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67話 連続朝議

 瑞穂歴513年 春月20日 京府 大内裏・朝議の間


 大内裏の庭では梅の大木に花が咲き誇り、それを目当てに目白めじろひよどりが盛んにやって来る。

 うぐいすが春を告げる独特のさえずりを響かせていたが、朝廷に集まった文人貴族達はその様な自然界の春の宴を余所に、皆一様に沈痛な表情で藺草畳いぐさだたみが敷き詰められた床を見ている。


 未だ梓弓行武に対する処遇の結論が出せないのだ。 


 例年であれば梅花見から春の節句、桃花見から桜花見へと祝宴や催事を相次いで迎え、句会や歌会が最も多く催される時期なのだが、今年は1つとして開催されていない。

 朝廷主催の春の節句は辛うじて挙行される予定だが、花見や歌会などは情勢不安によって誰も開催していないのである。


 先頃行われて霧散した行武討伐に掛かる費用や、今また兵を集めるために必要な経費、更には集めた兵を養う費用も馬鹿にならず、朝廷の財政が圧迫されていることも理由の一つであるが、それ以上に近年無かった情勢不安に我が世の春を謳歌していた文人貴族達が酷く萎縮しているのだ。

 そして、華やかな催し物を取りやめてまで行われている朝議であったが、参加者である文人貴族達は何も決めることが出来ていない。


 帰するところ、連日のように朝議を開いては、結論を持ち越し、ひたすら先延ばしにしてゆく。


 京府の文人貴族たちが行武の処遇や対処に結論を出せないまま無為の時間を過ごす一方。

 行武はその情報を早速武銛や京府に残った由羽ら梓弓家の元家人達、そしてはたまた梓弓宗家の梓弓兵部大輔広威からの書状で得、朝廷が動かないのを好機と捉え、活動を活発化させる。

 とは言っても、冬は寒く雪深い東先道で出来ることは限られており、行武は積極的に、いわゆる文書攻勢に出たのである。


 行武は東先道や近隣諸国の国司は元よりその下の地位にあるすけ目代もくだい郡司ぐんじ村長むらおさ里長さとおさといった者達に書状を送って事の顛末を説明し、自身に味方するよう呼び掛け、民人には講説使こうせつしを派遣して高札や布告を出す等の手法で自分達の正当性と朝廷を牛耳る文人貴族の非を咎め立てたのである。

 もちろん、その際には今の朝廷のあり方に疑問を呈し、文人貴族主導の恣意的なまつりごとを改めるべく努めることを明記し、小桜姫の名を出した。


 行武は反乱とされる行動を、ここに来て初めて明確に取ったのである。


 行武がここに来て反乱を肯定する行動に出たのは、外国勢力を撃ち破ったという確たる実績を挙げたことに加え、小桜姫を保護して大王の血筋を守る意思を打ち出すことによって、先頃出された討伐令や今後されるであろう朝敵指定を躱す目処が立ったからだろう。

 地方のみならず、最近は行武の書状が京府や畿内国の高位高官貴族達にまで届いており、その内容に動揺が広がりつつある。


 そして、大章国や弁国、八夷族はいぞく或鐶族あるかんぞくの襲撃を知る東先道や東平道、更にはその先の東間道や北平道といった京府から北及び東に位置する各国では行武の主張は受け入れられつつあり、中には国司までもが行武支持を言い出す北辺国などのような国も出て来ている。

 ちなみに今までの苛政を責め立てられることになった大多数の国司達は、1万もの兵を保持したまま東先道に隠然たる勢力を築き上げた行武に戦々恐々で、自分達がこの動乱のどさくさに紛れて討伐されることを憂い、京府に逃げだし始めていた。


 それ故に、本来街道筋で叛徒を押し留めるはずの国司戦力が無くなり、街道の警備や関所はがら空きとなっている。

 逃げ帰った国司達は朝廷に未だ受けてもいない行武による被害や圧迫を非難と共に並び立て、口汚く罵り、自分達が逃げ出したことを正当化している。

 当然ながら、古来より朝廷の許可無く勝手に任地を離れるのは、すなわち反乱と同等の罪に問われる非違行為である。

 国司代理を派遣する遥任ようにんと呼ばれる制度を朝廷の許可を得て行っている者もいるが、それもあくまで朝廷の正式な審議を受け、許可を得た上での行為だ。


 今回のように、自分の身可愛さで任地を放棄して財貨を持って逃げ帰るなど言語道断であり、国司解任どころか明確に処罰の対象となる行為だ。

 しかも着の身着のままならまだしも、財貨を持って逃げ帰っているのである。

 とは言え文人貴族同士のことであり、処罰はされずに済まされているのが実情で、それに対する非難批判は朝廷内からは聞こえて来ない。

 しかし、京府の民人たみびとならずとも街道筋の民人たみびとや、周辺諸国の民人達にも国司達が続々と溜め込んだ財貨をもって京府に逃げ帰っていることは知られている。


 それもそのはず、米や麦、銭のみならず絹や綿布を満載した車列を盛大に組んで逃げるのだから、知られない道理もない。

 民人達が表立ってその行為を非難することはないし、そもそも出来ないものの、文人貴族に対する不満と嘲笑、怨嗟の念は、行武の派遣した講説使が京府に近付き、果ては西や南の地域に達するのと相まって、日に日に高まっている。


