結局事情聴取が始まりました
「今日は外出着の打ち合わせがありますの。採寸が終わりましたらシャファルアリーンベルド様も打ち合わせに同席なさって下さいませね」
「……なぜ?なぜわたしがルイザの外出着の打ち合わせに同席するんだ?」
ルイザは眉間を寄せて思いっきり顔を顰めた。
「わたくしの外出着じゃございませんわよ!ロジーナ様の外出着です。それから普段着と茶会用のドレス。どんなデザインが良いか、何色が似合うか、素材はどうするか?一緒に考えて差し上げてくださらなくちゃ」
「くださらなくちゃというと義務のように聞こえるが、義務なのか?」
そう聞き返したシャファルアリーンベルドは固まった。ルイザが投げかけてきたそれは冷たい視線を感じたからだ。
「シャファルアリーンベルド様。義務……だなんて随分と冷たい言い方じゃございませんこと?ロジーナ様の初めての外出着なんです。世話人の貴方様も一緒に悩んでくださらなくちゃ」
「そうだな。ルイザの言う通りだ。是非わたしも参加させてもらうよ」
シャファルアリーンベルドはお釣りが来るくらい充分な愛想良さで答えた。それは重ねられた「くださらなくちゃ」から逃れられない呪縛を察知したせいでもあり、微かに震えるロジーナの口元のせいでもあった。
多分ロジーナは自分のせいで二人が言い合いになったのではと心配しているのだろう。このままでは泣き出す、とシャファルアリーンベルドの脳内では警戒アラームが鳴り始めていた。
そもそも端から自分には勝ち目など無いのだ。引き下がるのが最良の判断であるとシャファルアリーンベルドは過去の数々の敗戦で学んでいる。
ということでシャファルアリーンベルドとレイは大量のデザイン帳と見本の生地、レース、ビーズ、その他諸々でごった返す談話室で待機させられている。
「嬉しいですね。この楽しさを是非殿下にも味わって頂きたいと思っていたんですよ」
上機嫌のレイはニヤニヤしながら部屋を見回した。
「何時間も掛かりますよ~。袖の形から襟がどうだのスカートの丈はどうするだのギャザーをどれくらいにするだの。レースはどこにどう付けて刺繍を入れるか入れないか、ビーズは付けるか付けないか、ボタンはどれにするかまでいちいち事こまっかく決めますから。その度その度『ねえ、どっちが良いと思う?』って聞かれてどっちも似合うと思うよなんて答えたものなら『ちゃんと考えてよ!』って怒られるし、それなりに考えて『こっちが良いんじゃないか?』と言えばうーんと首を捻って結局違う方を選ぶし……」
ニヤニヤしていたはずのレイが徐々に鼻声になり、遂にジャケットの袖で目元を擦ったのを見てシャファルアリーンベルドに戦慄が走ったその時、ルイザに連れられて採寸をしに行ったロジーナが戻って来た。
「さぁさ、それでは始めましょうね」
ルイザに声を掛けられマダムがデザイン帳を広げる。
「奥方様」から仰せつかったのは外出用のワンピースが二点、お茶会用のドレスが二点、それに普段お召しになるワンピースも何枚か誂えてはどうかとの事です。どれから取り掛かりましょうか?」
「普段着を……お願いします!」
緊張した様子のロジーナが身体を強張らせながらそういうと、王妃直々の依頼を受けかい摘まんで事情を聞かされているマダムは優しくわかりましたと答えた。
「お好みはございまして?」
ロジーナはゆるゆると左右に首を振った。
「今までずっと、お屋敷からお召しになっていたようなお洋服ばかり身につけていらしたのかしら?」
ルイザが聞くとロジーナはまたゆるゆると左右に首を振る。
「一月前に領地から呼び戻されるまでは……恐らくそんなに奇抜ではない服を着ていたのだと思います。仕立てた物ではありませんが、こんな感じの物を……」
とロジーナが指差したデザインは確かに貴族令嬢が普段着として着るのにごく標準的なワンピースだ。
「メイドが用意してくれていましたから。自分で選んだ事はありませんが特に何かを感じる訳でも無かったので」
