60話 緒戦
皆様方1年間お疲れ様でした。
また、更新遅延にも関わらず拙作を応援頂き大変にありがとう御座いました。
来年も皆様にとって良い1年でありますよう祈念致しております。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
瑞穂歴512年 初冬月12日午前 東先道広浜国、藻塩潟
異国風のけたたましい銅鑼が鳴り響き、弁国兵が大章国風の戈を揺らしながら、盾を前に構えて押し出して来る。
その一方で行武率いる瑞穂の兵達は静かに長盾を並べ、鉾を立てて待ち構えていた。
「良いか、慌てると身が浮き立つ。そうならぬようしっかり腰を落として鉾を構えよ」
行武が国兵達に声を掛けて回る内にも、弁国兵は奇声を発しながらどんどんと近付いてきていた。
銅鑼を打ち響かせ、太鼓を叩いて迫る弁国兵一万二千に、瑞穂之国兵達はゴクリと喉を鳴らしてつばを飲み込み、目を見開いて緊張を隠せない様が在り在りと見て取れた。
数ヶ月前に徴兵されたばかりの京府周辺の農民達が1万。
行武が率いていた納税人足や弾正台の国兵が五百余。
軽部麻呂ら夷族の戦士達が二千余。
訓練は一通り受けているとは言え、実戦は初めての者ばかりで、しかも元から兵士であった者は非常に少ない。
緊張し、身近に迫った命の遣り取りに怖気を振るうのは無理からぬ状況であろう。
それでも逃げ出したり、士気を喪失していないのは、偏に行武がしっかりと訓練を施した上で鼓舞して回っているからである。
「良いか!あの無頼共がこの瑞穂に入り込めば、お主らが丹精込めて手入れしてきた田や畠は踏み荒らされ、血と火に汚されることになろうぞ!お主らの家族はことごとく蹂躙されることになろう!今この場であの者らを瑞穂の地より叩き出す他に術は無い!」
行武は歯を剥き出しにして嗤い、戦後の残忍な褒美を目当てに進む異国の兵を示して言葉を継ぐ。
「乱暴狼藉を防ぎ、家族と土地を守れるのは我ら以外になし!お主らはこの瑞穂の国の栄えある男士ぞ!今こそ誇りを示せ!意地を示せ!この国を守る者は己であると示せ!自らの命を示せ!」
行武の言葉を聞き、国兵達の戦意が静かに漲る。
それを見届けて一瞬辛そうな表情をした行武だったが、次の瞬間には今まで通り覇気のある表情で腰の直刃太刀を鞘から鮮やかに抜き放ち、老人とは思えない大声を張り上げた。
「吼えよや者共!勇めや瑞穂之有志達よ!疾く進みやれ!」
行武の檄を受け、国兵達が歯を食い縛り、腕に力を込めた。
そして盾に鉾を打ち付けながら、鯨波を作る。
「鋭!鋭!応!」
「鋭!鋭!応!」
「鋭応!鋭応!」
盾を地から持ち上げ、打ち並べてゆっくりと漸進し始める国兵達を見て、行武が安堵と悔悟の綯い交ぜとなった表情で踵を返し、先頭になって歩みを進める。
梓弓砦の南側、藻塩潟の湾内にある砂浜から潮除けの土塁を越え、その内側に設けられた田畑に達した弁国兵達は、やがて歩みを緩め始める。
行武の指示通り、北と西の田には水を引き入れてあるため、左側、すなわち西に展開しようとした弁国兵は足を取られて歩みが鈍ったのだ。
中央の弁国兵達はそれに気付かず、突出した形となってしまったが、弁国軍の司令官の指示でそれを修正したために行進が遅くなっていた。
東側は磯浜が続いているので弁国兵は展開していないが、その先には大章国の艦隊がゆっくりと遊弋している。
しばらくして、弁国兵の一部が突出し始める。
制止していると思われる銅鑼や太鼓の合図を無視し、後方に陣取っている弁国軍の将の指示や伝令をはねつけている様子が行武からも見て取れた。
「ふむ、やはり海賊共はしびれを切らしたようじゃの」
きらびやかな装飾を施された軍装を身に付けている弁国兵に比べ、行武を始めとする瑞穂国の兵士達は漆で黒く塗られた短甲と無装飾の兜という出で立ちで、かなり地味だ。
それをそのまま文明度に当てはめてしまっているのだろう。
弁国軍の全体から、行武率いる兵達を侮る雰囲気があからさまに伝わって来る。
その最たるものが弁国の海賊達である。
一部大章国や他の東方の海賊達も雑じっている様子であるが、何れも国に服している者達ではない、いわゆるゴロツキや無頼の類いであり、もっと言えば叛徒でもある。
