護衛騎士フリックの聖女追放計画!
流行の聖女追放を騎士視点で書いてみました。とてもご都合主義ですので、細かいこと気にしない人向け。
騎士の朝は早い。
詰め所に行く前にストレッチして体をほぐし、軽く近所のランニングをする。王都でも下町とされる一角にはすでに煮炊きする煙が煙突からもくもくと立ち昇っている。
こうして走るのは体を鍛えるためだけじゃない。もっと切実な理由があった。
「フリック兄ちゃん、おはよー!」
声をかけてきたのは近所のエリーちゃん、御年十歳。傍らにはエリーちゃんママがにこにこと立っていた。
足を緩めてエリーちゃんの前に止まり、まずはママさんに挨拶する。
「おはようございます」
「おはようフリック君。止めちゃってごめんねえ、この子がどうしてもって言うもんだからさ」
「フリック兄ちゃん、お花! 聖女様にあげてください」
後ろ手に隠していた黄色い花束を出し、満面の笑みを浮かべる。こっちも自然と笑顔になった。
「いいのかい? この花、エリーちゃんが大事に育ててたやつだろ?」
「聖女様にあげたくて育てたの!」
「そうか。聖女様も喜ぶよ」
俺が花束を受け取ると、恥ずかしそうに母親の後ろに隠れてしまった。ママさんは困った顔だ。
「フリック君、これも持ってって。そろそろ朝晩冷えてくる、女の子に冷えは大敵だよ」
「湯たんぽじゃないか。いいの?」
シンプルな白い陶器製の湯たんぽは、冬の王都の必需品だ。エリーちゃんを見てママさんを見ると、申し訳なさそうな顔でうなずいた。
「上の子が使ってたんだけどね。もっと可愛いのが欲しいって買い替えたんだよ」
「……ありがとう、助かるよ」
お下がりだろうと無いよりはましだ。俺がそう思ったのを感じ取ったのか、ママさんは苦々しく言った。
「本当にねえ。まさか聖女様にまともな生活もさせてないなんて。教会も王様もなにしてるんだい。こんな下町でさえ湯たんぽくらい買えるってのに」
「エリーちゃんママ、それは言わない約束だろ」
「おっと、そうだったね。怖いこわい。さ、エリー、聖女様にお礼言いな」
ぽん、と頭を叩いて促され、エリーちゃんは行儀よくお辞儀した。
「聖女様、いつもわたしたちを守ってくださってありがとうございます」
「フリック君、聖女様を頼んだよ」
「ああ。聖女様にちゃんとお伝えするからね。聖女様をお守りするのが、俺の役目だ」
腕の中の花束と湯たんぽは、ずっしりと重く感じた。
家に帰ると両親はすでに起きていた。親父がテーブルに広げた新聞を読み、母ちゃんが邪魔だと言いながら料理を並べる。いつもの光景だ。
「おはよう、父さん、母さん」
「おはようフリック。その花エリーちゃんかい? 昨日咲いた咲いたって大喜びしてたよ。詰め所に行くまで水に活けときな。ああ、それと汗を流しといで。汗臭い姿で聖女様の前に行くもんじゃないよ!」
流れるように出てくる母ちゃんトーク。この調子で話すものだから母ちゃんはすっかり井戸端の母だ。言い返しても負けるとわかっているので大人しく井戸で体を拭き、戻ってくると朝食がはじまっていた。行けと言っといて遅いと文句を言うのだから母ちゃんとは理不尽な生き物である。
「また新聞には聖女様の批判が載ってるねぇ。まったく、お上のやることに疑問を持たないなんて、王都の新聞も落ちたもんだ」
「情報規制されてるんだ、そう言ってやるな。国民はみんなわかってるさ」
親父は王都の門番をしている。聖女様の噂が国内に蔓延していることを把握していた。まあ、その発信源はウチ、というか俺なんだけど。
「おお、そうだそうだ。これ預かってたんだ」
親父が今思い出したように制服のポケットから取り出したのは、聖女あての手紙だった。粗末な紙を折りたたんで封をしただけの、いかにも貧乏くさい手紙。宛名の文字はたどたどしく、文字を習い始めた子供が書いたような筆跡だった。
「父さん、こんな大事なもの忘れないでくれよ」
だがこの粗末な手紙は聖女にとってなにより大切なものなのだ。離れた家族が彼女にあてた、唯一の知らせなのだから。
「そうですよお父さん。さ、フリックさっさと朝飯食べて行きな。聖女様がお待ちだよ」
「わかってる。父さん、ありがとう。無理はしないでくれよ」
「ああ、わかっている」
門番をしている親父は門を通る商人たちとも顔馴染みで、多少の融通を利かせている。
たかが一兵士の息子の俺が騎士になり、さらに聖女の護衛に選ばれたと知って誰より喜んだのはこの親父だった。喜びすぎて酒場をはしごし、潰れて母に引き摺られて帰るまでがお約束。そこらへんにいる親父だ。
「……聖女様を教会に閉じ込めて祈らせておいて、満足な生活もさせてやらないなんて。お上はなにを考えてんだかねえ」
「言うな。教会に聞かれたら罰せられるぞ。俺たちは自分にできることをすりゃあいいんだ」
「そうですけど……」
