未来非合法小説家奇譚(未完)
ある少女が「本を下さい」と言った。
しかし、それは無理な話だ。
このご時世、いったい本一冊がいくらするのか
物心ついたばかりの少女には分からなかったのだろう。
差し出されたタブレットにはなけなしのクレジットが表示されていた。
しかし、それは本一冊どころかその百分の一にも満たなかった。
今の時代、本というものは大変高価であって、
よほどの裕福な好事家でも無い限り本を所有することはない。
かつては夕飯代があれば一冊本を買えたと言うが、それも遠い昔の話だ。
本、というのは何についても面倒なものである。
まずいちいちページに文字をのせる時点でめんどくさい。
しかもそれを集めて、固定するとなればもう聞くだけでうんざりだ。
昔はそれを抱えてえっちらほっちら歩いていたのだと聞くからもう驚きだ。
本が読みたいのならば全書籍図書館からいくらでもダウンロードすればいい。
データだけなら重さもないしかさばらないし取り回しも楽だ。
紙をめくる感触が欲しいのなら拡張プラグインを入れれば良い。
本が本であることの利点はとうに消え失せ、殆どの本の現物は消え去った。
一応、まだそれでも一部の層には需要がある。
例えばオンライン上ではセキュリティに引っかかる
全書籍図書館には入らないような内容、
要するに過度に刺激的な本であるとか何らかの悪影響を及ぼしうる本を求める連中だ。
まあそんなものを好むのはごく一部の金持ちだけで、
こうして少女が本を買いに来るのはかなり稀なことだった。
本を購入するには二つの方法があった。
データを用意してそれを元に本を作る方法と、
裏で流通する過去に作られた本を購入する方法だ。
本の製造費と口止め料のみを出せば良い前者に対して
後者は本に骨董品的価値が上乗せされ、更に価格は跳ね上がる。
見て分かるように、少女にデータなど無く、当然少女が選ぶのは後者だった。
少女は売らなければここを通報するという。
そんなことをすれば商売あがったり、
それどころか人生あがったりだ。
売り手の男は頭を抱える。
もし売らなければ人生おしまい、かといって売れば大損だ。
自分でこの場所を探り当ててきたのだと言うから、
こんな幼い容姿でもなかなか侮れない。
結局男は仕入れに時間が掛かるという陳腐な言い訳に何とか納得してもらい、
その時間を使って本を自作することにした。
ここで売ればまだ幼い少女に負けたような気がしたのだ。
大の大人がこんなちびっ子に負けるなど、男のプライドが許さなかった。
だから自分で本を書く、というのはずいぶん短絡的で突飛な考えにも思えるが、
そこはそれ、もともとこんな商売をやろうと考えるような男なのだから
当然と言えば当然で仕方のないことだった。
本を書くというのは想像以上に難しい行為だった。
なるほど昔はこれで食っていた輩がいたのはこういう訳かと感心してしまう。
まず題材が決まらない。
文章を書くためにはまずどのような世界を作るかを考えなければならない。
その世界を描写する媒体として結果的に文字が並ぶのだ。
これが決まらなければ書き出しも何もあったものではない。
そして、それを解決したとしても文体の問題があった。
いかに素晴らしき世界を考えたといっても、
それを投影する文章が滅茶苦茶では元も子もない。
こればかりは慣れが必要であって一朝一夕でどうにかなるものではない。
とにかく必死に量を書く、それ以外に男の思いつく方法はなかった。
しかしまあ、本を書くとはなんとも無謀なアイデアであった。
男は何度も自分の選択を悔やんだ。
しかしここでプライドを捨てれば、後悔は一生続くことになるだろう。
男はただ黙々と文字を書く。
辺りが暗くなり、やがて夜が更け朝が来ても
食事もそこそこにずっと手元の端末、
正確にはそこに表示される文字のその下へと没入していた。
それを何回、十何回か繰り返せばもうすぐそこに期日が迫っていた。