そんな無秩序な者達を、略奪の自由を対価にかき集めて数の足しにした弁国。
しかしその無秩序さが早くも弱点となって現れようとしていた。
「最も緩き予想が当るとは……わしの運も未だ尽きてはおらぬようじゃの」
とうとう制止を振り切り、武器や衣類を振り乱して走り出した弁国海賊達の姿を見て取り、行武は兜の下でほくそ笑む。
「兵士共!賊徒が突出しおるぞ!」
「応!!」
頃合いを見計らった行武の命によって、国兵達が盾を前に押し立てて足を進める。
立ち止まった行武を抜いていく国兵達。
通り過ぎた兵士の列が行武の廻りから去ると、本楯弘光と雪麻呂、それに山下麻呂がその周囲に集まる。
軽部麻呂は夷族の戦士達を指揮して左翼の東側、磯浜沿いに陣取っており、武鎗重光は右翼の西側、水を引き入れた田の間際で弾正台から行武に付いて来た兵達を中心とした部隊を率いている。
「少将様、勝てましょうか?」
「うむ、まず……稽古鍛錬で教えたとおり出来れば、間違いは無いと思うがの。こればかりは分からぬ」
弘光の問い掛けに、行武は嘆息まじりに返答を返すと、小さい声で言葉をこぼす。
「かつての瑞穂之兵ならばいざ知らず、ほんの少し前まで百姓だった者ばかり故に、練度に不安があるのは明白。安請け合い出来ぬわい」
それでも勝たなければならない故に、行武は幾つもの仕掛けを事前に施していたが、その仕掛けや策が上手くいくかは、この緒戦に全て掛かっている。
行武の不安を余所に、国兵達は気勢を上げる。
行武が訓練で教えたとおり最初はゆっくりと、そして相手が間合いに入ったとみるや、弓で矢を放ち始めた。
弦が鳴り、瑞穂国特有の歪な弧を持つ弓から雉羽の矢が文字通り矢継ぎ早に放たれる。
それに対抗して弁国兵達も矢を放ち始めるが、突出している海賊達が邪魔で狙いが付け辛い上に同士討を恐れて矢を放つこと自体に躊躇を感じている様子。
「弁国兵の矢が緩いですね?」
「うむ、東方諸国は弓矢より弩を能く使う故に、前に味方が居ると撃ち辛いのじゃ」
雪麻呂の疑問に行武は淀みなく答える。
直線で飛ぶ弩は威力も強く、狙いも付けやすいが、連続での発射には向かず、また直線で飛ぶため目前に障害物があると先に障害物に当ってしまう。
この場合、海賊達が逸って先行してしまったため、国兵に狙いを付けるどころか海賊達が邪魔で撃つことが出来なくなってしまっているのだ。
戦列の後方に並ぶ弓矢を持った国兵達は、先行して走り込んでくる海賊達には見向きもせず、後方の弁国正規兵に狙いを付けて矢をどんどん放つ。
山形に放たれた瑞穂国の矢は驟雨の如く弁国正規兵の戦列に降り注ぎ、その命を刈り取っていく。
足を泥田に獲られて難渋しているところに矢が降り注いだことも有り、弁国兵が混乱し始める。
大盾を構えようとした弁国正規兵の1人が足を滑らせ、周囲を巻き込んで転倒したところに矢が相次いで命中し、泥まみれの苦悶の表情で事切れる。
弩を構えるが距離が遠い上に先行した海賊が邪魔で狙いを付けられず、戸惑っている弁国正規兵の首筋に矢が相次いで突き立つ。
身を伏せるも勢い余って泥を吸い込み、苦し紛れに上げた頭を矢が貫き、何とか泥田から足を引き抜こうと苦闘して身をかがめた弁国正規兵の背筋を矢が突き通す。
泥田の中は死体で溢れ、その死体を避けることも出来ずに更に行き足を鈍らせた弁国正規兵が梓弓から放たれた矢の餌食となっていく。
後続の弁国正規兵も混乱を収拾出来ず、手を拱くのみであり、指揮官や士官らしき者達がしきりに後方で騒いでいる様子が行武からも望見出来た。
しかし弁国の海賊達は正規兵の苦況を全く意に介さないまま、一気呵成に行武の率いる最前列の国兵達に向かって突っ込んできた。
そもそも身軽である事から、余り泥田の移動を苦としなかったのだ。
黄色い歯を剥き出しにして髪を振り乱し、汚い衣の上からぼろぼろの鎧を纏った弁国海賊達が目を血走らせ、泥まみれの足を回転させるように走り込んでくる。
その異様な出で立ちや意味の分からない大声に怖気を振るいながらも、国兵達はこれまた行武が教えたとおり一時立ち止まると力を込め、腰を落として待ち構える。
