梓弓の老少将後日譚~大生苗国廻神退治1~
瑞穂歴515年 夏月5日
北進道・大生苗国居津良郡、(おおなわこくいつらぐん)・居津村
「あ、ああああああああっ!!」
真っ赤な夕日に染まる神木の根元。
黄昏、それは逢魔が時と呼ばれるこの国で古来から最も危険な時間。
森深い、とは言っても、村から然程離れていない鎮守の森に、甲高い悲鳴が響く。
おそらくは、女性。
しかも若く美しいと思われる女であるが、発せられた悲鳴はいかにも獣じみた生臭い物だ。
それもそのはず、彼女は正に生きながら喰らわれていた。
四肢の長い人とも見えるが、異形で得体の知れないモノ達が女の身体に直接口を付けている。
周囲には乱雑に破られた衣服が散乱し、女を縛っていたと思われる縄がぶつ切りになって散らばって居た。
その中心、女が仰向けに倒れて叫び声を上げている場所に異形が十数体集まっている。
全く艶めいた行為からは縁遠い、生き物そのものの姿。
みりみりと肉が引き裂かれ、内臓が退き千切られる音と共に、がくりと女の首が落ちた。
長く苦しみ抜いたその顔は恐怖と嫌悪、苦痛にまみれている。
きっと若く華麗であったはずの彼女の面影は、しかし見る見るうちに無くなっていく。
やがてその顔貌にも歯形が付けられ、囓り取られ、血がすすり上げられ肉塊や骨片となって最後は全て消え去った。
異形達は残された血を舐め取り、落ちた肉片を口で拾い集め、あるいは手にした小さな骨をしゃぶっては口に放り込んでいる。
「う、うわああああああ!」
「や、止めろ大古真彦!」
「姉をっ、我が姉を良くも!」
「今永比米の犠牲を無駄にする気かっ!?」
破れかぶれとも言うべき叫び声とそれを制止しようとうする声が重なり、異形達が振り返る。
「うっうううう」
一斉に異形達に見つめられた、大古真彦と呼ばれた若者は、手にした太い棍棒を振りかざすもそのあまりにもおぞましいモノ達の姿を目の当たりにして固まってしまった。
「男か……?」
「男は喰わぬ、男は喰えぬ。臭くて固い」
「女はイイ」
「女は柔らし、良き匂い」
「……殺しおくか?」
「殺しおくか……?」
「邪魔立て勘弁ならぬ、先々のこと故殺しおこう」
「殺しおこう」
「……待て待て、男を殺し置けば女が供えられぬ」
「供えが無いのは困る……」
「供えが無いなら田を荒らそう」
「供えが無いなら畑を潰そう」
にたありと笑みらしき表情を形作る異形達を見て、集まっていた村人の男達が息を呑む。
「大古真彦!何のために廻神様に女を差し出しとるんだ!」
「堪えよ!」
村の年嵩の男達が懸命に大古真彦を留めるのを余所に、廻神と呼ばれた異形達はふと気付いたように言葉を発した。
「……ならば半殺し」
「そうだ、半殺しに……」
「半殺しなら死なぬ、供えも絶えぬ」
「半殺しぞ」
最後の言葉が終わると同時に異形達が凄まじい勢いで大古真彦に飛びかかった。
慌てて年嵩の男達が腰を抜かしつつ逃げ散ると、1人残された大古真彦が棍棒を振りかぶってやけくそに振り回した。
しかし、するりと棍棒は異形達の身体をすり抜ける。
驚く間もなく大古真彦の顔程もある拳を、異形は大古真彦の顔面に叩き付けた。
一発で鼻と頬の骨が砕かれ、大古真彦は唸り声を上げて回転しながら地面に落ちた。
「なんじゃ、他愛の無い……一発か」
「……喰ってみるか?」
「止めておけい、男は臭いし、若くても固い」
「明日また女を喰えば良い、供えは……続けられるわ」
腰を抜かしたまま悲鳴を上げている男達を見て嘲笑うと、廻神たちは肩を揺すって森の奥へと向かう。
弓の衆に知らるるな……
梓の弓に知らるるな……
我らを追いし矢の雨避けよ……
我らを殺めし矢の影隠せ……
此度はこの地に我らが栄えん……
山に生まれし我らが弥栄、今こそ野にて栄えたてまつらむ……
弓の衆に知らるるな……
梓の弓にぞ知らるる勿れ……
不思議な節回しの歌を口ずさみながら立ち去る廻神達を、血と涙まみれのまま見送る大古真彦。
