街にお出掛けします
ロジーナがエルクラストに来て三週間が過ぎた。
ロジーナは任されたアヒル番の仕事を日々丁寧に熟している。ずっと歳下のアンが一人でしていた仕事なのだから自分も一人で大丈夫だと言うのだが、シャファルアリーンベルドとレイは散歩代わりと称して毎回同行していた。何故かどうにもロジーナ一人にするのが不安でならないのだ。頼りないと云うのとはまたちょっと違う。日を追う毎にロジーナは頭の回転が早く物覚えの良い聡明な娘であると感じられたし、幽閉されるように育ったにも関わらず豊富な知識を持っている事に感心させられた。しかしどうした訳か常に心許なさが漂っていて一人にするのが躊躇われる。その不安感をルイザを始めとする城の者達は相変わらずの猫っ可愛がりで解消しているのだが、年齢が近いからか立場のせいかシャファルアリーンベルドはそんな事もできずにひたすらハラハラとロジーナを見守っていた。
今日は休日としてアヒル番はアンが代わる事になっている。いつもよりもゆったりとした朝食が済んだ丁度その時、窓の外に凄い勢いで馬車寄せに近付いて来る馬車が目に入った。良く見れば窓から身を乗り出して必死に手を振り何かを叫んでいる。ロジーナの服を携えて怪しい薄笑いを浮かべたマダムが到着したのだ。
ラウンジに通されたマダムは目の下のメイクでは隠しきれない隈が寝る間も惜しんで作業に明け暮れた事を物語っているがやたらとご機嫌で、間違いなくハイになっているのが一目瞭然である。
「お嬢ちゃま、部屋着が四着、外出用ワンピースが三着、デイドレスが三着完成いたしましたわ。早速試着してみて下さいませ」
アハハウフフと怪しく笑うマダムに連れられて、ドレスや数々の装飾品の箱を抱えるメイド達とルイザそしてロジーナは自室に戻って行った。暫くすると『キャ~』という黄色い歓声がサロンまで響いて来た。また暫くすると『まぁーっ』、もう暫くすると『クオーっ』。どんどん訳のわからない、大凡若いメイドが発しているとは思えぬような腹の底からこみ上げたような雄叫びになって行くのをシャファルアリーンベルドとレイは顔を引きつらせながら聞いていた。
「一着毎に大盛り上がりみたいですねぇ」
「そのようだな」
かなり引き気味の二人であるが耳に届く騒ぎはおさまるどころかどんどん激しくなり、ついには拍手や地響きまで聴こえてきた。恐らく萌えているメイド一同が悶えてジタバタして立てた足音なのだろう。この萌えっぷり、帽子やアクセサリーの組み合わせを試してさらなる盛り上がりに発展しているのか?
「ほらご覧なさいまし、良くお似合いですことよ!」
そう言いながら入って来たのはルイザだ。しかし続いて現れるはずのロジーナが居ない。一分余りの空白の時間を経て『どうなさったのかしらね〜』とルイザが廊下を覗くと、ロジーナはどうやって聞きつけたのか大勢の使用人に囲まれて愛でられ身動きができなくなっていた。おまけに窓の外からは庭師や農夫達も目尻をぶら下げるようにしてロジーナを愛でている。
ルイザは賞賛の余りお嬢ちゃまコールでも始まりそうな廊下からやっとの思いでロジーナを引き離しサロンに入った。
「ほーらっ!ご覧なさいまし。よーくお似合いなんですってば!!」
ルイザに連れられて入って来たロジーナは淡い水色の外出用ワンピース姿だった。フリルのついたパフスリーブから伸びたほっそりした腕には繊細なチェーンに小さな宝石の散りばめられたブレスレットが付けられ濃紺の小さなバッグが握られている。髪型はふんわりとアップに纒められほっそりした首筋に光る揃いのネックレスを引き立て、たっぷりとギャザーを寄せたスカートによってルイザが『見惚れるほど色っぽい括れ方』と言おうとしただけあるキュッとボンが強調され、その裾から覗いているこれまたキュッとした足首は白い靴のストラップが際立たせていた。
アハハウフフと相変わらずの怪しい笑いと共に入って来たマダムは白い帽子をロジーナの頭に乗せ一歩下がって眺めると満足そうに微笑んだ。
「納品いたしましたお品はどれもピッタリでお直しの必要はございませんでしたわ。それではわたくしはこれで」
えっ?と声を上げたロジーナの両手を取って左右に揺らしながらマダムは恍惚とした表情を浮かべている。
「お持ちした十着がどれもあんなにお似合いだなんて……お嬢ちゃまったら本当に何でも見事に着こなされるのですもの。早く残りのニ十着に取り掛かりたくて居ても立っても居られないのですわ。直ぐに工房に戻って取り掛からなくては!」
「大変ありがたいのですが……でもお身体に障らないかと心配でならないのです。どうか、どうかご無理はなさらないで下さいね」
マダムはフラフラと後退り感極まって言葉を失い首を小刻みに振り、それを見たロジーナが心配そうに首を傾げると飛びつくような勢いでロジーナを抱き寄せほっぺにチュウチュウと熱烈なキッスをし風のように去って行った。勿論馬車に乗るなり『残りのドレスもお楽しみに〜』と箱乗りで叫びながら。
「今日はアヒル番はお休みでございましょう?お天気も良いしお出掛けなさったらいかがかしら」
笑顔のルイザが見つめているのは自分のような気がするがそれは何故?とポカンとしているシャファルアリーンベルドにルイザはツツッと距離を縮めた。
「せっかく外出用のワンピースをお召しになったんですもの。それもこんなにお似合いになって、本当にお可愛らしいこと!」
「可愛らしい?くぉーっふっ!」
と正直に疑問を口にしたシャファルアリーンベルドの足をルイザは笑顔のままググッと踏み付けた。
「仰りましたわよね、休みの度に何処かにお連れになるって。今日はお休みで素敵なワンピースも届きました。という事で大急ぎでお支度していらしてね」
「そうだったな。ラワージュにでも行ってみるとするか、なぁレイ?」
レイはスススっとルイザの後ろに回り込みぐーっと伸びをしてから綺麗に一礼した。
「申し訳ありませんがわたしも本日は休日ですのでお供はできかねます。どうぞいってらっしゃいませ」
「……お坊ちゃま?」
袖口をつんつんと引かれ振り向くとロジーナが不安そうに見上げている。
「わたしの事はお気になさらず。部屋で本を読んで過ごしますわ。お坊ちゃまも今日はごゆっくりされ」「いーえ!」
またもやツツッと距離を縮め言葉を遮られどきまぎするロジーナにルイザは優しく微笑んだ。
「シャファルアリーンベルド様が連れていくと仰ったのですもの。ご心配は要りません。ラワージュの街でお店を覗いたりレストランでランチを召し上がったり、お二人で楽しんでいらっしゃいまし、ね?菩提樹亭という美味しい料理を出す素敵なレストランに予約を入れておきますわ」
「ルイザさんはご一緒できませんの?」
ロジーナの質問にクラリとしたルイザはたたらを踏んだがブルンと首を振り胸を拳でドンドンと叩いた。何の為にってときめく胸の鼓動を落ち着ける為に他ならない。
ーーちょっとちょっと、小首を傾けで『ルイザさんは……』なんて……どうしてこんなに可愛らしいのかしら!ありえないわ!!
