70話 終話
瑞穂歴513年 初冬月25日午後 京府羅城門
大きく開かれた羅城門を、行武率いる兵が通る。
京府外に出された京府守備兵は武装解除され、行武らが駐屯していた元第二軍団駐屯地に見張り付きで収容されており、京府に最早戦力と呼べるような兵は存在しない。
事実上の無血開城、朝廷側の降伏であり、この時点をもって行武は瑞穂国の中枢を抑えたことになる。
行武は速やかに京府の治安を回復すべく、国兵を京府の各要所に配置した。
その上で小桜姫を擁して大内裏に参内したのである。
「久しいの」
「ふむ、よく来た梓弓北鎮将軍」
行武が短く硯石基家に声を掛けると、基家はにたりと笑みを浮かべて答える。
行武が短甲に一本雉尾羽の兜、直刃太刀を装備した完全武装で、後に控える小桜姫が同様の完全武装姿であるのに対し、出迎えた基家と広家は朝服姿。
その差異は際立っており、行武は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「おう、その官職はその方らが独断で解いたのではなかったか?」
行武が面白がるような口調で言うが、基家は悪びれずに答える。
「何の、この京府を抑え、瑞穂国の北と東を押さえし実力者であるところの梓弓行武殿の官職を旧に復するのは当然のこと。お気に召すな」
「相変わらず変わり身の早い事じゃ。除け、お主に用は無い……姫様、参りまするぞ」
行武が基家から視線を外し、淡々とした口調で小桜姫を促す。
小桜姫は一つ頷き、厳しい視線を広家と基家に向けながらも歩き出そうとするが、その前にすっと身体を差し入れて行く手を阻むと、基家は口を開く。
「そう邪険にするものではない。貴殿には褒賞を受けてもらわねばならぬ。さる時にあった外つ国の侵攻に対してその武勇を持って撃退に……」
「黙れ」
基家が行武の静かな怒声に声を詰まらせ、広家がその威に打ち震える。
行武はそれまでの飄々とした態度を捨て、怒りに満ちた表情で文人貴族の長者である基家と広家を睨み据え、足音を鳴らして詰め寄る。
思わず一歩下がる基家に、行武は燃えるような目を向けながら言う。
「その汚い口を閉じよ。広浜の戦役で命潰えた勇士の誇りが汚れるわ」
「な、何を言う……わしは功績を褒め……」
「それはわしや小桜姫様を謀り丸め込む方便であろうが。さような下劣な手練手管に我が同志同胞の誇りや意気は元より大功を使われてなるものか。よいか、次にその言をいたさば素首打ち落とし奉るぞ」
行武の怒気孕む台詞に息を呑みながらも何とか反駁しようとした基家。
しかしその行為の予兆を捉え、腹に据えかねた行武が拳を握りしめてずいっと更に一歩迫ると、基家は声にならぬ悲鳴を上げた。
「ひっひいいっ」
「あ、梓弓将軍っ、こっこここここをどこと心得るかっ!?」
それまで薄ら笑いを浮かべていた広家が血相を変えて言い募るが、行武は握りしめた拳を上げて言い放つ。
「決まっておろう、未だ戦場よ」
行武の言葉に、それまでの狷介な笑みや余裕はどこへやら、2人はへなへなと腰を抜かして座り込むばかりであった。
硯石基家らを振り払った行武は、小桜姫を伴い大内裏の謁見の間へと至る。
そこには僅かながら貴族達が朝服姿で参内しており、中央の畳座には基家の手によって大王となった神取王子が顔を青くして座している。
行武の姿を見た神取王子は、顔色を青から白へと転じさせたが、辛うじて気を取り直して声を掛ける。
「梓弓の爺か……小桜も久しいな。出迎えた広家と基家は如何した?」
小桜姫と共に拝謁の礼を送りながら、行武は淡々と応じる。
「邪魔故に出迎えの際に置き捨てて参りましたわい」
「あの者らとて高位の者、この場に参列させずに出迎えをさせるとは……見識を疑います」
「そ、そうか……」
続いて小桜姫が感情の抑揚を感じさせない平坦な声で言うと、言葉を継げずに神取王子が口ごもる。
居並ぶ貴族達も完全武装の小桜姫と行武をちらちらと窺うばかりで何も言わない。
文人貴族達が言葉を発することが出来ないのを見て取り、神取王子が絶望的な表情となる。
最早自分が直答させてしまった以上、また自分から声を掛ける他無いからだ。
「き、今日の用向きは……何じゃ?」
「然に在れば、大王には田那上王へ譲位して頂きたく」
