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アヒル番令嬢と堅物王太子は呪われてしまうらしい  作者: 碧りいな
ロジーナ、アヒル番令嬢になる
20/42

まずは書店を攻めてみます


 きょとんとしたままのロジーナと気不味くなったシャファルアリーンベルドを乗せた馬車は街の中央に到着した。


 「先ずは書店に向かえば良いかな?」


 馬車を降りたシャファルアリーンベルドが尋ねるとロジーナは青い顔でぎこちなくコクりと首を振る。


 「……どうした?顔色が真っ青だが?」

 「緊張……しているようです。お店に行くのは初めてですので……」


 珍しくぎくしゃくと歩き出したロジーナに違和感を感じてよくよく見れば右手右足が同時に出ている。シャファルアリーンベルドは咄嗟に手を伸ばしロジーナの手を握った。


 「なんだ、今まで店に行った事が無いのか?」


 偉そうに聞いてはいるが王子様のシャファルアリーンベルドだってホイホイと気楽に街に出られる立場ではない。今だって当然市井の人々に混じり多数の護衛がぬかりなく見張っているし主だった商店には立ち寄る可能性が有ると連絡済み。買い物というシステムは理解しているし社会経験の為に実践もしているが、当の本人だって20歳の成人としては桁違いの経験値の低さだ。


 ロジーナの境遇を何だかんだと言ってはいたが、こっちはこっちで王宮という小さな世界で純粋培養された王子様。これが特別という自覚が無い。だからこそ普通だったらびっくり仰天したであろうこの事実に対して『なんだ、今まで店に行った事が無いのか?』というごくあっさりしたささやかな驚きしか表さなかったのである。 


 「あ、でもバイオリンが身体に合わなくなって買い替える時に楽器店に行きました。あれもお店ですものね。なんだ、初めてではありませんわ!」

 「うん、だったら初めてとは言えないな。それならそんなに気構える必要も無いじゃないか!」


 実を言えばロジーナが行った楽器店というのはフルオーダーの店で一般の商店とはかなり異なるのだが、そのちょっとズレた着地点で一件落着となる辺り、純粋培養同士に発生したシンパシーが上手く作用したようだ。てへぺろなロジーナとこのうっかりさんめ!的なシャファルアリーンベルド。ロジーナはホッと小さく息を吐くとツンと頭を上げて姿勢を整えた。途端に足取りが軽やかに、まるでダンスのステップのようになる。齢18にして初めてのお買い物、それがどんなに特異な事かなどこの同行者は気付かせてくれない。だからこそ肩の力が抜けたのだ。


 「どんな物をお探しでしょう?」


 書店の店主に聞かれたロジーナは


 「サルーシュの地理、歴史、産業、経済等を学びたいのです。いきなり専門書では敷居が高いので、先ずは学生が教科書として使用するような」「いやいやいやいやいやいや」


 今回は『いやいや』の連呼でロジーナの言葉を遮ったシャファルアリーンベルドはロジーナの顔を覗き込んだ。


 「教科書ならわたしが使ったものを届けさせる。せっかくの小遣いなんだ。もう少しこう……恋愛小説とかそんな物を選んだらどうだ?若い娘は好むと聞くぞ?」

 「……ジェニーが夢中になっているような物語でしょうか?」

 「??」

 「ジェニーが言うにはその小説は寡の主人に見初められて愛妾になった下女が庭師と恋に落ちる物語なのだそうです」

 「店主、何の小説か判るか?」


 店主はやや気まずそうに二人を交互に眺め『判るには判りますが……』とモゴモゴと答えた。


 「ではそれを頼む」


 シャファルアリーンベルドに命じられた店主は今度は明らかに思いっきり気まずそうに『本当によろしいので?』と確かめたが、怪訝そうに見返しているシャファルアリーンベルドに何を言うこともできずすごすごと店の奥に入って行った。


 「それで二人はどうなるんだ?」

 「初めは屋敷の庭園で顔を合わせるだけだったのですが段々とお互い意識するようになり、彼女は次第に露出度の高い服を身につけたり官能的な香水を使って庭園に出るようになりました。そして裏庭で剪定作業中の庭師の側に寄ろうとした彼女は剪定した枝に足を取られて倒れそうになり思わず手を出した庭師に抱き留められるのです」

 「そうか、倒れずに済んで何よりだ。怪我は無かったのだな?」

 「えぇ。でも二人の視線は絡み合い見つめ合った二人は吸い寄せられるように……どうなったかお知りになりたいかしら?」

 「……いや、恋愛小説ならば大体の察しはつくので結構だ。この先の流れも似たり寄ったりだろうと思う」


 ロジーナはシャファルアリーンベルドを見上げて大きく一つ目をパチリと瞬いた。初めて全貌を現した窓から差し込む光を受けてきらりと輝く黒い瞳を目の当たりにしてシャファルアリーンベルドも目を見開いた。


