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アヒル番令嬢と堅物王太子は呪われてしまうらしい  作者: 碧りいな
幸薄い伯爵令嬢
12/42

王太子は感触に戸惑う


 二人が必死に呼び掛けたり揺すったりしたが既に熟睡しているロジーナはまったく目を覚ます気配を見せなかった。

 

 「仕方がないですね。長い距離を移動した上に緊張もあって疲れたんでしょう。母に知らせて来ますから殿下はロジーナ様を部屋まで運んで差し上げて下さい」


 当然だと言わんばかりのレイの口ぶりにシャファルアリーンベルドは真顔で聞き返した。


 「部屋まで運ぶ?わたしがか?酒を勧めたのはお前なのに?」

 「そりゃそうですよ。こういうのは王子様のお仕事と相場が決まっていますから。じゃ、お願いしますよ!」


 そう言うが早いかレイはすたこらと部屋を出て行ってしまい、部屋にはくうくう気持ち良さそうに眠るロジーナと表情が動かなくなり相変わらず真顔のままロジーナを見下ろすシャファルアリーンベルドだけが残された。


 シャファルアリーンベルドは特大の溜息をついた。世話人だからとこんな事までしなくてはならないとは。しかもぎっくり腰の療養の為に来たと言っておきながら成人女性を抱き抱えろとは矛盾にも程があるではないか!しばらくそうやってぷんすかとレイに腹を立てていたシャファルアリーンベルドだったがレイが戻って来る気配はなく、このままではロジーナが風邪を引いてしまうと渋々ながら部屋まで運ぶ事にした。


 ロジーナは平均的な身長でほっそりした手足をしている。恐らく全体的に……はっきり言えば貧相な身体つきで大して重くも無いだろう。そう考えながらロジーナの片腕を肩に掛け膝裏を支えて持ち上げると、思った通り何の苦もなく抱き上げられた。

 

 泣き腫らした顔は酷い物だと思ったが、こうやって眠っていれば案外普通に見えるのか、とシャファルアリーンベルドは感心しながらロジーナをじっと眺めた。目を擦ってばかりいるせいで擦り切れた睫毛は短く、鼻は赤く涙に被れた頬はガサガサで唇がボッテリと膨れているのは変わらないのだが、それでもまろやかできめ細かい肌をした額とハッキリと通った鼻筋は中々良い仕上がりのパーツと言うべきレベルであろう。

 

 いやいや、わたしは何をとシャファルアリーンベルドはブンブンと首を振りロジーナの部屋に向かった。


 「殿下!初めてなのにそんなに飲ませてはダメじゃありませんか!」


 先に来ていたルイザに頭ごなしに怒られシャファルアリーンベルドはムッとした。


 「わたしは止めた。勧めたのはお前の息子だぞ」

 「だってレイはあんな子ですもの。殿下がしっかり見張ってくださらなくちゃ困りますわ」


 あんな子も何も、何故わたしが20歳の立派な大人であるはずの側近を見張らなければならぬのだと猛烈な不満感を抱いたシャファルアリーンベルドだったが相手はルイザだ。これは不本意だが黙って引き下がった方が良い、と口を閉じるとルイザはテキパキとロジーナの靴を脱がせた。


 「ドスンと降ろしたら駄目ですわよ。そおっとなさって下さいませね」


 余計な指示に若干イラッとしつつロジーナをベッドに注文通り『そおっと』降ろし、これで本日の業務は終わりかと安堵したシャファルアリーンベルドはその場を離れようとした。