「な、何?」
行武の直言に驚く神取王子。
「兄上、最早硯石めの力は失われました。その力で大王になられた兄上には御譲位頂きます。出来ぬとあれば力尽くになりまするが、宜しいか?」
続いて小桜姫が再度淡々とした口調で告げるものの、文人貴族達は誰もが下を見て反論しない。
神取王子はしばらく悔しそうに唇を噛み締めるが、どうにもならないことを悟り、絞り出す様にして言う。
「分かった、田那上の叔父上に譲位致す」
「それはようございました」
小桜姫はその言葉を聞き、ようやく笑みを行武に向けて問う。
「これでよいか、爺」
「はい、後はわしにお任せ下され」
大内裏での譲位を得た行武は小桜姫を摂政に押し上げ、自分は官位官職を変えないまま小桜姫の名の下、京府や周辺地域の行政改革に乗り出し、併せて西海道の田那上王に大王即位を依頼する使者を送った。
それと同時に東先道で捕らえて京府に送った5名の国司を処罰する。
何れも私服を肥やしたことや領国に混乱を招いたことを罪に問い、朝廷への報告すら怠っていた硯石為高を死罪とした他、畠造家長、大木戸雅望、井立光政、笠栄乙戸麻呂を財産没収の上、北辺道へ流罪としたのである。
一方、硯石基家と硯石広家は、譲位直前に京府から逃走を図ったが捕らえられ、糾問を受けた際に山渦を使った大王と奈梅君の殺害を自供したので死罪を言い渡される羽目となったが、これまでの国政関与の功績を考慮され、罪一等を免ぜられ私財没収の上で西海道へ流罪となった。
そうして文人貴族達の権勢を奪い、後顧の憂い無く行武は東先道で実践した施策をそのまま瑞穂国全土に広げていく。
非違郷の解消、戸籍制度の見直し、徴税制度の見直しと税率軽減、各地の農地整備や灌漑整備、荘園や領地の特権解消を行う一方、国司の権限を強化して警察権を持たせて国兵を設置し直して治安向上を図り、武民達の伸張を抑制する。
そして不正や苛税の温床であった国司の報酬を任地から徴収する方法を取り止め、任期に応じて固定給与を支払う方法に変えさせた。
併せて全国的に官道や港湾施設を整備の上、要所には新たにこれらを設置する。
それに付随して、諸外国との行き来も一定の制限下ではあるが赦して交易を促進したのである。
不正貴族の排除や処罰を行いながら、行武はこれら諸制度及び改革に合わせて律令の改正を一気に行い、新たに大王へ即位した田那上王へ国政を引き継いだのだった。
瑞穂歴515年 初夏月20日 京府
季節は間もなく夏を迎えようとしていた。
春蝉に交じって夏蝉があちこちで盛んに鳴き始め、白い大きな入道雲と共に時折降る驟雨が季節感を際立たせている。
瑞穂国の情勢は全国的に落ち着き、諸制度の布告や新たな国司制度も馴染みを見せ、民人は苛税や苛政に苦しめられる度合いが減った。
京府でも混乱時に焼けた屋敷や民家も立て替えが進み、逃げた貴族や官人、庶民もほぼ全て戻って来た。
京府には再び瑞穂の首府としての喧噪や活気が戻ってきたのである。
小桜姫改め、摂政桜内親王の名の下に行武が主導した行政改革はほぼ終わり、瑞穂国の朝廷は財政と軍政の再建を成し遂げた。
土地の所有が認められ、変わって土地の地味や面積、収穫物に応じて徴税される制度が律令に記され、各地の非違郷は全て戸籍台帳に載り、瑞穂国の民人は一気に倍近く増えたことになる。
それまで不輸不入権を誇った貴族の荘園や領地も全て特権を剥奪され、徴税とそれに伴う調査を受け入れさせ、それに伴い貴族にも納税義務が課せられたので、旨味の無くなった荘園の解体が進み、文人貴族達は財政基盤を失いつつある。
その結果、停滞していた徴税が円滑に行われるようになったばかりか、それまで資産を隠したり、土地面積を偽っていた貴族達は軒並み摘発を受け、追徴金の支払いに追われている。
各地の国司が警察権を握ったことで武装農民や武民の伸張が阻害され、また武装自体をする必要が無くなるほど治安の改善した地域では、経済活動に専念する有力な農民や商人の力が伸びて、金の掛かる武備を放棄したことで武装率は下がり始めていた。
港湾を対外的に開いたことで、西方諸国や大章国からの商船が盛んに来訪するようになり、海運を主体とした商業流通が発展しはじめ、瑞穂国は新たな経済活動の場を獲得しようとしている。
