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66話 大章国、交渉次第

 瑞穂歴513年 春月2日朝 東先道広浜国、藻塩潟・湊館みなとやかた


 朝廷も行武も全く動かないまま冬を越した。

 朝廷では連日のように朝議が行われているが、行武の処遇や対処に結論が出ないまま無為の時間を過ごすことになった。

 その情報を早速武銛や京府に残った由羽ら梓弓家の元家人達、そしてはたまた梓弓宗家の梓弓兵部大輔広威からの書状で得た行武は、朝廷が動かないのを好機と捉えた。


「しかし宗家の広威殿から書状が来るとは、驚いたわい」

「何でも一片の咎無く殿様との関係を疑われて昇殿を停止されたとの由。お怒りの気持ちがあるのでしょう」


 行武の独り言めいた言葉に、財部是安が応じる。

 行武と是安がいるのは、行武が建てさせた交易や商売に使うための館で、大杉を使用して建造してあり、広さや丈夫さは十分。

 皆からは湊館みなとやかたと呼ばれている。

 その湊館の大広間の一角で、行武は是安と一緒に虜囚となった大章兵の名簿を検めていたのである。


 恐らく今日辺りに到着する、大章国宰相府、礼部主客司の高官、湘永漢主客司郎中しょうえいかんしゅかくしろうちゅうにその名簿を手渡すことになっており、最終確認のために虜囚を並ばせ、名簿との確認を行ったのだ。