支度をしている間、そんなぼやきが聞こえてきた。どこにでもいる父と母だが、誰にでもあるようなやさしさに溢れている。そんな二人の嘆きにちくりと胸が痛んだ。
この世界には、人類の脅威となる魔獣が街を襲うことがある。たいていの魔獣はただの動物なのだが、なにが原因か魔力が体に溜まりすぎると狂暴化し、姿も恐ろしいものに変身してしまうのだ。
人類の敵。魔獣から人々を守るのが聖女という存在だ。
聖女の祈りによって作られる結界には魔獣を弱体化させる作用がある。それだけではなく、聖女によっては魔獣を生じさせない、元に戻すこともできるという。そのため国は聖女を探し求め、教会が聖女を保護する。教会は魔法を神の慈悲と定めているため、人々を守る聖女を必要としているのだ。
今代の聖女はレイラという名前の十二歳の少女だった。貧しい農村に生まれた彼女はある日突然聖女として目覚め、王都に召喚された。
俺がレイラに仕えるのは、これが二度目だった。
いや、二度目というのは正確ではないかもしれない。俺は、一度目の人生をやり直しているのだ。
前回レイラは聖女として王都に招かれ、王太子の婚約者にさせられたにもかかわらず、国と教会、そして王太子に陥れられて聖女の地位を剥奪。国から追放された。悲嘆にくれたレイラは故郷に帰ることもできずに自死を選んでしまったのだ。
その後は国のあちこちで魔獣が発生して暴れ回り、なぜか俺が『聖女を死亡させた罪』で処刑された。
なんでだよ!? って思うだろ? 俺悪くないじゃん。教会と王太子のせいだろ。俺とんだとばっちり。
そんなわけで俺は前回王太子を恨んで死んだのだが、こうして巻き戻って考えて、反省した。俺だって聖女の境遇を知りつつなにもしなかったんだから同罪だ。婚約破棄がなくてもあんな生活じゃいずれレイラは死んでいたかもしれない。
レイラはいつもうつむき加減に背中を丸め、にこりとも笑わず、祈り以外に取柄のない痩せぎすの小娘だった。はっきりいって可愛くなかった。聖女の護衛といえば聞こえが良いが、教会の神官から嫌味を言われるわ貴族たちから蔑まれるわで、とんだハズレくじだった。
人生をやり直していると気づいた時は驚いたし夢かと思ったが、死ななくてすむかもしれないと思った。とばっちりの処刑なんて御免だ。騎士にならない選択肢もあったが、レイラのすべてを諦めた顔を思い出し、今度は聖女追放回避しようと決意した。せめてもの罪滅ぼし。こんなことをしたって前回死んだレイラは生き返らない。偽善だとわかっても、この先を知っている俺が彼女を護らずに誰が守るんだ。か弱い少女一人を守れずになにが騎士だ。
今になってみてわかる。突然聖女と呼ばれ家族と引き離された少女が笑顔をなくすのは当然だった。教会は義務を押し付けるくせに満足に食事も与えず、聖女の部屋はまるで囚人のような狭くて暗い小部屋だった。薄くて硬いベッドがあるだけで、鏡すらない。
文字の読めないレイラには必要ないと本を与えず、そのくせ王太子の婚約者としてなってないと叱りつける。王家がクズだと知るのは一応騎士としてはショックだった。
たまに王太子に呼ばれて茶会に行っても、下働きのような服しか持っていない。礼儀作法もわからない。王太子や貴族の令嬢は綺麗に着飾っているのに、それを見せつけられるだけ。
レイラが絶望する環境しかない。
前回は見てもいなかった、気づこうともしなかった事実に愕然とし、なんとかしようと俺がまずやったのは両親に相談することだった。この二人に言えばあっという間に近所に広がるのをわかっていたからだ。
自分たちに都合の悪いことを教会は封じてくる。だから俺は、緘口令が出る前にそこら中で言いふらした。両親の次は酒場で愚痴り、騎士団の詰め所ではこれみよがしにレイラに買った櫛をこれ喜んでくれるかなと彼女の現状と共に言って回った。
案の定、聖女の生活を口外するとは何事だと禁止令が出された。俺が解雇されなかったのは、解雇すればそれが事実だと認めたことになるからだ。ざまーみろ。
訂正しろと命じられても素直に従ってやったさ。言いふらしたところに行き、悔しそうな顔で「聖女様には充分な手当てがされています」と言って、誰が信じる? 酒場では悔し泣きに泣いて首を振ってみせた。何度も喉を詰まらせ、言わされてる感満載で訂正して回った。騎士を首になったら俳優でも目指そうかなと思うほど頑張った。
俺の思惑通り、教会に言わされているのだと察した人々は、口を噤んでもこっそり聖女を支援し始めた。聖女に感謝しているのは国でも教会でもなく、一般庶民だ。家族に騎士がいる女たちは魔獣を弱体化してくれることで危険が減ることを理解していた。娘のいる親たちは十二歳の少女に与えられている理不尽に涙を流すほどだった。わかる? 一般庶民ていい人ばっかなんだよ。なのになんで前回誰もレイラを助けなかったの? って思うよね。それは、圧倒的情報不足!!
