梓弓の老少将後日譚~大生苗国廻神退治3~
「あげ?」
「うお?」
「あっ?」
後頭部から貫徹矢で額を抜かれた異形が奇っ怪な表情で驚きの声を上げて倒れると、他の異形達が驚く間もなく再度三本の矢が放たれる。
今度は娘を驚かせようとその身体を揺さぶったり小突いたりしていた3体の異形が相次いで顔を射貫かれ悲鳴を上げて倒れた。
ようやく酔いの回った頭でも何が起こっているかを悟った異形、廻神達は怒声を上げる。
「なにをするかああああああああああ!」
怒り狂って長持から現れた武人、弓矢を構えた梓弓行武に向かう廻神だったが、近付く前に相次いで行武の放った威力のある矢を受けて吹き飛ばされる。
「嗚呼嗚呼嗚呼ア梓弓ぃぃぃ!!?」
廻神は仲間の1人の心臓に突き立った矢の柄を見て怖気を振るい悲鳴を上げた。
その声を聞いた廻神達は、いきり立っていたのが嘘のように一気に遁走に掛かる。
「逃がすものかよ」
しかし行武は落ち着いてそう言うと、一番遠くへ達した廻神から順番にその後頭部を正確に射貫いていく。
強い弦鳴りの音が一頻り立て続き、やがて静寂が訪れる。
「御祖父様」
人身御供の娘に扮していた沙雪が思わずそう言い、腰の上から立ち上がる。
「口を利いてはいかん!」
「えっ?」
行武の制止も間に合わず、沙雪が驚きの声を上げる暇に近くに倒れ伏していた廻神の一体が飛び起きると、声を出した沙雪の細い首に分厚い手を掛けて吊り上げた。
「ふうふううふう、梓弓のお出ましとは……油断油断、う?この匂い、梓弓の娘か、これは馳走じゃな」
首を締め上げつつ沙雪の匂いを嗅いだ廻神が歯を剥いて喜ぶ。
「あああっ!?」
悲鳴を上げた沙雪を見て行武がとっさに弓矢を構えると、廻神は慌てて自分と行武の間に沙雪を吊り上げたまま射線上にかざした。
「……猿猴めが」
「危ない危ない、梓弓に知られたからには退散せねば……娘は貰うてゆく」
後ずさる廻神。
倒れていた廻神の中にも何体かは死を擬態していたものがいたようで、ゆっくりと沙雪を掲げた廻神の回りに集まり始める。
「うっ……」
「実に美味そうな梓弓の娘よ……」
べろりと沙雪の頬を舐め上げた廻神が醜悪な笑顔を浮かべるのを見た行武のこめかみに青筋が浮かぶ。
しかし行武の鏃の動く先を読んで沙雪を掲げる廻神に隙は無い。
沙雪は完全に首が絞まってしまわないよう必死に自分の手を廻神の手の平に喰い込ませているが、力の差は圧倒的。
沙雪の顔が次第に赤黒くなり、うめき声が切れ切れになってきた。
行武がすっと弓矢の狙いを下ろすと、沙雪を吊り上げている廻神がにたありと顔を歪めた。
「さすがの梓弓も諦めし……ああ愉快、愉快」
「さあて、のう」
しかし行武はそう言うと不敵な笑みを廻神に向け、目にも止まらぬ素早さで鏑矢を矢筒から抜いて天へと放つ。
一瞬の早業にさすがの廻神も反応できず、甲高い音を立てて飛翔する鏑矢を見上げて天を仰いだその時、鎮守の森の周囲から喊声が上がった。
「死ねエエ化け物!妹の恨みを晴らしてやらあ!」
「娘の仇だ!」
「妻を……妻の無念をっ!!」
驚く廻神達に、居津村の男衆が鍬や鋤、竹槍を手に襲い掛かる。
例の如く酒に酔ってふらつく廻神達であっても、男衆の武器は当たらないが、廻神達も狙いが定まらず拳を男衆に当てられない。
「えやあああ!!」
大古真彦は男衆と廻神の混戦をかい潜り、鋭い竹槍を中央にいる廻神に突き掛ける。
「ぬ?」
慌てて大古真彦に向き直ろうとした廻神が一瞬、行武の存在を忘れた。
きらり
神術でも使ったかのような業前で行武の手に現れた矢が、がつんという弓なりの音と共に放たれ、沙雪の首に掛かっていた廻神の腕を貫き、その右目を貫通した。
「油断大敵じゃの」
力が抜けた腕から解放された沙雪が地面に落ちると同時に激しくむせ込んだ。
そして喘ぐように息を吸うのを見て取り、行武は安堵の息を小さく吐くと、村人に気を取られている廻神の脳天に狙い過たず矢を放ち、止めを刺していく。
この世のものとも思えない絶叫を上げて倒れる廻神達に、居津村の男衆が手にした得物で容赦なく殴りかかる。
既に命を失った廻神に抵抗の力は無く、あれ程当たらなかった攻撃が当たるのを知り、男衆の目が血走った。
「沙雪、済まんかったの。大事ないか?」
「お、御祖父様……大丈夫です」
沙雪を助け起こしてその背中をさすりながら、廻神を思うさまに殴りつける男衆を見て行武は悲しげな表情でつぶやく。
「悲劇の数と深さ故に怨みは強かろう……もう少し早くこの地に来ておればの」
瑞穂歴515年 夏月20日 北進道・大生苗国居津良郡、(おおなわこくいつらぐん)・居津村
「もう行ってしまわれるのですか?」
「うむ、これでも大分長居させて貰うたからの、居心地が良すぎて居着いてしまってはまずいわい」
大古真彦の言葉にそう答えた行武は笑うとその頭に手をやった。
