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アヒル番令嬢と堅物王太子は呪われてしまうらしい  作者: 碧りいな
幸薄い伯爵令嬢
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婚約破棄できないそうです


 ロジーナが三才歳上のデニスと婚約したのは12歳の時だ。デニスの父はロジーナの父の弟でつまり二人は従兄妹同士。だからロジーナは物心ついた時にはデニスという人物の存在を認識していたが特別な想いはなかった。いや違う。子どもの頃からクズ男の要素を多分に備えているデニスにできれば関わりたくないという気持ちならあった。しかもそこそこ強目に願っていた。

 だが爵位の無い叔父がデニスを一人娘のロジーナの婿養子にして伯爵家を継がせようと目論んで婚約を取り付けたのだ。


 デニスもロジーナに何も思うところは無いと思っていたがそれはロジーナの思い違いだった。デニスは多いに不服だったのだ。婿養子になって伯爵家を継ぐ事がではない。伯爵位は欲しいけれどこの通り陰気で野暮ったいロジーナが嫌いだったのだ。

 

 ロジーナが17歳になったら結婚するはずだったのに、デニスはなんだかんだと理由を付けてそれを一年もグズグズ引き伸ばし、そうこうしているうちにロジーナの父は体調を崩しあっという間に帰らぬ人になってしまった。爵位を継ぐために式はさておき書類上だけでも急いで夫婦にならないと、と叔父が慌てて手続きを始めた最中に今回の事が起きたと言う訳だ。


 「来週には書類が揃う。そうすれば俺はレーベンドルフ伯爵だ。伯父上が生きていれば結婚なんてしたら一緒に領地にやられるところだったがくたばってくれたからな。俺はなんて幸運なんだ」

 「……?」


 デニスはニヤリと小狡そうな笑いを浮かべながらロジーナに向けた指を上下に振りながら話を続けた。


 「婚約破棄などさせてたまるか。婚姻が成立したらお前はあの婆さんを連れてさっさと領地に行け。レーベンドルフ伯爵はここニアトの都ニアトキュラスで自由に生きる。何者も俺を縛りつけることなどできはしない」


 ロジーナの胸には不安が広がった。妻になった自分が蔑ろにされてしまう……なんてことでは無い。そんなの初めっから想定の範囲内だ。厄介払のように領地に送られるのも予想していた。寧ろここ数ヶ月過ごした領地での暮らしは気に入っておりちょっぴり嬉しいくらいだ。


 デニスの頭の中が遊び呆ける事だけで一杯なのは明らかだ。そんなデニスを一人残して行くなんてレーベンドルフ伯爵家が傾くのも時間の問題だな、とロジーナは暗たんたる気持ちになったのだ。おまけに義母を連れて行けとは。どうやらデニスはムッチリ体型のイリスはお好みでは無いらしく興味の欠片も示さない。彼女も一緒に行くことになるのは確実だ。そして華やかな物など何もない領地に退屈し一日中ロジーナに文句を言う義母とイリセの姿がありありと目に浮かんだ。


 ロジーナは思わず俯いた。私の未来には一筋の光もなくひたすら真っ暗闇が広がっているとしか思えない。ついさっき呆気に取られて止まっていた涙が自然とまた溢れ出しヒックヒックとしゃくりあげ、その様子を見下ろしながらデニスは顔をしかめた。


 「お前みたいな辛気臭い女、側に居るだけで気分が悪くなる。笑いもしないし怒りもしない、できるのは泣くことだけでいつ見ても泣き腫らした顔しかしていないんだから。お前なんかと結婚させられる憐れな俺の為にせめて死ぬまで領地を出るな。いいな」


 吐き捨てるように言うとデニスは出て行った。それを目で追いながらロジーナは泣きじゃくっていたが、そうしながらもやっと一人になれることに安心していた。そして笑いもしないし怒りもしない、できるといったら泣くことだけだなんて……デニスにしては実に的確な指摘をしたものだとロジーナは頷いた。




 ロジーナは泣いてばかりいる。泣くことしかできないからだ。いや、実際にはロジーナは悲しんで泣くことだけしか許されなかったのだから。

 泣いてばかりいるロジーナの顔は常に腫れている。目の回りも鼻も赤らんで頬はほぼ引っ切りなしに流れ落ちている涙で被れてヒリヒリと痛む。唇はぽってりと膨れ上がりいつも小刻みに震えている。眠っている間すら繰り返し見る悪夢でうなされ涙ながらに目が覚める。でもロジーナは黙って堪えてきた。そしてこれからも反発しようとは思わない。