そうなんだよ。聖女の生活なんてだ~れも知らなかったんだ。だってレイラ、なんにも言わないんだもん。俺だって二回目で観察して気づいたくらい。教会に「聖女は清貧でなければいけない」と言われたら「そっか~」って思うだろ。たぶんレイラもそんなもんだと思ってる。
誰が想像する? 聖女の待遇が平民以下だなんて。だから俺が言い降らした時教会は焦ったんだ。つまり、教会は悪いことしてる自覚があるってことだ。
王城にある大聖堂に入ると神官たちから忌々しそうに睨みつけられる。もう慣れたのでスルーして、レイラにあてがわれた奥の部屋に向かう。花束や湯たんぽを見て舌打ちするやつまでいた。おいこら神官、躾がなってねえぞ。
「おはようございます、聖女様」
誰が見ているかわからないので部屋の前までは殊勝にしている。
「おはようございます」
「聖女様、こちらの花を預かってまいりました。私の近所に住むエリーという少女です。こちらの湯たんぽはエリーの母から。聖女様に使っていただきたいと」
明るい黄色の花束を渡すと、レイラの顔がかすかに綻んだ。今朝はそこまで顔色は悪くない。
「わあ、かわいい。ありがとうフリックさん」
「いいえ。我々国民からの感謝の気持ちです。花瓶に水を入れてまいりますね」
花瓶すらなかったこの部屋には、レイラにと民衆から寄せられた物がぽつぽつと置かれるようになった。華やかとは言い難いけど人間らしい暮らしができる程度にはなったはずだ。
湯たんぽを渡す時に触れた指先が冷え切っている。花瓶に水だけではなくお湯も持ってこようと決めた。
「聖女様、お食事です」
皿に乗っている聖女の食事は固くてまずいと評判の黒パン一個とほとんど具のない野菜スープ。しかも冷めてる。
聖女は朝起きたらすぐに水垢離して身を清め、その後一時間祈りの間でひたすら神に祈りを捧げる。その間に神官たちは豪勢な食事をとってるのさ。だからレイラの分は残り物。いや、あいつらが食ってるのは白パンだから、残り物は残り物でもどこかのパン屋の残り物かもしれない。残飯よりはましかもしれないけどさぁ……、仮にも聖女に対してこれって、教会終わってるよ。
いつもの食事内容にレイラはそれでも苦笑するだけだったが、盆の下に隠した手紙にはっと息を飲んだ。
「どうぞ、お召し上がりください。私は部屋の外に出ています」
花束を花瓶に注して窓際に飾り、念の為ハンカチをテーブルに置いておく。待ちに待った家族からの手紙だ、ゆっくり読みたいだろう。
俺が知らないふりをするのも、レイラが堂々と手紙を読めないのも、教会のせいだ。教会は神官を派遣して正式に両親との手紙を運んでいる――ことになっている。レイラの両親は文字が読めないし書けない、その子供であるレイラも同様に。教会はレイラからといって都合よく手紙を捏造し、返事を神官に代筆させているのだ。そしてその手紙がレイラに届いたことは一度もない。
俺が噂を広げたせいで、情報通の商人たちが動いた。商人というのは道があればどこへでも行く。当然レイラが生まれた農村にもだ。月に一度は行商が来て市が立つと言っていたし、聖女生誕の地は今空前の聖女ブームに沸いている。レイラの家族にも聖女への礼を言っただろう。
そこで商人が王都での聖女の噂を伝えた。レイラの家族はさぞや驚いたことだろう。教会や王家、婚約者になった王太子に大切にされています。綺麗なドレスに美味しい食事。今日はあれを買ってもらった、あそこに遊びに行ったと手紙には故郷や家族を恋しがる様子もない。一抹の淋しさはあるがレイラが大切にされているなら、と耐えていたのに実際は実家にいる時より酷い待遇で耐えているのだ。家族の驚きと憤りは察するに余りある。
故郷から離れ、家族と会うこともできず冷遇されている聖女。これに憤ったのは商人たちも一緒だった。なにしろ聖女の結界のおかげで旅が安全にできるのだ、感謝していない商人などいない。こうして手紙のやりとりのできるレターロードが誕生した。レイラの村まで行商に行った商人が取引のある商人に手紙を託し、その商人が王都の門番をやっている俺の親父に届ける。レイラの親父さんは文字が書けなかったが同情した商人たちが簡単な文字を教えてくれたらしい。子供が力任せに書き殴ったような、へたくそな筆跡で『レイラへ』と宛名書きがされていた。
前回、レイラの家族がどうなったのか俺は知らない。たぶん良い終わりではなかったと思う。なにしろ教会と国がつるんでるんだからな。口封じに村ごと全滅させられたっておかしくない。
