楽しませてくれます。特に朝日を浴びてキラキラと水飛沫が光る早朝の景色は素晴らしくて、お部屋の窓から眺めると胸の奥がジンジン震えるような感じがするのです。この噴水は本当に素晴らしいと思うけれどお庭の噴水も私にとっては大切な物なので、ですからどうかあのままに。でも……」


 ロジーナはチラリと視線だけをシャファルアリーンベルドに向けた。


 「またいつか、ここに連れてきて頂けたら、その時私が抱く気持ちはきっと……『嬉しさ』なのだと思います」

 「いつかではない。何時でもだ。君が望むなら何時でも連れて来る」


 ーーそれで君が嬉しいと感じてくれるのならば


 と思わず続けそうになった言葉は『また連れてきて下さるの?』というロジーナのはしゃいだ声に遮られ、今自分は何を口走ろうとしたのかと我ながら驚いたシャファルアリーンベルドはただしどろもどろに『あぁ、そうだ』とだけ答えた。


 ーー一体わたしはどうした?どうしてこうも、口からその青白い手を突っ込こまれ心臓を握り絞められているような気持ちになるのだ?


 随分と猛々しいイメージを浮かべた様子のシャファルアリーンベルドだが、本人はそれくらいの違和感を胸に感じているらしく額にはうっすらと汗が滲み胸からは耳に響くほど激しい鼓動が感じられる。


 「お坊ちゃま……どうなさいまして?暑さに参ってしまわれたかしら?」

 「い、いや……大丈夫だ。さぁ時間に遅れるからそろそろ行こう」


 ぷいっと立ち上がりスタスタと歩き出したシャファルアリーンベルドをロジーナが小走りで追いかける。そして隣に並んロジーナはスッとシャファルアリーンベルドの手に自分の指を滑り込ませた。やはりロジーナは『街歩きはお手々繋いで歩くべし』というルールであると思い込み忠実に従っているらしい。しかし一方のそんなルールは存在しないことを知っているシャファルアリーンベルドは、この状況をどうしたら良いものか忙しなく考えを巡らせるが一向に纏める事ができず、結局打開策もないままロジーナの手を引いてレストラン菩提樹亭のエントランスに到着する羽目になった。


 二人は二階の個室に案内された。席に着くとシャファルアリーンベルドがウエイターに水を持ってくるように頼み、出された水を立て続けに三杯一気に飲み干すのをロジーナはポカンと見つめていた。


 「随分と喉が渇いていらしたのね……」


 シャファルアリーンベルドは若干引き気味のロジーナを恨めしそうにチラリと見た。誰のせいだ!口から手を突っ込んで心臓を握り絞めているのは何処のどなた様だ!という文句をググっと飲み込むが、現実にはロジーナは口から手を突っ込んでいる事実は無いので何処のどなた様にも該当しない。ロジーナは訳がわからずグラスを手に肩で息をするシャファルアリーンベルドを心配そうに見ているが、原因が自分に有るとは勿論思ってもみなかった。


 水のお陰でどうにか態勢を立て直したシャファルアリーンベルドはアペタイザー、スープ、メインと王子様らしく洗練されたスマートさでさらりと料理を注文するとロジーナに一つ提案をした。初めて街に来たロジーナを連れて行きたい場所を思い付いたのだ。


 「買い物が済んだら菓子店に寄らないか?恐らく君が見た事がない色々な菓子があるだろうし、カフェでお茶を飲むこともできる」

 「菓子店にも連れて行って下さるのですか!でしたらこちらではお食事だけでも?デザートを食べてしまったらお腹が一杯になってしまうので」

 「それが良いだろう。それに……いや、何でもない……」


 シャファルアリーンベルドは拳で口を塞ぎ気不味そうに視線を彷徨わせる。それに、と言いかけた自分に心底驚いていたのだ。その先に続いていたのは『君の居ないお茶の時間は味気ない。だから今日は君と一緒にゆっくりとお茶を楽しみたい』という言葉だったのだから。


 あれこれ提案されたものの、ロジーナが厨房に行くのは決まってお茶の時間だった。料理人達の提案した色々なメニューからロジーナが選ぶものがスイーツばかりだったからなのだが、きっとお茶の時間は厨房に余裕があるからあえてそうしているのだろうとルイザは言っていた。


