ピーマンの思い出をお話しします
語り部のようなレイの悍ましい体験談はほぼほぼ正確だった。
ロジーナの合計三十着のワンピースやドレスやらは一着毎に一々事細かく吟味されながら決められていった。ただレイの思惑と違ったのはどういう訳かルイザやジェニーと一緒になってシャファルアリーンベルドが率先して意見を出している事だ。もちろん中心になっているのはマダムだ。しかしいつものマダムではない。ロジーナの最新の事情聴取に同席しその不憫な内容に心を揺すられジャンジャンじゃらじゃらとロジーナへの庇護欲を掻き立てられて、お嬢ちゃまにドレスアップの楽しさを知って頂きたいという情熱をメラメラと燃え上がらせているスーパーなマダムだ。そもそもマダムによればスラッとしたスタイルをし色白で銀髪のロジーナはどんな色も似合うし何でも着こなせるはずだという。と言ってもイリセセレクションは別であるが、それでもとてもやり甲斐があるのだと。
ただ当のロジーナはかなり戸惑いオロオロしていた。ロジーナの人生において「好きなものを選ぶ」という経験は皆無で二択すら殆どした事が無い。『どちらがお好みですか?』と聞かれてどうにか頑張って選んでも『でもこっちの方が顔色がよく見える』等と言われ結局却下されるという、レイがルシェのドレスの仕立てで味わうのとあまり変わらぬ心境になったのはつまりはロジーナだった。
全ての作業を終え達成感と良いものを作ってみせるという決意に満ちあふれたマダムはエルクラストを後にした。『取りあえず十着、至急仕立てに取り掛かりますわ。お嬢ちゃま、お出掛けやお茶会を楽しみになさって下さいませ~っ!!』と馬車の窓から身を乗り出す、を通り越しほぼ箱乗り状態になって叫びながら。
疲れてぐったりしているロジーナそっちのけで『ドレスアップハイ』になっているルイザとジェニー、そしてシャファルアリーンベルドは当然とばかりに休む間もなく次の協議を始めていた。マダムが宿題だとでも言うように残していったアクセサリーや帽子や靴やバッグやその他諸々の装飾品の見本帳を広げ三人とも目をギラつかせている。
「お嬢ちゃま」
小声で呼ばれたロジーナが振り向くと、そこにいたのはメイド長だ。
「お可哀相に、お腹がお空きになっていらっしゃるでしょう?こんな時間ですものねぇ。さ、お先にお食事にいたしましょう」
「ですが、皆さんまだこんな感じですし……私の物を選んで下さっていらっしゃるのに私だけというわけには」
メイド長はニコニコ笑った。
「大丈夫です。好きでやってるんですもの。それに片手で摘めるような物をちゃんと用意してありますからね。もうそろそろご所望になるでしょう」
「……ジェニーも一緒に食べられるのかしら?」
不安そうに首を傾げるロジーナの様子にメイド長はいたたまれずくるりと背中を向けて『落ち着け、落ち着け』と自分に言い聞かせながら深呼吸を繰り返した。お嬢ちゃまが殿下やルイザ様だけではなく年若いメイドのジェニーの空腹を案じられている。天使?天使なの?ここに天使が降臨したの?
「シャファルアリーンベルド様はお優しいですからお許しになりますよ。でもお持ちした時に念の為にその由をお伝えいたします。ですからお嬢ちゃまもお食事をなさいませ。レイ様がお嬢ちゃまにはしっかりお召し上がり頂かないと駄目だと仰るのでね」
込み上げる気持ちを抑えて振り返ったメイド長は元通りのニコニコ笑顔でそう言うとロジーナを連れ出した。
「レイ様がダイニングでお一人では居心地が悪いからお部屋で召し上がってはどうかと仰るのですが、よろしいですか?」
廊下を歩きながらそう聞かれたロジーナは足を止めて片手を頬に添えてグニグニと目元を動かした。
「邪魔にならない場所があれば、厨房で頂いても?」
「厨房で、ですか?」
「私の部屋は厨房から大分離れているので……運ぶのは大変でしょう?」
伯爵家でのロジーナのお食事事情はメイド長の耳にも入っていた。だからメイド長は慣れた場所で食事がしたいのだろうか?と一瞬思ったのだ。それなのに、そ、それなのに、部屋まで運ぶ我々を気遣かっていたとは!