今回は教会がやべえと気づいてくれているだろう。なにしろ教会からの手紙はぜーんぶ嘘っぱちなんだからな。レイラが手紙になにを書いているのかは知らないが、レイラが逃げればきっと助けてくれるはずだ。そうであってもらいたい。
誰も入ってこないように扉の前に立って待つ。この部屋は大聖堂でも奥の奥なので神官が様子を見に来ることもなかった。神官が来るのはレイラを呼びつける時だけだ。
「フリックさん、ありがとう」
「うん」
やっぱり泣いたのか、レイラは目を赤くしていた。手足を温めるために使った湯の残りで申し訳ないが、冷めていたのでハンカチを濡らして目元に当てておくように言う。
「今日は、王太子殿下にお会いする日でしたね」
「…………。うん」
返事までに長い間があった。
朝食を終えたらまた祈りだ。昼食の時間とその後の一時間は休憩になるのだが、今日は王太子の茶会に呼ばれている。ちなみに茶会がなくても勉強だなんだと神官に呼びつけられ聖書を聞かされていた。一番眠くなる時間に聖書朗読とか、嫌がらせにもほどがあるな。居眠りすると怒声が響くんだから、完全に悪意だ。
レイラが祈りの間で祈っている間、俺は門の前でただ待っている。一度覗いて見てみたら、神像の前に額づき俺にはわけわからん呪文を唱えてひたすら祈っていた。しかも裸足。レイラに聞いたら朝の祈りも同じだという。もうじき冬だが髪が濡れて風邪を引いたらどうしてくれるんだ。そういえば前回のレイラはやたら熱出して倒れてたと思い出した。そんな状態なのに神官たちはレイラを祈らせていて、さすがに気の毒になったものだった。
本格的な冬が来る前になんとかしなくては。冬支度にはなにがいるかつらつら考えていると、レイラが戻ってきた。浮かない顔だ。
「レイラちゃん、ちょっとおめかししようか。ほら、こないだ貰ったワンピース可愛かったし、着てみたら?」
そうだよな。いくら婚約者だからって、会えば嫌味、話せば罵倒、歩く姿は独裁者、じゃ会いたくないよ。俺だって嫌だ、そんなやつ。
王太子のガルナス殿下は御年十四歳、レイラより二つ上だ。聖女が婚約者になった時、王太子は喜んだという。だが実際のレイラの顔を見て、たちまちガルナスは顔を顰めた。その場に俺もいたからわかる。あれは聖女という字面だけで勝手に美少女を期待して勝手に裏切られた顔だ。毎日美容を欠かさない貴族のお姫様ならともかく、農民の娘に期待なんかするなよ。というか、むしろあいつがレイラを綺麗にしろと言えば、レイラはもっとまともな生活ができてたんじゃねーの? なのにガルナスがやったことといえばレイラへの虐めだ。こんなんが王太子だなんて、大丈夫かこの国。
なんとか気分だけでも盛り上げようとわざとらしく明るく言っても、レイラは暗い表情のまま首を振った。
「ううん、いいの。どうせなにを着たってお姫様たちには敵わないもん」
「……」
王太子の茶会に呼ばれるのはレイラだけじゃない。貴族のお姫様たちがこぞって着飾ってやってくる。婚約者同士の語らいの時間のはずなのに、ガルナスは他の女を呼ぶわけだ。まだ十四なのにやってることはクソだな。クソ以下だ。あの年頃が大人に反発しちゃうのはわかるけどさ、無力な女の子にやつあたりすんなよ。
「……昨日の雨で王城の庭はぬかるんでると思う。今日の茶会は外だから、わざと転ばされたりしないように気をつけて。冷えるかもしれないから腹巻しておこう。お茶は一口だけ飲んで、お菓子に手を付けないでね」
「うん。……うん」
ガルナスには前科がある。前回だけじゃなく今回もやらかした。飢えた女の子の前にお菓子を出しておいて、わざと異物を混入させたのだ。もがき苦しむレイラを見ながらあいつら「本物の聖女ならなんともないはずだ」と言って笑っていやがった。周りの近衛騎士でさえ唖然としてたぞ。
それを聞いても謝罪せず、今後このような事のないようにとレイラを叱る王様じゃなにを言っても無駄か。レイラは俺たちで守るしかない。
「俺はただの騎士だから同じところにいられないんだ。でも、近くにいるから。なにかあったら声をあげるんだよ? それとも急病にでもなっちゃおうか。昼飯抜かれるかもしんないけど俺と半分こすればいいし、祈ってたほうが楽かも」
あー、なんで俺がこんなこと心配してんだろ。王太子と貴族のお姫様がいる場所が一番危険ってなに? 国民の税金で飯食ってるあいつらこそ聖女に感謝するべきだろ。そのための王じゃないのかよ、クソが。
「ううん、行くよ。ガルナス様のお顔見るだけでもラッキーって思うもん」
ガルナス、性格は最悪だが顔だけは良い。むしろ顔しか取り柄ないだろアレ。レイラも初対面の時はぽーっとなっていた。その後すぐに蒼ざめてたけどな!
