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55話 東先道対陣前夜

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応援頂けた皆様には心より御礼を申し上げます。

 行武が戦場で朗々と戦口上いくさこうじょうを述べるより一月程前。


 藻塩潟を始めとする東先道諸国は遅い収穫期を迎えていた。


 拓いたばかりの水田に稔る稲穂が頭を垂れ、黄金色の平原を形作り、整えられた花香の実や桃、栗、団栗などの果樹はたわわに果実を実らせていた。

 溜め池で育てられていた肥魚が子供の手で網で掬い上げられて跳ね、合間を縫って行われる夷族による狩猟で猪や鹿が仕留められてくる。

 雉や鳩、雀が田畑の近くで射止められ、炭焼きの煙が立ち上る。

 正に実りの秋。

 初年度にも関わらず秋祭りを考えるほどの豊作に上がる民達の歓喜の声とは別に、梓弓城柵へは次々と危急の知らせが届く。


 黄金色に実った稲の間を早馬が行き交い、港にやって来た船からも慌ただしく人が城柵目掛けて走る。

 しかしそれでも梓弓城柵は未だ平穏を保っていた。

 それもそのはず、この地には東先道を実際に抑える、朝廷が言う反乱の首魁たる梓弓行武が居るからに他ならない。


「ユキタケ、とうとう大章国が軍を動かしました。弁国の海賊や水兵を前に押し立てて東先道の南岸に押し寄せるようです……如何しますか?」


 マリオンが切羽詰まった表情で現れる。

 その手には藻塩潟にやって来た同胞の商船からもたらされた情報を書き記した書簡。

 部屋で待機したり、書類をまとめていた雪麻呂や山下麻呂、スジグロやツマグロまでもが緊張の面持ちでマリオンを迎えている中、行武はふむと頷いたのみ。

 行武は書きかけの書状に走らせる筆を止めない。


「な、何をのんびりしているのですかっ!?」


 焦りを多分に含んだマリオンの声を聞き、ようやく顔を上げる行武の背後に、次いで猫芝が忽然と現れる。


「フン、西方天狗とは気が合わぬが、此度については吾も同意見ぞ。じじい、ぼやぼやしている内に、北の蛮族も動いたそうな。馬の得意な或鐶アルカンと大勢力の八威ハイじゃ。我が同胞からの知らせが来た……なかなかに厄介じゃぞ」


 猫芝の何時になく焦った様子に頓着することなく、行武は書状を書き上げると、その手にあった筆を硯へ静かに置く。


「少将様……」


 心配そうに声を掛けてくる雪麻呂に僅かな笑みを向けると、行武は徐に口を開いた。


「山下麻呂よ。皆を呼び集めてくれい」

「おう」


 緊張を隠そうともせず部屋を出て行く山下麻呂。


 それ程間を置かず、梓弓城柵の主立った者達が集まってくる。


 家宰の財部是安、東先道民部参与の畦造少彦、広浜夷族酋長の軽部麻呂、国兵総監の本楯弘光、国兵副総監の武鎗重光、副軍監の玄墨久秀、正軍監兼務薬事参与の薬研和人、揺曳衆棟梁の烏麻呂、元広浜介の大熊手力彦とその息子の大熊貞良、里長頭の大川内信彦が行武の部屋にやって来た。