 それも既に終わり、虜囚は元の収容施設へ戻しているが、間違っても妙な汚れや誤字などが無いように確認をしていたのだ。

 名簿を見終わり、是安に手渡しながら行武の口元が笑みに変わる。


「ふふふふ、梓弓の臍曲がりの気質が顔を出したかの」

「……笑い事では御座いませんが、殿様の気質によく似ておいでです」


 行武がそのまま笑みをこぼしながら言うと、是安は名簿を確認しながら呆れた様子を隠そうともせずに応じた。

 そんな遣り取りをしていると、引き戸が開かれ小柄な人影が部屋に飛び込んできた。

 そして大部屋の傍らに居た行武と是安を見つけると、大きな声を出すツマグロ。


「おおい、爺ちゃん。船が見えたぞ」

「……浮塵子の経歴があったとは言え、もう少し言葉遣いを改めなされ」

「す、すみません」


 走り寄ってきたところで是安から小言を貰い、ぺろりと舌を出すツマグロに変わって、スジグロが謝罪の言葉を述べる。


「まあ、よいよい。で、どうじゃ?」

「確かにこの前攻めてきた時の大きな船と同じ形の船だった」

「それは間違いありません」


 取りなした行武に向き直り、ツマグロが元気よく言うと、スジグロもツマグロの言葉に頷きながら肯定の言葉を発する。


「ふむ、ではツマグロとスジグロは重光と弘光にこのことを言うて国兵を100名ほど集めさせよ。是安は軽部麻呂に虜囚が跳ね上がらぬよう厳重に見張りせよと伝えてくれい」

「わかった!」

「あっ、わかりました」


 元気よく返事し、元来た出入り口から外へ駆け出していくツマグロとスジグロを見送ってから、是安は名簿を収めた文箱を行武の傍らに置き、一礼してから立ち去る。

 それと入れ替わるようにして、マリオンと雪麻呂が出入り口から現れ、猫芝がどこからともなく黒煙と共に部屋の中に出現した。


「おう、お揃いじゃの」


 行武が3人にそう声を掛けると、柔らかい笑みを浮かべたマリオンが言う。


「ユキタケ。大章国の使節船が現れたようですよ」

「先程浮塵子の小僧共が駆け出していったからの。既に知っておるじゃろ?」


 続いてつまらなさそうに口を開いた猫芝に、行武は頷く。

 そしてマリオンの横でおずおずとした様子で立っている雪麻呂に、虜囚名簿の入った手元の文箱を取って手渡した。


「これは?」

「大章国兵の虜囚の名簿じゃ」

「名簿ですか?」

「そうじゃ。その名簿が今回の交渉の謂わば主役といえるかのう。差し当たっては名簿を検め、その状況を確認した上で、今回は高位の者を連れて帰るだけになるだろうの」


 雪麻呂の問いにそう答えた行武に対し、今度は猫芝が言う。


「飯代も馬鹿にならんのじゃろ?さっさと全員返してしまえばよい」

「一時に何艘もの戦艦を寄越されては困りますし、第一要らぬ紛議の元です。順番に色々な形で帰って貰うのが良いのですよ」


 マリオンが猫芝の言葉を窘めるように言うと、猫芝は面白くなさそうな顔でそっぽを向いた。

 その遣り取りに苦笑を向け、行武は口調を改めて口を開く。


「いずれにせよ、わしらは大章国の思惑にある程度同調しつつも、朝廷を立てて交渉しなければならぬ。難しい選択を迫られようが、結論は早急に出さず、先送りしても良い。何よりもまずは虜囚共を大章国へ放逐する道筋を付けるのが今回のわしらの目的じゃ。それ以外のことは二の次じゃからのう」

 





 真っ赤な船体にきらびやかな金銀の装飾を施され、色とりどりの綱を真っ白な帆に掛けた大章国の使節船が藻塩潟に入港した。

 大きさや構造は以前にこの藻塩潟へと攻め寄せた大章国の戦艦とほぼ変わらないが、武装は極力控えめで、目立たないようにされている。

 その使節船に渡り板が渡されると、しばらくして大章国の官服を身に纏った一団がしずしずと下船してきた。


 未だ寒さの残る藻塩潟であるが、大仰な傘を差し掛けられた、永漢主客司郎中しょうえいかんしゅかくしろうちゅうを中心に、前後は大章兵や下級官吏が取り巻いている一団。

 未だ羅城や市域も定まらないような、城市とも呼べない梓弓砦に派遣される規模の使節ではなく、ましてや瑞穂国の一将軍に過ぎない行武が受けるべき礼遇でもない。

 しかしそれは東方の大国である大章国が、この地に在る行武率いる勢力、あるいは政権を重視している証であった。


 出迎えた行武は、武鎗重光の率いる100名ほどの国兵を引き連れ、瑞穂国の古い武官装束である濃緑色の武官朝服を着込んでいる。

 行武の左右には、軽部麻呂、弘光、是安、マリオン、雪麻呂が並び、大章国の使節団が降船し終え、藻塩潟の桟橋を静々と渡って来るのを待つ。

 やがて大章使節の一行は行武の待つ浜辺へとやって来た。

 出迎えた行武が辞儀礼を送ってから、行武がゆっくりと口を開く。


〔ようこそおいで下さいました。湘主客司郎中殿〕

「丁重なる出迎えを頂き恐縮次第……いやしかしこれは驚きました。素晴らしい大章語ですな。もしや貴殿が梓弓少将殿ですかな?」


 流ちょうな大章語で挨拶を述べた行武に目を見張る湘永漢であったが、これまた負けず劣らず流ちょうな瑞穂語で挨拶を返した後に感想の言葉を発すると、今度は行武の周囲に居た者達が一様に驚く。