何故か妙に心と耳に残るその歌を聴きながら、大古真彦は静かに気を失うのだった。
瑞穂歴515年 夏月10日 北進道・大生苗国早苗郡・前羽良村
京府京府を発って早20日。
いよいよ本格的に暑くなり始めた瑞穂国では、稲の苗の生長もいかい順調で、それを見る行武の目も自然と笑み細くなる。
「民人が政に惑わされず、作事に精を出し始めた証左じゃの。正に民人こそ我が瑞穂の百姓よ」
そう言う梓弓行武の姿は、とても高位貴族には見えない。
しっかりした鹿革の深靴に足結いを掛けた青染めの武人袴を履き、同じ青色の貫頭衣を来て倭文織の腰帯で留め、頭には柔らかい布冠をかぶっている。
背中には梓弓氏が考案したと言われる兵行李と呼ばれる革製の堅い荷物入れを背負い、腰に古造りの直刃太刀を履いている。
もちろん、弓は弦を外して矢の入った矢筒と共に兵行李の側面に結わえ付けていた。
それはどう見ても旅慣れた老武人、あるいは兵役を終えて故郷に帰る国兵の姿であり、つい先頃まで京府の中枢で行政改革に辣腕を振った有能敏腕な政治家の姿ではない。
ましてや行武は2年に渡る内乱を戦い抜き、ついには勝利を得た正に古強者である。
しかし、いかにも古参兵といった風格こそ有るものの、とても瑞穂を代表する軍事指揮官の姿にも見えない。
そんな祖父の姿を見て、またその祖父が発した言葉の如何にも優しげな様子に、雪麻呂こと孫娘の梓弓沙雪もまた、嬉しそうに言う。
「はい、人々が後顧の憂い無く働けるからこそ、大地が栄え、物成が盛んになるのですね」
「そういうことじゃ。まあ、我が成果ここに至れり……とは言うても、わしは少しばかり手助けをしただけじゃ。尊いのは百姓の皆々よの」
謙遜しつつ道を行く行武に、沙雪は笑みを深めて続く。
しかし、その道行きは直ぐに遮られることとなった。
「除け除けえ!」
「うむ、何じゃ?」
先触れの声に道を避ける行武と沙雪の前を50名程の国兵の一団が通る。
おそらくはここ大生苗国の国司配下の国兵であろう。
しかしながら、その姿は敗残兵もかくやと言うべきもので、周辺の民人達も驚きを隠せない様子でその姿を見ており、また国兵の進路にいた旅人達は慌てて畦道に下りる。
そうした人々の目の前を、力なく項垂れた国兵達が歩いて通る。
身に着けた短甲や兜は大きくひしゃげ、槍や剣がぼっきりと折られており、尋常でない力で攻撃されたことが分かるが、どう見ても良い結果が得られたとは思えない有様だ。
「御祖父様……」
「ううむ、人の仕業ではないが、然りとて猪や熊でもなさそうじゃ。爪痕や牙の跡が無い」
不安げに呼び掛ける沙雪に、行武は畦道に入って国兵達をやり過ごしつつも詳しく観察して感想を口に登らせる。
「かつて居ったと言われる。巨人か、あるいは……」
そこまで言ったところで、国兵を率いていた騎乗の指揮官が行武と沙雪に気付いて誰何してきた。
「うむ、このような所に武人姿の旅人とは……何者?」
「おお、これは失礼仕った。わしはかつて京府で弾正台に勤めおった者でして、世が平和になったので勤めを辞めて諸国を旅しておりまするユキタケヒコと申すジジイで御座る。お目汚し申し訳ありませぬ」
行武の回答に、眉をひそめる沙雪。
しかし行武は悪びれること無く、小声で沙雪に言う。
「嘘は言うておらぬわい」
「本当のことでもありませんけどね」
沙雪のちくりと刺す言葉もどこ吹く風、行武は畏まって片膝を付く。
「然様な老齢に至るまで朝廷に奉仕されたとは感心……私は大生苗国の国衙に詰める国兵の頭、逸裏彦と申します」
そんな2人の遣り取りに気付いた風も無く自己紹介をする国兵頭の逸裏彦に、行武がふと頭を上げ、空とぼけて問う。
「さにあれば、国司殿の兵でありましたか、斯様な打撃を受けられて何事かと思い見ていた次第にて……稽古で御座いますかな?」
「……ううむ、これは、うぬ」
「無理にお話し頂かずとも構いませぬ。詮無いことを問いもうした、では我らはこれで……」