 そして事ここに至り、行武のいる東先道から京府までの道筋に朝廷側の国司という障害が無くなり、一度行武がその気になりさえすれば、何ら妨害を受けること無く京府まで到達出来るようになったと言うことに気付き、京府の文人貴族達はようやく危機感を持ち始めたのだ。

 しかし危機感を持ったところで、対策が決まらねば意味は無く、対策が決まらねば行動に移せない。


 すなわち、どうにもならないということである。


「由々しき事態だ」


 基家の苦虫をかみ潰したような顔で発せられた言葉に、戸惑いの声があちらこちらから上がる。


「そうは仰っても……」

「兵は集まり始めておりますが、食わせる物が多くて困っておりますし……そもそもこれを率いる者が居りませぬ」

「兵部卿の蟄居は……まだ解けませぬか?」

停止令ちょうじれいを出してはおりますが、梓弓めは従わず、全く今まで効果が御座いませぬ」

「最早手の打ちようが御座いませぬな……」

「しかし、我が荘園が奪われておりますっ。早急に何とかして頂きたいっ」

「私目の荘園からも荘司しょうじが逃げ帰り、財が停しております」

「困りました……」

「いやはや、困りました」


 兵は周辺諸国や南令道、西山道、正中道といった京府から少し離れた諸国にも動員令を掛け、ようやくなんとか7千余をかき集めた。

 これに京府の守備に就く1千余を加えてようやく8千の兵が揃う。

 時が経てばもう少し集めることも可能であろうから、何とか行武が動く前に同数程度の兵は揃えられそうである。

 しかし装備や訓練が間に合っておらず、動員やその後の駐屯について消費する糧食も馬鹿にならない。


 さらに東先道と京府の間にある東平道や北辺道、北嶺道、紐山道、東間道、東北山道の諸国からは国司が逃げ帰ってきてしまっているので、そもそも動員令を掛けることも出来ない状態だ。


 自分達の手で私物化し蚕食してきた瑞穂国の体制。

 それが思った以上に弱体化していたことに、呆れた果てたことにこの窮地に追い込まれてようやく文人貴族達は気付いたのである。

 とは言っても私財をなげうって兵を集めようだとか、私物化した領地荘園の民人を集めようとはならない。

 あくまでも朝廷の支配領域、かなり狭まって徴税もままならないその朝廷の公地から公民を集めるのみである。


 同じ国でも貴族の荘園や領地からは動員も徴発も徴兵も無く、公地に指定されている村や郷からばかり徴兵や徴税が行われている事実。

 現場を知らない文人貴族達はそれに気付かず、またそれに対して民人がどういう感情を持っているかも理解しないまま、兵が集められている。

 行武の影響下に入った東先道や東平道、北辺道からは既に京府への輸送が途絶え、貴族荘園の収入はなくなってしまった。


 一部の貴族はその事実を単に自分の荘園が接収されたとしか理解しておらず、その回復に全力を上げているつもりだが、やっているのは朝廷に愁訴することだけであり、実効性はない。

 これは大多数の貴族が理解しているような単なる領地の簒奪というものに留まらない。行武が目指すのは公地公民制の復興であり、荘園や貴族領地に認められていた不輸不入ふゆふにゅう、つまりは徴税や徴兵の免除に加えて国衙役人の立入権や調査権を否定する特権の解消であって、それは社会変革でもある。

 紐山道や東間道、東北山道にも行武の影響は及びつつあり、北に近い場所から貴族荘園は解体され始めている。


 社会変革の波が北から押し寄せてきていることに気付いているのは、基家を始めとする僅かな高位貴族と更に少数の官吏達だけ。


 しかし既得権益を侵される貴族と違い、少数の官吏達についてはむしろその変革を密かに、されど大いに歓迎している。

 朝廷内の政争や権勢争いには凄まじい執念と手腕を見せる文人貴族達であったが、事政務や実務には全く疎く、官吏や下級貴族達に任せきっているのが実情。

 それ故に平時が長く続いた今までは事なきを得てきたが、今回のような変事に際しては長たる地位にある者達が全く実情を捉えられず、更には危機感を抱くこともないが故に方針が決まらない。