「それに、いずれお嫁さんになるんだもん。仲良くしたいよ。ガルナス様は平民相手にどうしたらいいかわからないだけなんじゃないかな」
罪悪感がぐさぐさ来た。
前回の俺もまさにそう思ってたよ。どうせ結婚するんだから仲良くすればいいのに、と。ガルナスに気に入られさえすればもっと待遇が良くなって、俺も馬鹿にされずにすむ。なんで上手くやれないんだと、ガルナスに媚びを売ることもないレイラに苛立っていた。
悪意しかない相手とどう上手くやれっていうんだ。そんな、あたりまえのことさえ理解してやれなかったのだ。話しかけても無視して他の女と笑っている男と結婚しなければならない少女の気持ちを思いやることすらしなかった。
ぐっと拳を握りしめる。
俺にガルナスを責める権利なんかない。わかってるさ、前回のレイラを絶望させたのは俺だって同じだ。いや、いつもそばにいたぶん、俺のほうがよほど酷い。護衛騎士といいながらなに一つ守ってくれない俺に、レイラはどんなに辛い思いをしていただろう。
「……護衛とはいえ男が側にいるのが嫌なのかもな。役目上、あんまり離れることはできないんだが、なるべく目立たないよう空気に徹するから」
「空気?」
レイラは目を丸くして、笑い出した。
「それは無理だよ。あたし、フリックさんがいるだけで心強いもん」
「そうなのか?」
「そうです」
笑うレイラに安心する。今度は、今度こそ、レイラを守ってみせる。あんな、なにもかも諦めた表情なんかさせたくない。俯いてばかりで背を丸めて、なにかを言いかけては飲み込んでいたレイラ。助けて、と言うことさえできなかった。
少しでもレイラが笑えるようにしよう。処刑されないためではない。罪滅ぼしだけでもない。出会ってしまった少女のために。俺の剣はレイラに捧げたのだ。国でも教会でもない、さらにいうなら聖女でもない、レイラだ。レイラが何者になっても、俺は騎士として仕え続けよう。
「フリック」
茶会の護衛につくのだろう近衛騎士が声をかけてきた。頼む、と口だけ動かして伝えれば、任せろ、とうなずいてくれた。悔しい。俺は貴族じゃない。騎士だけど貴族じゃないからレイラの護衛になり、貴族じゃないから王侯貴族の茶会を遠巻きに見ることしかできない。
遠回しに嗤われ馬鹿にされて、意味はわからなくとも自分が笑われていることはわかるのだろう。レイラは必死に泣くのを堪える顔で笑っていた。不愉快なだけの茶会だった。
◇
レイラが聖女になって二年経った。
国ではほとんど魔獣の話は聞かないといっていい。そりゃそうだ、あれだけ毎日毎日祈ってるんだ、魔獣なんかの出る幕はない。おかげで商人は大繁盛、ついでに聖女の変わらない待遇についても国中に広がった。井戸端の母からここまで広がるとか、すげーなおばちゃんネットワーク。
対抗するように新聞は王家が発表する聖女の堕落した暮らしぶりを書いているが、こっちは実際に目撃している俺が出所だ。俺ほど正確な情報源はないぞ、新聞各紙よ。なのに記者が一人も来ないってことはやっぱ教会と国が圧力をかけてるんだろう。やることが汚い。
なんとか婚約破棄を回避しようと頑張ってみたけど、護衛騎士の俺と民衆の力では無理があったか。
レイラは栄養状態が悪かったせいかなかなか女の印がこなかったが、先日ついに来た。デリケートなことだけに男の俺が干渉するのも……と思ったが、手を拱いていたら神官どもがデリケートを踏みつけにするだろう。恥を忍んで母ちゃんに頭を下げ、あれそれの色々を仕入れてもらった。血まみれのシーツに怯えて泣いてる女の子を目撃しちまったんだぜ、放っておけるかよ。大聖堂のシスターは貴族のお嬢様ばっかりだからあてになんねえし。
血のついた服を着替えさせて下着もそれ専用のを使ってもらい、血のついたシーツと血が染み込んだ布団も総とっかえした。これでなにがあったか周囲にばれてしまったが、王城の女官の中にはレイラを気の毒がってくれる人が多くて助かった。母ちゃんと同年代のおばちゃんほど親切だったわ。おかげですぐに新しい布団一式が届けられた。
こうなると教会も大忙しだ。聖女成人の儀と社交デビュー、そして王太子ガルナスとの婚約を正式発表しなければならない。……大々的に国民に向けて自分の体が大人になったぞー! って喧伝されるのかよ。俺にはじめてアレが来た時は夜中にこっそりぱんつ洗おうとして母ちゃんに見つかって翌朝親父にまで報告され、それだってめちゃくちゃ恥ずかしかったし屈辱だった。それが国中って。国王と教会は辞書のデリカシーの欄に印つけといたほうがいい。話を聞いたレイラは貧血だけではなく蒼ざめていた。
それでも儀式に出すということで、食事は改善され肌や髪も専用の石鹸で洗うように指示されていた。さすがに人前に出すのにあまりにもみすぼらしくては国中の噂を肯定することになるからな。侍女もつけられた。レイラは嬉しそうだったが、俺はこいつがくせ者だと知っている。
この侍女はレイラに丁寧に接する。前回の俺はそれにほっとしていた。やっと辛気臭い聖女がまともになる、と。レイラを褒めそやし、ガルナスとの結婚を期待させたのだ。
侍女の正体はガルナスの浮気相手に仕えているメイドだった。たしか公爵令嬢だったか、綺麗なお姫様だ。レイラがガルナスの婚約者だというのが気に食わずにねちねちと苛めてきた女だ。