と叫びたいのを堪え冷静を装って宥めるようにロジーナに諭す。
「書かねばならない手紙の返事がいくつかございますのよ。それを片付けてしまいますわ」
「そう……」
シャファルアリーンベルドの袖口をつまんだまましょんぼりと俯くロジーナにルイザのトキメキは激しさを盛り返した。
「あぁもうシャファルアリーンベルド様!大急ぎでお支度なさいませ!」
ただ事ではないルイザの圧にシャファルアリーンベルドはそそくさと自室に向かった。確かに言った。確かに休みの度に出かければ良いじゃないかと言ったのは自分だ。あの時はなぜか物凄くそんな気分にさせられたのだ。かと言って後悔している訳ではないが何となく腑に落ちないシャファルアリーンベルドはしかめっ面で支度に取り掛かった。
いくらキラキラの王子様とはいえ、お忍びで街に降りるシャファルアリーンベルドの支度などあっという間に終わり二人はエルクラスト城を後にした。
「何処か行きたい所はあるか?」
穏やかな毎日に目の腫れが引きつつあるロジーナは目をグニグニてはなくシバシバさせながら首を傾けた。
「書店……はありますか?」
「あぁ、王都にあるような大きな店ではないが」
「刺繍の材料が手に入るお店は?」
「確かあったはずだ。ルイザがよく覗きに行っていたと思う。御者が知っているだろうから聞いてみよう。他には何が見たい?」
ロジーナは首を反対側に傾けながらまた目をシバシバさせ口をキュッと結んで暫く黙っていたが、やがてふっと視線を上げてシャファルアリーンベルドを見つめた。伏し目がちだったロジーナは目の腫れが引くにつれ、少しずつ視線を上げる事が増えていた。瞳の色などまるで解らなかったのが、そうすることで黒い瞳をしていたのかと初めて気付いた時にはシャファルアリーンベルドは驚いた事に驚いた。何日も共に過ごして漸く瞳の色が判るとは何だそれは!と。
「ルイザさんが奥方様からだとお小遣いを下さったのです」
ロジーナは大事そうに膝の上のバッグを撫でた。中に財布を入れたのだろう。
「本と刺繍の道具や材料を買ってみないとどれだけお金が残るか判りません。もしかしたら今日はそれだけで終わってしまうかも知れませんわ」
「おいおいおいおいおいおいおいおい」
シャファルアリーンベルドは慌てて『おい』を連呼した。
「君がどれだけ本と刺繍の材料を買うつもりなのかわからないが、母がくれた小遣いなら余る筈だ。そもそもわたしが一緒にいるのだから君の小遣いが底をついたところで何も問題はない。買いたい物を買えば良い」
「でも私のお小遣いです!私の物は自分で買いたいわ」
そう行ってロジーナは眉間を寄せてむんと唇を尖らせる。
「……………………」
呆気に取られて口を開けっ放しにしているシャファルアリーンベルドの様子を見てロジーナは『あっ!』と小さな声を上げ片手を口に当てた。
「ごめんなさい。ご親切に言って下さったのに口答えなんかしたりして……」
「い、いや。こちらこそ押し付けがましい事を言ってすまなかった。気にしないで欲しい……」
そう言いながらシャファルアリーンベルドは激しく脈打つ自分の鼓動に困惑していた。それはロジーナの初めての口答えに対しての驚きではあったが、それよりもより強い力で心臓を跳ねさせたのは……
ーーす、拗ねた?拗ねたのか?!す、拗ねると……あんな表情をするのか?!
未だ口をパクパクしているシャファルアリーンベルドにロジーナは不安そうな視線を送っている。
「だ、だ、だ、だ、だい……大丈夫だ。怒ってなどいない。ちょっと驚いたのと……どうやら嬉しくなったの……かも知れない」
「嬉しい?」
ロジーナはまた目をシバシバさせた。
「その……君が……自分の気持ちを素直に出してくれたから……」
どうしてそれを嬉しいと感じるのか?ときょとんとしているロジーナのシバシバは、毎秒四回の高速になった。