天使?天使なの?ねえ、やっぱり天使なの?
「大した手間ではございませんわ。でも厨房ならば熱々をお召し上がり頂けますわね。直ぐに準備いたしましょう」
メイド長に案内されて厨房に来たロジーナは配膳台の隅に置かれた椅子に座った。
「お嬢ちゃま、こんな所でよろしいのでしょうか?」
心配そうに尋ねる料理長にロジーナは震える声で答えた。
「ごめんなさい。かえってご迷惑だったかしら?お邪魔になるなら自分でお食事を持って部屋に戻るけれ」「いや、どうかご心配召されるな!」
ロジーナの言葉を慌てて遮ぎり泣くのを阻止した料理長が素早く料理人達とアイコンタクトを取ると、承知しましたとばかりに彼らはそそくさと動き出し瞬く間にロジーナの前にサラダが置かれた。
「もう用意してしまいました。こちらで召し上がって下さったら我々は大助かりです。な、なぁ、君達!」
振られた料理人達全員がコクコクと頷いたのを見て、ロジーナは涙を抑えようと深呼吸をひとつしてから肩の力を緩め並べられたフォークを手に取った。料理長はロジーナが泣き出すのを無事阻止できたようだ。
「これは……赤くて甘いピーマンだわ」
「お嫌いでしたか?」
料理長に聞かれロジーナは小さく首を振った。
「緑のピーマンが苦手で赤いピーマンが好きだったのだけれど、でもそれが数年前に何かの拍子に父の耳に入って……以来緑ばかり出るようになったから赤は何年も食べていなくて……」
料理長、メイド長、そして料理人一同は唖然とした。そして腹の底から怒りが沸々と沸き上がるのを感じていた。
「でしたら……もうピーマンは赤一択にしましょう!わたしはもう緑なんてピーマンとは認めないぞ。ピーマンは赤くて甘い物だ!」
「あ、でも……」
拳を突き上げる料理長にロジーナは手の平をヒラヒラとさせた。
「ある時緑のピーマンをグリルで丸焼きにした物が出てきてそれはとても美味しいと思ったの。始めはどうやって食べるのかしらと戸惑ったんだけれど、料理人達が『ピーマンの丸焼きはへた以外は全部食べられる』って話しているのが聞こえてきて、恐る恐る食べてみたら種でさえ全然気にならなくて夢中で食べているうちに気がついたら本当にへたしか残っていなかったんです。それからは緑のピーマンは大抵丸焼きにされていて、でも時々違う調理をされているものが出される事もあって、そうしたら段々と食べられるようになったから今は嫌いじゃないです。だから緑でも大丈夫」
そう言うとロジーナは赤いピーマンのスライスが乗ったサラダを口にして『美味しい……』と呟いた。目を閉じてうっとりと味わいながら次々とサラダを口に運んでいくその様子に料理長の胸には熱い物か広がった。
『お嬢ちゃまが 美味しいと言ってくれたから 今日は我々のサラダアニバーサリー(字余り)』という一句と共に。
「お嬢ちゃま、ピーマンは他にも黄色やオレンジの物がございますから近々お出ししましょう。それに緑のピーマンの丸焼きもね」
スープを運んで来た料理人に言われロジーナは『黄色やオレンジ!』と小声で復唱しながら目をグニグニと動かした。そして『ピーマンの丸焼き』と言ってその味を思い浮かべるように目閉じてほんの少し顔を上げるのを見た料理人は、ぐほッとむせながら調理台の陰に駆け込みドンドンと胸を叩く。な、なんだ?何なんだ?何がこんなにもこの胸を萌えさせるんだ?
