-灯りの無い家-
それから──太浪が暗い山の中を何時間も彷徨い歩いた結果、幸いにも山道を見つけることができた。
日没と同時に日常から外れ、御伽噺の世界に迷い込んでしまった彼であったが、ようやく元の世界へと立ち戻ることができたと言える。
「やった……! これで家に帰れる!」
太浪の身体はへとへとに疲れ切っていたが、家に帰ることができる目処が立った喜びで、それを忘れた。
そしてともすれば、鬼らしき存在に追われた時よりも勢い良く走りだす。
今はただ、この悪夢のような状況から抜け出したかったのだ。
やがて我が家の姿を認めた時、太浪は数十年ぶりに帰り着いたかのような郷愁を覚え、飛び込むように門をくぐり抜けた。
その違和感に気付くことも無く──。
そして屋敷の扉を開け放った瞬間、そこがいつもと違う我が家であることを太浪は知る。
中は真っ暗で、ひっそりと静まり返っていたのだ。
勿論、今が何時なのかを知る術は無いが、深夜であることは間違いないだろう。
普段ならば、家族達はみんな眠っているであろう時間帯である。
しかし、太浪が行方不明になっていたこの状況下で、それを無視して家族が床に着くことは勿論のこと、全員が捜索に出払っていることも考えにくい。
太浪がいつ地力で帰宅してもいいように、留守の者を残していくのが当然の判断であろう。
それにも関わらず、屋内には人の気配が無い。
その異様な様子に、太浪は一歩踏み入れた土間から、再び屋外へと後退る。
底知れぬ闇に包まれた家の中と比べれば、まだ月明かりの下の方が安心できた。
「なん……で?」
とはいえ、太浪は慣れ親しんだ我が家に対して、何故こんなにも大きな違和感と、そして恐怖感を覚えてしまうのか、全く訳が分からなかった。
ただ、そこに得体の知れない何かが潜んでいるような──先刻の霧の中で感じていた危機感と同様の物が、彼の全身を苛んでいることだけは間違いない。
だが、この屋敷の中に起こった異変の正体を確かめぬまま、この軒先で無為に時間を潰しても仕方がないし、もしも家族達が無事ならば、一刻も早く自身の無事も知らせたいと太浪は思う。
もっとも、朝まで待ってから知人の家に助けを求め、他の大人達と一緒に屋敷の中を確認した方が安全なのかもしれない。
だけど太浪には、湧き上がる嫌な予感をこのまま放置し続けることも辛かったし、何が出るのかも分からぬ山道をまた独りで歩くのも嫌だった。
早く家族との再会を果たさなければ、太浪にとって本当の安息は訪れないのだ。
だから彼は、目の前の屋敷の中で家族がまだ無事であるという、そんな僅かな可能性に賭けた。
しかし意を決して屋敷の中に踏み入った彼は、そこで家族に何らかの災いが降りかかったことを確信する。
先程は気が動転していて気が付かなかったが、改めて侵入した屋内には異様な臭気が漂っていたからだ。
それは太浪にとってよく知っているような、それでいて経験したことが無いような臭いであった。
いや──よくよく思い起こせば、家畜の鶏を食肉にする為に絞めて、血抜きした時の臭いに似ているような気がした。
ただし、その数倍は強烈な臭いである。
つまり、それだけ大量の血が流れたということなのではないか。
「父ちゃん!? 母ちゃんっ!? 姉ちゃんっっ!?」
太浪は堪らずに叫んだ。
だが返事は無く、そこには静寂があるだけだった。
堪らずにもう1度叫ぶ。
「婆ちゃん!?」
太浪にとって疎ましい存在の老婆であったが、今は誰でもいいから大人に頼りたかった。
すると──、
「……太浪や」
屋敷の奥から、老婆のしゃがれた声が聞こえてきた。
「婆ちゃん、いるの!?」
生きた人間がいる──その事実に太浪は喜色を顔に浮かべ、声がした方へと進もうとした。
が、そこは更なる深い闇が拡がっている。
「う……」
太浪は一瞬怖じ気付いたが、このまま独りで闇の中に留まり続けることも怖い。
覚悟を決めた彼は履き物もそのままに、屋敷の奥へと踏み入った。
そして暗闇の中、爪先で床を確かめながら進むと、何か濡れた柔らかい物体を踏む。
「ひ……っ!」
太浪は慌てて足を引くと、別の何かが足に当たる。周囲には何かが散乱しているようだった。
暗くてそれが何なのかは分からなかったが、太浪はそれで良かったと思う。
その物体の正体を今は考えたく無かった。
知れば正気を保てないような気がしたから──。
太浪は確信に変わりつつある悪い予感を無理矢理に振り払い、老婆が待つ闇の中へと進む。
先程まで彷徨っていた白い霧の中とは対照的な、黒一色の中を──。
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