 それに加えて元々居た従卒の山下麻呂と雪麻呂、それに従卒見習いのスジグロとツマグロ、西方術士のマリオンと陰陽師の猫芝がいる。


 行武は頼もしき仲間達を見回すと、満足そうに頷く。


「うむうむ、我が陣容も実に多士済済よの。頼もしきことじゃ」


 そして、文机の右中央に置いてあった硯を左脇へやる。

 かたりと乾いた音が、焦りに包まれる行武以外の者には酷く大きく、そして不似合いに響く。

 それを見ていた行武は相変わらず悠然とした様子で、微塵も焦った風を見せず、あごひげを左手でゆっくりとしごきつつ思案の姿勢に入る。


「さて、揺曳衆のお陰で剣持兵部卿率いる我らに対する征討軍は、ようやく東間道に達した。ご苦労じゃったの、嫌がらせは仕舞いじゃ、もう良い」


 笑みを伴う行武の言葉に黙って頭を下げる烏麻呂。

 彼ら揺曳衆は、かねてからの行武の命令により、剣持兵部卿率いる征討軍の行く先々で橋や道を壊し、兵糧を盗み、水を汚し、川を溢れさせ、馬を放ってその行軍速度を落として東先道への到達時期を調整していたのだ。


「雪麻呂、東先道南境の地図を持って参れ」


 行武の指示に、雪麻呂が慌てて書棚にあった東先道南部の地図を机に広げ、行武の書いていた書状はツマグロとスジグロが両端を持ち、急いで机から別の書棚へと移した。

 しばらく地図を眺めていた行武は、顎髭を扱く左手を止めず、右手で小さな木っ端で作った駒をもてあそびつつ、目当ての場所に置いてゆく。


「揺曳衆の遅滞戦術で征討軍は兵糧も満足に得られず、悪路や河川に難渋しておろう。最早軍の体を為しておらぬじゃろう……しかも北の地の冬は早い、南の者共はさぞ震えていようのう」


 行武の右手が、「征」の字が書かれた大きな駒を東間道に導く。

 しかしその駒には、小さい×印が付けられていた。


「そして大章の水軍じゃが……まあ、出航といってもまだ準備に手間が掛かろう。弁国や海賊もおる故に統制には難儀するじゃろうからな。恐らくここに到達するには、もうしばらく掛かる」


 そう言いつつ今度は行武の右手が「章」「弁」「海賊」の駒を東先道の東の海上にあたる机の上に並べ立てた。


「さらに、最北の蛮夷どもよの。むしろこれが一番厄介じゃ」


 少し顔をしかめた行武が「蛮」の字が書かれた駒を5つ程東先道の北に並べる。

 そして最後に、「梓」の字が書かれた駒を1つ、藻塩潟の地に置く。


「夷族の戦士団の内、故郷の防備に残る者を除けば、兵3千といったところかのう」

「ほう、見事に囲まれたの、行武よ」

「か、完全に包囲されているではありませんか!?」


 猫芝が感心したという風情で言い、是安が悲鳴じみた声を上げると、行武が面白がるようにいう。


「それはわしが先程言うたわい」


 笑みすら浮かべている行武の余裕の根拠を理解出来ず、周囲の者達は顔を強張らせるばかり。

 それを見て更に笑みを深めると、行武は言う。


「しかしこうでなくてはわしの策は成らぬ」


 そして固唾をのんで自分の一挙手一投足を見守っていた全員の中から、まずは大熊手力彦とその息子の貞良に最初の指示を出す。


「まずは稲の刈り入れを急がせよ。次いで東先道の各地に早馬を放て。全て包み隠さず民に危険を知らせ、収穫と共に山野へ身を潜めるか、国衙に籠もるように触れを出すのじゃ。余裕があるならば、山菜、木の実、薪、猪、鹿など山野の収穫も忘れずにせよ」


 コクコクと頷いた2人が慌てて行武の部屋を飛び出す。

 次いで行武は同じく部屋に控えていた本楯弘光と武鎗重光に顔を向けて言う。


「弘光は国兵を集めよ……但し、家に帰りたい者は帰らせてやれ」

「はっ!!」

「重光は、直ちに在番役の国兵を指揮し、稲刈りの終わった北側と西側の水田へ順に川水を引き入れよ、東は海に面した磯じゃからよいが……南は乾いたまま残せ。ただし、焦らずとも良い。広浜と広平の国境くにざかいへ出張ったわしが戻るまでに行えば良い」