 「……殿下、早く離れて下さいませんか?ロジーナ様の衣服を緩めて差し上げたいんです」


 ルイザに言われたシャファルアリーンベルドは困惑した表情で振り返り、それから視線を自分の胸元に送った。


 「……まぁ!」


 ルイザが頬を緩めて見つめていたのはシャファルアリーンベルドのシャツの胸元をギュッと掴んでいるロジーナの手だった。


 「まぁまぁまぁまぁ!可愛らしいわ」


 既に母性本能をくすぐられ庇護欲がそそられているルイザは初孫でも見るかのように目尻をだらんと下げながら微笑んだ。


 「気に入ったようだが早急に外して貰えぬだろうか?」

 「えーっ、こんなに可愛らしいのにぃ?まるで赤ちゃんのようじゃありませんの」 

 「赤ちゃんのようかもしれないが彼女は赤ちゃんどころか18歳の成人だ。可愛らしいという理由でこのままにはできないだろう?これではわたしはここを離れられない」


 シャファルアリーンベルドはしごく当然の主張をしているのだがルイザはこの冷血漢とでも言いたげにジロリと横目で睨んだ。


 「少しくらいこのままにして差し上げたら良いのに。きっと今まで誰にも甘えられないお寂しい暮らしをしていらしたのですわよ」


 シャファルアリーンベルドは試しにシャツを引っ張ってみたがロジーナのしっかりと握られた指が解ける様子は無かった。


 「ルイザ、わたしは朝までこうやって中腰で過ごすことになるのではないか?」

 「あぁ、もう。貴方様にはもっと思いやりと我慢を教えて差し上げなければなりませんでしたわ」


 ルイザがぶつくさ文句を言いながらロジーナの指を一本一本解いていき全部の指が外れたところですかさず毛布の端を当てると、ロジーナは再びそれをギュッと握りしめた。その仕草はルイザの言う通りやけにあどけなく、それを見下ろすシャファルアリーンベルドは無性に切なくなった。


 ーー赤ちゃん、か。


 シャファルアリーンベルドは握りしめられたロジーナの青白い指を見た。人がもし与えられるべき愛情を入れる器を持っているとしたら、彼女の器の中身は生まれて間もない赤子と変わらないのではないか?そして無垢なまま育った彼女はそれがどんなに寂しいことかすら知らずにいるらしい。18年という長い年月を孤独に生きてきた辛さを思うとやりきれない思いが胸に沸き上がった。


 とまぁ、なんだがおセンチ気分になったシャファルアリーンベルドにもルイザは容赦ない。


 「……殿下、いつまでそこに突っ立っていらっしゃるんです。ロジーナ様のお世話ができないじゃありませんの。早く出て行って下さらないと。駄目ですわよ、そんなに気が利かないようでは。紳士たるものもっとスマートな気配りをみせなくては!」


 ぷりぷりと怒っているルイザにたった今までじっとしていろと言ったのは誰だとイラッとしたものの、シャファルアリーンベルドは文句の言葉を飲み込んでロジーナの部屋を後にした。



 シャファルアリーンベルドの自室ではレイが待ち構えていた。ここは居室と寝室、そして書斎が備えられており、レイがスタンバイしていたのは居間を挟んで寝室とは反対側の書斎だ。


 「やはりここだったか!」

 「いや、寝室にいたら大問題じゃないですか!お互いにとって」


 そりゃそうだが書斎の机にうず高く積まれた書類に目を向けシャファルアリーンベルドは小さな溜息をついた。


 「ここには療養の為に来たのではなかったか?」

 「大丈夫、座り心地の良い椅子とベストな硬さのクッションをご用意しておりますから気兼ねなく執務に取り組めます。さ、せめて事務仕事だけでも片付けましょうね」

 「あの娘の世話をして、その上執務も……。王宮に居るよりもよっぽど忙しくはないか?」


 シャファルアリーンベルドは本来仕事人間だ。むしろ仕事中毒の方が現状を表しているくらいの。休みの日にも執務室で書類に目を通したり調べ物をしたり……ラフな服装でソファにゆったりと座ってミルクティーを片手にしているのだから休んでいるも同然と本人は言うのだが、なんだかんだと呼び出されるレイははっきり言って大迷惑。そのシャファルアリーンベルドが妙にお疲れのご様子で机に向かうのを渋っている。