「ではあれはどういう事でしたの?」
意外な答えに驚いたのかルイザは目を丸くした。
「父が亡くなり領地から戻って直ぐに義母の娘さんがやって来まして……」
「義母の娘さん……というのは君の母親違いの姉妹ではないのか?」
言い回しに混乱したシャファルアリーンベルドが聞くとロジーナはさっきとは段違いの速さで首を振った。
「義母の初めの嫁ぎ先の娘さんでお父様はご健在です。お父様と喧嘩になって家出したとかで義母を訪ねて来てそのまま……」
声に出しはしないものの、そこにいた全員の胸にに嫌な予感が広がった。
「始めは私の部屋の小物や何かを片っ端から欲しがりまして……そのうちに私の洋服が欲しいと言い出したんです。でも、体型が違うものですから着るもの着るもの次々破れてしまって。そしたら娘さんが私に似合うものを用意するからと言ってあの服を持って来ました」
声に出しはしないものの、そこにいた全員の脳裏に「腹いせ」というワードが浮かんだ。
「義母は娘を窘めたりしないのか?」
仏頂面のシャファルアリーンベルドにロジーナはこくりと頷いた。
「流石はイリセ、似合うものをちゃんと選ぶのねって。私はどちらがといえば破れてしまった服の方が好きでしたがそう言われるのなら仕方がないかと。私はこの通り不器量ですし」
そう言って俯いたロジーナを見てシャファルアリーンベルドは何故かやたらとむしゃくしゃした。何が自分の胸をモヤモヤさせているのかよくわからないが何だかやたらと不愉快だ。そもそも昨日着ていたあの服と今のこのワンピースなら断然今の姿の方が見られるではないか。昨日のあれが似合うもののはずがない。
そしてつくづく思う。あの父親は何処までもクズだ。ろくでもない後妻までもを連れてきて更にロジーナを傷付けるとは。
「一体何が良くてそんな女を後妻になんて!」
吐き捨てるようにそう言うと顔を上げたロジーナが気まずそうに首を竦めた。
「義母は……件の穢れなき天使なんです」
「ハ?」
「説明……した方が良さそうですね……」
ロジーナは背筋をスッと伸ばすと小さくため息をついてから語り出した。
穢れなき天使との別れのショックですっかり窶れてしまいひょろひょろとして顔色も悪く常に不機嫌な父。それがある日踊るような足取りで屋敷に戻って来たのだからロジーナは驚いた。喜びに輝くその横顔は確かに美男子の面影を多少なりとも感じるかも知れないわ、とその時生まれて初めて思った。それくらい父はご機嫌だったのだ。
「おい、私は結婚する事にしたぞ。お前の結婚はどうなっているんだ?」
いきなりそんな事を言われ、驚かない娘は滅多にいないはずだと思う。当然ロジーナも驚いたのだが、その無理もないロジーナの反応に父はいたく立腹し怒鳴り付けてきた。
「だからお前の結婚はどうなっているんだ?17になったらデニスと結婚する事になっていただろう、何故まだここに居るんだ?」
「それは……デニスが忙しいと言っているからと。それにデニスは婿に来るので結婚しても私が出て行く訳ではないのです」
デニスの都合をロジーナに伝えたのは父なのだ。だってロジーナとデニスは婚約者らしい付き合いなど何もないのだから。
「どうしてお前はそう愚鈍でのろまなんだ。死んだ母親そっくりだな!もういい、デニスには直ぐにどうにかしろと言っておく。そして二人で領地に行け。わかったな」
えぇ、まぁ。私を邪魔だと感じていらっしゃる事はよくよくわかりました、とロジーナは内心大いに納得した。
子どもの頃は違ったが、最近はロジーナに興味も関心も示さなくなっていた父が突然そそくさと動き出すなんて、よっぽど再婚が嬉しいのだろう。
そこでロジーナは父の再婚に関する情報を集めた。つまり使用人達の噂話に耳を傾けまくったのだ。それによると、どうやら母の懐妊で別れる事になった穢れなき天使が突然父を訪ねて来たのだという。父との別れが辛くこの地を離れたが遂に戻って来いという兄の誘いを断り切れず帰って来たのだと、そして母が十年前に亡くなった事を知りどうしても我慢できずに会いに来てしまったと泣き崩れた模様。父は跪くと果たせずにいた19年越しのプロポーズをした。