 「よくご存知なのね!私はこの先の展開に驚いてばかりでしたわ!!」


 どうやらロジーナの瞬きはシャファルアリーンベルドに感心したことによるものだったらしい。


 「だって人気が無い裏庭だからって、いくらなんでも屋外で行為に及ぶなんて!」

 「……屋外、で…………行為に及ぶ、なんて……?」


 ロジーナはコクりと首を振った。


 「えぇそうです、屋外で、ですわ。その後も彼女は庭に出ては何だかんだとトラブルに見舞われその度に庭師に助けられるのです。薔薇の棘が指に刺さって出血するとか蜂に刺されそうになるとか。それをきっかけとして事ある毎に同じ流れになるのですが、急な雨に降られた時に作業小屋に駆け込んだのは些か疑問でしたわ。たかが庭をウロウロしたくらいなのに靴擦れが出来て歩けなくなった時だって、彼女を抱き上げた庭師は屋敷に送り届ければ良いものを作業小屋に行くのですもの」

 「それは…………恐らく作業小屋に連れ込む口実なのではないか?」


 ロジーナは指を当てて『まぁ!』と開いた口元を隠しもう一度目を瞬いた。


 「本当に良くご存知なのですね。ジェニーも『屋敷に送ったら手が出せないじゃありませんの!』と申しておりましたわ。何でもこの小説は物語そのものよりも事細かに赤裸々に綴られた行為の生々しい詳細な描写が面白いのだそうで、先ずはそういう状況に陥らなければ話にならないのだとか」

 「……という内容なのかな?」


 丁度本を手に戻ってきた店主は恐る恐る尋ねるシャファルアリーンベルドを気の毒そうに見返した。


 「はい……大変的確に内容を把握しておいでかと存じます」

 「店主、すまないがその本はやめておこう」

 「はい、お嬢様のご様子から察するにそれがよろしいかと。代わりに何か丁度良さそうなものを見繕って参りましょう」


 再びスタスタと店の奥に入って行く店主を目で追いながら


 「まったく、ジェニーは一体何を読んでいるんだ!」


 ブツブツ呟いたシャファルアリーンベルドはゾワリと背筋を振るわせた。


 「でもとっても人気の小説なんだそうです。それに夢物語みたいな物でこんなこと現実には起こらない、その非現実的なところが面白いんだってジェニーは言っていましたの。『庭に出てごらんなさい。そんなに言葉少なで見目好く筋肉隆々で野生味を感じられる孤独な影のある若い庭師なんて会った事が無いですわ。庭師なんて人の良い笑顔を向けてくる呑気なおじさんで、妻子どころか孫がいて、珍しく若いなと思えば「孫息子が見習いを始めましてな」なんて横から親方に言われるようなほんわかした人々しか見たことがありません』って」


 ロジーナも自分のイメージから余りにも乖離したその庭師像には違和感があったのだろう。ジェニーの言うことは尤もだという話し方だが問題はそこではない!とシャファルアリーンベルドは頭を抱えたくなった。


 「お待たせいたしました。こちらなどいかがでしょうか?」


 店主が持ってきたのはいかにも可愛らしい装丁の、それこそアンくらいの年齢の少女が読むような小説であった。


 「ちょっと幼過ぎはしないか?彼女は主だった文学作品ならほとんど読んでいるらしいのだが」


 シャファルアリーンベルドが小声でコソコソ聞くと店主も小声で、しかし胸を張って自信たっぷりに答えた。


 「いえ、どのような本をお勧めすれば良いか、この道45年のわたくしの直感に間違いはございません。失礼ながらお嬢様はどうやら知識量がお気持ちの成長を大きく上回っていらっしゃるかと」

 

 ーー確かに恐ろしい程の耳年増ではあるな


 渡された本を珍しそうにパラパラと捲るロジーナは確かに興味をそそられているようだ。


 ーーまぁ、ジェニーお勧めの官能小説よりは良いだろう


 じっと見つめられている事に気付いたのかフッと顔を顔を上げたロジーナは『これにしようと思います』とやや掠れた小さな声で言うと店主に本を手渡した。それから店主の後に付いて勘定台に行きバッグを開けて財布を取り出す。

その場で見ていたシャファルアリーンベルドの目にも分かるくらいその指先は震えていたが、紙幣を渡し釣り銭を受け取りきちんと財布に入れ、それから紙袋に入れられた本を受け取った。


 両手両足が同時に出るほどでは無いが馬車を降りた時とあまり変わらない程緊張し青ざめながらも、ロジーナは達成感に満ち溢れていた。


 「お買い物をしましたわ」

 「あぁ、買い物をしたね」

 

 ロジーナは目を閉じて大きく息を吸った。そしてゆっくり静かに吐き出すと穏やかに目を細めてシャファルアリーンベルドの左手に手を伸ばす。


 ーー?!


 現状何の事やら大混乱のシャファルアリーンベルドに気を配る余裕のないロジーナは自ら繋いだ手をキュと握りシャファルアリーンベルドを見上げる。


 「お小遣いは残りました。次は刺繍の材料を選びます。さぁ行きましょう?」


 そういえば、とシャファルアリーンベルドは馬車から降りた時の事を思い返した。


 そういえばギクシャク歩くロジーナを見て思わず手を差し出しその手を取ってここ迄手を繋いで来た。エスコートならば何度もしたが無意識に手を引いて歩いて来たのだ。その結果どうやらロジーナは街歩きは手を繋ぐものと誤った認識を持ってしまったらしく本人はそのルールに則っているだけなのであるが、それは全くの勘違いでそのような必要は無い、と指摘するべきシャファルアリーンベルドは掛ける言葉が何一つ浮かんで来ない。


 そして笑顔こそ無いものの嬉しそうなロジーナと繋いだ手を振りながら歩き出したその右足は右手と共に踏み出されているのだった。



 

 

 

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