 一部自分の権益が侵害されたことで危機感を持っている者もいる様子だが、それとて自分達が滅びるとか滅ぼされるとか命や地位を失うという切迫したものではない。


 基家とて、漠然と行武が朝廷本来の意味を取り戻すため大王中心のかつての政治体制に戻し、律令制度を今一度変革させるべく動いていると言うことは察しつつあるが、それでも自分が滅ぼされるとは思っていない。

 ともあれ、行武の影響が京府に差し迫った今、このまま手を拱いているわけにも行かない。


「兵部卿を復帰させ、兵の訓練にあたらせる」


 基家の発言に座が静まる。


「外国勢力打払いについては如何なさいますか?」


 次いで、外務卿を兼任する治部卿の大舟栄衛おおふねのさかえいが恐る恐る尋ねると、基家はしばらく考えてから口を開いた。


「大章国に使者を出し、今回の件について問責致す。そして二度と瑞穂国に侵攻せぬよう約束させる」

「……では、梓弓の論功については、如何いたします?」


 人事や式典、教育や服飾を司る式部卿の綾紐実耶比米あやひものみやひめが尋ねると、基家はあっさりと言う。


「朝廷の指示に従わぬ討伐対象であるから、功績については評価せぬ」

「承知致しました」


 ようやく自分の担当業務に片が付き、ほっと溜息を吐く式部卿に冷たい視線を浴びせてから、基家は言葉を継いだ。


「事ここに至っては仕方なし。梓弓行武を朝敵と致し、大王より討伐令を改めて頂戴し、これを討ち滅ぼすのみぞ」


 基家の内容は勇ましい言葉に、流石の文人貴族達もしらける。

 実力をもって討伐出来ないからこそ、今まで議論が長引いたのだ。

 そして、討伐令を下されたとしても、討伐が成功する保証はない。

 既にそれは前回の剣持兵部卿の醜態で明らかとなっている。

 行武を征伐するのは困難であるからこそ、一旦これを評して朝廷のもとに取り込み、兵権と実際の兵を取り上げてから取り込める他なく、その手法を相談していたのでは無かったのか。


 しかし基家は長い議論の中で考えを重ね、その結果、行武の律令制度復興の思惑にたどり着いてしまった。

 行武を排除しなければ、自分達の権力基盤である荘園や貴族領地から成る財政力と、官位要職を独占することで成立している政治権限が大きく削がれることに気付いたのである。

 文人貴族は表向きには律令を使うが、自分達に対してはそれを歪めるか骨抜きにすることで、実際は持てない領地や荘園を得て私財を蓄え、高位高官を独占してきた。

 もちろん、誣告や讒言は最大限に利用し、権勢を得てきたのである。


 今まで営々と築いてきた文人貴族の権勢は、行武の復権あるいは台頭と共に潰え、新たに整備し直された律令制度によって瑞穂国は動かされることになるだろう。

 そして、自分達を含めた文人貴族はかつての武人貴族のように没落するのだ。

 没落すれば、数十年単位で復権は望めないのは明白であり、それ故に基家は行武を討伐する方向に舵を切り直したのだ。


 基家は、正しくこの闘争が文人貴族の存亡に関わると理解しているのである。


「広家を呼べ」

「はっ?」


 基家の言葉を聞き取りながらも理解出来なかった舎人が戸惑いの声を上げる。

 舎人の戸惑いに呼応するかのように貴族達がざわめいた。

 それをじろりと睨み付け、基家は再度口を開く。


「謹慎させていた我が一門の広家を復帰させる。梓弓征討にはあやつの力が必要であろう」


 さすがに難色を示す貴族達。

 そもそも山渦を操って大王を害し奉った者として謹慎を言い渡したのは基家である。

 瑞穂国の最高位者を害しておいて謹慎程度の罪とは片腹痛いが、それでもその罪科を執行したのは紛れもなく基家本人なのである。

 その言を軽々しく翻すのか、そんな思いが貴族達に満ちる。


「し、しかし広家殿は山渦を引き込み、京府に混乱と穢れを持ち込んだのです。それを赦すと仰せなのですか?」


 居並ぶ者達の気持ちを代弁し、大舟栄衛おおふねのさかえい治部卿が言うと、基家はじっと大舟栄衛を見つめ、自分の視線に怯んだのを見て取ってから周囲を見回す。

 誰も彼もが自分を恐れて目を合わせようとしないか、怯えながら見返すばかりで、反抗的な目をしている者はいない。

 その事実を確認してから、基家はゆっくりと口を開く。


「梓弓討伐は広家に一任する。広家を呼んで参れ」

「は、ははっ」

「……」

「……」

「……」


 舎人が慌てて広家の屋敷に向かうべく離れるが、貴族達は言葉を発せられないでいた。


「では、本日の朝議はこれまでと致す」


 そんな貴族達を再々度見回して満足そうな笑みを口元だけに浮かべると、基家は呆気なく閉会を宣言するのだった。

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