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鬼 -逸話集-  作者: 江戸まさひろ
悪夢の章
13/13

-消えた可能性-

 今回でこのエピソードは終わりです。

「私の所為じゃない、私の所為じゃない、私の所為じゃない──」


 譫言のように繰り返す妻。

 どうも鬼を恐れているような反応ではない。

 まさに自分自身が犯してしまった罪に、怯えているかのようだ。

 それは──。

  

「お前まさか……鬼の夢を見たのか……?」


 男は妻に問う。

 すると、妻は図星を突かれたかのように、大きく目を見開いて男を見上げた。


「ち、違うのよ。

 あんな夢の約束、現実になる訳がないじゃない。

 だって夢だもの……夢なんだものっ!!」


 そんな妻の言い訳を聞きながら、男は理解した。

 妻は自身の命惜しさに、娘を鬼へと差し出すことを約束したのだ。

 だから今、娘は連れ去られた。


(俺は娘を差し出さなかったのに……!!)


 怒りがわいた。

 男は自身の命が奪われる可能性と天秤にかけて、結局は娘を鬼に差し出すという選択を選べなかった。

 それが夢だからと侮っていたからというのもあるが、鬼の姿を現実に見てしまうと、実際には命懸けの選択だったのかもしれなかった。

 今彼が無事に生きているのは結果論に過ぎず、鬼の気まぐれか何かで見逃されただけなのかもしれないのだ。


 それでも男は娘を守った。

 なのに、それが無駄に終わった。

 男が命懸けで守った娘は、妻の保身によって失われたのである。

 これが怒らずにいられるだろうか。


「お前っ、ふざけるなよっ!?

 俺がどんな想いで、あの夢に耐えたのかっ!

 それなのにお前は……っ!!」


「ひぃっ!

 ご、ごめんなさいっ!

 ごめんなさいっ!!


 男は妻を蹴り上げる。

 妻は頭を抱えて身体を丸め、身を守る姿勢に入ったが、男は構わずに蹴り続けた。

 このままでは取り返しのつかない結果を招くかもしれなかったが、男の怒りはそんな可能性を頭の外へと追いやっていた。


 今の男にとって、悪いのは妻の方なのだ。

 これは受けるべくして受ける罰だと思った。

 だから男は、妻をひたすらに蹴り続けた。



 マンションの屋上で、鬼は赤子を見下ろしている。

 赤子は気を失っているのか、既に泣き止んでいた。


『クックック……貴様の両親は、遅かれ早かれああなっていただろうて……」


 まるでその場で見てきたかのように、鬼は夫婦の間に行われている凶行を嘲笑う。

 鬼には遠く離れた場所を──あるいは人の運命そのものを見る力があるのだろうか。


『あの夫婦の元では、どのみち貴様は幸せになれなかっただろう。

 ならば我が物になっていた方が、少しはマシかもしれぬなぁ?』


 鬼が赤子をどうするつもりなのか、それは分からない。

 喰うつもりなのか、それとも別の目的の為に生かすのか、それは鬼のみぞ知ることであった。


 ただ、赤子はもう、人間の世界では生きられない──それだけは間違い無かった。



 


「──という感じの話なんだけど?」


 と、作家は担当編集者へ、次回作となる短編の構想を語った。

 売れない作家が、久しぶりに提出したプロットである。

 しかし担当は、


「……オチが弱くありません?

 もっと衝撃的な展開とかは、無いんですかね?」


 と、難しい顔で唸る。

 それに対して作家は、


「でもこれ、半分実話だしね。

 ネタに困って苦し紛れに出した、俺の体験談」


 そんな不可解なことを言い出した。

 それに対して、担当は眉根を寄せる。


「え? でも、先生は独身じゃないですか?」


「うん、だから夢の部分だけが実話なの」


 そんな作家の言葉に、担当は苦笑いしながら問う。


「え……先生はなんて鬼に答えたんですか?」


「それは小説の通り、途中で目が覚めてよく分からないんだ。

 ただその所為か、それっきり子供が欲しいとも、結婚したいとも全く思わなくなっちゃった。

 もしかしたら、そういう未来の可能性を、鬼に捧げちゃったのかもねぇ……」 


 さすがにその言葉を聞いて、担当は少し気味悪そうにしていた。

 人の未来の可能性を喰う鬼とは、穏やかな話ではない。

 実在するかもしれないとなれば、なおのことである。

 だがそれだけに、


「じゃあ、今の僕たちの会話をオチにしましょう。

 変な後味の悪さが残って、読者の印象に残るかもしれません」


「そうだね」


 ネタになるのならば、使わない手は無いのである。

 もしかしたら、作家は大きな可能性を犠牲にしているのかもしれない。

 しかしだからこそ、転んでもただでは起きない。

 そんな人間の業が、ある意味では1番怖い──



 と、窓の外から呆れたような表情で2人を見つめている少女がいることには、ついぞ誰も気づくことは無かった。

 その少女は、どことなく作家に似ていたという。


                       悪夢の章──完。

 つまり夢の部分だけは、私の体験談で半実話。まあ、その夢にでてきたのは、鬼ではなく熊でしたが。そして丁度昨日も、地元が十数頭の熊の大群に襲撃されるという夢を見た(笑)。

 ともかくこれでこのシリーズは一旦休眠します。次のエピソードの構想はありますが、書くのは来年になるでしょうしね。それではまた。

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