65話 大武功の余波
瑞穂歴512年 初冬月27日 瑞穂国京府、大内裏・朝議の間
既に北方から梓弓行武大勝利の確認と確証が取れたことが知れて、五日以上が経っていた。
比較的温暖なここ京府でも北風が強く吹き付け、降雪や積雪が多くなってきている。
しかし町中を歩く庶民や下級貴族、国兵達の表情は以前と比べて明るい。
それというのも、北での戦勝が庶民にまで周知されてきたからである。
もちろん、朝廷は剣持兵部卿が行武の征討に失敗したことは元より、諸外国の侵攻も、その後の勝利も積極的には宣伝していない。
しかし、大章国の戦艦や弁国の水軍船は隠しようも無く、また大伊津から京府までの道のりを虜囚を引き連れて歩く武銛ら一行の行動を留め立て出来ず、ついには揺曳衆が京府で宣伝工作をするにいたり、行武戦勝の事実はあっさりと知られてしまったのだ。
京府は見たことも無い大船や異国の軍兵を虜囚として連れてきた早速武銛とその一行に熱狂し、歓声を上げ、その切っ掛けとなった行武の戦勝を言祝いだ。
閉塞感漂う京府と瑞穂国に、北から一陣の清涼な風が吹き込んだのである。
そしてその清涼な風は、澱んだ朝廷を大いに揺さぶった。
しかし、朝廷に集う貴族達はそうではない。
一様に暗く沈み、苦虫を噛み潰したような渋面で毎日のように朝議を開くのだが、何も決まらず、決める道筋すら見いだせなくなっていたのである。
ここ半月ほどの議題は3つ。
一旦は賊と断じた梓弓行武の処遇や、恩賞をどうするのか。
梓弓行武の把持する軍をどうするか。
攻め寄せた諸国に対する対応を如何に進めるか。
この3つが決まらず、然りとて後回しにするわけにも行かないということで、ずるずると同一議題での朝議が重ねられていたのである。
按察使として送り込んだ取手坂井麻呂と永鉾良匡は凄惨な戦場跡にあてられたらしく、青白い顔のまま行武の事績を報告するのみで、軍監として行武に付き従い、間謀の働きを期待して送り込まれていたはずの玄墨久秀さえも、行武の軍功や武功、東先道の平定についての功績を語るばかりで、物の役には立たない有様。
朝議を主催する硯石基家にしてみれば、行武を貶めてその功績を小なりとも削れる切っ掛けが欲しいのに、それを得られる状態に無い事がはっきりとした。
逆に言えば、行武に厳しい目を向けるべきところでありながらその功績しか報告出来ないほどに激烈且つ突出した功績を上げたと言うことに他ならない。
しかも、見過ごせないのは討ち漏らした小桜姫が行武の元にたどり着き、庇護を受けているということだ。
あまつさえ、按察使のみならず軍監や衆人環視の目の前で山渦共が暴走し、小桜姫を襲ったという。
恐らく仲間を思ってのことであろうが、その報告を聞いた際は思わず舌を打ちそうになったほどだ。
所詮は山渦と蔑んだところで、この失態は取り戻せない。
基家の指示で付けた按察使の下司達であったが故に、余計に先の大王の急な逝去や奈梅君の変死、小桜姫の行方不明に基家の関与が深く疑われる事態となっていた。
さすがに今は基家に従っている文人貴族達も、あまりにあからさまな証拠を次々と突きつけられては、基家に反抗せざるを得なくなりかねない。
しかも東先道にどっかりと腰を据えた行武は、つい先頃の大章国や弁国の軍勢を撃ち破り、八夷族や或鐶族の襲来を蹴散らしたという武功を挙げてなお、未だ1万余もの大兵を抱えたままである。
それに加えて、鎮西に追いやった先々代大王の弟である田那上王も健在で、陰に陽に影響力を保っている。
「兵はどれ程集まったのか?」
「未だ5千ほどです。諸国に動員を掛けておりますが、東先道は元より、鎮西府配下の諸国も田那上
王が動員を差し止めております。何でも西方大陸諸国に不穏な動きがあるとか……」
基家の問いに兵部少輔の地位にある大立壱麻呂が恐る恐ると言った風情で回答する。
それを聞いて基家が溜息を吐くと、壱麻呂はぶるりと身を震わせた。
壱麻呂は本来朝議に参加出来る身分ではない。
しかしながら、上位者である兵部卿の剣持広純が先の行武に対する征討失敗で未だ謹慎を解かれておらず、また兵部大輔の梓弓広威は行武の甥の子供にあたるため、血縁から繋がりを邪推されて昇殿停止となっているという事情から、特例で朝議への出席を命じられたのだ。
「さ、先の征討軍に参加すべく、京府近郊から兵を集めました故、兵が居らぬのです」
「左様なことは分かっている」