ロジーナはその後も色々な食材との再会を果たした。そしてそれは今だけではなく初めてここで取った昨日の夕食時から始まっていたのだという。理由はどれも一緒だったのでその度々に一同は憤り拳を握りしめ唇を噛んだ。ロジーナは病的という程の痩せ方では無いものの顔色が悪くどことなく不健康に見えたが、これだけ食べ物を制限されていれば栄養バランスが崩れても不思議ではない。これからは肉も魚も野菜も果物も美味しく食べさせて、その青白い頬を娘らしくふっくらとした思わずツンツンしたくなるような薔薇色のほっぺに変えるのだ、と一同は心に誓った。
「あぁ、ここにいらしたんですね」
ひょこっと顔を出したレイに言われたロジーナは飛び上がるようにして立ち上がった。一瞬にして顔色を無くし唇を震わせながら小さく肩を上下させている。
「すみません。私がいけないんです。私がここでと無理に頼んだんです」
悲痛な声で話すロジーナの様子にレイは焦った。レイは部屋での食事に何か不都合は無いかと思ったが留守だったのでどこに行ったのかなぁと思っただけ、ただそれだけで怒ってなんかいない。でもロジーナは完全に怒られたと思い込みそして何よりその害がメイド長達に及ぶのを恐れてる。さぁどうする?レイナーディラエフィッセよ?!
「良いんですよ〜!どこにいるのかなぁって思っただけですからねっ。ここなら出来立ての熱々がお出しできるから料理長も腕のふるいがいがあった……よね?」
レイは周りを巻き込み一蓮托生で乗り切るという他力本願作戦を発動させた。
「それはもう!一品毎にお嬢ちゃまの『美味しい』が聞こえてきて、このギルファルド・フォートナム・スブァルストコフリンド、この上ない幸せなひと時でございましたよ。な、お前たち?」
料理長、そんなに複雑な名前だったんだ!!というどうでも良いレイの驚愕を置き去りにして料理人達は『はいっ!』と威勢の良い返事をした。
「お嬢ちゃま、今度は午後のお茶の時間にお越し下さい。そうしたらフワフワでぷるぷるの焼き立てスフレをお出ししますよ!」
「スフレと言えばカリカリベーコンとトロトロのスクランブルエッグを添えたスフレパンケーキも良いですね。でしたら朝食をこちらで」
「焦げ目が付いた蕩けたチーズをパンや野菜にかけるのはどうですか?それなら夕食だなぁ」
「蕩けた繋がりで溶かしたチョコレートはどうです?串に刺した果物やマシュマロを絡めて食べるんです。美味しそうでしょう?」
「マシュマロならいっそ焼きマシュマロは?外はカリッと中はふんわりとろーり。癖になりますよ〜」
次々と出てくる厨房グルメメニューの数々にレイはごくんと喉を鳴らした。何それすっごい美味しそうなんだけど。我々今まで一度もそんなお誘い受けたことないけど。
しかし料理人達は競い合うようにロジーナにプレゼンを繰り広げている。しかも文字通り嬉々として、そりゃもう嬉しそうに。
「あっ!」
と小さな声を上げて不意にロジーナが立ち上がった。どうやら膝からナプキンが滑り落ちたらしい。しゃがみ込んだロジーナはナプキンに手を伸ばすが摘んだと思うとスルリと指から抜け落ちていきなかなか拾う事ができない。見かねて手を貸そうとしたレイは一歩踏み出した足を止め凍り付いたように動けなくなった。
ロジーナの肩が小さく震えていた。
それはほんの僅かな間だった。ロジーナは深い呼吸を一つすると左手で素早く目元を拭いあれ程摘むのに苦労していたナプキンをいとも簡単に摘み上げパタパタと払うと畳んで椅子の上に乗せた。
「ごめんなさい。落としてしまって」
申し訳なさそうに謝るロジーナに料理人達は揃ってブンブンと首を振る。そうしてバタバタ動き出したかと思うとあっという間に焼き菓子を詰めた小さなバスケットを用意してロジーナに手渡した。
「お部屋にお持ち下さいませ。無くなったらまた差し上げますよ。遠慮なく仰って下さい」
厨房スタッフ一同はバスケットを覗き込むロジーナを幸せそうに見つめた。
「ありがとう。それからお邪魔してごめんなさい」
「とんでもない。それよりも何時でもおいで下さいね」
「そうです。朝でも昼でもお茶でも夜でも、我々は大歓迎です。お越しになるのを楽しみにしています」
料理人達に我も我もと声を掛けられてもロジーナはグニグニと瞼を動かすだけで微笑みすら浮かべない。それでも『おやすみなさい』と言って厨房を後にするロジーナを、皆目を細めて見送っていた。