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63話 終戦

瑞穂歴512年 初冬月15日 東先道広浜国、藻塩潟


 大戦おおいくさは終わった。


 大章国軍と或鐶族の激突は夜半にまで及び、双方が甚大な被害を受けて撤退したのだ。

 大いに疲弊した大章国軍はその後、砦から討って出た行武によって波打ち際で更に撃破され、少数の兵が何とか砂浜から船を離脱させて逃げ帰った。

 残る者達は行武らに打ち倒され、あるいは捕虜となり、そして大多数は海に追い込まれて溺死した。


 或鐶族は逃走の際、戦勝を聞いて戻ってきた大川内信彦らが放った矢に射貫かれて更に数を減らし、合流しようとしていた八夷族や或鐶族の徒歩戦士達も一緒に逃げ散った。

 そうしてこの大戦の様相は、行武が先行して京府へ送った大勝利の奏文とまるで同じ内容となったのだ。


 一旦は砦の中に押し込まれた国兵達は、この大勝利に沸き立ち、梓弓砦の中のみならず、周囲の平原や森は行武を讃える歓声一色となった。

 やがて早馬が東先道や東間道諸国に放たれ、戦勝の知らせを告げて回る。

 行武は文字通り、瑞穂国のみならず、周辺諸国に対しても唯一無二の武功を示したのだ。

 軍が壊滅した弁国は、これ以来国勢を立て直すことが出来ないまま内乱が頻発し、最後は王権が打倒されて新たな王朝が立つこととなる。


 また超大国である大章国ですら、この損害と政治的打撃からの回復には相当の時間を要する羽目になり、これ以後は瑞穂国への侵攻を事実上断念することとなる。






 しかしながら今はその情勢を予想しながらも知る由も無い行武は、ゆっくりと戦場を歩いていく。


 色々な種類の矢や武具、鎧や兜が大地に突き立ち、折れ、散乱し、戦場の過酷さを物語るこの場所。

 周囲は正に凄惨な有様であり、そんな戦場の真ん中をゆっくりと行武が歩いている。

 血や体液が染み込み、不気味な黒ずみを生じさせ、かつて身体の一部であったであろう物が散らばっている。

 そんな惨憺たる有様の戦場の中央にて、行武は山下麻呂や雪麻呂、軽部麻呂、軍監の玄墨久秀、薬研和人を伴い、死体を回収し、武具を国兵達に集めさせていた。


「……改めて見るが、凄まじいものですな」


 玄墨久秀が浅黒い怜悧な顔に驚愕の表情を僅かに浮かべて言うと、和人が顰め面で口を開く。


「行武め、恐るべき手管ぞ」


 しかし行武は首を左右に振りながら、何でもない事で有ると言わんばかりの口調で言う。


「然程でもないわい。我が実力にて撃ち破りしものであればもそっと誇り様もあるのじゃがの。詐術を設けて敵同士を食い合わせたに過ぎぬ、謂わば敵の失策にて勝ちを拾ったようなものよ」


 言い終えた行武は、如何にもな渋面。

 軽部麻呂はそれを聞いて組んでいた腕を解き、前に立つ行武を見てから言う。


「それが恐るべき手管ではないのか、老将?」

「本当にとんでもねえ爺さんだぜ」


 山下麻呂が続いて言い、雪麻呂が憧憬の眼差しで見つめるのを見て、行武は口を歪めてから言う。


「まず、或鐶や八夷族共と大章国の連携など然程取れてはおらぬと思うたが、そのとおりであった。それに、弁国之者共と大章国も思惑が違ったのが一助じゃ。後は、まあ、我ら自身の踏ん張りに拠るところも大きいかの。国兵共が粘ってくれなければ、この勝ちは拾えなんだじゃろうからの」