壱麻呂の言い訳がましい説明を遮り、基家は黙考する。
周囲では文人貴族達があれやこれやと話し合ってはいるが、結論が出ないのは今日も同じ。
いっその事取り込んでしまうかとも考えたが、小桜姫がいる以上、それは受け入れられないだろう。
それに、一度は叛徒であると断罪したのに、それを覆せば朝廷の沽券や無謬性にキズが付くのは明らかで、然りとて征伐するには兵も将も物資も足りず、大国の軍を撃ち破り、蛮夷を追い払った行武に勝てるとは到底思えない。
全てにおいてままならず、基家は結論を出せずにいたのだった。
瑞穂歴512年 冬月28日 東先道広浜国、梓弓砦
東先道は本格的な冬を迎え、幾度となく寒波が大地を襲う。
田畑も凍結し、水路の水面に氷が分厚く張るようになり、強い北風が砂埃を巻き上げて吹き付ける。
時折、屋根が埋まるほどの大雪が降り積もり、藻塩潟のみならず広浜国全体を白銀の平原へと変えてしまう。
雪と寒さが人の活動を抑え込み、圃場整備も水路開削も雪解けまでは出来ない。
そんな中、行武は揺曳衆や夷族の者達を使ってあちこちに密偵を放ち、また使者を派遣してこの地の安定と発展に意を注ぐべく知恵を絞っていた。
「ふむ、では大章国からは春に使者がこの地に直にやって来るのじゃな?」
「はい、間違いありません。捕虜の返還を求めて大章国宰相府の高官である湘永漢主客司郎中がやって来るとのことです」
自分の問い掛けに淀みなく答えるマリオンを見て、行武は思案げに顎髭を扱く。
鎧兜は身につけず、狩衣の上に軽部麻呂から贈られた狼の毛皮で出来た夷族風の外套を纏う行武と、厚手の羊毛で出来た自前の外套を着たマリオン。
2人とも西方風の瀟洒な椅子に腰掛けており、マリオンの後ろにはこの知らせをもたらした西方人の一団が控えている。
翻って行武の側には、右手に財部是安、畦造少彦、猫芝、薬研和人が簡素な造りの椅子に座って居並び、左手には本楯弘光、軽部麻呂、武鎗重光、大川内信彦が同じく簡素な椅子に座っている。
それぞれがそれぞれの特徴ある外套を身に纏っており、さながらこの広間は諸族の冬の装いの見本市のようである。
そんな光景に面白味を感じ、また自分の仲間達が頼もしくも集まってくれたことに思い至り、行武は笑みを浮かべてから真正面にいるマリオンに目を戻す。
「主客司郎中と言えば、礼部の下位に位置するとは言え、外交を司る部署。その長官を瑞穂国などという蛮国に派遣するとは、大章国も思い切ったものじゃ」
「それほど今回の大戦が衝撃的だったのです。大章国では今や梓弓征討軍少将行武の名を知らぬ者は無し、西の燦州に留まらず、都や東方諸州でもこの敗戦は庶民貴族の別なく噂となって駆け巡っておりますそうですよ」
行武の感想にマリオンが嬉しそう笑みを浮かべながら言う。
マリオンの言うとおり、大章国において久々の完敗に終わった今回の瑞穂国遠征によって、政治的打撃を受けた高位高官や貴族は軒並み失脚の憂き目に遭い、その政治情勢が一変したのだ。
政敵達を追い落とすべく、行武の武功と盛名を大章中に知らしめ、敗戦を触れ回った者達がいたからこその政変であろう。
もちろん、マリオンら西方人達もこの顛末を触れて回っているのは言うまでも無い。
「……生き残った兵だけでも救い出して、大章皇帝の徳に触れた蛮夷の将軍が感服し捕虜を返した、としたいのじゃな。そして政敵を追い落とした上でわしらと誼を結ぶと……まあ良くある彼の国の筋書きじゃ」
「しかし、乗るべきかと思いますが」
行武の言葉に反応して少彦が言うと、すかさず軽部麻呂が眉をしかめて応じる。
「勝ったのはこちらだ、条件を付けてくるならばまだしもただで虜囚を返せとは、虫が良すぎるのではないか?」
「その意見に同意ですな」
信彦も軽部麻呂の意見に賛意を示すと、少彦が少し眉根を寄せて口を開く。
「しかし、使者を派遣するつもりも無い弁国は除いても、大章国を怒らせてしまえば再度の遠征軍派遣を招きかねません。彼の国にはそれだけの力はまだまだあります」
「そうなれば我々が再度勝ったとしても、大章国以上の被害を受けることになりましょう。農地も港も、砦も兵も、勝ったとしても損害はあるのです」
少彦の言葉に是安が言葉を継ぎ、行武を見る。
ふうむ、とうなる行武を見ながらも、弘光が口を開く。
