-鬼-
(え……?)
老婆の話に太浪は衝撃を受けた。
鬼が人間の生活の中に潜り込む──つまりそれは、身近な人間の中に、正体が鬼である者がいるかもしれないということだ。
そしてそんな人物がもしも本当に存在するのだとしたら、彼にはたった一人だけ心当たりがある。
それは数十年前、実際に鬼に遭遇したことがあるという目の前の──。
そんな恐るべき推測に戦く太浪の前で、老婆の話は更に続く。
「……鬼は若い人間の娘を捕まえ、そいつを食った。
その際に記憶と姿を奪い、自分が鬼であることも忘れ、その娘として人間達の中にまんまと紛れ込んだのさぁ。
それから数十年の時間が流れ、人間の生活に飽きてきたワシは自分が何者なのかを思い出した……!」
「ひ……っ!」
太浪はよろけながら後退る。
明らかに老婆の気配が変わったからだ。
それは最早、老婆では──いや、人の物では無かった。
事実、年老いて弱々しかった老婆の顔は、まさに鬼気迫る物へと豹変していた。
微かな蝋燭の光を照り返す双眸は、獲物を狙う野獣の如き凶暴な情念が込められているようで、それ自体がギラギラと輝いているようにも見えた。
それが脅える太浪の姿を睨め上げる。
「……だが、ここを立ち去る前に、ワシの話を信じず、散々疎んじてきたこの家の連中を食い殺していこうと思ってなぁ……。
太浪や……最後の一人となったお前の帰りを、ここで心待ちにしておったよぉ……!」
(こ、ここで……!?)
老婆の──いや鬼の、恐るべき告白の中に、太浪は聞き捨てならない言葉を聞いた。
鬼は太浪の帰りをこの家で待っていたという。
ならば彼が遭遇した、あの霧の中の存在は一体──。
だが太浪は、その事実を鬼に問い質すことができなかった。
目の前にいる存在に対する恐怖で、些細な疑問は瞬時に消え去ってしまったのだ。
無理もない。
今、太浪と相対する老婆の姿は、大きく膨らみつつあったのだから。
かつては見下ろすほど小さかったその姿は、いつの間にか見上げるほど大きくなっている。
着込んでいた衣服は破れ散り、その下からは年老いた女性の物ではなく、屈強な男性の裸体が現れた。
ただし、肌には赤味がかかり、所々に針金のように太い体毛が確認できた。
そして大きく裂けたような口には巨大な犬歯が生え、額にも一対の大きな角が──。
それはまさに、昔話の中で何度も聞いた、あの鬼の姿であった。
明日の更新は用事があるのでお休みします。