「よう頑張ってくれたの、お主こそこの村の救世主にして廻神退治の武功第一じゃ」
行武の褒め言葉に面映ゆそうな顔で笑みを浮かべる大古真彦。
沙雪を人身御供に見せ掛けて廻神に酒を飲ませ、長持に潜んだ行武が弓で射倒す。
そして、頃合いを見て村人が村の鎮守を包囲して廻神に止めを刺す。
この絵図を描いたのは勿論行武であった。
途中沙雪が人質に取られてしまうという誤算はあったが、それも行武の機転で切り抜けることが出来た。
廻神を退治し尽くした後、居津村の村長から国衙に廻神を退治したことを報告する使者を出した。
国司はすぐに兵を率いて居津村にやって来たが、彼らはただ廻神の遺骸を引き取っただけだった。
国司から居津村には廻神退治の功を讃えて褒美の銭と米が与えられ、また廻神の被害に遭った家族にも米が与えられると共に租税が二年間免除された。
廻神の遺骸は国司の手で検分され、最後は朝廷に報告する際に京府へ送られることになっている。
行武と沙雪は村人たっての願いで居津村に逗留することになったが、その素性は国司や国兵には隠し通した。
「沙雪もようやってくれた」
「いえ、少し怖い思いもしましたが……」
行武のいたわりの言葉に沙雪は微笑みを返す。
その首には未だくっきりと廻神の手形が残っている。
手形を痛ましそうに見ながら、行武はふと気付いたように言う。
「……そう言えば、今日は霊祭の送日じゃのう」
「はい、今日うちの姉も黄泉へ送ります……」
大古真彦は寂しそうに姉の今永比米の木で出来た人形を握って言う。
「左様か、しっかり送ってやるが良い」
「……きっとお姉様もあなたの無事や村が救われたことを喜んで下さっているわ」
行武と沙雪はそう言うと、大古真彦の頭や肩を触って元気付ける。
大古真彦が泣き笑いの顔を見せたのに笑顔を返し、行武と沙雪は踵を返した。
「姉ちゃん……ごめんな、俺が強い武人をもっと早く連れてくれば姉ちゃんは……」
行武を見送った後も、村境で佇んでいた大古真彦が、暗くなり始めた帳を見てぽつりとつぶやく。
涙が頬を伝い、嗚咽を漏らしながら崩れる大古真彦の背中に温かい光が触れた。
「えっ?」
驚く大古真彦が顔を上げると、光に包まれた今永比米が宙に浮かんでいた。
「ね、姉ちゃんっ」
感極まって叫ぶ大古真彦に、今永比米は生前と変わらない優しい笑みを向けて言う。
『ありがとう大古真彦……あなたがあの方を……を居津村に連れてきてくれた……廻神を退治してくれたから、私たちは黄泉路を歩める』
そう言いつつ今永比米が見た方向、居津村の方を大古真彦が見れば、人身御供を出した村の各家から淡い光の人型が現れた。
そしてゆっくりと近付いてきた。
「あああ……み、みんな」
それは誰も彼もが人身御供として捧げられた娘達の姿をしている。
その中には廻神に殺された矢津麻呂の姿もあった。
不思議なことに全員が笑顔を浮かべている。
『大古真彦、気に病まないで。梓弓行武様と梓弓沙雪様のお陰で廻神の呪いが解かれてみんな黄泉路へ行けるようになったの』
そう言う今永比米や娘達のぼんやりとしていた輪郭が更にぼやける。
涙を流しながらただ立ち尽くす大古真彦に再度優しい笑顔を向け、今永比米は目をつぶった。
もう行かなければならないわ……
最後に今永比米の声が聞こえて不思議な光はすっと静かに消え失せ、後には村境の夕闇に大古真彦だけが残されていた。
しばらく村境に今永比米の人型を握りしめたまま立ち尽くしていた大古真彦。
そして今永比米の残した言葉を思い出してつぶやく。
「……あの方が、梓弓の老少将様だったのか」
暑さが少し和らぐ夕刻。
蜩が優雅に、それでいて煩く鳴き続ける山道。
汗を手巾でぬぐいながら、行武はちらりと来た道、つまりは居津村の方を見た。
「返す返すも悔やまれるわい」
「そのお気持ちはよく分かりますが……仕方なかったのではありませんか?犠牲が出たことを悼む気持ちは忘れてはならないと思います。それでも村が全滅する前に廻神を退治できたのですから、救えた命もあると思うのです」
無念そうにつぶやく行武を沙雪がそう慰める。
「それはそうなんじゃが……こう、のう?」
行武としては沙雪の言葉も理解は出来るが、廻神が出没している事を知った時点で身分を明かして国衙を動かすという方法も採れなくはなかったという思いがあるのだ。
しかしそれは既に退官した身である以上、僭越の誹りは免れない行為でもある。
「うむむむ、この歳になって新たな悩みを抱えるとは。気楽な楽隠居の旅路であったはずなのじゃが……」
「良いではありませんか。人助けの旅となるならば」
「まあ……そうなんじゃがな」
微笑みを浮かべて自分を励ましてくれる沙雪に、行武は無念さを残しつつも少し面映ゆいものを感じ、苦笑いでそう応じるのだった。