 そして、傍らにやって来た顰め面の烏麻呂、それにマリオンと猫芝を引き連れて駆け寄ってくる小桜姫の笑顔を見て、笑顔を返す行武。

 更には自分の後ろに立っている雪麻呂達、周囲できびきびと動く国兵達を見回してから、嬉しそうに言葉を継いだ。


「正に此度の勝ちは皆の大いなる加勢のお陰じゃ」







 奏文を受け取った朝廷が送り込んだ、事実を確認するための按察使あぜちが早馬でやって来たのは、戦が終わって三日が経過した夕方となった。


「少将様」

「ふむ、来たようじゃな」


 傍らに付き従う雪麻呂から声を掛けられた行武が見上げると、街道に薄汚れてはいるが瀟洒な服装の一団が見える。

 狩衣姿とは言え、冠から靴先に至るまでしっかりと整えられた服装で、一目で高位の貴族であると分かった。

 しかし連れている供の者達の素性は、同様の服装でありながら如何にも雰囲気が胡乱で、宜しくなさそうだ。


 険のある目付きに周囲を探るような仕草を隠そうともせず、また行武や国兵を見て薄ら笑いを浮かべている。

 行武の見るところ、人を人と思わない、人殺しに馴れた者達であろう。

 そんな者はこの瑞穂国には多くない、山渦さんかだ。

 京府では蔑まれる者達であるが、力はある。

 そして山渦が忌み嫌われるのは、その力を隠そうともせず、容赦なくそれを弱者にも振う点だ。

 故に信頼されず、蔑まれ、疎まれ、挙げ句には朝廷から追討を受けて山奥に隠れ住んだのである。


 そんな一族が再び表舞台へ立とうとしている。

 行武は首魁の手管に怒りを通り越した呆れを感じるが、それを隠して雪麻呂に声を掛けた。


「供回りの者共は貴族や雑色ではない、山渦じゃな」

「あれが……」


 山渦の異様な雰囲気を肌で感じ取っていたのか、行武の言葉を聞いた雪麻呂は、小さく頷きながら身体が強張らせる。


「雪麻呂よ、按察使にどうやら山渦共が引き付いて来ておるわ。一足先に砦に戻り、小桜姫様達に警戒するように伝えてくるのじゃ」

「……分かりました」


 行武の指示を受け、雪麻呂は直ぐに砦に向かう。

 その後ろ姿を見送ってから、行武はゆっくりと街道へと歩みを進めた。




 随分と片付いたとは言え、按察使らは、焼け焦げ、武具が散乱し、死臭や血臭が漂う戦場の惨状を目の当たりにして顔を強張らせ、またおびただしい死体が国兵らの手によって戦場から運び出されているのを見て取ってうめき声を上げる。


 戦場掃除は何も遺体の始末だけではない。


 元々農地である場所が踏み荒らされてしまったので、行武はその回復も命じている。

 国兵達は武具や鎧兜、そしてその破片に加えて地に落ちた矢や石弾を拾い集める。

 また、水路の間際では土嚢を取り除いたりして水流を変え、泥田にするために引き込んでいた水を排除する。

 別の国兵達は堅く踏みしめられた場所に集まり、鍬や鋤を使って土を掘り返して解し、油で汚れた土を取り除く。


 壊された畦を築き直し、水路に入った泥やゴミを引き上げ、農道を整える。

 それに加えて敵味方の別なく遺体から服や武具を外して集め、藻塩潟に乗り上げた大章国の戦艦や弁国海賊の船、弁国軍の船を接収する。

 仕事は挙げれば切りが無く、人手は足りない。

 遺骸の片付けに相応の時間と人手が必要なので、そういった農地の整備や土地のならしは後回しにされがちであるが、そうは言っても絶対やらなければいけないことである。


 

 

 行武の依頼によって久秀が奏文を送り、それを朝廷が受け取ってから丁度四日目。

 駅で馬を代えつつ疾走してきたのだろうが、それでも相当に早い。

 行武の思惑通り、戦が終わったその時に按察使が到着した。


 これで何が起こったか全て分かる。


 もっと言えば、戦の最中に来てくれればなおよかったが、さすがにそこまで求めるのは強欲というものだろう。

都合12騎で現れた按察使は、正使として刑部大輔の取手坂井麻呂とりてのさかいまろ、副使に第1軍団長の永鉾良匡ながほこのよしただがいる。

 その他の者達は硯石基家から付けられた下司達で、素性が知れないことに坂井麻呂と良匡は薄気味悪さを感じていたが、最高権力者からの指示では従わざるを得ず、こうして按察使を形成し、ここ東先道までやって来た。