そんな穏やかに、且つ活気を持って発展していく瑞穂国を余所に、1人の老貴族が京府を発とうとしていた。
「御祖父様、本当に皆様へご挨拶しなくとも宜しいのですか?」
旅の荷物を積んだ馬を引きながら、旅装束に身を包んだ孫娘の雪麻呂改め沙雪が戸惑いながら話しかけてくるのを、これまた旅装束の行武が笑って言う。
「よいよい、わしなどがまた改めて挨拶などに出向けば、引き留められるのが落ちじゃ。ましてや姫様などはわしを高位に任じようとあの手この手を使ってきておるのじゃからのう。今まで断るのも一苦労だったんじゃ」
小桜姫こと摂政桜内親王は、当然ながら右大臣か大納言に任じて国政に今後も関与させようと画策したのだが、行武はこれを全て辞退している。
「最早わしなどは時代遅れの老人じゃ。最後のご奉公は思わぬ形になりはしたが……わしは文人貴族共のやりようは兎も角、方向性は間違っておらぬと思うのじゃ」
「それは……どうしてでしょうか?」
文人貴族と文字通り死闘を繰り広げてきた行武の口から出たとは思えない意外な言葉。
それに驚きながら沙雪が問うと、行武はゆっくりと歩みを進めながら言う。
「武に拠って立つのは、何かと物騒じゃし長続きもせぬし、何より不安定じゃ。民人の支持が必ずしもあるとは限らぬ。上に立つ者が荒っぽい解決方法を好むようになるからの」
遙か先に立ち上る入道雲と、その下にあるきらめく海原を見て取った行武が笑顔で言葉を次ぐ。
「法に基づいて物事を決めるというのは、冷たい部分もあるが公平なのじゃよ。そして皆が法による同じ判断基準で行動出来る、これは安定に繋がるのじゃ……ただ、文人貴族共は法の判断基準を恣意的に運用したが故に民草からの恨みを買い、反発を招き、不公平な世の中となった。今後はそういった事がなるべくし辛いようにしたからの。まあ、しばらくは大丈夫じゃろう」
「……そうでしたか」
しばらく前の入道雲と海原を眺めつつ歩く、行武と沙雪。
大分経ってから、ふと思い立ったように沙雪が祖父である行武に笑みを浮かべて問う。
「そう言えば……差し当たっては東先道へ行くとしても、御祖父様はこれからどこへ行くつもりなのですか?」
「ふむ」
孫娘の問いに、行武は顎髭を左手で扱きながら少し思案した後、ゆっくりと口を開く。
「そうじゃのう……東先道に行った後は、この国の隅々まで命ある限り旅してみたいと思うておる。何、まだまだ身体は動くからの。旅に差し障りはあるまい」
「瑞穂国の隅々までですか?」
行武の言葉に驚く沙雪。
東西大陸にある諸外国に比べれば、瑞穂国は狭いのだろうが、そうは言っても距離や面積はそれなりにある上に、山岳や海川を含めた難路もあるし、難治の場所も多い。
未だ朝廷の威光が届かぬ地も在る。
「まあ、機会があれば大章や西方に行くのもよいかも知れぬし、南の国も訪れてみたい」
道沿いにある青粒花を見つけた行武の足が止まる。
それを見ていた沙雪も馬の手綱を引いて止まると、ぽつりと言う。
「……青粒花ですね」
「うむ、雪姫が好きであったの。懐かしいわ」
行武が慈しむように見るその花には、小さな天道虫が乗っている。
しばらく青粒花の茎や葉、花の周辺を歩き回っていた天道虫だったが、やがて花びらの一つ、一番高い場所に位置するそれに登り詰めると、ぱっと背中を割って羽根を出した。
そして、一瞬のためを残し、天空へと飛び去る。
「……さてゆくか。猫芝やマリオンが気付かぬ内に船に乗らねばの」
「その意見には賛同しかねますが……まあ、分かりました」
天道虫が飛び去るのを眺めた後、自分に向き直って茶目っ気のある笑みを浮かべながら言う行武に、沙雪は苦笑しながらそう返す。
一頻り笑いあった後、2人はゆっくりと海に向かって歩を進めるのだった。
長らくご支援いただき、ありがとうございました。
紆余曲折ありましたが、梓弓の老少将という物語を完結することが出来ましたのも、偏に読者の皆様の応援やアドバイスのお陰で御座います。
また、誤字脱字についても毎回ご指摘頂き大変有り難く存じます。
今後の予定は未定ですが、また皆様に大いに楽しんで頂けるような物語を作れればと思っておりますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。