レイラを持ち上げて、浮かれさせて落とす。婚約破棄と追放を言い渡され、泣くこともできずに呆然としていたレイラを嗤っていた。婚約発表は婚約破棄のための場だったのだ。レイラ以外の全員が、そのつもりだった。
前回は誰も助けなかったけど、今回はレイラのことを国全体が知っている。こんな状態で婚約破棄なんかしたらどうなるか、あいつら想像力ないな。情報規制していてもたぶん他国にも噂は届いているはずだ。結界を張ることのできる聖女はどこの国でもウェルカム、喜んで引き抜いてくれるだろう。
そのほうが良いかもしれない。今回のレイラは普通に笑うしよく喋るけど、自己肯定感は低いままだ。
「聖女様、お仕度は済みましたか?」
侍女がいるので俺も気軽に「レイラちゃん」と言えなくなった。まあ本来はこの距離感が当然なのだが、ちょっと寂しいぞ。
「はい、大丈夫です」
「失礼いたします」
部屋はあいかわらずの奥の陽当たりの悪い小部屋のままだ。鏡台は運び込まれたが華美な装飾があきらかに浮いている。侍女はレイラの後ろで控えていたが、うっすらと蔑んだ笑みでレイラを見ていた。
一瞬で頭に来たが顔には出さないようにしてなんとか笑ってみせた。
「お綺麗ですよ。先日の成人の儀の衣裳も綺麗でしたけど、今日のドレスは別格です」
「そうですか? ありがとうございます」
今日のデビュタントに用意されたレイラのドレスは白というのは合っているが、デザインは一昔前に流行したものだ。ここまでするか。一生一度のデビュタントだぞ。レイラのなにがそこまで憎いのかわからんが、なにも持っていない、お前らよりずっと国の役に立っている聖女にそこまでするのか。
ふと見ると裾のところに幸福を意味する鈴蘭の刺繍がされてあった。基本は無地の白に宝石やらレースやらを付けると聞いている。針子のせめてもの気持ちなのだろう。聖女用のドレスだと知っているのだ。
悔しかったんだろうな。気持ちがわかる。自分の仕事に誇りを持っていれば、自分の仕事の成果を嗤われるために作らされるのだ。せめてレイラに喜んでもらおうとしたのだ。
「……よく、お似合いです」
自分の見栄なんかじゃなくて、みんなの気持ちが込められたドレスこそレイラにふさわしい。古風といえるデザインは小柄なレイラによく似合っていた。本心から褒めると目を丸くし、頬を染めてうつむいていた。普通の女の子だ。
「王城までは私がご案内いたします。王太子殿下がエスコートしてくださるそうですから、こう、腕に手をかけて、殿下に遅れずに進んでください」
「はい」
レイラは今日までずっと祈るばかりで作法なんて習っていなかった。ダンスなんてもってのほかだろう。
「……私は次の間に控えております。どうか気を強くもって。ご武運をお祈りしています」
「……? はい」
綺麗なドレスに気持ちがふわふわしているのか、レイラは上の空だった。これから墜落させられるのわかって手放すのほんと辛い。
王城ではガルナスが同じく白いタキシードで待っていた。クソ、この顔か、顔が良いのか。顔に全振りしてんじゃねえよ、もうちょっと性格にも良いところ作っとけや。
そっと近衛騎士に目配せすれば、わかっているとうなずいてくれた。この日のために、俺頑張った。無事に済めばそれが一番良いが、どうやらそれは叶いそうにない。
控えの間に行くと聖女の騎士が来たことで注目が集まった。女官や給仕たちがささっと動き、貴族の侍従や侍女から遠ざけてくれた。
「号外の準備はできてる」
そっと囁いてきたのはドリンクを持った給仕だ。貴族の侍従や侍女はともかく、王城に仕えている彼らは聖女に同情してくれている。貴族でもここまで違うのかと驚いた。
魔獣がいなくなったおかげで商人が各地を行き交うようになり、地方領主はずいぶん助かっていた。そういう子爵家や男爵家出身の者が王城で働いていたのだ。彼らもレイラに感謝している一人である。
もしも本当に王太子が婚約破棄をしたら、すぐさま真相が王都にばらまかれる手筈だ。いい加減、新聞社だって我慢の限界だ。上からの圧力で真実を報道できないなんて、舐めてるとしかいいようがない。俺が特ダネ持って新聞社を訪れれば、絶好の機会だと張り切ってくれた。
この場にいる新聞記者も、明日の朝刊には詳しく記事を書くだろう。二年間の鬱憤をぜひ晴らしてくれ。
ここまで長かったな。婚約破棄が避けられないとわかってからは、どう逃げるかに費やした。いくら同情して義憤に燃えても、民衆は弱いのだ。一時匿ってもらってもいずれ権力に屈するだろう。聖女か家族かと迫られたら、誰だって家族を取る。
「フリックさん……!」
バン! と扉が開いて、近衛騎士に囲まれたレイラが泣きながら走ってきた。せっかく綺麗にしてもらった髪はぐちゃぐちゃ、頬を張られたのか赤くなっている。
「聖女様、なにがありましたか」
レイラは俺に縋りついて泣きだし話にならない。近衛騎士に顔を向けると、悔しそうに答えた。
「婚約を破棄された。公衆の面前でだ! 我が王はなぜあのような暴挙をお許しになるのか、理解に苦しむ」
「追放を言い渡されたか?」
「ああ。王城から出ていけとな」
近衛騎士の憤懣やるかたない叫びに控えの間がざわめいた。前回冷たくレイラを突き飛ばしていた近衛騎士が、レイラのために怒っている。俺はそれに満足した。
「よし!」
レイラの肩を摑んで顔を覗き込んだ。化粧が涙で剥げてひどい顔だ。
「レイラちゃん、お家に帰ろう」
「……ふぇ?」