「ははっ!」


 端的な指示で全てを理解した2人のつわものが部屋を機敏に出て行くのを頼もしそうに見送ると、行武は軽部麻呂に顔を向け、安心させるように口を開く。


「そう心配せずとも内陸に奴らは行かぬわい。恐らくこの藻塩潟と広浜国の強掠がまずは目処であろう……ここで食い止めれば大事ない。ここより北にはまだ大きな湊がない故、大章や弁国の大船は藻塩潟に付ける他無いのじゃ」


 行武の言うとおり、東先道は未だ朝廷の支配下に入って歴史が浅く、河川港や小規模な港湾ならばあちこちに存在するものの、文明国の大きな交易船や軍船が入れるような港湾は、ここ藻塩潟しかない。


「……これを見越してここに陣取ったってんなら、えげつない爺さんだ。おっかねえな」

「それは……あながち的外れでもないかも知れませんね」


 山下麻呂と雪麻呂がひそひそと話すのを余所に、軽部麻呂が進み出る。


「相手は東方の大国と無頼で名高い弁国だ、それに朝廷の征討軍もやって来る。いくら我らが勇猛であっても浮塵子の如く押し寄せる敵には抗しきれん」

「そうよな、夷族の戦士を鍛えた兵を加えてもざっとわしらは3000から5000。在番衆として500は残さねばならぬゆえに、我が方は更に少ない。一方の大章国と弁国を合わせた狼藉者らは2万を下らぬようじゃし、朝廷の兵はきっかり1万じゃ。確かに些か分が悪い」

「……些かか、老将?」


 軽部麻呂の懸念に対し、マリオンから手渡された書き付けを見ながら言う行武。

 手元の書簡には、大船100隻を本体とした大章国艦隊が弁国と海賊を先手として東先道を目指して出航した旨が記載されている。

 次いで行武は軍監に任じられている久秀と和人に顔を向けた。


「久秀と和人には朝廷への奏上文を早々に送って貰いたい」

「内容は?」


 素っ気なく問う久秀に、笑みを向けて行武は言う。


「大章国と弁国が攻め寄せて来たことと、わしが北鎮軍の権限でもって東先道の平定のためこれを討つ旨をしたためて貰いたいのじゃ」

「ふむ……では奏文の文案は私が練ろう。薬研副軍監殿は薬事の準備があるだろう?後で内容を確認して添状を作って頂ければ良い」

「……ほう?」


 久秀の申し出に和人が面白そうに声を上げて行武を見る。

 行武はその視線を受けて一つ頷くと、久秀に向き直った。


「頼めるかの?」

「無論だ」


 行武の強い視線を受けても久秀は揺るがない。

 かつてとは見違えるほどまっすぐなその視線から、久秀の意思と誇りを読んで見て取る。

 どうやら久秀は自らの生きる道筋を見出した様子だ。

 久秀の変化と成長に、行武は笑みを深めるとその背中をダンと叩いて言う。


「良かろう、奏文は久秀に任そうぞ!」

「ま、任されよう……我が一生の奏文を書き上げてみせる」

「良き哉良き哉、あっはっはっはっはっは」


 行武の力強すぎる激励を受け止め、むせながらも久秀が答えると、行武は大笑した後、笑みを残したまま和人に向き直る。


「確かに和人は薬の手配をして貰わねばならぬと思っておったところじゃ」

「お主が良ければそれで良かろう」


 和人は久秀と行武の提案を受け入れると、少し考えてから問う。


「ちなみに何の薬が要るのじゃ?」

「左様、されば虫さされ、傷薬、整腸剤、凝り解しと言ったところかのう?」

「傷薬は分かるが……他はなかなか戦で必要になるとは思えぬものばかりじゃが、良いのか?」


 行武が言い立てた薬の種類を聞き、和人は訝しげに首を傾げる。

 しかし行武は首を左右に振りながら真顔で再度言う。


「いやいや、是非に頼む。必ず必要になるわい、しかもかなりの数が必要じゃ」

「ふむ、そうか、お主が言うのであれば、まあそうなのじゃろう……では早速手配致すとしよう。夷族の薬師らにも声を掛けねばの」


 仏頂面の久秀とにこやかな和人が部屋を出て行くと、行武は次いで財部是安と畦造少彦に顔を向ける。


「官人らには普段どおりの政務を進めるよう申し付けい。滞りなく民人には産物の収穫を進めさせ、然るべき手続きと対価を支払い、国庫を満たせ……未だ税は徴さぬ故、必要分はわしの私財をもって買い入れよ」