逸裏彦の様子から訓練の類いではなく実戦、しかも大負けに負けて戻ってきたことが知れたので、行武はそう言って会話を切り上げようとしたが、逸裏彦が手を上げてそれを制止する。
「ああ、いや、恥ずかしながら最近大生苗国のあちこちで廻神が団で出ておりましてな。討伐に行ったは良いが散々にやられた次第……幸い居座って生け贄を取っていた村からは逃げ去ったのですが、旅を続けるとあれば気を付けられよ」
「……廻神、ですか……なるほど承知致した。忠告痛み入りますわい」
行武は逸裏彦の目に真摯なものを見て取り、丁重に礼を述べてから再度頭を下げて立ち去るのだった。
「エガミ、とは何ですか?」
しばらく行った場所で、沙雪が不思議そうな声色で問い掛けると、行武はふっと溜息を吐いてから答える。
「禍神に連なるモノじゃ、それもとびきりにタチが悪い奴よ。かつてこの瑞穂国の深山に巣くっておった猿とも巨人とも言えぬ、何とも奇妙な人型の獣でのう、人の子供や女を好んで喰うのじゃ。知恵はあるし言葉も操るが、人道を持たぬ異形故、話し合いは一切出来ん。1匹で行動するからやり様はあるが、田畑を荒らしたり、人質を取ったりして村を脅して生け贄を要求したりもするからの、厄介で恐るべきモノ共よ」
「……それは……」
行武の説明に絶句する沙雪。
その様子を見て僅かに笑みを浮かべつつも、再び溜息を吐くと、行武は言葉を継ぐ。
「奇妙な輩でのう、槍や剣、棍棒などはすり抜けるというか、避け果せるのじゃが、不思議なことに弓矢には滅法弱いのじゃ」
行武は持参している弦が外された大弓をちらりと見て再び口を開く。
「かつてわしが弓上手の軍兵でもって退治し尽くしたはずなのじゃが、討ち漏らしがおったようじゃ……しかも徒党を組んでおるとは容易ならぬわい。数十年で増えてしもうたか……悔やまれるの」
行武は後悔の溜息を吐くが、沙雪は首を横に振りながら言う。
「御祖父様のお陰で数十年は被害が無かったのです。それに……まだ間に合うのでは?」
最後の悪戯っぽい声色に驚いて顔を上げる行武を余所に、沙雪は顎に人差し指を当てて言葉を継いだ。
「御祖父様、しかしそのエガミがどこに居るのか分からないのであれば、退治は難しいのではありませんか?昔はどうされたのですか?」
沙雪の問いに、行武はしばらく驚いた顔でいたが、やがて笑みを浮かべつつ頷いて言う。
「まずは勢子が要るのう、訓練の行き届いた勢子、それからは弓上手が要るわい」
「勢子ですか……剣や槍は効果が無いのではありませんでしたか?」
「何、当たらずとも構わぬのじゃ、多数で追い込めば良い」
「追い込む……おびき寄せても良いのでは?あるいはお酒を飲ませるとか……」
「はっはっは、大蛇退治の故事じゃの。確かに奴らは酒にも目がない。しかも酒に弱いゆえ、うまく飲ませることが出来れば良いのじゃがな」
行武の言葉に自分達の境遇、つまり、旅の祖父と孫娘という組み合わせでは兵を用いることは出来ないので、沙雪が代替案を出す。
すっかり廻神を退治するつもりでいる孫娘に頼もしさを感じる行武。
同時に、沙雪が今まで押さえ込んでいた快活さが旅で少しずつ顔を出してきたことに微笑ましさを覚え、かつて自分が愛した女性の性格を思う。
雪姫も、見かけによらぬ明るさや行動力、それに伴う屈託の無さが魅力であった。
軽やかに野を駆けつつ明るい、そして柔らかい笑い声を上げるかつての想い人の姿を思い興し、行武の頬が自然と緩む。
「どうかされましたか、御祖父様?」
自然と足が止まり、沙雪の後ろ姿を眺める形になった行武に心配そうな声が掛かる。
「うむ、いや。何でも無いわい」
沙雪の訝る声に我に返った行武は、若い頃の雪姫そっくりの顔を目の当たりにして気恥ずかしさを感じ、そうごまかすと歩みを進めた。
そして、沙雪に追い付くと再び口を開く。
「廻神ら知恵はそれなりにマワルでのう、討伐を受けたからにはあちこちを転々としておるか、あるいはどこかに潜み隠れておるかじゃが……まあ精々気を付けて見つけ出す他あるまい」