「王城から出ていけって言われたんだろう? もう、お家に帰ってもいいんだよ。祈ることなら家でも、村の教会でもできる」
レイラが泣き濡れた瞳でじっと見上げてきた。
「ほん、とに? 帰っていいの?」
「こんなところにいる必要はないよ。レイラちゃんを大切にしてくれるところに帰ろう!」
断言してやれば、さらに大きく涙を零した。
「かえ、るっ。お家に帰りたい……っ。お父ちゃんとお母ちゃんに会いたいよぅっ」
その言葉を待って、レイラを抱き上げた。「後は頼んだ」と言い捨てて走り出す。レイラには申し訳ないが姫抱きして走るのは無理だったので、肩に俵担ぎさせてもらった。
そのまま騎士団の詰め所に行き馬を一頭拝借する。レイラを前に乗せて、俺も乗った。
「あ……っ」
遠ざかっていく大聖堂に我に返ったのか、レイラが泣き止んだ。
「フリックさん、あたし戻らないと。神官様に怒られる」
「あの大聖堂は王城内にある。王命に背くことになるから戻らなくていいんだよ」
「でも、フリックさんが!」
俺の心配をしてくれるのか? やさしいな、俺にそんな価値はないのに。
「大丈夫。こんなこともあろうかと、ちゃんと準備しておいたんだ」
なにも聞いていないのか、止めようとする門番を振り切って王城を出た。
「聖女が婚約破棄された! 王城から追放だ!」
門を出たところで聖女を祝うために集まっていた人々に教えてやる。レイラは唖然としていたが、次の瞬間湧いた人々に辺りを見回した。
「おめでとう!」
「聖女様、おめでとうございます!」
「どうかご無事で!」
「聖女様、お幸せに!!」
「おめでとう!」
「聖女様、おめでとうございます!!」
集団が道を開けてくれる。レイラを見上げる人々は口々におめでとうと叫び、幸せにと叫んだ。
「レイラちゃんが守った人たちだよ。みんな、レイラちゃんに感謝してるんだ。王や教会なんかじゃない、レイラちゃんがこの国を守ってくれていることを、みーんな知ってるんだ!!」
レイラちゃんは人々の群れを見て、きゅっと唇を引き結んだ。そうだ、そうだよ。君の努力はけして無駄じゃなかったんだ。
聖女様、と叫ぶ人々に、レイラちゃんが叫び返した。
「みなさん、ありがとう……!」
瞬きの瞬間に落ちた涙が綺麗だな、と思った。もうこの子を泣かせるやつはいない。絶望させるようなやつは、みんなに袋叩きにされるだろう。
このまま一気に王都を駆け抜ける。入場門の門番は親父だ。二人分の食料と水の入った背嚢を受け取る。
「気をつけていけよ」
「これでも騎士だぜ? ちったあ息子を信頼しろよ」
「聖女様、いや、レイラちゃんか。こいつを頼むな」
「は、はい……っ」
王都の郊外まで出たところで、馬に身体強化の魔法をかけた。
「フリックさん、魔法使えたんだ?」
「騎士だからな、最低限の魔法は使えるぜ。野営で獲物狩って捌くのも得意だから安心していいぞー」
最低限とは、身体強化、水、炎、風、いずれかの魔法が使えることを言う。身体強化は瞬発力や体力の増強、水は野営に必須だし、炎は魔獣と戦う時遠距離攻撃ができる。風は魔獣の足音や気配を追うのに便利だ。俺が使えるのは身体強化と、水がちょろっと。一回につきせいぜい手の平一杯しか水が出せないが、それだけあれば充分だ。こまめに水筒に溜めておけば馬の分も間に合うくらいには使える。
「そういえばあたし、フリックさんのことなんにも知らないや」
「そうだっけ?」
「そうだよ!」
レイラが勢いよく顔を上げた。うん、ちょっとどこかで顔洗ったほうが良いかもしれない。
でも、それはまだ後でいいかな。
「なにが知りたい?」
「……なんで、フリックさん、なんであたしを助けてくれたの?」
ちょっと不安そうに、それでも縋るように見つめてくる女の子。髪も顔もぐちゃぐちゃで、ドレスだけが綺麗だった。ひどく不釣り合いなそれが可愛いと思ってしまう。
ゆっくりと安堵に浸った。長かったな。
「それ、言わなくちゃダメ?」
「言ってよ!」
「うん。それは――……」
それからどうなったかって?
本当に聖女が出ていったことに気づいた王家や教会が連れ戻せと言ってきたが、民衆がそれをさせなかった。号外が飛び交い、罵声が飛び交い、王太子を廃嫡しろ!! と、それはもうすさまじい有り様になったらしい。
民衆にとってレイラはすでに『俺たちの聖女様!』だったからな。奴隷のような待遇にも耐えて人々のために祈り続ける聖女様のけなげな姿に王家と教会はとっくに求心力をなくしていたのだ。なにがあっても平民はひれ伏すべきだなんて傲慢な態度だから嫌われるんだよ、ばーかばーか。
結局王家は国民に向けて婚約破棄を謝罪することになった。強引に聖女と婚約を結んでおきながら一方的に破棄した王家だと他国からも嗤われている。
ガルナスと浮気相手は人々に白い目で見られながら結婚した。いやー、なにしろ国中の貴族を集めた聖女のデビュタントでやらかしたからね、結婚するしかなかったらしいよ。各地にあった教会は民衆に囲まれ、聖女様と同じ清貧で暮らしてみろ!と脅されていた。大聖堂の連中はたいそう肩身が狭くなったようで、レイラを嗤っていた連中がげっそり痩せ細っていると親父からの手紙にはあった。
レイラ付きの侍女だった彼女は知らない。誰も消息を知らなかったし、ガルナスの浮気相手のところに帰ったのだろう。人を見下して笑うことの怖さを知り、反省していることを祈る。
え、レイラは?
