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61話 中戦

「退けい!直ぐに退くのじゃ!」


 一転して追討ちに転じようとしていた瑞穂国兵を行武は怒声に近い声を張り上げて制止する。

 意気を上げて逃げ惑う弁国兵や海賊達に追いすがろうとしていた国兵達が怪訝な顔でたたらを踏んだ。


「少将様、お言葉ですが勝ち戦ですぜ?」

「今は追い首を稼がねばならぬときでは?」


 山下麻呂と弘光が相次いで進言するが、行武は頭を左右に振って言葉を継ぐ。


「本番はこれからゆえに、ここで体力を使い果たしたり損害を出すわけには行かぬ。追討ちとは言うても、泥田に踏み入ればこちらの進退がままならぬ故に、然程は討てまい。それよりも沖の大章国軍に備えるのじゃ。八夷族や或鐶の連中も気になるわい」


 確かに先頭の国兵達は泥田に足を獲られており、追討ちは難しそうである。

 そして、大章国の艦隊が沖合から藻塩潟に舳先を向けつつあるのを見て取り、弘光や山下麻呂、雪麻呂らが慌てて軍使をあちこちへ派遣し始める。


「砦の間際にて隊列を整えよ!」


 行武が改めて指示を出し、国兵達はゆっくりと梓弓砦を目指して後ずさり始める。

 逃げる弁国兵や海賊達はそれを見て足を緩めつつも、大章国艦隊が浜辺に向かいつつあるのを見て藻塩潟で兵達を収拾し始めていた。

 戦線が解体され、それぞれが陣を整え直す時間を得るのを見て取った行武は溜息を吐きつつつぶやく。


「やれ、緒戦はこれで良し……しかしてこれからが本番じゃ」

 