そして、弁国海賊達が間合いに入ったと見るやいなや、それまでの沈黙を破って喊声を発し、どっと一斉に歩調を合わせて鉾を突き出して走り出した。
「良し!良き鬨の声ぞ!奮えや者共!発声こそ怖気を払う唯一無二の薬ぞ!」
行武の檄に答えるかのように国兵達の喊声が大きくなる。
そして、戦場に双方の殺気が満ちあふれ、一瞬の静寂の後に裂帛の気合いが炸裂した。
あちこちで国兵の構える盾と賊徒の武器や身体のぶつかる音が喊声と共に響き渡り、喊声や悲鳴、絶叫が重なって戦場に響き渡る。
奇声を発して襲い掛かる弁国海賊兵に、負けじと果敢に立ち向かう国兵達だったが、経験不足は否めずその無頼特有の勢いに圧されてじりじりと下がる。
しかし軽装の海賊達は、鋭い鉾の突き上げを受けると一溜まりもなく怪我をして崩れ、重傷を負い、また急所を討たれて事切れる。
国兵の戦列に体当たりを敢行するも、腹に鉾の一撃を受け、吐血して倒れる海賊。
突きを躱したものの鉾の刃が脇腹をかすめ、腸を落として前のめりに崩れる海賊。
剣を大盾に叩き付けたものの跳ね返され、体勢を崩したところに鉾を突き込まれて事切れ、その横では大盾で押し倒されたところに鉾を突き刺された別の海賊が絶叫し、はたまたその横では戦列の後方から振り下ろされた鉾に頭を割られた海賊が地に伏す。
装備の整った弁国の正規兵は、相変わらず泥田と弓矢装備の国兵達による投射攻撃に足止めを受け続けており、海賊達は練度不足ながらも装備の整った国兵達に相次いで討たれてしまう、かなり一方的な展開となり始めていた。
「むう……これは」
「少将様?」
優勢に進む戦にも関わらず難しい顔で唸る行武に、雪麻呂が訝って問い掛ける。
行武は少し躊躇いながらも、同じような顔を自分に向けてくる山下麻呂や弘光に言う。
「思ったよりも兵達がやってくれておるが……勝ちすぎじゃ」
「勝ちすぎだあ?」
山下麻呂が戸惑いと驚きを混ぜた声を上げると、行武はしかめっ面のまま頷いた。
「うむ、このままでは兵達は体力を使い果たし、息が上がってしまうわい。未だ戦は序盤も最序盤。ここで息を上げてしまっては続く本番に耐えられぬ……じゃが仕方ないの」
練度不足の兵達には、細かい指示を聞く能力も余裕もない。
本来なら攻勢を緩めて体力を温存させるところだが、経験不足の兵達は予想を遙かに越えて優勢に進む戦に酔い痴れ、全力で戦い続けてしまっている。
「やむを得ぬ。早急に海賊共を崩し、一刻も早く弁国兵を海に追い落とす他あるまいの……海賊共に石弓の斉射を呉れてやれい!」
行武の命令が下ったのを聞き、弘光が伝令を走らせる。
程なくして弓矢装備の国兵達の更に後ろに控えていた、石弓装備の国兵達が戦列をかい潜って最前列に向かう。
そして、大盾を構えて戦う最前列の国兵の肩を叩いて自身の存在を知らせ、攻勢を止めて大盾を構える最前列の国兵の間に立ち、石弓の先を突き出した。
鋭い風切り音が石弓から発せられ、装填されていた石礫が海賊達に襲い掛かる。
指先を石礫に飛ばされ絶叫する海賊。
その隣ではまとめて頭を石礫に吹き飛ばされた前後の海賊が、噴水のように脳漿と血を撒き散らしながら倒れる。
腹に石礫が命中した海賊は声を発することも出来ずに血をだらだらと吐き出しながら、前のめりに膝を付いてうずくまり、胸元に石礫を受けた海賊は、陥没させられた自分の胸を見ることなく事切れる。
戦列のあちこちで強力な石礫による攻撃を受けた海賊達の戦列が乱れた。
「今が好機ぞ!それっ、一気に押し出せい!」
行武の間髪入れない号令に、国兵達が歓声を上げて怯んだ弁国海賊を打ち崩す。
背を見せて逃げる弁国海賊は、泥田に足を獲られて弓矢の攻撃を受け続けていた弁国正規兵の戦列に乱入する形で潰走したため、弁国軍の混乱はいや増し、最早収拾が付かない。
そこに手を緩めることなく降り注ぐ矢の雨に、数多の弁国海賊が軽装であるが故に討ち取られ、また進出してきた国兵の石弓による再度の一斉射撃で正規兵もが大損害を出し、泥田の縁から突き出される鉾に止めを刺されていく。
見る見るうちに数を減らした弁国軍は、遂には全軍が藻塩潟へと敗走したのだった。