レイラは故郷に帰り、家族との再会を果たした。教会が何度も王都に帰ってこいと言っても、もう二度と嫌だ、またあれをやれというのならお前らも一緒にやってもらうと強固に言い張り、拒絶した。教会が強硬手段に出るんじゃないかと民衆が見張っていたため力づくというわけにもいかず、祈りだけは欠かさずすると約束を取り付けて帰っていった。風の噂じゃ教会に寄せられる寄付金と国からの補助金ががくんと減り、連中は本当に清貧を余儀なくされているらしい。ざまーみろ!
レイラは国を出なかった。この国には味方がたくさんいる。助けてと言えば助けてくれる人がいる。それがわかれば充分だと笑って言った。
強い子だ。強くて、やさしい。聖女だなんてとんでもない存在になってしまったけど、どこにでもいる普通の女の子に戻ったのだ。
「レイラちゃーん、フリックさん帰ってきたぞー!!」
馬に獲物を乗せて村に帰ると、門番さんはいつもそう大声で知らせる。気恥ずかしいが、どうにも慣れた。わらわらーっと集まってきたのは村の子供たちと男衆だ。レイラは台所にいたのか、エプロンで手を拭きながら走ってきた。
「フリックさん、お帰りなさい! なに獲れた!?」
「鹿と兎だ。今日は肉祭りだぞ!」
わっと子供たちが舞い上がった。男衆が馬から獲物を下ろしている。
「メスか、もう血抜きしてあるな」
「ああ。兎は三羽しかいなかった」
「そろそろ冬だからな、助かるよ」
俺はレイラの村に住むことになった。騎士は廃業して、今は猟師をしている。この農村では肉は隣村まで行って買わなくてはならず、畑を荒らす鹿やイノシシが出ても猟師組合に連絡してから駆除してもらっていた。魔獣の可能性もあるため素人には無理だったのだ。
でも、俺なら身体強化の魔法があるし、野営にも慣れてる。レイラを守るのは家族に任せて、俺は森や山に猟に出ていた。獲物が取れるまで泊まり込みすることもある。今日は運が良かった。
「兎の毛皮で子供たちに冬服を作ってやれる。フリック様様だねぇ」
そう言ったのは近所のおばちゃんである。どこへ行ってもおばちゃんの生態はあまり変わらない。お節介で話好きで世話好きだ。
ちょいちょいとレイラを肘で突くと、レイラがぽっと頬を染める。
「鹿を捌くから、みんな鍋持ってきな。おっちゃん、水持ってきて!」
「あー、フリック兄ちゃん逃げたー」
「逃げたー」
「男ならしゃんとしろよ!」
鹿を担いで広場まで行くと、すでに村人がぞろぞろ集まっていた。
「親父さん、まだ認めてくれないのか?」
「レイラちゃんは十五歳になったばかりですからね、気長に待ちますよ」
「フリックさんが王都でレイラちゃんを守ってたんだから、そんなに怒ることないだろうに」
「あら、でも奥さんのほうは張り切って機織りしてたわよ。あれ、婚礼衣装じゃないかね」
「そうなのか? なら春だな! 良かったなフリック!」
「でもさ、教会で式を挙げるの? なんかむかつかない?」
「ちょいとフリックさん、ちゃんとレイラちゃんにプロポーズしなくちゃダメだよ!?」
村人たちは言いたい放題だ。貧しい農村で、村人は自分の名前さえ書けなかった。子供たちに教えるうちに少しずつ書ける者が増えていき、大人たちは子供に習っている。全員が全員の名前と顔を知っているのだ。こんな村で育って、よくレイラは教会の扱いに耐えたと思う。
王都からレイラを連れて逃げて来た時、どの面下げてという者とよく連れ帰ってくれたという者と半々だった。商人ネットワークとおかんネットワークのコンボでとっくに婚約破棄が知れ渡っていたからだ。特にレイラの親父さんからは旅の道中でレイラに手を出したんじゃないかと睨まれた。今でも娘をたぶらかす男と睨まれている。とほほ。
「もー、わかってますよ」
とりあえず手元に集中させてくれ。内臓切ったら肉が臭くなるぞ。
「もう二度とレイラちゃんを泣かせないって決めましたからね。約束は守ります」
ヒュー、と口笛が吹かれ、背中や肩を叩かれた。
顔を真っ赤にした、レイラが立っていた。
フリックとしては後悔と反省が大きいです。二度目なことを自覚してるので、自分がレイラに恋してることをずっと封じてました。だって、そんなのなんか卑怯じゃね? 一度目で助けなかったくせに、今さら。そう思ってました。
レイラが一度目のことを聞いたかどうかは想像にお任せします。聞いて許せる人と、許せない人がいると思います。
レイラはフリックのことをちゃんと好きです。言わなかったのは一応婚約してたから。ガルナスの顔は良かったので、会うたびに胸が高鳴るのを恋だと思い込もうとしてました。恐怖ですよ、それ。一種の吊り橋効果なのかな?
ガルナスと浮気相手、そして王家と教会は「平民の聖女ならなにしたって文句言わないだろ」という傲慢さがしだいにエスカレートして破滅。国は続きますが、聖女に助けられていた地方の貴族から離れていきます。こいつら謝ってないんですよ、一度目も二度目も。二度目は国民に向けて謝罪しましたが、レイラには一言も謝ってません。身分に胡坐をかいた者の結末です。
フリックは護衛騎士ですが平民なので貴族様のいる場所には入れません。近衛を味方につけたのはそのため。肝心の婚約破棄のシーンがありませんが、フリックその場に行けないんですよ……。ここ困りました。
お読みいただきありがとうございました!