 どうしてそんな事を口走りそうになったのか自分でもまるでわからないが、またしてもロジーナに口から手を突っ込まれているような苦しさがシャファルアリーンベルドを襲った。


 ロジーナはよもや自分の手を口から突っ込んで心臓を握り絞めている妄想などされているとは夢にも思わず、初めて見るレストランの料理を珍しそうに眺めていた。小さな世界で純粋培養されたロジーナが相当風変わりな思考をするのは否定出来ないが、流石にこんな妄想をされているとは夢にも思うまい。


 「海老だわ……」


 これまたお久しぶりの再会だったのかむき身の海老を前にロジーナが小声で呟いた。若いウエイターはにっこり微笑むと


 「はい、アシナガ海老でございます」


 と説明したが、ロジーナは首を傾げた。


 「脚が長いのですか?」


 ウエイターは目を細めてフフッと笑い声を上げながら首を振った。


 「いえいえ、そう思われがちな名前なのですが違うのです。アシナガ海老はアシナガ湖という湖のみに住む海老で、脚の長さはごく普通なのですよ」

 

 ロジーナはジイッと海老を眺め、それからクイッとウエイターを見上げた。


 「私、きっとこの海老の名前を一生忘れる事は無いと思います」


 ロジーナはアシナガ海老という名を持ちながら長い脚を持たずアシナガという湖でのみ水揚げされるというこの海老に対して『へえー!』程度の感心をしたのだが、物覚えの良い彼女のこの手の情報に対する吸収力は計り知れないというのをシャファルアリーンベルドはこのニ週間で強く感じていた。確かにロジーナならばこの海老の名前も名前の由来も一生忘れないだろう。しかし初対面のウエイターはその一言に目を見開いて動きを止め、忽ち顔だけではなく襟元から覗く首までも真っ赤に染めた。


 シャファルアリーンベルドは何だか猛烈にイラッとしてパクリと海老を口に放り込んだ。せっかく濃厚で歯応えのあるアシナガ海老だと言うのに何の味も感じられない。一方のロジーナはご無沙汰いたしましたの海老の味を懷かしむように堪能している。そんなロジーナをチラリと横目で見たウエイターがこっそりと笑みを浮かべたのをシャファルアリーンベルドは見逃さなかった。そして益々苛立ちを深め食べているのが海老だか付け合せの野菜だか何が何だか判らぬままただ黙々と口に運んだ。


 「そんなにアシナガ海老がお好きでしたの?」


 声を掛けられて視線を送ればロジーナが呆気に取られたように見ている。


 「いつもはもっとゆっくりお食事なるのに随分勢い良く召し上がっていらっしゃるけれど……。それとも公園を歩いてとってもお腹が空いたのかしら?」


 ウエイターがスープとパンを運んで来た。トマトベースのスープはザク切りの野菜とベーコンがたっぷり入っている。ロジーナは自分の前に置かれた籠からパンを一つだけ皿に乗せると手を伸ばしてシャファルアリーンベルドのパン籠の前に並べた。


 「……?」

 「具沢山のスープなので私には食べ切れないから申し訳ないけれど手伝って下さいませんか?じゃないとお茶の時間迄にお腹が空かないわ」


 シャファルアリーンベルドに食べ物が足りないだろうと分け与えた人物など、当然の事ながらこの王子様人生で一人もいなかった。もっと欲しければどこからか運ばれて来て目の前に置かれるだけだ。だがロジーナは自分のパンをシャファルアリーンベルドに分け与えた。それも食べ切れないから手伝って、という口実で。

 

 ーー食べ切れないから……手伝って……


 ポン!と音を立てるかのようにシャファルアリーンベルドの顔は一気に赤くなった。頭の中では『食べ切れないから手伝って』というロジーナの名言がぐるぐるとエンドレスで再生されている。


 ーーな、な、な……何を言うんだ。…………駄目だ……可愛らし過ぎる!!


 まるで大慌てで暖炉に薪を焚べるようにスープとパンをかき込むシャファルアリーンベルドをロジーナはより一層呆気に取られて眺めた。


 ーーこんなに大慌てで召し上がるなんて!お坊ちゃまは余程お腹を空かしていらしたのね


 小さな世界で純粋培養されたロジーナの勘違いは大抵ちょっとズレていたが、今度ばかりは無理もない。お坊ちゃまにはこんなに子どもっぽい一面もあったのねとロジーナに思われたのも致し方ないシャファルアリーンベルドであった。


 

 

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