 旅塵にまみれた按察使を見て、戦場掃除と呼ばれる戦死体の処理を指揮していた行武は、青い顔で街道で佇む按察使に向かう。

 按察使が自分の思惑通りに驚愕しているのを見て、内心ほくそ笑みながら行武は何食わぬ顔で話しかけた。


「遠路はるばるようお越し為されたわ。しかしながら我ら未だ戦場の始末に追われておる次第にて、歓待など出来申さぬわい」


 鎧兜姿の行武にそう声を掛けられた坂井麻呂と良匡が驚いてまじまじとその姿を見ると、鎧兜のあちこちに返り血の後や刀傷が生々しく残っているのが分かった。

 息を呑む2人を余所に、行武は戦場となった藻塩潟を振り返りつつ手にしていた折れ鉾の柄で周囲を示して言う。


「見てのとおり、大章国の瑞穂遠征軍1万5千、弁国の輩1万、或鐶族の戦士団8千、八夷族の戦士団1万がこの地に押し寄せましてのう。我らが死力を尽くして撃ち破った次第にて」


 行武が指し示した先を見れば、国兵の監視する簡単な柵の中に虜囚となった大章国兵や弁国兵が所在なさげに座り込んでおり、またそれ以上に戦死体が散乱している。


「これでも大分片付けましたのじゃが、いかんせん数が多く如何にも成らぬ次第、戦場のことなれば、仕方無しと」


 地に穴を穿ち、弁国兵や大章兵の死体を投げ込む国兵達の姿を見て、馬上で坂井麻呂が激しく嘔吐した。

 青ざめた様子で良匡はそれを呆然と見つめるのみで、周囲の下司達も誰も動かない。

 やがて穴に放り込まれた死体に油が撒かれて火が掛けられ、黒煙と共に人の焼ける酷く鼻につく臭気が充満し始めると、良匡がずり落ちるようにして馬から下りて嘔吐する。


「討ち取りし者、大章兵5千余、弁国之輩7千余、或鐶族3千余、八夷族めは逃げ散りましたのでな。その他に虜囚となった者が大章兵3千、弁国之輩2千、或鐶族1千……」


 行武が淡々と戦果を報告していくと、馬を下りて嘔吐し終えた坂井麻呂が、それを制止しようと苦しげに声を掛ける。


「しょ、少将……」


 しかし行武は意地の悪い笑みを浮かべて言葉を継いだ。


「我が軍の軍監が送りし奏文に疑義がお有りになるが故の御使者でありましょう。存分に死体の検分を……いやいやこれはしたり、我らが戦果の検分をこれ致すが良かろう」


 文人貴族達が最も嫌がる死穢しえの充満する戦場。

 そのただ中にいることにようやく気付き、良匡と坂井麻呂の顔が青を通り越して白くなる。

 そして再度の嘔吐。


「好い加減にして貰いたいものじゃ。我らが命を掛けて、あるいは命を失ってまでこの瑞穂国を守ったというのに、その戦果を蔑ろにするばかりか胃の腑の物で汚すとは、無礼にも程があろうぞ」

「い、いや、これは……」


 行武が怒りを見せて言うと、慌てて口をぬぐいつつ良匡が言い訳をしようとするが、坂井麻呂はその余裕もなく嘔吐を続ける。

 仕舞いには胃の腑を空にしてしまい、空気と黄色い胃液を戻すばかりとなった。


「梓弓少将、戦果はよう分かった。屹度京府に戻りてその戦功を讃える故……」


 死穢を逃れたい、その一心でこの場を逃げだそうと考えた良匡がそう言うと、先程の剣幕はどこへやら、破顔一笑した行武がその言葉を遮って言う。


「それは良きこと。わしも骨を折った甲斐があったというものじゃ。命失いし者や怪我を負いし者も大いに報われよう……では、虜囚を連れ帰り、戦果となった敵兵共の首を差し上げる故に、京府へ持ち帰られるが良かろうぞ……では直ぐに用意する故、早速武銛の船を呼び寄せてそれらを大いに積み込み、大伊津へ疾く戻られるが良かろう」


 絶句する良匡と坂井麻呂に近付く行武。


 そして間近に迫ったその目を見て、2人は行武が本当は全く笑っていないことに気付いて更に言葉を失い、ただただその顔を見つめることしか出来なくなるのだった。

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