という父にとってはまるで物語のような再婚だが、父には報告されていなかった事実がいくつかあった。
その一
穢れなき天使の兄が騒いだ通り天使は母の懐妊よりも前に悪阻が始まり自分の懐妊に気が付いていた。とはいえ父にとっては穢れなき天使であるので子どもの父親は別人だ。
そのニ
複数の可能性から消去法で限定された子どもの父は仕事でニアトに滞在していた隣国ドレッセンの商人だった。自分に夢中なのを良いことに歩くお財布として散々父を利用したは良いが、その執着に気付いていた天使はどうやって別れ話を切り出すか頭を悩ませていたので母の懐妊は渡りに船だった。
その三
天使は隣国で結婚。イリセを出産した。そう、母よりも三ヶ月早く。
その四
天使は母になっても奔放で遂に夫から愛想をつかされてしまう。決定打になったのは夫がロジーナと同様に真っ最中に鉢合わせたからだという。
その五
行き場のない天使は実家に転がり込んだが、早く出ていくようにと催促されていた。
こうして父は再婚した。デニスは仕事だと言って何処かに行ったきり帰って来ず二人の結婚は保留になり、結局ロジーナは一人で領地に送られ父が急死したので呼び戻された。
「父はとても幸せそうでした。ですから義母がどんな人でも私は構わなかったんです。亡くなったと聞いて慌てて駆け付けるともう父は棺に納まっておりましたがうっすらと優しそうな笑みを浮かべていて……父にこんな穏やかな最後を迎えせてくれた義母に私は感謝しなければと思いました」
そこまで話すとロジーナは口を閉ざした。
シャファルアリーンベルドは仏頂面が益々険しくなるのを感じながらマダムに声を掛けた。
「普段着は十着だ。外出着と茶会のドレスもだ!」
「ですが普段着はまだしもそんなに出掛ける先はございませんし、茶会だって予定は何も……」
驚いたルイザが口を挟むとシャファルアリーンベルドはギロリと睨みつけた。
「レストランでも菓子屋でも本屋でも宝石店でも何でも良いだろう。休みの度にわたしが連れていく。茶会など開けばいい。何なら母上の茶会にでも招待してもらえば良いじゃないか」
『母上』がどんな人物か承知しているロジーナ以外のメンバー一同は呆気に取られてあんぐりと口を空けた。王妃陛下の茶会などセレブ中のセレブにのみ許される物なんだけれど、この言い方だと跨げば越えられそうなハードルの低さに感じられるではないか。そして実際ロジーナもそれが本来はハードルどころか棒高跳びでもとても足りないほどの障害の高さとは露知らず、リッチな領主夫人とのコンタクト的なイメージを抱いていた。
それでもロジーナはガサッと座っていたソファの背もたれぎりぎりまで跳び退いた。昨日よりは気持ち顔の浮腫が引いている気がしないでもないがそれでもロジーナの表情は読み取り辛い。そんなロジーナだが今は思いっきり焦っているのがありありと感じられ一同の冷ややかな視線が一斉にシャファルアリーンベルドに向けられた。
「いきなりそんな事を言うから驚かせたじゃないですか!ロジーナ様、先ずは母と模擬の茶会でもしてみたらどうですか?」
ロジーナは一瞬眉を寄せて考えてからコクリと頷きおずおずと口を開いた。
「レイさんも……お付き合い下さいますか?」
「もちろん喜んで!」
レイがにこやかに答えるとロジーナはほっとしたように少しだけ表情を緩め今度はシャファルアリーンベルドに視線を移した。
「あの……あの……えぇと……、お坊っちゃま??は」
生まれて初めてお坊っちゃまと呼ばれポカンとしている王子様歴二十年のシャファルアリーンベルドの様子にレイが吹き出した。
「やっぱり『あの』じゃ無理なケースもありますよね〜。でもご自分が正確な名前に拘ったせいですから仕方ないですよね、お坊っちゃま」
そう言うとレイは我慢の限界とばかりにゲラゲラ笑い出した。