 ロジーナは父も母も祖父母達もそして義母をも不幸にしてしまったのだから。沢山の幸せを奪ってしまったロジーナの罪はあまりにも重くロジーナが誰からも愛されず疎ましがられるのは自業自得なのだ。ロジーナの人生には楽しいことも嬉しいことも待ってはいない。ただロジーナが存在することを責められ続けるだけの日々が続くがそれは当然の報いなのだ……。


 ……と、ロジーナはそう言われながら生きてきた。何も知らない赤ん坊のロジーナの耳に届くのは、優しい子守唄ではなくまるで呪いのような言葉だった。

 幼く無垢なロジーナはそんな言葉に染められるように成長した。自分の存在を責め悲しんで泣くことしか出来ない人間へと。それがどんなに理不尽な事なのかなんて考える事すらない真っ白な心のままに。


 そう、ロジーナはあまりにも素直だった。おまけに屋敷に閉じ込められるようにして育った彼女は他人と触れ合う機会もほとんど無く、彼女が知るのは小さな小さな世界だけ。その小さな世界は純真無垢なロジーナを自然と純粋培養していった。


 それがどんな結果を招いたかと言うと……


 ロジーナは当事者でありながら事の重大さに全く気がついていなかった。今もロジーナは自分が置かれた異様な状況に疑問を抱く事すらない。繰り返し教えられた通り当然の報いとして諦めているだけだ。


 こんなにも残酷な仕打ちを受けていながら、ロジーナは物凄く、お話にならないほどに物凄く淡々とこの状況を受け入れており、自分がどんなに悲惨で可哀相な境遇にあるかなんてこれっぽっちも考えていなかった。そればかりか仕方が無いのよと無気力に思ってさえいた。私は運悪く不幸な体質に生まれてしまったのだからと。


 勿論辛いし悲しい。納得出来ずに悔しさで息苦しくなる事もある。それでもロジーナには自分が物語の主人公級の可哀相な身の上であるという自覚はまるで無かった。


 これがロジーナにとって幸か不幸か判断に迷うところだが……一日の大半をヒックヒックとしゃくりあげながら過ごしている割に、心中ではそこそこあっけらかんとしているのだから、本人の為を思えば『幸』とジャッジしてあげても良いのではないだろうか?知らぬが仏という奴だ。

 


 それはさておきこんなに枕を濡らしては今夜は不便になってしまうとロジーナは考えた。一旦泣くのを止めて枕は乾燥させねばならない。そして急いで大きなハンカチを出して次に備えよう。


 ロジーナはチェストの引き出しを開けハンカチを選んでいるとまたしても勝手にドアが開けられた。しかしそこに居たのはデニスではなく叔父だった。何がそんなに嬉しいのやら、喜びで顔を輝かせる時は禿上がったオデコまでピカピカ光るものなのだなぁとロジーナは思わずまじまじと観察してしまった。


 「ロジーナっ!」


 叔父はデニスそっくりな歩き方でズカズカとロジーナの側に来て幸せそうに破顔した。そして踊り出したいくらいの浮かれた心を必死で抑えようとしているのか、握った拳を小刻みに震わせながら口を開いた。


 「婚約は破棄だ!デニスをお前と結婚させる必要はなくなったんだ!!」

 「……?!」


 ロジーナは取り敢えず表情を消した。確かにロジーナはついさっき婚約破棄を望んでいた。しかししないと言われてガッカリした。デニスと結婚したいかと聞かれたらそうではないし婚約破棄できるのなら有り難い。


 ただし、その父親がこんなに幸せそうに婚約破棄することを伝えてくるなんて……流石のロジーナの小さな世界でも、それはどんよりした空気を伴う案件であるとされているのに。


 ということは何かある!とロジーナは身構えた。


 「お前の出生は届けられていなかった。届けないまま兄上は死んだ。お前はこの国に存在していないんだ。つまり兄上には子どもがいないんだから爵位は私のものになった。レーベンドルフ伯爵は私だ!」


 どうやらロジーナの小さな世界は比較的常識的で有ることが判明したようだ。やっぱり何かあったのよね、とロジーナは思うのだった。

 

 


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