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鬼 -逸話集-  作者: 江戸まさひろ
────の章
9/13

-嘘-

私は帰って来た!

 鬼の姿を認めた瞬間、太浪は身を(ひるがえ)して部屋から飛び出した。

 それは無意識の動きであり、太浪が意識して起こした行動だった訳ではない。

 鬼が食物連鎖の頂点であり、人間がただ狩られる側の存在でしかないことを、本能的に悟ったが故の行動だった。


 逃げなければ食い殺される──そんな現実が今、太浪を追い詰めている。

 いや、彼自身はまだ鬼が実在していたという現実を受け止めきれずにいたが……。


(嘘だ、嘘だ、嘘だ──!!!!)


 鬼がこの世に実在し、家族が皆殺しにされ、そして今度は太浪自身も食い殺されようとしている──それらの現実と絶望を彼は必死で否定しようとしていた。

 否定しなければ、生き残ろうとする気力すら残らなかったであろう。


 わずかに残る気力を振り絞り、太浪は暗い屋敷の中を走る。

 住み慣れた家のおかげか、不思議と暗闇の中でも壁などに衝突することも無く、玄関をくぐり抜けることができた。


 その直後、鬼は半開きになっていた玄関の扉を打ち破り、外へと飛び出してきた。

 その巨体には出入り口が小さ過ぎて、くぐり抜けることなどできなかったはずだが、それも破壊してしまえば関係無い。

 鬼の膂力(りょりょく)はそれを容易くやってのけてみせたのだ。

 そして鬼は獣じみた唸り声を上げながら、太浪の後を追ってくる。


「ひっ、ひいぃぃぃぃぃっ!!」


 凄まじい勢いで追跡してくる鬼の姿に、太浪は恐怖で意識を失いそうになった。

 だが、そうなってしまえば彼はそこで終わりだ。

 緊張の糸を限界まで引き延ばし、それが決して途切れないように心の奥底の、魂の端に結びつけるつもりで彼は食い縛った。


 次に太浪は道から外れ、森の中へと飛び込んだ。

 おそらく彼の単純な脚力だけでは、鬼のそれには敵わない。

 しかし、鬱蒼(うっそう)と木々が生い茂る森の中ならば、木が邪魔で鬼の巨体は素早く動けないだろう。


 太浪自身がそこまで深く考えていたかどうかまでは分からないが、それはこの生命の危機から逃れる為に、直感的に導き出した答えなのかもしれなかった。

 そしてその選択は正しかった。


 鬼は木々に阻まれて、その追跡の速度を鈍らせる。

 しかし、結局は一時凌ぎだ。

 その勢いは衰えることなく、木々をなぎ倒しながら鬼は執拗に太浪を追ってきた。


「待ぁぁてぇぇぇぇぇぇぇ!!」


(こっ、このままじゃ……!!)


 ──追いつかれる。

 太浪のそんな危惧は、その直後に現実となった。

 鬼は大きく跳躍し、木々を飛び越えて太浪の眼前へと落ちてくる。

 こんな馬鹿げた運動能力は、獣でも持っていない。

 ましてや人間の身体能力では、逃げ切ることなど不可能だ。


 だから目の前に立ちはだかる鬼の姿は、太浪にとって運命の流れを塞き止める壁だった。

 絶望と死を体現した壁だった。

 触れればその命はここで終わるだろう。


 その絶望と死が、太浪に向けて手を伸ばしてきた。

 掴まればそのままくびり殺されることとなる──そんな結末は、この状況を拒絶したい気持ちで一杯の彼にさえ容易に想像できた。


 そんな鬼の手がゆっくり、ゆっくりと、まるで太浪の脅えを楽しむかのように、その恐怖を少しでも長引かせるかのように、緩慢に迫ってくる。

 しかし、最早逃走は無意味であった。

 鬼の身体能力の前にしては、人間の力で抗うことなどできはしない。


 ──できないはずだったが、


「うわぁああああああーっ!!」


 恐怖が頂点に達した太浪は、その手で鬼の手を払いのけた。

 いや、鬼の手が鬼の手を払いのけた。


「えっ!?」


 鬼の手──まさにそうとしか見えないほど太浪の右腕は肥大化していた。

 それが自らを捉えようとしていた鬼の腕を、軽々と弾いていたのだ。


「なん……?」


 太浪は訳も分からず自らの腕を凝視する。

 何故見慣れていたはずの腕がこんなことになっているのか、その答えは今夜彼が見聞きしてきた物の中にあった。


 だが、それを認める訳にはいかない。

 認めてしまえば、どのみち彼の人生は終わってしまう。

 そう、人としての生は──。


「嘘だ、嘘だ、嘘だ……!」


 と、頑なに目の前の現実を認めようとしない太浪に、鬼は無情にも真実を告げる。


「なんじゃ……ワシと同じことをやりおったお仲間じゃったか……」


「嘘だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!!」


 それは太浪にとって、死よりも深い絶望であった。

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