「ははっ」

「承知致しました」


 行武が今度は大川内信彦に顔を向けると、待ちかねたと言わんばかりの顔付きで信彦が問う。


「老少将様よ、わしらは何をすれば良いのじゃ?」

「おう、お主らには大事な役目を申し付けるわい」

「ほう?まあ、任せて貰おう」  


かつては武人や大農民として広浜国南部を牛耳っていた信彦らも、行武の武威と寛容にすっかり心服しており、東先道の危機と聞いてわざわざ因縁浅からぬ信彦を里長頭として送り込んできたのである。


「こちらで武具は渡すので、里から武勇の者数名ずつを選び出し、東先道の他の夷族の戦士達と協力して山野に伏せていて貰いたいのじゃ」

「成程……老少将様は伏兵を使うか、いや面白し!」


 信彦が行武の策に納得して大きく頷くと、行武はふっと笑みを浮かべて言葉を返す。


「まあ使い古された手じゃがよく利く故に古来より頻繁に使われてきたものじゃ。合図は別途指示を出す故に、まずは選定と招集に掛かってくれい」

「おうさ!」


 信彦が鼻息荒く勇んで部屋を出ると、行武はマリオンと猫芝に優しげな眼差しを向けた。


「2人ともようやってくれたのう……過酷な役目を見事果たしてくれた」

「いえ、私は……ユキタケのお役に立てたのならそれだけで……」


 行武の労いの言葉にマリオンがより近くに居た猫芝をドンと弾いて擦り寄ると、たたらを踏んだ猫芝がその間に割り込んで睨み上げる。


「……何ですか、邪魔するつもりですか?」

「西方天狗はまた盛っておるのかや?」

「西方では自分の気持ちを表わすのに遠慮はありません」

「はんっ、吾にはその恥知らずな態度は耐えられん」


 小馬鹿にしたように鼻で笑い飛ばす猫芝に、マリオンのこめかみに青筋が浮かんだ。


「……なんですって?このちんちくりんっ」

「ち、ちんちくりとはっ、ずいぶんな物言いじゃのっ。吾は小さいが別にちんちくりんではないわ!」

「うぬぬぬ」

「ぐぬぬぬううっ」

「それくらいにしてくれい……話が進まぬ」


 いがみ合う2人を呆れた表情で窘める行武。

 そして未だにらみ合っている2人を放置して、行武は烏麻呂に近付き、簡素に告げる。


「大変ご苦労じゃが、しばし休憩の後は再び征討軍の動向を探るのじゃ」

「承った」


 行武の指示に一礼を残した後、部屋からすっと消える烏麻呂に、ツマグロとスジグロが目を白黒させ、雪麻呂と山下麻呂が息を呑む。


「あ、あの方も術士なのですか?」

「うむ、古い時代から我が家に使える者共じゃ。一度は関係を絶たざるを得なんだのじゃが、それを水に流して再びわしに力を貸してくれるという……得難き友らよ」


 感慨深げにつぶやく行武。

 その姿を見た雪麻呂が目を潤ませるのを、山下麻呂は気の毒そうに見た後、徐に問い掛ける。


「それで、じいさんはこれからどうするつもりなんだ?」

「ふふふ、まあ見ておれ、この梓弓行武、一生一大唯一の大泥棒となろうぞ」

「えっどろぼう?」

「少将様が?」


 ツマグロが素っ頓狂な声を上げ、スジグロが驚いて目を見張ると、行武は心底可笑しそうに大笑するのだった。

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