 「ロジーナ様はまだまだ不慣れですからお手間も掛かりますが直に慣れるでしょう。それまでの辛抱です。大体身の回りの世話は母達がするのですし正直殿下って大してやる事もないじゃないですか?どうしてそんなに憂鬱そうなんです?」

 「何だか……わからないが……兎に角調子が狂うんだ。どうしてああも振り回されるのだろう?」


 レイは肩を竦めた。


 「周りに気をつかって心をすり減らして、そうやって自分の気持ちなんかお構い無しにして生きてきた、それが滲み出てくるから、なんというか放っておけない気持ちにさせられるんですかねぇ。あんなに悲惨な自分の身の上話は理路整然と冷静に話すのに他人に気遣った途端にボロボロ泣きじゃくるなんてねぇ」

 

 レイは込み上げる物があるのか言葉に詰まり目を瞬かせた。


 「よっぽど洗脳されているらしく誰に対しても不満は言いませんしね。それにしても、ロジーナ様の小さなお池によくもこれだけ屑みたいな人間ばかり集まったもんだ」

 「そうなるように父親が意図的に仕向けたのもあるだろう。これは明らかな精神的虐待だ。表に出したら誰かが気付く。気付けば口を挟む者も出てくるから屋敷に閉じ込めた。学院に通わせなかったのも社交界に出さなかったのもその為かも知れないな」


 二人は揃って大きな溜息をついた。


 「母が言うには本気でアヒルが大好きなんだそうですよ。アヒルを追って緑の中を歩けば気分も明るくなるかも知れません。アヒルの癒やし効果に期待です!さぁ、これからはそんなアヒル番のお世話が待っていますから、先ずはこの書類をちゃちゃっと片付けちゃって下さい」

 

 気分を切り替えようと明るく話すレイだったが内容はまるで明るいものでは無く、シャファルアリーンベルドはもう一度溜息をつきさもいやいやという風に机に向かい一番上の書類を手に取った。だが視線をぼんやりと前に向けたままボーッと何かを考えている。


 「……殿下?殿下?!」

 「レイ、不思議なんだ。手足も首もあんなに細いのに、見た目通り簡単に抱きあげられたのに、どうしてあんなにふんわりと柔らかいんだ?わたしは無意識に大きな鶏ガラをイメージしていたのだが……」

 「はぁ?何言ってるんです?ふんわりと柔らかいってロジーナ様がですか?華奢なお身体ですし、うーん、出るとこ出てる感じじゃないですけどね」


 シャファルアリーンベルドは首を捻りながらボソボソと話を続けた。


 「そうなんだ。お世辞にも豊満とは言えぬ体型のはずなんだが……抱き上げるとやけにふんわりと柔らかい。まるでもふもふした毛並みの小兎でも抱いているみたいで……」

 「……」


 レイは顔を引つらせながら一歩後退った。


 「はっきり言わせてもらいますと……殿下、相当気持ち悪いんですが」

 「べ、別に大した意味でない。わたしはただ鶏ガラだと思ったらもふもふした小兎だったのが不思議だなぁと思っただけだ!」

 「……」


 レイは更に一歩後退した。


 「申し上げられる言葉は何もないので、それは自問自答でもしておいて下さい。このままじゃ言っちゃいけない事を言いそうだ。さっ、それはそうとお仕事をしてしまいますよ。王都シュラパでは紙切れに殿下のお名前が書き込まれるのを今か今かと首を長くしてお待ちの方が沢山おいでなんですからね」


 シャファルアリーンベルドは左手で頬杖をつきつつ右手にペンを持った。態度は悪いがやる気は出てきたらしい。


 ーー疲れるよね〜、どう扱ったらいいかまるで謎なんだから。


 レイはこっそりお気の毒様という視線をシャファルアリーンベルドに送りつつ、それでもバリバリ署名マシーンと化した主を頼もしく思いながら見守るのだった。


 

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