 大章国の戦艦が入れ替わり立ち替わり砂浜に船体を付け、兵を吐き出し始めてから既に

数刻。

 昼を過ぎた時間になってから、大章国艦隊から陸続と下りていた軍兵の列がようやく途切れた。

 次々と兵を上陸させた戦艦が沖合に再び退き、やがて弁国軍と対峙した時よりは陸に近い場所で遊弋し始めた頃、弁国兵や海賊を左翼に置いた大章国軍が姿を現す。

 大章国軍は幾条もの吹流しが付いた大きな四角形の旌旗を立て、藻塩潟に軍陣を整えるとゆっくりと梓弓砦に向かって進み始めた。

 銅鑼の音がけたたましく鳴り渡り、弁国兵に倍する兵士と重厚かつきらびやかな装備を纏った兵が整然と進む。


 泥田で戦列を乱すことなく、軍陣をそのままに漸進する大章国軍。

 先程勝ちを得て士気が高揚しているはずの瑞穂国の軍兵が、威容に圧されて及び腰になるほどだ。


「きついの」


 その様子を見て取った行武が思わずこぼす。

 弁国兵や海賊のような油断も無く、また練度が遥かに高いのは一目瞭然。

 先程のような幸運が重なっても、この堅陣を打ち崩すのが容易でないことは行武でなくとも知れる。

 そして、緊張と怖気が疲れを兵達に自覚させる。

 油断無く漸進し続ける大章国軍。

 その一方で、更なる凶報が行武にもたらされる。


「……ジジイ!或鐶族あるかんぞく共が来たぞっ」


 一瞬の黒煙と共に現れた猫芝が、姿を露わにするなり叫ぶように告げる。

 その言葉尻も終らぬ中、馬蹄の音が周囲に轟き始める。

 裸馬に簡素な藁編みの鞍と、荒縄で作った手綱を手にした、如何にも蛮族といった風貌の集団が湿った土を踏みにじって現れた。

 数千にも達しようかという、剽悍無比の北方騎馬民族戦士団がとうとう到着したのだ。

 幸いと言って良いのかどうか、歩卒や八夷族の戦士団は居ない。

 恐らく戦闘が始まっていることを知らされたのか知ったのかして、先に駆けつけてきた様子だ。


「むう、これは……思うたより早い!」


 行武のこめかみに冷や汗が浮かぶ。

 しかしながら、直ぐに仕掛けてくる様子はない。

大章国軍と瑞穂国軍が既に戦闘を開始したのを見て取り、模様眺めをするのだろう。

 加えて、梓弓砦の周囲に設えられた泥田もある。

 最大の持ち味である騎馬突撃が出来ないのと、進軍中に馬が足を獲られるのを嫌い、攻め口を探している雰囲気がある。


 その証左に斥候役と思われる騎馬が数騎、周囲に散って行っている。


 本来ならそのまま一気呵成に攻め上がって来るのが蛮族たる或鐶族の真骨頂だが、流石にはっきりと水を引き込まれた泥田を前にしては躊躇したようだ。

 しかしいくら探そうとも、行武が今正面に対峙している大章国軍の進軍方向である南から以外に乾いた地面はなく、やがて或鐶族は行武から見て右側で集まり始めた。


「何とか泥田は馬を防ぎ得たか……」


 行武は一先ず或鐶族が待機しているのを見て取り、胸をなで下ろす。

 ここで正面からの大章国軍とぶつかりながら、右翼から突っ込んでくる騎兵を相手にする事は到底出来ない。

 その様な事態に陥れば、緒戦の勝ちなど消し飛ぶほどの打撃を受けた挙げ句、瑞穂国軍は壊滅してしまうだろう。


「ここで大章兵と一当てした後にと思うておったが、これはいかぬ」


 行武はそう周囲に聞こえないようにつぶやくと、不安そうに自分を見つめる周囲の兵や猫芝の気配を察し、なるべく緊張感を持たせないような落ち着いた声色で号令を下した。


「者共!砦の間際まで繰り引きせよ!決して背を向ける出ないぞ!繰り退きじゃ!」


行武の号令を受けて使い番が走り回り、瑞穂之国兵達は大盾を大章国軍に向けてかざしつつ、ゆっくりと後ずさりを始める。


「焦るでない、ゆっくりと退けば良い」


 繰り返し国兵を励ましながら、行武も砦に向かってじりじりと下がる。


「猫芝よ、危険を顧みずよくぞ知らせてくれた。大儀じゃ。後はわしに任せて砦に籠もっておるが良い」


 行武が優しくそう声を掛けると、その傍らで顔を青くしながらも付き従っていた猫芝の顔が泣き笑いの形に歪む。


「行武」

「何、心配は要らぬわい。わしはそう簡単にはくたばらぬ」

「待っておるぞっ……!」


 ほろりとした苦みを感じさせたその言葉を聞き、猫芝は悔しそうに唇を噛むと、そう言い置いて黒煙を残して消える。

 猫芝が消えるのを確かめ、行武は苦笑しつつ前を見る。

 そこには突撃隊形を作りつつ在る大章国軍の姿があった。

 しかし、行武の想定通り、瑞穂国軍も砦の間際まで退却することが出来、軍陣も乱れなくしっかり整っている。


 戦雲が高まっていた。




「者共!めけや!怖気る勿れ!大章国が仕掛けてくるぞ!盾をしっかと把持せい!弩弓が飛び来るぞ!」


 行武が警告を発したその直後、大章国軍の銅鑼がけたたましく鳴らされ、それから一斉に弩が放たれた。

 真っ黒な弓箭が国兵達にほぼ直線で飛来する。

 威力のある弩の短矢が、前列の大盾を突き破り、打ち崩して国兵達の身体に殺到した。

 あちこちで血煙と叫び声が上がり、破砕された大盾の木っ端が空中に舞い散る。


 前列の国兵が打ち崩されたのを見て取り、一瞬呆然とした二列目の兵。

 訓練不足や経験不足が露呈してしまったのだ。

 その無防備な身体に再度大章兵が発射した短矢が突き刺さる。


「何をぼさっとしておるのじゃ!前が崩されたならば次列が支えるべし!」


 二列目までもが討たれた国兵達に、行武が叱咤激励しつつ指示を出す。

 その指示をもってようやく三列目の兵達が大盾を構えなおした。

 しかし大わらわで立ち直ろうとした国兵に、三射目の短矢が到達、難無くその大盾を突き抜けて兵達を討ち取ってしまう。


「むう、恐るべき威力!これ程離れておっても防ぎ得ぬか!ええいやむを得ぬ!置き盾を持ち来たれい!」


 大章兵の突撃に対して反撃することを考えていた行武は、持ち運びが可能で取り回しが利く大盾で弩を防ごうと考えていたが、思った以上に強力な大章の弩に国兵達が一方的に討たれてしまうのを見て取り、戦法を変えることにした。

