牽制
自転車で走り去る倉敷とは反対方向の駅へ向かいながら、白亜はぽつりと私に訊く。
「倉敷くんと何話してたの?」
その声色は平素の朗らかさが欠け落ちているように聞こえて、私は反射的に焦った。何をと訊かれて真っ先に思い出したのは、倉敷が白亜を好いているということ。だけど倉敷がいくら嫌な奴でも、それを白亜本人に伝えるほど私は無粋じゃない。それ以外には倉敷に腹を立てたことしか覚えていなかったので、私は会話の逐一を思い出すために返答が遅れた。
「別にこれといっては……ええと、白亜と委員会が同じだったとか、どんな本読むのかとか、そんな感じ」
「ふうん……」
少し意外そうに、そんな相槌が打たれた。私はそれを見て、中学の時に私が男子の関心をさらってしまった時の女子の反応を思い出した。やばい。今私が言ったことは、倉敷が私と話すために、口実として白亜を使ったと受け取れるかもしれない。白亜には嫉妬されたくない。というか倉敷が好きなのは白亜なんだから、嫉妬される筋合いはない。別れた後までしこりを残すなんて本当になんて嫌な奴なんだろうと、私は嫉妬してるかもしれない白亜よりも倉敷にまた腹を立てた。
「あと、白亜がこの本屋のこと話してたから今日来たって言ってたわ」
「そうなんだ」
ああ、こういうフォローを入れなくちゃならないから男が絡むとろくなことがない。白亜も人並みに女なんだと現実を見せつけられた気分だ。でも白亜なら許せる。そんなことで嫉妬しちゃうなんて可愛いとまで思える。どうしてこんなに全部可愛いのかわからないくらい可愛い。
……でも。
(でも、ナンパ男は平気だったのに)
ほと、とそんな思考が落ちる。そして何故か、その次を考えるよりも先に声が出た。
「……あの人と仲良いの?」
悪い予感があったのに、私は訊いてしまった。よくよく考えれば、見知らぬナンパ男と、中学の時に委員会が同じだった男子が、白亜にとって同じはずがない。だけどそんな理由で収まるはずがないと直感が頭を揺らす。白亜は少し考えた後、小首を傾げながら言った。
「どうかしら、特別仲良かったわけじゃないけど……でも中学の時に、女子で話すのはほとんど私だけだって……」
尻すぼみになっていく言葉と共に、白亜は恥ずかしそうに俯いた。耳まで真っ赤になっている白亜を見て、倉敷にどうして白亜が好きなのかを訊いた時の奴の反応を思い出した。倉敷も今の白亜と同じような反応をした。
盲目になっていた目が、不意に現実の色を捉えたみたいだった。シャボン玉がぱっと割れるみたいに、突然。
(え……何その反応)
そう驚いている自分に、なんて鈍いことを考えているんだろうと呆れる。そしてそれ以上に、やっぱりと思う。
ざわざわと胸の中で枝葉が揺れる音がする。今日はこんなに蒸し暑いのに、春爛漫だった私の心は夏をすっ飛ばして寂しい風が吹いた。瑞々しかった緑を枯らせて葉が落ちていく。
(両思いなんじゃない)
ああ、仲良くなりたい子に、自分よりも親しい人がいる時の疎外感ってこんな感じなのかしら。私は自分が渦中にいながらも、どこか蚊帳の外に追いやられていた小学五年生の時の大喧嘩を思い出していた。
倉敷のこと好きなの? とは訊けなかった。
だって、今まで私は忘れていたけれど、女の子は普通、男の子を好きになるものなんだから。
私は傲慢にも、取られたと思った。小学生の時に友達から我が物づらをされて嫌な思いをしたというのに、私は白亜を自分のものだと思っていたのだ。
その後私たちは駅から少し離れた雑居ビルで雑貨屋やCDショップなどのテナントを回りながら、あの本屋に並んでいた作家について話した。その時倉敷の話は一度も出なかったけれど、私はふとした瞬間に倉敷のことを思い出しては、胸の奥を無遠慮にかき回されるような気分を味わっていた。
その日から、白亜のことが好きと思う度に、私の中では倉敷の存在がよぎるようになった。静電気みたいに見えるか見えないか程の小さな閃光のくせに、それは私の心にブレーキをかけて、盲目的に白亜を恋しく思う私を押し留めるのだ。