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鬼 -逸話集-  作者: 江戸まさひろ
────の章
4/13

-鬼ごっこ-

「まいった……これじゃ道が全く分からない……」

 

 と、太浪は平静を装う為に 独りごちた。

 この霧に囲まれた状況は、老婆に聞かされ続けた鬼との遭遇談に似ている。

 しかし彼はその話を信じてはいない。

 いや、信じたくないと思っていた。

 

 ところが物心が付く前からさんざん聞かされ続けた話は、太浪の心の深い部分へ(おり)のように沈殿している。

 事実、彼がもっと幼かった頃は、鬼の話が怖くてたまらなかった。

 

 それでもまだ幼いとは言え、太浪には男子としての矜持(きょうじ)がある。

 だからこそ、過去の自分が感じていた恐怖心を恥と考える。

 そしてそれが故の、老婆への反発心だと言えた。

 

 だがこの状況においてまだ幼い太浪が、自身の持つ原初の恐怖心を克服することは難しい。

 太浪は霧で白色にしか見えぬ周囲を、キョロキョロと見渡した。

 それは何かの姿を探すかのように──いや、周囲に何者の姿が無いことを確認するかのように、焦りの入り混じった素早い挙動であった。

 

 しかし幸か不幸か、やはり周囲は白以外の色は何も見えず、太浪はまるで雲の上に浮いているかのような、不可思議な感覚に囚われる。

 そして──、

 

(オレ……もうあの世にいるんじゃないよね……?)

 

 そんな不安に駆られる。

 ただ、そんな状況はいつまでも変化せず、それだけは救いであった。

 

(なんだ、霧が深いだけか……)

 

 ──と、太浪が安堵しかけたその時、

 

 フシュウ。

 

 太浪はそんな呼吸音を聞いたような気がした。

 

 嘘だ、気の所為だ、そんなはず無い、嘘だ、あるはず無い、夢だ。

 そんな想いが太浪の頭の中を駆けめぐった。

 必死の否定である。

 しかし、無情にも──、

 

 フシュウ。

 

 再び聞こえる呼吸音。

 最早疑いようもない。

 太浪のすぐ近くに何かがいる。

 それを認めなければならなかった。

 

 しかし認めたところで、太浪にできることは何も無い。

 仮に呼吸音の(ぬし)が飢えた獣だった場合、彼は食い殺されることになるだろう。


 だが、もしも呼吸音の主が鬼ならば、老婆の話と同様に、鬼は勝手に何処かへと消えてくれるかもしれない。

 じっと身じろぎもせずに待っていれば、彼は助かる。

 

 ところがこの濃い霧では、相手の正体が分からない。

 また、正体が鬼だったとしても、太浪のことを見逃してくれる保証も無かった。

 そんな不確かな状態でただ待つことは、それこそ地獄のような苦しみである。

 

 そして不安な心は、悪い可能性を想像しがちだ。

 しかもそれが更なる悪い想像を呼び、際限なく膨れ上がっていく。

 それを太浪のような子供が、いや大人であったとしても耐えることは難しい。

 

 恐怖は太浪の鼓動を速くし、呼吸を荒くする。

 その音を太浪は、自分の物なのか、それとも霧の向こうにいる者が発している物なのか、全く判断できなくなっていた。

 

「う……!」

 

 この状況が続くことには、もう耐えきれない。

 だから太浪は逃げた。

 無心に、全力で、直走(ひたはし)る。

 

 だが、霧の向こうにいる何者かに害意が無いのであれば、その場に留まった方が安全だった。

 こんな視界も不確かな状況で山の中を走るのは、転倒や崖からの滑落、樹木などへの衝突など、致命的な結果を招く可能性が高い。

 まさに自殺行為である。

 

 しかし、霧の向こうにいる正体不明の存在に、あるかどうかも分からない害意に脅えるこの曖昧な状況は、太浪にとって生殺しであった。

 だから彼は逃げる。

 生きるにせよ、死ぬにせよ、早くそれを確定させなければ、彼の精神は耐えられそうになかったのだ。

 

 が、その選択は悪い方に転がった。

 太浪の背後からは、何者かが追ってくるような気配がある。

 彼の逃亡が、相手を刺激したのかもしれない。

 

「うっ、うあああああああああっ!!」

 

 堪らずに太浪は叫び、全力で逃げた。

 その頭の中は、ただ逃げたいという一心で、最早恐怖の念があるかどうかさえも分からず、ただただ白くなって行く。

 まるで周囲の霧に、意識すらも飲み込まれたかのように。

 

 ともかく、走るだけの存在と化した太浪は、山の中をひたすら駆ける。

 その背後に何かがついてきているのかどうか、そんな現実は今の彼にとってはもうどうでもよくなっていた。


 逃げるという行為に集中していなければ、太浪の心は粉々に砕けて、消え去りそうになっていたのだから──。

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