 今はとにかく弩を防がなくてはならない。


「置き盾を並べ置けい!」


 行武は一旦反撃を考慮の外に追い出し、置き盾で弩を防ぐべく指示を出し、その指示を受けて国兵達が後ろの者が持って居た置き盾を順に前へ送り回して最前列に並べ立てた。

 重くて重量が有り、取り回しの利かない置き盾ではあるが、その分防御力は高い。

四射目、五射目の短矢は、置き盾によってようやく防がれ、それに加えて置き盾の陰から国兵が弓矢を撃ち返し始める。


 次々と飛来して行く瑞穂国兵の討った矢が、大章兵の陣に到達してその前列や後列を相次いで倒す。

 梓弓砦からも援護の弓や大弓から矢が相次いで放たれる。

 そうしてしばらく弩と弓の応酬が続いた。

 大章兵にも少なからず犠牲が生じているが、瑞穂の置き盾に撃ち込まれる短矢の数は減るどころかむしろ増え、次第に置き盾も傷みが酷くなってきた。


 それを見越し、待っていたかのように大章兵が動き出す。


 漸進してくる大章兵を見て取り、行武は弓射を継続させつつも置き盾を支えさせていた兵達に武具の準備をさせるべく号令を出す。


「むう、相変わらず大章めは油断がならぬ……者共、鉾合わせの支度を致すのじゃ!」


 間近にまで迫った大章兵が、戈を振りかざして駆け出す。

 程なくして瑞穂国兵の陣に襲い掛かった。

 国兵は打ち下ろされ、突き出される大章の戈を自らの鉾を打ち合わせて防ぐが、大章兵は弁国兵と違って統制が取れており、数も多い。


 そして弩で痛めつけられていた置き盾が相次いで大章兵の戈に打ち壊され、蹴倒されてしまった。


 稲を刈るような動きで繰り出される大章の戈に、足や首、胴を刈られて倒れる瑞穂兵。

 繰り出された瑞穂兵の鉾に腹を穿たれ、鎧の隙間には先を撃ち込まれて血反吐を吐く大章兵。

 首元に叩き付けられた戈を躱したものの、後ろ首を引き刈られて血潮を噴き上げる瑞穂兵。

 鉾をへし折ったものの、折れた柄のささくれで顔を突き刺されて事切れる大章兵。

 先程の一方的な戦いが夢幻であったかのような苛烈な乱戦が繰り広げられる。


 行武を見つけた大章兵の士官と思しき者が、その兜に差されている一本雉尾羽を指差して興奮した様子でわめき散らし、周囲の兵達を鼓舞して差し向けてきた。


「うむ、わしを大将首と知ってか……相変わらず抜け目が無いのう」


 しかし行武は群がる大章兵をものともせず、突き出された戈の柄を切り飛ばしてその者の首に直刃太刀を差し込み、返す刀で横にいた大章兵の首を薙ぎ、振り下ろされた戈を躱して脇下から太刀を差し入れて腕を切り飛ばす。

 更に行武の首を狙ってきた戈を僅かな動作で避けると、一斉に掛かってきた大章兵の手足や首筋、脇下や顔面に太刀を合わせて切り払い、突き入れて打ち倒す。


 敵である大章兵のみならず、周囲で戦う味方の国兵も行武の武威に驚き目を見開くばかりであったが、それを意に介さず行武は乱戦の中を泳ぐように太刀を左右に打ち払い、時には突き出してくぐり抜けていく。

 雪麻呂を押し込んでいた大章兵を一太刀浴びせて倒し、転んで突き刺されそうになっていた山下麻呂を助け起こして相手の大章兵の首を切り裂く。


「あ、ありがとうございますっ……」

「ぐはっ、ぼほっ?、はあはあ、助かったぜ……」

「何の戦は未だこれからよ……とは言え、随分と分が悪うなってきたわい」


 周囲を見渡せば瑞穂兵は圧され、大章兵に比べて倒れ伏している者が多い。

 その様子を見て取り、一瞬顔を歪めた行武だったが、すぐに或鐶族の様子を窺う。

 大章兵が優勢なのを見て、文字通り勝ち馬に乗るつもりなのだろう。

 ゆっくりと砦の側目から南側、つまり大章兵の後方へと回りつつある。


「頃合いや良し……雪麻呂、砦に合図を出すのじゃ」

「は、はいっ」


 行武の命で雪麻呂が大慌てで鎧の下から白い布の塊を取り出す。

 若干戦塵で汚れてしまっているものの、よく目立つ白い布で出来た旗だ。

 雪麻呂はその旗を自分の鉾に結びつけると、砦に向かって勢い良く振った。

 しばらくして、梓弓砦の中央部分から黙々と白煙が登り始める。

 行武は残った国兵達に集まるよう使い番を派遣しつつ、その白煙を厳しい眼差しで見つめるのだった。


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