-むかしむかし-
このエピソードは今回が最終回です。
鬼は嘲笑う。
この皮肉めいたことの成り行きを。
「くっくっく……。
ワシが人間をやめたその夜に、人間になろうとしたお仲間がいるとはな……。
神か仏かは知らぬが、意地の悪い運命を用意したものよ。
所詮、この世は奴らの遊び場か……」
鬼にとっては獲物を1つ食い逃す結果となったが、長い鬼の寿命の中でも1度あるかどうかの希有な体験に、彼は心を躍らせた。
この記憶があれば、今暫くは退屈な生を紛らわせることができる。
だがその一方で、太浪の人生は終わるかどうかの瀬戸際にあった。
何かが──太浪にとっては相容れない何かが、記憶の奥底から蘇りそうな感覚。
それを彼は必死の想いで、深い記憶の底へと封じ込めようとしていた。
「僕は鬼じゃない!
そんなはずは、ないっ!!」
大粒の涙を目から溢れさせながら、煩悶する太浪。
しかし鬼は、彼のそんな苦悩を意に介さず、その広い背を向けた。
彼にとっては同族であったとしても、所詮は他人事であるらしい。
それでも同族のよしみか、鬼は去り際に言葉を残す。
「……そのまま人間を続けるも、元の姿に戻るも貴様の好きにするがいい。
が、そのままではどちらにもなれぬぞ?」
そんな鬼の忠告も太浪の耳に届いたかどうか、彼はただひたすらに慟哭を続けていた。
鬼が姿を消し、やがて朝日の光が太浪の異形を照らし出す頃になっても、いつまでもいつまでも……。
「僕は鬼なんかじゃないんだっ……!!」
昔々その村は、とある一家全員が惨殺されるという事件に震撼したという。
原形を留めぬほど体が引き裂かれるというその異常な手口に、村人達は口々に「人の仕業ではない」と噂した。
しかも奇妙なことに、その家に居たはずの幼い男の子──太浪の遺体は見当たらなかった。
家族の遺体はバラバラに引き裂かれており、欠損している部位も少なくはない。
それが故に、どれが誰の物なのかを見分けることは難しかった。
太浪の遺体が見当たらないのも、つまりはそういうことなのではないか……と、推測する者もいた。
実際、他にも居候の老婆の遺体も見つかってはいなかったが、破れた衣服が散乱していたので、遺体はバラバラに引き裂かれて他の遺体の中に混ざってしまったのだろう……と判断された。
ただ、明らかに小さな子供の物と思われる身体の一部や、引き裂かれた衣服などを確認できた者は、ついぞ現れなかったという。
だから村人達の中には、太浪がまだ生きているのではないか……と、考える者もいた。
さすがにあの喰い散らかされたような家族の遺体の有様を見れば、太浪が家族を殺め、そして何処かへ身を隠したのだと考えることには無理がある。
しかしあるいは、太浪が襲撃者から奇跡的に逃れ、今も何処かの土地で生きている──そういうことならばあり得るのではないか……と。
事実、それから十年も過ぎた頃、深い山奥で太浪の姿を目撃したという若者が現れた。
しかもその若者が言うには、太浪の姿は行方知れずになった時と同じ年齢のままだったという。
有り得ない話だったが、若者は太浪と一緒に遊んだこともある仲だったので、見間違うはずは無かった。
その若者は太浪に呼び掛けたが、彼は一定の距離を置いて近寄ろうとはせず、ただ悲しそうな目で若者を見つめ続けるだけだった。
なにか村へ帰れない理由が──若者に近づけない理由が太浪にはあるらしい。
それは太浪の額に、角のような物が生えていたことに関係しているのかもしれないが、若者にはそれが何を意味しているのかまでは理解できなかった。
やがて太浪は、無言のまま深い山の奥へと姿を消した。
そしてそれから数十年の間、太浪の姿は何度も目撃され続けたという。
だが、太浪が人里に帰ることは、もう二度となかった。
そんな太浪のことを村人達は、何者かに喰われて成仏できぬ太浪の魂が迷い出たのではないかと噂したが、それはある意味では正しかったのかもしれない。
結局太浪は、己が身に起こった現実を受け入れることができず、人として生きることも、鬼として生きることも選ぶことができないまま、この数十年間迷い続けているのだから──。
なりすまし鬼の章──完。
最後までありがとうございました。この作品は一旦完結設定にしますが、今『鬼』シリーズの新作を執筆中なので、ブログに公開した後、秋頃にこちらへも投下したいと考えています。暫くお待ちください。
それまでは別の作品の連載を始めるので、そちらも楽しんでいただければ幸いです。今度は前作の『神殺しの聖者』や本作のような重い内容ではなく、軽めの異世界ファンタジーという感じの話になります。