 行武が東方大陸語を話せることにも驚いたが、湘永漢が瑞穂言葉を話せることにも驚いたのである。


〔流麗な瑞穂言葉をお話になりますな。感服致した〕

「そういう梓弓少将殿は、以前我が国にも居たことがお有りでしたな。いや大章語はその時に学ばれたのですな?」


 お互いにこやかな挨拶を互いの言葉で為し、行武は辞儀礼、湘永漢は拱手礼を贈る。

 双方の礼が終わった後、行武は湊館へと大章使節を案内すべく声を掛けた。


「海東の辺境国なれば、粗相をお許し頂きたい。此方の館へどうぞお越し下され」

「承知致しました」






 瑞穂歴513年 春月2日 東先道広浜国、藻塩潟・湊館みなとやかた


 大章のような東方大陸では、建物の石造りや木造に関わらず丹や漆、各種顔料を用い、その上で金箔銀箔を使い華々しく飾り立てるのがならいであるし、好まれる。

 しかしてこの藻塩潟においては木造の建物が大半である上に、顔料などはあまり用いない瑞穂国の古風な装いであるため、東方大陸風に言えば粗末な造りである。

 木目を際立たせ、皮を削いで綺麗に削り整えられた丸太柱に板床、敷かれた竹筵も綺麗に編み目が整っており、素材の風情を活かした派手さは無いものの洗練された文化文明を感じさせる建物に、湘永漢らは関心を寄せる。

 用意されている椅子や大卓も西方大陸風の造りではあるが、色は塗らない瑞穂国の特徴が出た物だ。


「ふむ、これはまた味わい深い建築物ですな。我が国の物とは随分と違う」

「ははは、瑞穂は素材の持つ特徴を好みますのでな。お国の豪華さとは方向性は違いまするが、これはこれで良い物ですぞ」


 湘永漢の感心の言葉に行武がそう応じると、随員達も感嘆の声を上げながら建物や家具類を見ている。

 中には小馬鹿にした顔をしている随員もいるので、全員が全員ではないだろうが、瑞穂国の文化文明の理解に一定の効果はあったようだ。

 各々が席に就いたところで、マリオンが指示を出し、夷族や和族、それからマリオンの係累の西方人の給仕達が、全員の席に飲物を配る。

 木製の杯が置かれ、そこに湯気を立てる飲み物が取手付きの壺から注がれる。


「これは……甘露湯ですかな?」

「御国の物とは少し違いますがの。湯に蜂蜜と香草、薬草を加えた慈養に良い飲み物ゆえ、どうぞ遠慮無く召し上がられよ」


 湘永漢が香りに気付いて問うと、行武はそう答えてから一口含んで飲み下す。

 その行為の意味に気付き、湘永漢は一つ頷くと自分の前に置かれた簡素な木杯を手にし、随員達が止める間もなく飲み下す。


「ほう、これは良い。長い船旅の疲れが癒やされます」

「それは良かった」


 湘永漢の笑顔に笑顔で答え、交渉が始まった。






「では、確かにお渡し致す」

「有り難し。これで私も皇帝陛下の意向を果たせます」


 お互いの紹介と今回の戦いに対する所見を述べ、瑞穂国が一応の勝ちを収めた形で停戦の約束が双方の間で交わされた後、行武は雪麻呂が差し出した大章国兵の名簿を湘永漢に手渡す。

 それを受け取りながら湘永漢は礼を述べるが、続いてその中身を使節の随員と検め始めてからしばらくして、帳簿の丁を捲る手を止めて眉をひそめる。


「梓弓少将殿」

〔此方に関しては全て貴国の軍兵と見なしております故に引き取って頂く〕


 湘永漢が疑問を呈そうとするが、それを予想していた行武は、敢えて大章語で遮るようにして宣言した。


「ううむ……弁国人についてはまだしも、八威の者や或鐶の者は故地から引き離すことになりますぞ」

「それについては貴国次第じゃの、我々としましては瑞穂の領域から去って頂くことは既に決定じゃわい。これを受けて頂かねば、虜囚は返還致しかねる。全て京府に連行致して労役に付する」


 抗議めいた湘永漢の言葉に、行武はぞんざいな口調でぴしゃりと言い捨てた。

 湘永漢は随員達としばらく相談するが、やがて諦めたように言う。


「分かりました。この件については貴国の意向に沿いましょう」

「では身代金の交渉じゃのう」

「……そこは譲歩頂きたい」


 自分の言葉に憮然とした様子で言う湘永漢に、行武はにんまりと笑みを浮かべて応じる。


「ふむ、まあ、話し合いじゃのう」






 湘永漢は交渉が終わった後、早速手持ちの財貨を使い大章兵の中でも高位高官に連なる者や将官であった者達を引き取った。

 そして、いまはその者達と一緒に湊館で歓待を受けている。

 行武達もこれに参加した後、分かれて一旦梓弓砦へと引き上げた。

 湘永漢達も数日中には補給や船舶の整備を終え、そのまま京府には寄らず直接燦州へ引き上げるとのことであった。

 行武としては湘永漢が交渉の内容を朝廷に図るという方便で京府に向かい、その中身を暴露して朝廷と行武の関係をこじらせるべく働く可能性も考慮に入れていたが、現状ではその意図は無さそうである。