「それはそうなのでしょうが……過度に恐れる必要は無いのでは?身代金ぐらいは支払わせるべきでしょう。それこそ今回の戦での損害も馬鹿にならなかったのだから」
「……どうするのじゃ、行武よ」
喧々囂々の議論となる中、猫芝がそっと行武に近付いて耳打ちするように尋ねる。
それを見ていたマリオンがぴくりと耳と目を動かすが、行武は下を見てううむと唸ってから組んでいた腕を解き、マリオンに目を向けた。
「マリオンよ、朝廷のある京府、あるいは我が瑞穂国の外交館のある近坂ではなく、ここに大章国の使者が来るのじゃな?」
「はい、この者が大章国の主客司から依頼を受け、委託された書簡を持参しております」
マリオンが後方にいた1人の西方人男性を示すと、示された者がゆっくりと立ち上がって行武に歩み寄り、捧げ持っていた封緘付きの巻物を差し出した。
行武がそれを受け取り、封緘を取り払って開き読み下す。
そこには確かに行武の官職氏名が記されており、正式な国書ではないもののそれに準じた書式で作成された書簡があった。
内容は概ね予想されたことであるが、大章国皇帝の威徳を讃えるばかりかその威徳を大いに慕って捕虜を返還すべし、ついてはその威徳に対価を支払うべきであるという、相変わらず大章国らしい尊大で意味不明な自前のみで通ずる理論を並べ立てた上、過剰な要求が記されていた。
「まあ、いつものことじゃが……相変わらず自国の理論、論理だけで思考し、それを外に押し付けようという厚かましい内容じゃ」
一応正式な文書ではないので大分抑えて書いてあるのだろうが、それでも酷い内容だ。
しかし行武はその書簡を適当に丸めて傍らの雪麻呂に手渡す。
雪麻呂は女性である事やその出自が行武に露見したが、それまでの国兵装束と名前、そして自分の仕事を改めるつもりはない様子で、いつも通りの格好で控えている。
自分に似て頑固な孫娘の姿を見て、笑みを浮かべると行武は再び思案する。
大章国がこちらに直に使者を派遣する意味は何か。
朝廷に行っても、袖にされるか断られるか、あるいはもっと悪く交渉にすら入れないかという可能性を考慮したのかも知れない。
それは十分ありうることだが、行武はもう一つ可能性を考えていた。
そもそも行武と朝廷の間が思わしくないのは、既に大章国も掴んでいる情報であろう。
であれば、行武に敢えて越権行為をさせることで、朝廷との不仲を煽ろうとしているという事も考えられる。
今の大章国を動かしている者達は大概宥和派である事に間違い無いのだろうが、そうは言っても諸外国が弱体化していればそれに越したことは無い。
あわよくば内戦を誘発させても良いだろう。
行武とその軍兵、それに小桜姫には、瑞穂国内で内戦を引き起こす大義名分と理由が十分以上に備わっているのだ。
しかし、行武は瑞穂国内乱の危険性があったとしても、使者を直接受け入れる方がよいと考えた。
「とは言え、いきなり攻め込んで来たことを思えば随分と下手に出ておることは間違い無かろう。攻めを提案して失敗した政敵を出し抜いた者達が主体であれば、まあ、大章国も気を入れて高官を派遣してくるのじゃ、一応交渉は成立しうるじゃろうしの」
自分が書簡を読み終えた後の反応を窺っていた者達を前にして、行武は徐に口を開く。
「まあ、勝手なことは言わせておけば良いが、勝ったのはこちらじゃ。それなりの対価はこちらも要求するわい。虜囚は何時まで居っても仕方ない故に、引き取ってくれるというならば渡そうぞ。おまけに弁国と或鐶の連中も渡してやれば良かろう」
「確かに、糧食も馬鹿になりませんですからな」
行武の言葉を聞いてから頷きなつつ是安が言う。
行武の言うとおり、自軍に匹敵する捕虜を得たため、その処遇を持て余していたというのが本音であり、出来ればこの地からさっさと去って欲しいのだ。
未だ開拓が始まったばかりで、穀物を含めた糧食の生産体制に余力はそう無い。
この冬は何とか越せそうであるが、そのまま養い続けるのは不可能であるし、かと言って労働をさせたりして住民と紛議が発生しても宜しくない。
ましてや一部は或鐶族などで、労働など外でさせようものならそのまま逃げ散ってしまうのは火を見るより明らかであるし、捕虜と雖も兵士を使役するのは見張り一つとってもかなり大変だ。
「では決まった。虜囚は全て大章へ返すこととする。そして、講和の上で大章の商船を藻塩潟へ招き入れるよう交渉しようぞ。さすれば東方交易にてここ藻塩潟で財も成せるしの」