「少将様の御懸念は外れましたが……」

「大章国内での政争も佳境を迎えておるのじゃろう。こちらに関わるよりも、早く交渉の成果を大章国内で政治的成果として宣伝したいといったところかの」


 少彦の言葉に行武はそう応じる。

 大章国内での勢力争い、政治的主導権争いのどちらか一派に与している湘永漢は、一刻も早く大章に戻りたいという思いがある様子である。

 その為に高位高官に連なる将官などをまず連れ帰ることを目論んだ。

 行武として心配なのは、湘永漢が実は全く大章国を代表していない場合。

 単に大章国内の政治的派閥の一派が勝手に大章国代表を名乗って、謂わば詐欺的な交渉を行っていた場合だが、マリオンらの調査でその心配は無いと分かっている。


 それは行武にも言えることで、行武が瑞穂国を代表していないと断じられた場合はあっさりと交渉の成果を反故にされる可能性もある。

 しかしながら、行武の見立てでは湘永漢らは行武を瑞穂国の代表と言うよりも、東先道を実質的に支配する現地政権と位置付けている様子で、その交渉も国同士と言うよりも現地政権と大章国の下部組織の交渉という体であった。


 その証拠に、交渉に関わる文書は取り交わしているものの国書は交わされていない。

 今回の交渉は言うなれば、瑞穂国の現地政権あるいは現地の軍指揮官と大章国の下部組織が行った、単なる停戦協議であり、それに付随する交渉であったとの位置付けだ。

 それであれば全く今の状態で成立しうる交渉であるし、結果を反故にする理由も無い。


「あのように強気な交渉で良かったのですか?」

「問題はあるまい。対価は頂かなくてはならぬじゃろ」


 雪麻呂の心配そうな言葉に行武は笑顔で応じた。


 結局、行武と湘永漢の間で交わされた約定は、

  大章国とそれに従う諸勢力は瑞穂国及びその軍指揮官である行武と停戦する。

  領域は、今回の戦い以前の状態を双方が維持する。

  瑞穂国と陸続する領域に、最低2年間、大章国と追従勢力は進出しない。

  瑞穂国内に残された船舶、武具、糧秣は行武が接収するが、大章国はそれらを購入出来る。

  虜囚は全て大章国に移すこと。これは大章人以外の者も全て含む。

  虜囚一名につき、大章国は米2石、若しくはそれに相当する対価を行武に払う。

  虜囚の扶養に掛かった費用は、別途支払われる。

  虜囚は対価が持参されると同時に順次引き渡す。

  海賊及び山賊、それに類する行為は双方がこれを認めない。

  海賊及び山賊、それに類する行為は双方が自身の領域で適切に取り締まる。

  瑞穂国藻塩潟に大章国の商船、官船は入港出来るが、軍船の入港は認めない。

  大章国と瑞穂国は、藻塩潟で各種取引が出来る。

  大章国と瑞穂国は、瑞穂国で禁じられている各種取引は出来ない。

  大章国と瑞穂国は、藻塩潟での各種取引について大章国銭貨の使用が可能。

と言ったものになった。


「まずまずの成果じゃの」


 行武はにんまりとその内容を記された書簡を見ながら笑みを浮かべて言うと、財部是安も同じような笑み浮かべて言う。


「先頃の戦で接収した物資も莫大なものでしたが、殿様のお陰で、近い内に大章国から一万石以上の財貨が改めてこの地にもたらされます。これで東先道の財務状況は好転致しましょう」

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